6月5日
「しな」【支那】(秦−シンの変化という。もと、中国の仏教書で、自国を読んだ語①「中国」の旧称。もろこし。中華。②俗に中国を呼ぶ名。(新明解国語辞典第四版より)
新明解国語辞典の「しな」に関する記載は、第四版と第五版で異なっている。第五版では、「賤称である」ということがはっきり書いてある。
モンゴルの草原で
相撲を取って負けた
勝者には歓喜の舞
敗者には羊の糞
地球の表面に耳をあてると
地下深く流れる川音のかわりに
物言わぬ雄弁な雲の
断定的な話し声が聞こえる
6月4日
私が今日偶然に辞書で出会ったことば
“flannel” n. 1. A woven fabric with a nap, made of wool or a wool and cotton or synthetic blend. 2. flannels. Trousers or undergarments made of flannel. (WEBSTER’S II DICTIONARY NEW THIRD EDITIONより)
ネルシャツを愛する元くんの父親は鹿撃ちの名人だった
5月31日
“bibliomania” n. An exaggerated liking for acquiring books. (WEBSTER’S II DICTIONARY NEW THIRD EDITIONより)
かりてよむ本は
どこか人の家で遊んでいるようで
帰らなければならない家があるようで
本の世界につかることができない
頁をめくると
なじみのない匂いがのぼり
どきどきするようなやらしい場面では
かし主の顔が頭にちらついて
集中してエッチな気分になれないのだ
5月30日
・「日常生活」こそがすばらしい時間なのだろうか。
入院患者さん(50代くらいの女性)が、うれしそうにケータイで朝ご飯の作り方について説明している。相手はたぶん娘だと思う。電話の内容からすると、彼女はもう少しで退院できるようだった。退院したら彼女は、今まで何十年もしてきたように朝ご飯を作るのだろう。彼女が今どんな病気で入院しているかは判らない。入院している病棟は婦人科だから、ひょっとしたら悪い病気かも知れない。もしそうならば、短い時間をおいてすぐ再入院という可能性もある。
限られた時間に多くの人はそれまでと同じ過ごし方をする。それは、そういう風にしか過ごせないからかもしれない。しかし、それはすでに、無意識のうちに自らが選びとった「すばらしい過ごし方」だということではないだろうか。
わたしはわたしが嫌だと思っていることを、本当に嫌だと思っているのだろうか。わたしはわたしが好きだと思っていることを、本当に好きなのだろうか。
・患者はヒマでありまた忙しい
時間があるからこそゆっくりとしたいことがある。本を読む。何かを考える。心を落ち着かせる。医師として患者に接するとき、「対話が必要」「患者さんとの時間をたっぷりと取ることが大切」とだけ考えて、こちらの都合で患者の時間を奪っていなかっただろうか。「心の交流」の押しつけをしていなかっただろうか。
・患者のいる場所とはどんな場所か。
患者は弱い立場にあり、ときに不安になる。家族や愛する人に頼りたくなることもあるだろう。すがりつくような気持ちにさえなるかもしれない。しかし患者は、それと同時に他の人にはわからない高みからそれらの人たちを見おろしている。医療従事者は、患者の病状、性格、生活環境などからその人間を評価するが、患者もまた、患者という立場でしかできないかたちで、健康な人たちを評価しているのだ。
5月27日
私が今日、偶然に辞書で出会った言葉
「みだれる」【乱れる】整った状態や有るべき秩序が失われる。「列〔=列の順序〕がー」(新明解国語辞典第4版より)
乱れた記憶
記憶の乱れには、①欠失—記憶の一部あるいは全てが損なわれること。②挿入—他の出来事(別の記憶や、でっち上げ。時に願望を含んでいることがある)が入り込んだり、すり替わったりして、元々の記憶の正確性が失われること。等がある。記憶の正確性を保証する権利は、記憶される事象が持つ場合と、記憶する人間が持つ場合、その両者が持つ場合がある。そしてそれは、真に記憶の正確さを保証することの難しさを表しているかもしれない。
正確な記憶を写真に例えるなら、わたしたちの水晶体が像を焼き付けるのはフィルムではなく、キャンバスである。キャンバスの絵画は変容する。変容は生理的だが、病的変容との間を隔てる境界に、有るべき秩序は存在しない。