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それは「蓼食う虫も好き好き」では(違うか)

12月13日(火)
僕が泊まっているクオリティー・ホテルは、学会場のジョージアワールドコングレスセンターから歩いて10分のところにある。アメリカで開かれる学会は朝が早いので、ホテルは会場の近くにあるほうが便利である。朝7時過ぎにホテルを出ると、外気が冷たい。朝の気温は、大阪神戸辺りと比べて5度は低いのではないだろうか。出発前に日本で買った手袋が重宝している。学会も今日でいよいよ最終日になった。土日の間は、溢れんばかりの人で埋められていた学会場も、月曜日になってだいぶ人が減ってきた。休憩時間のコーヒーショップや、トイレや、エスカレーターの前にまでできていた行列が、どんどん短くなっている。アメリカ国内からの参加者は、多くの人が月曜日までの参加で帰るらしい。学会も3日目を過ぎると「頭がお腹一杯」状態になってきて、一日中話を聴いているのが辛くなってくる。
Y田先生も、月曜日を最後にアトランタを離れて、元の留学先であるオクラホマに行ってしまったので、最終日は一人で学会参加ということになった。Y田先生との最後の夜は、”STAKE and ALE”というレストランで食事をした。日曜日の夜も、郊外のステーキレストランで大きなTボーンステーキを食べたので、この夜はチキンソテーを食べた。
このレストランで食べたサラダのブロッコリーが生だった。お昼に、学会場の売店で買ったサラダに入っているブロッコリーも、やはり生だった。だんだん日本の、茹でたてつやつやのブロッコリーが恋しくなってきた。芯まで柔らかく茹で上がった緑色のブロッコリーを、何もつけずに食べる。茹でたてほくほくのブロッコリーの甘みを感じるには、なにもつけずに食べるのが一番美味しい。冷めているものを食べるときはマヨネーズをつけることもある。それももちろん美味しい。しかし、アトランタのブロッコリーは生である。ただ、日本のブロッコリーよりもサイズが小さいのでこれは生食用のブロッコリーなのかもしれない。今頃の季節に日本のスーパーに行くと、「生食用」と「加熱用」の牡蠣を売っているが、アメリカのスーパーにも「生食用」と「加熱用」のブロッコリーがあるのだろうか。絶対に無いような気がするのは偏見と言うものだろうか。アメリカ産ブロッコリーの名誉のために言っておくが、アメリカの生で小さなブロッコリーが、決して食べられないほど不味いと言っているわけではない(ほとんど言っているけど)。
食べ物の食べ方にお国柄が出るのは、ある意味でもっともらしいことであるが、面白いと思うのは、研究テーマの人気にもお国柄が出るということである。僕が出席している学会の分野でいうと、日本人は白血病ならリンパ性よりも骨髄性が、成熟分化した細胞よりも、未熟な幹細胞が好きである。分かりにくい説明で申し訳ないが、ごく簡単に言うと、「日本の研究者はかなりミーハー」だということである。これは、日本のちょっとサッカーが上手な子供がみんなゲームメーカーになりたがるということと少し似ているような気がする。
大分前になるが、スポーツ雑誌の『ナンバー』(歩き方のことではない)を呼んでいたら、興味深い記事が載っていた。その記事は、「どうして日本から海外のサッカークラブで活躍する選手は、中盤の選手ばかりなのか」ということを分析していた。確かに、現在、海外のサッカークラブで活躍している選手は、中田英、中村など、中盤のいわゆるゲームメーカータイプの選手が多い。その記事では、その理由をずばり『キャプテン翼』のせいにしていた。キャプテン翼がミッドフィルダーだからなのである。翼くんの活躍ばかり読んでいる日本のサッカー少年は、当然みんなミッドフィルダーになりたがる。すると、当然一番上手な子供がミッドフィルダーになる。コーチも上手な子供をミッドフィルダーにさせたがる。そのヒエラルキーが少年サッカーからJリーグまで続いている。だから、ミッドフィルダーばかりのレベルが上がる。そして、そのヒエラルキーの最高峰にいるのが、中田英や中村選手な訳である。才能の偏在によって、日本サッカーの技術レベルが向上して最初に世界に通用するようになるのはミッドフィルダーばかりになってしまった。そして、そこに埋もれてしまった才能もかなり多いだろうと思われる。
「もし、日本の才能あるサッカー小僧が、もっとフォワードの選手として小さい頃から切磋琢磨していたら、日本代表の得点力不足はこれほど深刻にならなかったはずである」との言及で、その記事は終わっていた(「フォワードの選手が主人公のサッカーマンガを誰かに書かせろ」とまでは書いていなかった)。
少ないポジションにプレーヤーの人気が集まるのはサッカーに限った話ではなく、研究テーマの選び方にも現れると思うわけである。それは何も日本人に限った話ではないだろうが、日本人にはその傾向が強い印象がある。研究に関しては、その分野に関わる人が多ければ多いほどその分野は活性化する。そうすると、業績が出始める。業績が出ると、それに対して研究費が出る。その分野はさらに活性化する。その分野だけをみればまことに結構なことであるが、サッカーではミッドフィルダー以外にフォワードやディフェンダー、キーパーも必要であるのと同じように、医学研究だって、人気のある分野以外にも大切な仕事が山ほどある。
人気のある分野で研究している人は、すでに成功した人も、発展途上の人も華やかな空気の中にいる。でも、何となくしんどそうだ。常に誰かが新しいことを言う。競争がある。それに振り回される。
その一方で、周りの騒音に左右され過ぎず、自分の手で触れた知見を大切に膨らまして、こつこつと仕事を進める研究者もいる。そういう人は、華やかではないかもしれないが、肩の力が抜けていてとても幸せそうだ。僕はそういう研究をしている人から、研究の話を聴くのが大好きである。
最終日の学会は午前中で終わったので、昼からは地下鉄に乗って買い物に行った。夜は中華料理屋に行って、焼きそばとハイネケンビールを一本。焼きそばは、えびと絹さやがたっぷり入っていて美味しかった。会計を頼んだら、おばさんがチョコレートがかかった焼き菓子をもってきてくれた。齧ると中に細長い紙が入っていて、黒い文字で、”Obstacles on your path become gateway to new life.”と書いてあった。何かを言っているようで何も言っていないというところが気に入った。読んだ人によって、だいぶ受け取り方が代わりそうな気がする。
明日、日本に帰ります。

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2005年12月17日 10:37に投稿されたエントリーのページです。

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