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2004年6月 アーカイブ

2004年6月23日

あの日に帰りたい

6月21日(月)


僕の青春も終わった。

バイバイ。

青春なんてとうの昔に終わったと思っていたのだが、実はぜんぜん終わっ
ていなくて、それがこの日に突然終わってしまった。

「葉緑体、オオカナダモ、はっていうこのスタンス」から遠ざかって大分
経つなあ、という自覚はあったのだが、なんのなんの32歳まで僕の青春
は細々と続いていたらしい。

それがいきなり終焉を迎えた。それはまるで、椿の花がなんの前触れも無
く、ぼとりと地面に落ちるようにあっけなかった。

何があったのかって?

うん。あのですね、何があったかというと、えっと、あの、恥ずかしいの
で小さい声で言いますが、痛風発作です。

あ、あなた今笑ったでしょ。いじわるだなあ。今笑った人は、間違い無く
プリン体の雷に打たれるであろう。

この日は、夕方から何となく右足の親指の付け根のところが痛かったのだ
が、筋肉痛か何かだろうと思っていた。良く考えると、そんな部位が筋肉
痛になるはずないのだが。

11時過ぎに家に帰り、届いたばかりの新しいパソコンにATOK16を
インストールしながらビールを飲んでいると、どんどん足の痛みが強くな
る。なんじゃこれはと足に目をやり、右の親指が腫れているのを見た時点
で、痛風発作を確信というか、確診。

先週の後半から外食が続いたのと、ビールの飲みすぎが原因だと思われる
が、それにしてもこのくらいのことは今までも沢山あったわけで、まさか
自分がこの歳で痛風発作を経験するとは思ってもいなかった。4月にした
血液検査では、尿酸も正常範囲だったのに。

もちろん、若い人で痛風発作を起こす人もいるわけだが、僕の場合は明ら
かに加齢というファクターが今回のイベントに関係しているように思う。
白血病等で白血球の数が急激に増えると尿酸が上がるのだが、たぶんそう
いうのでは無い。

発作の程度もごく軽いものだし、腫れが引いたらまたビールを飲み始める
のだと思うのだけれど、これからはどこかで発作を恐れながら飲むのかと
思うととても悲しい。つい2日前までは、なんのためらいもなくイノセン
トにビールをかぱかぱ飲んでいたと言うのに。

もうあの頃には帰れない、という感覚は数日単位でも起こりうるものだと
いうことを初めて知った。

何を持って青春の終わりと定義するかは結構難しい問題だとおもうが、村
上春樹も『村上朝日堂はいほ―!』で書いているように、それは結局は自
分の中で何かが終わるのを感じた時なのだと思う。

悲しんでばかりいても仕方が無いので、これからは「若いおじさん」生活
を楽しみたいと思います。ぐすん。

2004年6月28日

「好きなことば」は「ちりれんげ」

6月25日


長い長い坂道の真ん中には2本の線路が乗っかっていて、坂の頂上まで続いている。ときどき右や左にカーブするときも線路はきちんと平行を保ったまま続いており、気ま
ぐれに間隔が狭くなったり広くなったりする事はない。

2本の線路の仕事は電車を安全に運ぶ事なので、途中で勝手に間隔を変えられてしまってはもちろん困るのだが、文句一つ言う事無く律儀に平行を保って仕事に励んでいる線路の姿をみると、ムラの無い仕事をこなしているこいつは偉いなあと思ってしまう。

そんな風に先頭車両の正面ガラスの向こう側をぼーっとしながら眺めていたら、坂の
頂上の線路の真ん中に、突然小さな人影が現れた。電車が近づいていくと、その人影
は白髪の痩せた老人であり、長いあごひげを風になびかせながら線路の真ん中で悠然と片足を揚げて鶴のポーズを取っている。

運転手は、ヒステリックにぷわーんぷわーんと警笛を鳴らすが老人は線路の中央から
全く動こうとせず、いったいこれはどうなるのだろうかと思っている間にも電車はどんどん老人に向かって進んでいった。

ああもうぶつかる、と思ったその瞬間に老人は線路の上にマキビシを投げつけるとど
こかに消えてしまった。マキビシを踏んだ10両編成の電車は、進行方向へ向かって右
側にごろごろと横転し、線路脇に立ち並ぶ民家5棟を倒壊させてやっと止まった。

天地が逆になった車内では、乗客が折り重なるように積み重なっていて、あちらこち
らから「うげー」とか「苦じい、どいてくれえ」という声聞こえてくる。

こういうときでも、不謹慎な奴というのはきちんと存在するもので、どさくさにまぎれてお尻を触られたらしいOL風の女の子が、「痴漢でーす」と叫んでいる。

痴漢だとかそういう事をいっている場合じゃないのではないだろうかと思いながら窓
の外を見てみると、煙がもうもうと立ち上がっていて、どうやら電車が突っ込んだ民家のどこかから火事が起こっているらしい。

外の様子を確認しようと思い、ずりずりと匍匐前進をして窓のそばまで近づいてみる
と、線路が走っている土手の上にマキビシをまいた老人が静かに立っていて、目が合った。

老人は僕から視線を外さないままで、鶴のポーズを一度決めると、そのままどこかに
去っていった。

電車の中は、「たすけてくれー」とか「どけろ、あほんだら」などといった叫び声が
行き交っている。お尻を触られた女の子も、いまだに「痴漢でーす。痴漢でーす」と
叫び続けている。

電車が逆さまになって、今や床となってしまった天井には中吊り広告が散乱しており、
そこには

「-京都駅ビル新譜発売記念イベント-
 長山洋子『おんな炭坑節』、上沼恵美子『コスモス揺れて』 」

と書いてある。

こんなときに、『おんな炭坑節』などと言っている場合ではないだろうとまたまた考
えながら、そして、世の中というものはもしかしたら、「こういう事を言っている場
合ではないだろう」と言っている間に何事も無く過ぎ去ってしまうのだろうか、とい
う事が確かならば、その状況というものは、「こういう事を言っている場合である」
ということになる、ということを考えた。しかし、ぼーっとしていたら火事に巻き込
まれかねない今の僕は、やはりこんな事を考えている場合ではない状況であるはずな
ので、早く電車のドアをこじ開けて脱出しなければならないと、ドアに手をかけたと
ころで目が覚めた。

電車はちょうど須磨の駅に着くところで、変な夢を見たせいか全身にじっとりと汗を
かいている。寝ぼけまなこでまだ視線も定まらないままに電車を降りておじいさん医
院へと向かった。

駅からおじいさん医院までは歩いて10分くらいの距離がある。おじいさん医院の診療
時間は朝9時から始まるので、僕はだいたい朝8時30分には診療所に着くように家を出ている(本当は9時ぎりぎりに着く事も結構ある)。

診療所に着くと、いつも看護婦さんがコーヒーを入れてくれるので、それを飲みなが
ら新聞を読んでいると、そのうちおじいさん先生も裏のお家から診察室へとやってく
る。

「さとう先生、あなた好きな言葉って何かありますか?」

「あ、おはようございます。好きな言葉ですか。いきなりそういわれるとちょっと困っ
てしまいますね。何かあったような気もするのですが、急に質問されますと、なんと
答えたら良いかわかりません」

「なるほどね、そんなものかもわかりませんねえ。いや、先日テレビの野球中継を見
ていたらね、広島×巨人戦だったんですが、バッターボックスに入る選手の紹介画面の中に『好きな言葉』というのが入っていたんです」

「僕もそれ見たような気がします。ちょっと前の日曜日ですよね」

「うん、そうそう。そいでね、野球選手の好きな言葉なんて、そんなのどうだってい
いじゃないかと思うんですけど、とにかくそういう項目が選手紹介の中にあって、ちょ
うどその時打席に入ろうとしていたのが、広島で最近売り出し中らしい、島という選
手だったんです。

赤ゴジラとか呼ばれている選手らしいんですがね、その赤ゴジラの好きな言葉が『親
孝行』だっていうんですよ。なんだかそれ、あんまりだと思いません?

確かに赤ゴジラくんは親孝行が好きなのかもしれないんですが、もうちょっと何とか
ならないかと思うんですよ。なんかあるでしょう、もうちょっと気の効いた言葉が。
名前は忘れたんですがね、ゴジラの次の外人選手なんて、『一生懸命』が好きな言葉
だっていうんですよ。外人が『ワタシノスキナコトバハ、イッショウケンメイデース』っ
て言ったっていうんですかね」

好きな言葉は何かと突然聞かれたら、確かに困ってしまう。正面切って質問されると
肩に力が入ってうまく答える事ができない。でも、確かに好きな言葉は「親孝行」と
か「一生懸命」ではあまりに芸がないというおじいさん先生の指摘はもっともだと思
う。

「すきなことばは『ちりれんげ』です」なんていう野球選手がいたら、それだけでちょ
っとだけ応援しても良いかなあと思ってしまいそうだ。

とはいえ、朝っぱらから変な事で必要以上に憤っているおじいさん先生を見て、とう
とうぼけてしまったのではないかと、僕は少し心配になった。

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