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2004年7月 アーカイブ

2004年7月22日

ほんまにへとへとです

le 20 juillet

私は、本を読んでいるとき、なぜか途中で「あとがき」とか
「解説」を先に読んでしまうことがあるのだが、
町田康の『へらへらぼっちゃん』を病室で読みながら、
このときも何だか気になって「解説」を途中で読んでしまった。
それは、大槻ケンヂによるもので、このいわゆる“おもしろエッセイ”
の中のモラトリアムのごとき日々は、きっと若い読者の共感を
呼ぶだろう、と書いてあった。
たしかにそうだろうなぁ。
私も結構共感してたし。
遊んで暮らすことの難しさとか、特に。

まぁ、私は、別に遊んでるつもりじゃないですけどね。
ただ、傍目には遊んでると思われるだろうし、
自分としても普通に働きに行こうという気がないわけだから、
遊んでるっていうのかなぁ。
この本にも書いてますけど、「遊んでる」って一言で言っても、
どっか遊びに行くとか友達と遊ぶとかってのと、
何もしないでいるってのがあるんですよね。
町田さんは、「何もしないでいる」ってのはなかなか難しいし、
辛いもんだって書いておられるんです。

私だって、親がいなければこんな風に暮らしていけないわけですけど、
働きに出ないで家にいるのも大変なんですよ。
うーん、「何もしないでいる」って、相当難しいことだと思います。
全くの独り暮らしだったら、まだやりやすいでしょうけどねぇ。

なんかこう、実家にいたら楽なのかなぁっていうイメージが
あるような気がするんですけど、親のお金で食べていけるから
楽ってのはあるけど、神経は使いますよねぇ。
私は、お給料がもらえるわけじゃないから、なるべく
自分のためにお金を使わないようにしようと思って、
とりあえず電気代とか水道代を気にしてます。
冷房とかねぇ、電気代大きいじゃないですか。
あと、友だちと出かけるとお金がかかるから、
ほとんど出かけないし、行っても近場だけにするし、
買い物はしない。
あ、本はときどき買いますけど。
でも、文庫本を買うようにしてるんですよ、一応。
お金に関してはこんな感じ。

あとは、その、家にいるわけですから、家のことは手伝いますよねぇ。
洗濯干したり、ごはん作ったり、食器洗ったり、掃除したり・・・。
で、うちの場合は、自営業ですので、電話とったり、ときどき
お客さんとか業者さんの対応したり請求書配ったりねぇ。

だいたい、自分が大学を卒業してんのに収入がないから、
申し訳ないなぁってのがあるのか、気を使うわけですよ。
「何もしないでいる」どころか、何もしないではいられないですからねぇ。
つまり、働かないで家にいるために、家の中もしくは家関係で
必死に働いてるわけですね。


でもなんか今月は、ほんまにへとへとです。

月初めに、母方の祖母が大きな病院へ検査に行くという
話があって、というのも、いつもお世話になっている病院で
何気に2年ぶりになる胃カメラを飲んだら、小さな癌が
見つかったからなんですが、その大きな病院での検査の前に
一度診察を受けなければならず、その日付き添える者が
いなかったため、私が付き添うことになったんですね。
私も始めて行く病院で、駐車場とか駐車券とか初心受付とか、
もう全部「たぶんこれでいいんだろう。」で乗り切り、
あとは名前を呼ばれたら行けばいいんだな、と
ほっと一息。
その一階の受付前で、椅子に座っておばあちゃんと
しゃべっていて、ふとおばあちゃんの鞄に入っている
紹介状を見ると、そこには「外科 橘先生」という宛名が
書かれてあった。
外科?でも、さっきおばあちゃんは内科だって言ってたから、
内科を丸で囲んで受付に出したんだけど・・・。
「おばあちゃん、診てもらうのって外科なん?」
「うん、そうやで。」
「え、内科で出してもた・・・。」
「あれ?いや、内科や内科やな?」
「んー、でもさ、これ外科って書いてるから、外科なんやわ。」
ってことで、急いで受付に行って、外科に訂正してもらい、
その後名前を呼ばれ、「外科は2階になりますので、エスカレーターで
上がってもらって右手に行ってください。」という説明を受け、
無事に外科窓口での受付も済み、問診書も書き、15分後ぐらいに
やっと診察室に呼ばれる。

紹介状の宛名にあった、その橘先生は、実に感じのいいおじさんで、
この先生なら大丈夫!と患者が信頼できるようなオーラを放っていて、
付き添いの私も、何かあったら橘先生に執刀してもらいたいなぁと
思った。
でも、ほんまにそうですよ。
絶対大丈夫だって思えるようなお医者さんの方がいいじゃないですか。
私が4年前に、紹介状を書いてもらって大きな病院で
ちょっとした手術を受けて、まぁ、耳鼻科で紹介状書いてもらった
口の中からの手術ですけど、無事手術が成功して中から石が取れてですね、
その紹介状書いてもらった耳鼻科にお礼かなんかで行って、
先生としゃべってると、どの先生に手術してもらったん?という
話になって、名前を言ったところ、「へー。あいつが、立派に手術
できるようになったんかぁ。」って言われたんですよ!?
私の場合は、紹介状に先生の名前までは書いてなかったので、
誰が担当するかわからなかったんですけど、ちょっとした石とはいえ、
もし口の中から取れなかったら顎の下かどっかその辺から切って
摘出しなければいけなかったわけですよ。
しかも、手術中、局部麻酔なので意識あるし、会話が
聞こえるわけですが、その執刀医が「あれ?とれへんなぁ。
もうちょっとなんやけど・・・。」とか、言ってたんですよ、ほんとに。
そんな、結果的に取れたからいいものの、「へー。」と、半ば
驚かれてしまうような先生に手術してもらうより、ぱっと見て
信頼できるような先生に手術はしてもらいたいものだと、そのとき
思いましたよ、まったく。

えぇ。それで、おばあちゃんですが、このとき持参した
レントゲンと胃カメラの写真を見てもらってから、
しつこいようだけど、もう一回こっちで胃カメラ検査を受けてもらう
ことになります、というように言われ、その次の日に再び検査したんです。
で、やっぱり、癌があるけど、すごく小さいものなので、
胃カメラで摘出できるでしょう、と。
もしダメだったら外から切らないとだめだけど、
「うーん、経験からいくと・・・たぶんカメラで大丈夫やと思います。」
そう言われて、祖母も母も私も、良かった良かった、早い段階で
見つかって良かったねー、とあっさり一安心。
この検査の一週間後に、カメラでの癌摘出も成功し、
その後一週間の入院を経て祖母は今日、無事に退院できました。

けどまぁ、この2週間強の間、ほとんどゆっくりする間も
なかったんですよね。うん。

母方の祖母の手術直前の土曜に、弟が東京で買ってきてくれた
お土産“六本木ヒルズまんじゅう”を持って、帰って来てですね、
日曜は、「服がない。」という弟を連れて姫路に買い物に行き、
その夜は父親の運転で弟を滋賀県まで送って行ったりね。
そしたら、あくる日は入院していた父方の祖母が退院する日だったので、
病院まで迎えに行ったり。
で、その一緒に暮らしてるおばあちゃんは、冬場に脳梗塞を
起こしたり、ちょっと痴呆気味になったりするので、
入院する前からデイサービスというものを利用していて、
今回退院したので、そのデイサービスに再び通うことになり、
週4回、9時頃に送り出し、16時頃に迎えるわけです。
こう、一人で玄関を出たり入ったりはできないので、
私か母が付き添うわけなんですが、これを、忘れないように
しないと。てか、その時間を考慮して動かないといけないんですね。
4時とか4時半ごろと言えば、晩ご飯の買い物に行ったり、
晩ご飯の準備に取り掛かってたりする時間なんで。
それで、そうこうする内に、母方の祖母の手術の日になって、
もうその日は朝から夕方まで、ずーっと病院ですよ。
実際にカメラを飲むのは夕方なのに、入院準備みたいなので
朝10時の予約ですから。
で、10時から病棟の説明などを聞いて、
おばあちゃんの点滴が始まって、昼過ぎから母は仕事もあるし
父方のおばあちゃんがデイサービスから帰ってくるしってので
帰っちゃって、私は一人でおばあちゃんに付き添いながら、
おばあちゃんが眠ってる間『へらへらぼっちゃん』を
読んでいたわけですよ。

それから、おばあちゃんが退院するまでの一週間は、
毎日母と共に病院に顔を出していたんですが、
その病院までが少し遠いので、あっという間に午後が終わっていく
んですよ。すぐ3時ですよ。
週四日は4時前には家に帰ってないといけないし。
毎日、洗濯物も取り込まないといけないし。
んで、夕方といえば犬の散歩もあるでしょ。
さらに、この暑さ。
暑いから、6時ぐらいから散歩に行くんですけど、
それでもかなり暑いじゃないですか。
30分ぐらい散歩してると、もう水分どんどん出て行くし、
へとへとですよ。はぁ。

あぁでも、おばあちゃんの癌が大したことなくて
1週間で退院できてよかった。

2004年7月25日

へらへら嬢ちゃん

le 20 juillet

私は、本を読んでいるとき、なぜか途中で「あとがき」とか
「解説」を先に読んでしまうことがあるのだが、
町田康の『へらへらぼっちゃん』を病室で読みながら、
このときも何だか気になって「解説」を途中で読んでしまった。
それは、大槻ケンヂによるもので、このいわゆる“おもしろエッセイ”
の中のモラトリアムのごとき日々は、きっと若い読者の共感を
呼ぶだろう、と書いてあった。
たしかにそうだろうなぁ。
私も結構共感してたし。
遊んで暮らすことの難しさとか、特に。

まぁ、私は、別に遊んでるつもりじゃないですけどね。
ただ、傍目には遊んでると思われるだろうし、
自分としても普通に働きに行こうという気がないわけだから、
遊んでるっていうのかなぁ。
この本にも書いてますけど、「遊んでる」って一言で言っても、
どっか遊びに行くとか友達と遊ぶとかってのと、
何もしないでいるってのがあるんですよね。
町田さんは、「何もしないでいる」ってのはなかなか難しいし、
辛いもんだって書いておられるんです。

私だって、親がいなければこんな風に暮らしていけないわけですけど、
働きに出ないで家にいるのも大変なんですよ。
うーん、「何もしないでいる」って、相当難しいことだと思います。
全くの独り暮らしだったら、まだやりやすいでしょうけどねぇ。

なんかこう、実家にいたら楽なのかなぁっていうイメージが
あるような気がするんですけど、親のお金で食べていけるから
楽ってのはあるけど、神経は使いますよねぇ。
私は、お給料がもらえるわけじゃないから、なるべく
自分のためにお金を使わないようにしようと思って、
とりあえず電気代とか水道代を気にしてます。
冷房とかねぇ、電気代大きいじゃないですか。
あと、友だちと出かけるとお金がかかるから、
ほとんど出かけないし、行っても近場だけにするし、
買い物はしない。
あ、本はときどき買いますけど。
でも、文庫本を買うようにしてるんですよ、一応。
お金に関してはこんな感じ。

あとは、その、家にいるわけですから、家のことは手伝いますよねぇ。
洗濯干したり、ごはん作ったり、食器洗ったり、掃除したり・・・。
で、うちの場合は、自営業ですので、電話とったり、ときどき
お客さんとか業者さんの対応したり請求書配ったりねぇ。

だいたい、自分が大学を卒業してんのに収入がないから、
申し訳ないなぁってのがあるのか、気を使うわけですよ。
「何もしないでいる」どころか、何もしないではいられないですからねぇ。
つまり、働かないで家にいるために、家の中もしくは家関係で
必死に働いてるわけですね。


でもなんか今月は、ほんまにへとへとです。

月初めに、母方の祖母が大きな病院へ検査に行くという
話があって、というのも、いつもお世話になっている病院で
何気に2年ぶりになる胃カメラを飲んだら、小さな癌が
見つかったからなんですが、その大きな病院での検査の前に
一度診察を受けなければならず、その日付き添える者が
いなかったため、私が付き添うことになったんですね。
私も始めて行く病院で、駐車場とか駐車券とか初心受付とか、
もう全部「たぶんこれでいいんだろう。」で乗り切り、
あとは名前を呼ばれたら行けばいいんだな、と
ほっと一息。
その一階の受付前で、椅子に座っておばあちゃんと
しゃべっていて、ふとおばあちゃんの鞄に入っている
紹介状を見ると、そこには「外科 橘先生」という宛名が
書かれてあった。
外科?でも、さっきおばあちゃんは内科だって言ってたから、
内科を丸で囲んで受付に出したんだけど・・・。
「おばあちゃん、診てもらうのって外科なん?」
「うん、そうやで。」
「え、内科で出してもた・・・。」
「あれ?いや、内科や内科やな?」
「んー、でもさ、これ外科って書いてるから、外科なんやわ。」
ってことで、急いで受付に行って、外科に訂正してもらい、
その後名前を呼ばれ、「外科は2階になりますので、エスカレーターで
上がってもらって右手に行ってください。」という説明を受け、
無事に外科窓口での受付も済み、問診書も書き、15分後ぐらいに
やっと診察室に呼ばれる。

紹介状の宛名にあった、その橘先生は、実に感じのいいおじさんで、
この先生なら大丈夫!と患者が信頼できるようなオーラを放っていて、
付き添いの私も、何かあったら橘先生に執刀してもらいたいなぁと
思った。
でも、ほんまにそうですよ。
絶対大丈夫だって思えるようなお医者さんの方がいいじゃないですか。
私が4年前に、紹介状を書いてもらって大きな病院で
ちょっとした手術を受けて、まぁ、耳鼻科で紹介状書いてもらった
口の中からの手術ですけど、無事手術が成功して中から石が取れてですね、
その紹介状書いてもらった耳鼻科にお礼かなんかで行って、
先生としゃべってると、どの先生に手術してもらったん?という
話になって、名前を言ったところ、「へー。あいつが、立派に手術
できるようになったんかぁ。」って言われたんですよ!?
私の場合は、紹介状に先生の名前までは書いてなかったので、
誰が担当するかわからなかったんですけど、ちょっとした石とはいえ、
もし口の中から取れなかったら顎の下かどっかその辺から切って
摘出しなければいけなかったわけですよ。
しかも、手術中、局部麻酔なので意識あるし、会話が
聞こえるわけですが、その執刀医が「あれ?とれへんなぁ。
もうちょっとなんやけど・・・。」とか、言ってたんですよ、ほんとに。
そんな、結果的に取れたからいいものの、「へー。」と、半ば
驚かれてしまうような先生に手術してもらうより、ぱっと見て
信頼できるような先生に手術はしてもらいたいものだと、そのとき
思いましたよ、まったく。

えぇ。それで、おばあちゃんですが、このとき持参した
レントゲンと胃カメラの写真を見てもらってから、
しつこいようだけど、もう一回こっちで胃カメラ検査を受けてもらう
ことになります、というように言われ、その次の日に再び検査したんです。
で、やっぱり、癌があるけど、すごく小さいものなので、
胃カメラで摘出できるでしょう、と。
もしダメだったら外から切らないとだめだけど、
「うーん、経験からいくと・・・たぶんカメラで大丈夫やと思います。」
そう言われて、祖母も母も私も、良かった良かった、早い段階で
見つかって良かったねー、とあっさり一安心。
この検査の一週間後に、カメラでの癌摘出も成功し、
その後一週間の入院を経て祖母は今日、無事に退院できました。

けどまぁ、この2週間強の間、ほとんどゆっくりする間も
なかったんですよね。うん。

母方の祖母の手術直前の土曜に、弟が東京で買ってきてくれた
お土産“六本木ヒルズまんじゅう”を持って、帰って来てですね、
日曜は、「服がない。」という弟を連れて姫路に買い物に行き、
その夜は父親の運転で弟を滋賀県まで送って行ったりね。
そしたら、あくる日は入院していた父方の祖母が退院する日だったので、
病院まで迎えに行ったり。
で、その一緒に暮らしてるおばあちゃんは、冬場に脳梗塞を
起こしたり、ちょっと痴呆気味になったりするので、
入院する前からデイサービスというものを利用していて、
今回退院したので、そのデイサービスに再び通うことになり、
週4回、9時頃に送り出し、16時頃に迎えるわけです。
こう、一人で玄関を出たり入ったりはできないので、
私か母が付き添うわけなんですが、これを、忘れないように
しないと。てか、その時間を考慮して動かないといけないんですね。
4時とか4時半ごろと言えば、晩ご飯の買い物に行ったり、
晩ご飯の準備に取り掛かってたりする時間なんで。
それで、そうこうする内に、母方の祖母の手術の日になって、
もうその日は朝から夕方まで、ずーっと病院ですよ。
実際にカメラを飲むのは夕方なのに、入院準備みたいなので
朝10時の予約ですから。
で、10時から病棟の説明などを聞いて、
おばあちゃんの点滴が始まって、昼過ぎから母は仕事もあるし
父方のおばあちゃんがデイサービスから帰ってくるしってので
帰っちゃって、私は一人でおばあちゃんに付き添いながら、
おばあちゃんが眠ってる間『へらへらぼっちゃん』を
読んでいたわけですよ。

それから、おばあちゃんが退院するまでの一週間は、
毎日母と共に病院に顔を出していたんですが、
その病院までが少し遠いので、あっという間に午後が終わっていく
んですよ。すぐ3時ですよ。
週四日は4時前には家に帰ってないといけないし。
毎日、洗濯物も取り込まないといけないし。
んで、夕方といえば犬の散歩もあるでしょ。
さらに、この暑さ。
暑いから、6時ぐらいから散歩に行くんですけど、
それでもかなり暑いじゃないですか。
30分ぐらい散歩してると、もう水分どんどん出て行くし、
へとへとですよ。はぁ。

あぁでも、おばあちゃんの癌が大したことなくて
1週間で退院できてよかった。

2004年7月30日

夏だ夏だ

le 29 juillet

あぁ、今も階下で大正琴の音が聞こえる。
ちんとんしゃん。
ここ何年か中高年の奥様方の間で大人気(たぶん)の
大正琴の練習がうちで行われているのだ。
近所の人が集まって。
いわゆる、自主練。

うちの母もその近所の人たちも、習い始めて早や五年。
最近は、普段の大勢のお稽古だけではなく、
少人数でのお稽古に借り出されるようになり、
まぁ本人たちも乗り気なのだろうが、文句を
言いながら発表会に向けて、必死に練習している。

まぁ、いいんだけど。
そりゃ趣味がないよりはある方がいいと思うし、
友だちもたくさんいて、わいわいがやがやできて
ストレス発散にもなるだろうし。
でも、発表の日が近づいてくると、家のことを
すっぽかしがちなのが困る。
「12時からお稽古やから、ちょっとササッとチャーハンでも
作ってくれへん?」
てなことになると、私は、なんだよそれ、と思いつつも、
断るのも面倒なので、できるだけ早くチャーハンを作る。
夜にお稽古があるときは、母がご飯を作って一人で先に
夕食を済ますことがほとんどですが、ねぇ、後のことは私が
やらなダメなわけじゃないですか。
後片付けとかは、別に普通に鼻歌まじりにやりますけど、
父がねぇ。
お父さんの、その日一日に起きた仕事上での嫌な出来事とか、
従業員に対する文句とか、その他もろもろを一人で聞くのが嫌。
だって、そこから運が悪いと、母がお琴ばっかりやってて
家をほったらかしだっていう文句につながり、
私は、「そうだね。」とも言いづらいし「お母さんの
唯一の楽しみやから、まぁえぇやん。」とも言いづらいし、
何とも困った状態になってしまうから。

てか、主婦を、引っ張り出すその先生がおかしい。
まぁ、その先生は私の同級生のお母さんなんですけどね。
なんか、最近、どんどん無謀なことやってるんですよ。
1ヶ月の間に8曲練習させられて、すぐ舞台とか。
大正琴専門にやってるわけじゃなくて、みんなそれぞれ
働きながら主婦やってる人たちなのに、ちょっと無理がある
と思うし、弾けなかったら怒るらしいし、なんか間違ってる。
趣味の領域を超えてるよ。
で、「私なんか、お父さんとほとんど顔合わせることないわ。」
とか言って笑ってるらしいけど、あんたの家と他の家は違うんだから、
と言いたい。
今月は8曲だったけど、次は10曲らしい。
おいおい。


ところで、暑いですね。
暑いからと言って、ずーっと冷房の中にいると
頭が痛くなっちゃうし、冷たいものを取りすぎると
お腹壊すし。
やっぱ、日陰で涼むのが一番だなぁ。
と思いながら、先日買った4冊の本を、
玄関脇の日陰のチロの隣で読んだり、ベランダで読んだり、
縁側で読んだりしていたものの、どうにもこうにも暑いので
髪を切りに行くことにした。

この美容師さんに切ってもらうようになってから、6年ぐらい
になるけど、私がお店へ行く前から美容師さんの中で
私の髪型が決まってる場合と、私が行って鏡の前に座ってから
髪型が決まる場合がある。
まぁどっちにしても、私がとやかく注文することはまずない。
だって、雑誌の切り抜きとか持って行って、仕上がりが
全然違うくて落ち込むより、おまかせしてどんな風になるのかなぁ
ってわくわくしてる方がいいから。
今回は、私が行く前から、すでに髪型が決まっていた。
「あっついなぁ。はよ夏終わったらええのになぁ。」
ジョキジョキ。
「あ、前も後ろも短くするで。」
「ははは。うん。」
みたいな。
何の相談もなしに、どんどん切られてるという。
ここ最近は、ちょっと長めになっていたので、バサバサ切られるのは
久々。

いろいろしゃべってて、途中で美容師さんが2回くしゃみをした。
で、その後に「誰かが悪い噂しとんやわ。おっさんやなぁとかって。」
は?おっさん??
何が?って聞くと、どうやら昨日誕生日が来て35歳になったらしい。
で、友だちにおっさん扱いされたらしい。
なんか、毎年この時期になると歳を気にしてる気がする。
お腹が!とか体力が!とか。
前に一度、歳の話をしていて、私が「あ、そうなんやぁ。へー。
じゃぁ申年?」ってうっかり一回り違いだと認識したら、
「一回りじゃない!11歳、11歳。あぁ、危うくおっさんにされる
ところやった。」
とか言ってた。
あんま、変わんないと思うんですけどね。
別に、私は、おっさんだね、とか一回も言ったことないし。
そんなに歳って気になるもんなんですかねぇ、男の人も。
うーん。まぁ、私が24になってるんだから、
そりゃ、35歳にもなるよって言いそうになったけど、
へこんだら悪いと思って、やめた・・・。


さて、私は、すっかり髪も短くなってちょっと涼しくなりました。
夏だ夏だ。

About 2004年7月

2004年7月にブログ「マスモト・サチコの“とほほ”プータロー日記」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2004年6月です。

次のアーカイブは2004年8月です。

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