文系タイプの方と理系タイプの方で大きく異なるものに、数というものに対する感覚があると思います。理系の教育を受け、その教育を意図的に放棄しなかったひとは、たいてい数字の「質」に拘ります。数字の「質」とは何か。少し整理をしてみましょう
値と目安
大きく分けて数字には、値(あたい)と目安(めやす)の二つのタイプがあると思います。値とは、理想的には「明瞭な定義があり、計測が容易で再現性のある数字」のことです。「実態のある数字」と言っても良いでしょう。たとえば、一個のビー玉の重さは、まともなハカリをまともに使えば誰が計っても同じ値になります。これを「カテゴリーⅠ」の数字と呼ぶことにしましょう。ちなみに、このカテゴリー分けは私オリジナルです。他にも、国の地域の人口や何かの値段などもこのカテゴリーです(異論もありそうですが)。
次に「カテゴリーⅡ」。定義が明瞭で計測も可能なのに抽象化している数字で、たとえば「太陽の重さ」です。直接計測は不可能なので重力の値から計算するのですが、正確な値は永遠に解らないでしょうし、求める必要もありません。それどころか、巨大なガスの固まりである太陽で、全体の重さというものを実体的に考えることができるのか疑問です。
海水の総量とか地学天文関係の測定値や各国のGDPなどの経済指標なんかも、この類いだと思います。
さらに目安寄りの数字には、「定義の意図は解るが、実態があるのかないのか疑問」という、「カテゴリーⅢ」があります。たとえば、気候変動でよく話題になる「地球(表面?)の温度」というやつなんかです。
自然学的な計測値の場合、計測すべき(実際にできるかどうかは別)内容がはっきりしていないと、最初から話になりません。「地球の温度」なら、「地球上の大気全部の平均温度」あたりでしょう。ここまでなら「カテゴリーⅡ」ぐらいの話ですが、「大気とは何か」という議論がからんで来て、話がどんどん抽象的(目安的)になり、はたして意味のある定義が作れるのかどうかさえ、よく分かりません。
そういえば、「地球の温度が毎年○度上がる」という話はよくあるのですが、「現在、地球は○度」の発表は聞いたことがありません。気候変動業界の研究者さんたちが、こうした問題に興味がなさそうなのは困ったことです。
次に、定義も計測も主観的なものなのですが「なんとか客観的にするための努力」が当事者にみられるのが、「カテゴリーⅣ」の数字です。サッカーの国別ランキングや採点競技(体操やフィギアなんか)の得点などは、目安を客観化することに成功している例だと思います。癌の進行を表すステージや宝石の硬さを表す硬度なんかも、この仲間と言えます。
もともと客観性を持ちようがないもの、あるいは当事者に問題意識がないまま数字を垂れ流しているのが、「カテゴリーⅤ」です。ジェンダー指数、報道の自由指数など「指数系」とも言えそうです。何を表しているのかも、どうやって求めたのかも不明で、比較にしか使えない数字、つまり目安です。
ついでにもうひとつ、番外編として、どう考えても客観性も再現性もなく、目安として使うのもはばかられるのが。「カテゴリーⅩ」です。典型は某タイヤメーカーMがやっている料理店の格付けです。もともと主観でしかない料理の評価......少人数の審査員で世界中のレストランの総合力を4段階(星3~0)で表そうというのです。笑点の座布団の枚数みたいなものです。遊びでやっているのなら、個人的には文句はありませんが、結構迷惑しているひともいます。
このカテゴリーで一番悪質なのは、「経済効果」というやつです。新幹線を作る、万博を開く、カジノを開帳する......大きなお金が動く基準なのに、誰がどういう方法で計算したのか公開しようともしません。
予想ですから、はずれることもあるでしょう。「結果が三倍以上か三分の一以下になったら責任者は縛り首」なんて言いませんが、大外れしたときに信用を失う個人なり組織なりがはっきりしていないと、派手な数字の出し放題になります。さらに、算出方法が公開されていなければ第三者が検証することもできません。「ケアレスミスで桁を間違えた」なんていう数字が、一人歩きするリスクまであります。
もうひとつ大事なのは、利害関係者が出した数字など信用する方がどうかしています。たとえば、整備新幹線の着工五条件のひとつに「B/C(費用便益費)」というのが有りすが、実際に作られるものは「経済効果」は推進者が雇ったコンサルが「費用」は地元のゼネコンが出したのでは、着工に都合のよい数字になるに決まっています。反対や批判をする側も、ここを徹底的に追求せずに「B/Cが大きいとか小さいとか」の議論に付き合うのには、心底がっかりします。算出する側の利害がからむ数字は、原則として全て「カテゴリーⅩ」扱いで良いと思います。
応用問題
ここで私が作った「カテゴリ-(Ⅰ~Ⅹ)」自体も、当然ながら目安としての性質が大きい数字で、「カテゴリーⅣ」ぐらいに入るつもりで作っています。この分類法の賛否は別として、今扱っている数字がどの程度、値なのか目安なのかは、つねに意識しておきたいものです。
政財界よりの評論家さんや社会学系の学者さんなんかの議論を聞いていると、えてして「カテゴリーⅣやⅤ」の数字を、あたかも「Ⅰの数字」のように扱うことが多く、不毛な議論をしてしまう原因になりそうです。たとえば、「わが国のジェンダー指数が下がった、今すぐ何か対策を打つべきである」というやつです。どこかの国民のジェンダー意識など、良くも悪くも安定しているもので、数年単位で急変したとすれば、数字の出し方に問題があるのです。
ちなみにⅠからⅩに向かってカテゴリーが大きくなるほど、データとしての価値は下がると考えられます。なぜならば、値をそのまま目安に使ったり、複数の値を組み合わせて目安を作ることはよくありますが、その逆は不可能だからです。
たとえば、健康診断なんかでよく出てくるBMIというのがあります。定義は体重(kg)を身長(m)の二乗で割った数字です。体重75kgで身長が1.73mなら25になります。この数字のカテゴリーはどう判定すべきでしょう。
身長も体重もシンプルな測定値ですからカテゴリーⅠのようですが、算出のルールに意図がはいっています。なぜ身長の三乗ではなく二乗を使うのかは、経験的な説明しかできません。BMIの数字自体には実態がないので、カテゴリーⅢとします。同様に、日本の夏の風物詩みたいな熱中症指数も同類です。
番付と段級位
ここまでの議論、次回の地震の話の前ぶりのつもりだったのですが、最後の仕上げに、大きさによってカテゴリーの変わるタイプの数字の話をしましょう。相撲の番付や武道などの段位です。これらは数字の小さいものほどカテゴリーも小さくなります。
序の口に定着している力士は三段目の力士には勝ちにくいものですが、前頭が横綱に圧勝することは、ひと場所に何回もあります。横綱・大関が終盤まで全勝という方が珍しいでしょう。
将棋での世界では、藤井聡太名人が八・九段の強豪を連破して発タイトルをとったのは、プロ四段のときです。けれども、アマチュア5級の子供が1級の子供と本気で指したら(その級位が正確なら)まず歯が立ちません。この長屋の大家さんの著作でも、「合気道に段級位の考え方を持ち込むのは邪道だが、初心者指導の現場では便利なので需要がある(困ったことだ)」というようなお話を読んだことがあります。武道のことはよくわかりませんが、将棋の場合、アマチュアの級位は「カテゴリーⅣ」プロ高段者(四段以上)の段位は「カテゴリーⅤ」という気がします。
卓越した実力者である(いわゆる)達人の場合、重要なのは段位(それがあればですが)ではなく個性だと思います。だいぶ前の話ですが、アメリカ人に巌流島の決戦の話をすると、「そのとき武蔵と小次郎は何段だったのですか」と聞かれて絶句したことがありました。日本人ならミーハーな宮本武蔵ファンでも、その段位など考えたこともないでしょう。
本質的には、番付や段級位というものは「カテゴリーⅤ」程度の目安にしかならないと思います。勝負の世界では、段級位や格付けが絶対なら対戦すること自体が無意味です。ましてや勝ち負けのない世界では、ランキング自体が不要になります。ただし、初心者を指導する場合など、安全性や効率性のため便宜的にクラス分けのようなことが行われる、というだけの話でしょう。実は、これは地震の震度やマグニチュードと良く似ているのですが、この話は次回にしましょう。