ひめゆりの自主性とグロテスクな「日本的」美意識 ......「自今行動自由たるべし」

 この夏、西田参議院議員のひめゆりの塔失言事件以来ずっと沖縄戦のことが気になっています。特に考えているのは、軍民ともにあまりにも稚拙だった最後の顛末についてです。平たく言えば、「なんでこんなに必要以上の損害をもたらし、膨大な数の無意味な死者が出る負け方をしたのか」ということです。もしかしたら、これは沖縄戦に限ったことではなく、日本人のあるいは日本文化のマイナス面が、もろに出てしまった典型例なのでないでしょうか。

 理想的な捨て石

 そもそも旧日本軍は何のために沖縄で戦ったのでしょうか。わかりきった話ですが、沖縄は「本土」決戦のための捨て石でした。なぜそう言い切れるか。最初から勝ち目が全くないのに、貴重な戦力を投入して徹底的に戦ったからです。
 よく、特攻隊や戦艦大和の出撃などを根拠に、「日本中が沖縄を守るために戦ったのだから、捨て石ではない」という議論をする人がいまだにいますが、これは理由になりません。なぜならば、軍の上層部、少なくとも大和や特攻隊に命令できるような立場の司令官が、「米軍を撃退して、沖縄を守り切れる」などと思っていたはずがありません。制空権も制海権も持たずに、艦砲射撃の射程内にほぼ全域がはいってしまうような島に、補給も無く立てこもった軍隊が壊滅するのは、時間の問題でしかないからです。
 国家間の戦争で、勝ち目がない戦闘をする合理的な理由は、時間稼ぎか嫌がらせしかありません。嫌がらせの目的は2つ、相手の戦力を少しでも消耗させるここと、「これ以上戦えば大きな犠牲が発生しそうだ」と相手に思い知らせることです。
 沖縄戦はその典型例でした。このことは資料的にもはっきりしています。たとえば、基本戦略を立案した八原博通(やはらひろみち)陸軍大佐は「沖縄戦の目的は、本土決戦を準備するための時間稼ぎ。一日でも長く持久することが最優先」などと発言しています。

「沖縄戦」多大な犠牲,読売オンライン,https://www.yomiuri.co.jp/sengo/war-responsibility/chapter3/chapter3-12.html

 実際、沖縄はこの上ない捨て石として機能しました。「本土」決戦のための時間稼ぎの他にも、手早く日本を降伏させて少しでもよい条件でソ連と対峙したい米軍を焦らせる効果も、かなり大きかったと思われます。
 嫌がらせの方も、膨大な数の砲弾の消耗(いまだに不発弾が日常的に見つかる)だけでも、同様の戦いを「本土」ですることを米軍にためらわせる理由になったでしょう。そして、なによりも将兵の犠牲です。米国世論はリメンバーパールハーバーで対日戦を支持しているのに、真珠湾とは比べものにならないほどの犠牲者を出し続けては、風向きが変わる可能性があります。また、「本土」決戦となれば満州など大陸に展開している日本陸軍が、「本土」に引き上げて来て(無事帰国できるかどうかは別として)、発生する力の空白にソ連や中国共産党軍が勢力を伸ばすことも確定的です。朝鮮半島が丸ごと中国共産党の手に落ちるかも知れません。
 だから、沖縄戦を終わった段階でアメリカには、「本土決戦」の選択肢はほとんど無かったのではないかと私は思います。同様の推定を専門家の方もされています。

神風特攻隊のサイエンス②:昭和20年「本土決戦」で日本勝利の可能性はあるのか --- 金澤正由樹,アゴラ,https://agora-web.jp/archives/250728052108.html

けれども、実際に「本土」決戦に突入して日本帝国の統治機構が崩壊してしまえば、ポツダム宣言を受諾することさえ不可能になります。占領する側から見れば、戦闘意欲満々の少人数グループが日本各地の山々に残存し、いつ都市部を占領している連合国に襲いかかるかわからない状況が何年も続くようなら、「日本人は全員殲滅してしまえ」という方向に、米軍が向かう可能性もありました。
 有色人種であること、奇襲攻撃で米国人を殺したこと、特攻や万歳突撃など西洋人には理解不能の自爆攻撃をすること......「殲滅やむなし」の理由は揃っています。少なくとも、ドイツ人が同じ白人のユダヤ人を殲滅するよりは、ハードルの低そうな話です。なにしろ平気で原爆を落とした米軍ですから、味方の犠牲を減らすためならやりかねませんでした。
 ポツダム宣言を受諾するタイミングとしては、沖縄戦のあとが最後のチャンスだったわけです。本当は、原爆投下やソ連参戦の前なら、もっとよかったのですが、これは結果論ということになります。
 つまり、沖縄は捨て石として予定通り機能したのです。「何のための捨て石か」という点が当然議論になるわけですが、明確化はされていませんが「皇統を守るため」というのが究極の目標でしょう。
 ただし、「沖縄は天皇制だけのために犠牲にされた」というのは単純すぎる議論です。極端な状況ですが、大日本帝国が全ての戦力を失い国民の大部分が死傷し、ベルリン陥落時のヒットラーの防空壕のように、皇居に数名の皇族が孤立するような状況になったら、皇統が守れるはずなどもありません。軍はともかく、民間にはある程度の余力があり、統治機構も残存している状態で降伏しておかないと、皇室を守ることなど不可能でしょう。
 最終的には皇室を守るためだったのかも知れませんが、ある程度、国民と国の形を残存させるために沖縄戦が戦われたということを考えれば、「本土」の住人やその子孫である私たちは、沖縄に大きな借りがあると認識すべきです。「沖縄が捨て石ではなかった」などというのは、われわれのために戦い多くの死傷者を出した沖縄に対して、失礼極まりない言い草なのです。
 このことを総括どころか謝罪しようともしない近年の「本土」の世論は、「次の有事には再び捨て石にされるのではないか」という沖縄住民の不安を、いっそうかき立てることになります。下手をすれば、沖縄住民の安全だけを考えれば、日本からは独立して、米中と独自外交をする方が有利だったりします。場合によっては「本土」を捨て石にすることもあり得る。

 バカ殿になった陸軍の世界的名将

 沖縄捨て石作戦を指揮したのは、帝国陸軍の牛島中将でした。私個人は、ある意味で第二次世界大戦最高の指揮官ではないかと思います。繰り返しになりますが、制海制空権もないヤラレ放題の条件下で、ほとんど補給も受けずに小さな島で、世界最高を苦しめたことは、空前絶後のことでしょう。たとえば、米軍側の最高司令官だったサイモン・B・バックナー中将が、沖縄戦末期の6月18日に戦死しています。開戦時の最高指揮官を先に失ったのは米軍側でした。これは第二次世界大戦中に敵の攻撃で戦死した最高位のアメリカ軍人で、いまだにこの「記録」は破られていません。
 けれども、牛島中将をはじめ日本軍の司令官3人は、この直後に自決してしまいます。辞世の句までつけた決別の電報を東京に参謀本部に送って(もちろん傍受されている)、最後は割腹自殺です。つまり、「沖縄の日本軍は司令官を失い組織的先頭をやめる」ということを敵にまで周知させた訳です。合理的に考えればこれは謎の行動です。
 しかも、直前に「最後まで敢闘し、生きて虜囚の辱めを受くることなく、悠久の大義に生くべし」などという迷惑極まりない命令を自軍に送っています。はっきり言って、無責任な話です。組織的戦闘が終わったあとに戦いが泥沼化して、軍民の犠牲者を増やす大きな原因になったと言われています。
 二十世紀屈指の名将が最後の最後で、悲劇の戦国城主気取りのバカ殿になってしまったと言われてもしかたありません。上で私が「ある意味で」という保留を付けたのはこれが理由です。なぜこんなことをしてしまったのでしょうか。

 合理性のない決断

 まず、数日で占領するつもりで向かった沖縄で散々煮え湯を飲まされ、最高指揮官まで戦死している米軍の側から考えると、神出鬼没だった牛島中将らの自決はありがたい話です。今後、大規模な奇襲を受ける可能性はなくなるわけですから、かなり安心して島内各地で「本土」決戦の準備ができます。空爆や艦砲射撃に使う砲弾も大幅に節約できるでしょう。
 一方、死んでいく指導者に「あとは勝手に戦え。ただし降伏してはいかん」と言われて、日本軍の士気は大幅に低下します。集団で投降する部隊も現れ始めました。敗北へのステージが一つ進んだ訳です。
 一般論として、戦闘者が自死するのは「敗北が確定するなどして、戦う理由がなくなり、なおかつ生きて敗北を受け入れたくない場合」と考えられます。沖縄戦でも、「島内各部隊との通信が途絶しがちになり、組織的戦闘が難しくなりそうだったから」というのが一般的な説明です。けれども、最初から目的が時間稼ぎだったわけですから、いずれそうなることは最初からわかりきっていたはずです。その時点で判断を変えずに戦闘を継続するべきだったでしょう。仮に、司令官全員が戦死しても、それを敵に知られなければ、少なくともさらに数日の時間を稼いだり、敵の戦力を空費させることも可能でした。
 現地でささやかれている風説には、「松代大本営が完成したという連絡があったから」というのがありますが、これも考えられません。本土決戦の準備期間など1日でも多い方が良い訳ですから、自ら玉砕のステージを進めてしまうのは明らかな利敵行為です。
 ですから、敵にも丸見えの方法で自決することに、戦略上の合理性は全くありません。自死するにしても司令部から離れた場所で、指揮官であるとは悟られないような形で死んで行くべきだったと思います。けれども実際には、10日もしないうちに米軍に死体を発見されてしまいました。

 旧日本軍 牛島満司令官らの最期めぐる新資料 発見,NHK,https://www3.nhk.or.jp/lnews/okinawa/20250626/5090031964.html

 自決の美学の背景

 最後の命令に出てきた「生きて虜囚の辱めを受くることなく」は、有名な「戦陣訓」の一節です。有名と書きましたが、実は「戦陣訓」とは何かはあまり知られていません。何やら古来より伝わる大和魂の基本原理のように見えますが、成立したのは1941年。沖縄戦の時点で5年も経っていません。もともとは日中戦争時に発生した略奪強姦や一般民の虐殺などを戒めるために起案されたものが、いつのまにか古典的な精神主義を前面に出したものにすり代わって成立したという、ある意味でいい加減な代物です。少なくとも、明治天皇の名前で出された「軍人勅語」よりも数段権威の落ちるものです。こんなのを根拠に、戦場で自決を迫られるというのは、たまったものではありません。

昭和陸軍の戦陣訓,ウィキペデア,https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E9%99%A3%E8%A8%93

 「虜囚の辱め」という思想の理由は、日清日露戦争で捕虜になったときの日本軍将兵の行動パターンが原因だったと言われています。収用側との間に少し人間関係ができると、自分の知っている秘密をペラペラしゃべってしまう者が多かったというのが実情で、それを教訓に、昭和の日本軍は極力捕虜を出さないようにするのが方針になったと言われています。
 けれども、この「捕虜になるより自決」という異常な思想は、大戦末期の数年で軍人のみならず民間人にまで広がっていきました。どうやら日本の美意識にはまってしまったようです。穢れを嫌う日本文化では、不完全な生よりも首尾一貫した死が選ばれる傾向にあったのでしょう。武家文化にある切腹など、様式化した名誉回復手段としての自死という、極めて特異な文化が成立しています。
 これは、基本的に自殺を「神に対する反逆」と考えて罪とするキリスト教文化圏とは、著しい対比をなすものです。たとえば、有名なデュルケムの「自殺論」では、自殺の定義を広くとらえ殉職のようなものも、無条件で賞賛するどころか、罪としての議論が展開されています。日本人の感覚で言えば、特攻や自爆テロなど生還を考えない攻撃であっても、それを自決の一種とは考えられないでしょう。
 逆に、「名誉を守るための自死」など、デュルケムには理解不能なのではないでしょうか。つまり、もともとは秘密漏洩を防ぐための自死が、いつの間にか一種の日本的美学になってしまったわけです。
 こう考えれば、牛島中将らの自決の背景が見えてくるように思えます。彼らは「捨て石として十二分に働いたのだから、最期ぐらいは武士として美しく死にたい」と思ったのでしょう。人生の最後の最後に、戦略的な合理性よりも個人的な美意識を選んだということです。
 こうした思想はその後の沖縄戦末期には、なかば脅迫観念的に発揮されます。米軍の側から見れば、敗残兵や民間人が最後まで戦わずに潔く自死してくれるのは、不気味ではあっても危険性はなく、捕虜を管理する手間まで省けます。だから、潔く自決してしまうことには軍事的な合理性は全くありません。にもかかわらず沖縄全域で、自死......なかには集団自決という呼ばれる強制大量死が繰り返されました。
 近年の自衛官への教育などでの牛島中将らの名誉回復の動きに対して極めて強い反発があるのは、こうした大和魂的な美意識が極めて有害なものであることを、沖縄の住民は身にしみてわかっているからなのでしょう。戦前の身勝手で不合理な思想の安易な再評価は、地政学的な合理性に基づく捨て石論よりも、さらに感情的な反発まどをも招き、かえって国防上の脆弱さをもたらすことも、私たちは留意すべきです。

 ひめゆり学徒隊の自主性

 先日、ひめゆり祈念館を訪れて、自分が思い込みのせいで間違った先入観をもっていたことをいくつか気がつきました。たとえば、ひめゆり学徒隊は看護学生の集団だと思っていたのですが、実は今で言う普通科と教員養成科の女子高生たちでした。沖縄戦以前の平時の学校生活の資料をみていると、東の桜陰・西の神戸女学院といった自主性重視の本物の現代のエリート女子校と、極めて文化的に似ていたように思えます。
 ひめゆりの塔も併設の資料館も、戦後、生き残りのOGが中心となって自主的に作られた全くの民間施設で、その歴史観も官製の「美しい自己犠牲の物語」とは一線を画すものです。西田議員など鷹派さんたちが、本能的に嫌悪感を感じるのも、もっともな事だと思います。
 そして、そうした「自分で考えて行動する」文化のせいなのでしょうか、非暴力で米兵に対峙して眉間を撃ち抜かれた生徒がいた一方、集団死(一般的に言われる「集団自決」)が極めて少ないことが際立っています。200名以上の(広義の)ひめゆり学徒隊の戦死者の中で、集団死だと確認されているのは10名だけです。おそらく彼女たちも自分で考えて死を選んだのでしょう。けれども、映画などで手榴弾による集団死の典型例としてひめゆり学徒隊を出してくるのは、史実に大きく反しています。
 ひめゆり学徒隊には、組織的戦闘が終わる数日前、牛島司令官が「決別の電報」を打ったのと同じ日に、「解散命令」が出されています。この措置は、生徒達を米軍包囲下に無防備で放り出す無責任なものとして批判されることが多く、確かに多くの悲劇の原因にもなったのですが、私は別の面を評価をしたいと思います。
 命令の主要部分は、「学徒動員は本日をもって解散を命ずる。自今行動自由たるべし」最後の一文を現代語訳すると、「これからは、自由に行動してよい」というなります。つまり、「戦うにしろ、逃げるにしろ、降伏するにしろ、自死するにしろ、自分で考えて行動しなさい」という指示です。例の「生きて虜囚の辱めを受くることなく」のような一節がないことが注目すべき点です。つまり、「なんとかして生き残れ」がこの命令の本当の意図なのではないでしょうか。
 官立学校の教育者として、立場上は「悠久の大義などという非合理な美意識に絡め取られずに、とにかく生き残って敗戦後の沖縄復興に尽力しなさい」などとは言えない状況で、ぎりぎりの言葉が「自今行動自由たるべし」だったのではないでしょうか。ぐずぐずしていたら、上から自決命令が飛んで来かねない状況なのですから。

 一応クリスチャンである私は自殺否定論者ですが、戦場のような極限状況で目的のために命を犠牲にするという人間が出てくることを、一方的に批判する気はありません。過去のそうした人たちのおかげで、我々は平和や繁栄の利益を得ていることに感謝をすることをためらう訳ではありません。
 けれども、合理性を無視して「潔く死ぬこと」自体に価値をおくグロテスクな美学には、不気味さと嫌悪感を感じます。ましてやそれを他人に強制したり、教育の場に持ち込むことは絶対に許せません。