本当はフジテレビは被害者
今回の『性犯罪事件』で一番奇妙なことは、最も世間の批判が集まるフジテレビから誰も逮捕者が出ず、また今後も出そうなにない事です。当然と言えば当然の話で、報告書に出てくるAさんの性被害には、フジの社員は誰も関与していないからです。
かなり以前から性的関心があったと思われるのに、加害者が被害者Aさんの連絡先を知ったのは事件の二日前で、加害者が直接被害者から聞き出しています。一番関係の深いはずのB氏でさえ、当日、二人が会っていることを事件発覚まで知らなかったようです。普通に考えれば加害者も被害者も一人だけの単純な構造の事件で、フジとは無関係などころか被害者側の立場です。
当時Aさんは自社のアナウンサーであり、中居氏がAさんを呼び出すためにB氏の名前を勝手に使ったわけですから、全社的に怒り狂ってもおかしくないぐらいです。実際、発覚直後には、会社の関与しない個人的な問題であるとして逃げ切ろうとしました。
けれども、それ以降は中居氏以上にフジが責められる形で話が進行しています。なぜなのでしょうか。
美人局アナ説はフェイクニュース
ここでAさんが酷いPTSDについて考えていてみましょう。事件直後に示談で、Aさんには1億円近い賠償金が支払われましたようです。一般的な傷害事件での、失明や片腕切断の慰謝料でも3千万~5千万円ということを考えれば、かなりの高額です。
最初から、Aさんが慰謝料目当てに中居氏に接近したというフェイクニュースが流れましたが、それならAさん側は取材されても絶対に外部にコメントはしないはずです。もちろんフジもです。そのほうが後々、さらに中居氏から巻き上げることもでき、大金を手にした後に騒ぎをおこしても良い事は何もないからです。
ちなみに、性的な関係を利用した恐喝のことを美人局(つつもたせ)などと呼びますが、「美人局アナのAさん」などという一部の週刊誌(だったかな)などの表現は誤解の元です。敵対的売春とでも呼ぶべきなのかも知れませんが、Aさんについては考えられない話です。
ヒントは長屋の大家さんがお持ちでした
では、なぜ、こんな巨額の慰謝料に見合う性被害が発生したのでしょうか。さらに話は飛びます。この長屋の管理人室のライブラリで見つけた文献に、「教育に関わっている人たちにお願いしたいのは、子どもたちが心を開いたときに、フラジャイルな状態になったときに、絶対に傷を負わせないということです。」という一節がありました。
学校図書館は何のためにあるのか?
http://blog.tatsuru.com/2023/09/09_0927.html
【長い講演記録の終わりの最後の部分にあります。非常に面白い記事なので、全文読む事をおすすめしますが、お急ぎの方は「教育に関わって」ぐらいで検索すると、当該の話が出てきます】
もともとこれは学校教育に関する話なのですが、多くの職場でも若者が何かを本気で学び吸収しようとする場では、同様にフラジャイルな状態になることは当然です。師匠と弟子のような関係で、今回も芸能界の大御所と意識の高い若手アナウンサーが番組作りを繰り返す中で出会っていれば、そのような構図になることはあり得たでしょう。
Aさんにとっての中居氏は、業界の大御所で可愛がってくれる父親のような人であるというのが、極めて常識的な認識でしょう。学校でいえば、担任ではないがときどき個人的に話をする授業担当教員のような感じでしょうか。「フラジャイルな自己」をかなりさらけ出していたとしても不思議はありません。
一方、中居氏の方は自分の邪悪な関心をB氏が承知の上で、上納の段取りを進めていると考えたとすれば(能天気で危険で身勝手極まりない話ですが)、Aさんが連絡先を教えたこともあって、「なんとかなるわ」ぐらいに考えていた訳です。
一般的に性犯罪は、相手の抵抗覚悟で思いを遂げようとする加害者より、とりあえず遊んでやろうという加害者の方が、被害者を深く傷つけるものですが、このときの中居氏はその典型でしたのでしょう。性上納文化の権化のような状態と言えます。
フラジャイルな心を侮辱の刃がえぐるわけです。悪意の上に不幸な行き違いが重なってしまい最悪の結末を迎えました。
B氏の逡巡
おそらく、B氏の危険性をある程度は認識していたようです。自分が場をセッティングするときは、他の芸能人も呼ぶなりして中居氏とAさんを二人だけにすることは避けていたようですし、Aさんの連絡先も中居氏には教えていませんでした。
もし私がB氏の立場でしたら、Aさんに「中居氏が君に関心を持っているから気をつけて。何かあったら私にすぐに私に連絡して」と当然の注意喚起をしておいたでしょう。中居氏側にも、「最近はウルサいですから......お願いしますよ」とでも言って牽制をしておきます。トラブルを避けるための職務上の最低限の気配りでしょう。
なぜ、百戦錬磨のB氏がこんな基本中の基本を怠ったのでしょうか。ここから先はさらに自信のない推理ですが、ひとつの仮説として考えて下さい。B氏にとっての、ベストシナリオは、二人が交際を始めてめでたくゴールインしてしまうことです。「つきあっちゃえば」などと背中を押すような発言もしていたようです。
芸能界の大御所がいわば局の身内になるわけです。いろいろと他局よりは有利です。性的な管理はAさんがやってくれます。自分もビッグカップル結ばせた男として、局内でさらに大きな顔ができます。B氏は勝手な夢を諦められず、Aさんの側にそんな気はなさそうだと感じていても、下手に釘をさすことで、この都合の良いシナリオの芽を摘みたくはなかったではないでしょうか。
ここでB氏の中途半端さが致命傷になりました。令和のコンプライアンスに徹するのなら、厳重に二人に釘を刺した上で、それとなくAさんを中居氏から遠ざけて、事故の可能性をなくしてしまうべきでした。
逆に、昭和の性上納文化で行くのなら、「会社のために中居氏と関係をもってほしい」とAさんに求めるべきでした。その際、「新番組でキャスターを探してるんだけど、誰がいいかな?」と利益誘導したり、「不景気なのに女子アナ多すぎるんだよね」と脅迫したりすれば最低の鬼畜プロデューサーですが、結果を考えればむしろこっちの方が数段マシだったのではないでしょうか。
事前に、こういう折衝があれば、Aさんはフラジャイルでいることを止めてしまい、心の防御を固めるでしょう。逃げるにしろ、戦うにしろ、(万一)受け入れるにしろ、最悪の心理状態で不意打ちを食らうことにはならなかったはずで、ここまでひどいPTSDにはならずに済んだのではないかと思います。
B氏が中途半端な対応をしたために、中居氏は「上納」を受けたと思い、Aさんは「大御所が、今時そんなバカなことはないだろう」と思う、という食い違いが、惨劇の原因になりました。
ここまで、思いっきり誤解されそうなことを書いたので、付け加えておきますが、「性上納文化にも良い点がある」などと言っているわけではありません。中途半端なところで改革を止めて良しとしてしまうと、何もしなかったときより酷い事がおこることもある、と言いたいのです。
最後の最後まで中途半端
事故後の対応も中途半端です。普通に考えればB氏はもっと怒るべきでした。性犯罪の道具に自分名前つまり自分の信用(=顔)が『性犯罪事件』に使われ、被害者は後輩社員です。被害届を出すようにAさんに促し、一緒に戦うべきでした。さすがにそれが無理なら、「あくまで個人対個人の問題であり、会社としてはどちらの味方もしない」というのも、一つの筋の通し方でした。中居氏とは完全な決別ですが文句は言わせません。
逆に、どうしても中居氏を使い続けたいのなら、とりあえず自宅に怒鳴り込み、「今後はオレの言いなりかつ言い値で働いてもらう」と宣言することも出来ました。そしてAさんに何回も「土下座」させます。恐らく犯罪になる行為なのでしょうが、こうした「おぞましい昭和の対応」、まさに美人局アナですが、こんなのですら現実よりは、Aさんにとってはマシだったと思われます。
B氏は、中居氏に貸しを作りながら穏便におさめるため、事件の矮小化と金銭解決をはかろうとし、経営陣を含む局全体もこの路線に追随しました。Aさんから見れば、事件の矮小化とは、自分を「『些細な』性被害で大騒ぎするヒステリー女」と評価することです。金銭解決とは、自分を「一晩9000万円の娼婦」と認定することになります。
一方的に加害者側の弁護に腐心し、よりにもよって、かつてAさんと一緒に番組を作った弁護士まで局側についてしまいました。よくもこれだけ「効率的に」PTSDを加速させるような事ばかりやったものです。もしかしたら、『性犯罪事件』自体よりも、会社ぐるみのセカンドレイプの方がダメージが大きかったのかもしれません。あまりにも失礼で残酷な話です。
フジの側から「事件発覚後も中居氏を使い続けたのは、騒ぎを大きくしてAさんが自殺してはいけないからだ」などと、ふざけた言い訳が出てきました。テレビ局文化の無責任で前近代的な体質によるものであると、せめて私は信じたいと思います。
悪く勘ぐれば、口封じのために自死に追い込もうと、あえて心の傷に楔をぶち込むようなことを繰り返したとも考えられますが、いくら私もで人間というものに、そこまで絶望したくはありません。甘い考えかもしれません。お許し下さい。