デートで使える地球科学
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
学習リスク比例論
正月休みは読書三昧。この長屋の大家さんが書かれた「国家は葛藤する」を読んでいてびっくりしたことがあります。これまでの御著書にときどき出てきた「海外ゼミ旅行」が、大学の公式カリキュラムではなく「黙って行きました」という自主ゼミだったことです[1]。21世紀になってからでも、こんな恐ろしいことが出来てしまう、神戸女学院大学と内田先生及び歴代ゼミ生の皆様に改めて敬意を表します。
「旅による学びの質は生還できない確率に比例する」というのが私の持論「学習リスク比例論」です。アジア太平洋戦争を経験した新聞記者の方から、「徴兵で100万単位の日本人が一斉に海外を見てきたのだから、戦後に国際化が進んだのは当然」との話を、聞いたことがあります。玉砕の悲劇や戦争の侵略性などを一度脇に避けて考えると、こういう視点もあるのだなと関心しました。
ある私立高校の海外修学旅行に関する会議で、あまりにセキュリティの話ばかりするので、「現地集合にしましょう」などと嫌味半分で提案して、例の「学習リスク比例論」を述べたところ、顰蹙を買うどころか参加者一同に深く頷かれてしまい、逆に困ったことがありました。「学習目的の旅行で安全ばかり考えていると、肝心の学びがボケてしまう」という一種のパラドックスは参加者一同実感していたのかも知れません。この発言が関係あったのかどうか知りませんが、後年その高校ではシンガポールでの自由行動が行われるようになったそうです。
私自身、高校2年のとき北海道に修学旅行に行ったのですが、バスに乗せられ連れ回される旅で、印象に残っているのは途中の富山駅で買った鱒鮨の味だけです。ほぼ同じ時期、知り合いのお嬢さんの通う札幌の女子校が京都修学旅行(つまり私たちと逆のコース)を現地集合・現地解散で行っていると聞き、なんだか恥ずかしい気持ちになったの事を覚えています。
大自然の暴力
以前、大学教員として一年間だけ自主ゼミ旅行をしたことがあります。内田先生の海外ゼミと並べてしまうのは大変おこがましい話ですが、生きて帰れない確率では間違いなく私の「海賊ゼミ」の方が上だったと思います。その後、大学の管理職的なことをはじめてみると、若気の至りとは言え、よくあんな恐ろしいことを考えたものだと自分であきれることがよくありました。
今からちょうど30年前。阪神・淡路大震災がおこりました。そのころは、「震災」と言えばこの地震のことだったのですが......
当時、私は地球科学者としての自分に、そろそろ見切りをつけるかに悩みながら、関東地方の複数の大学で非常勤講師をしていました。震災の日、インフルで寝込んでいた私は、大阪南部の田舎に住む家内からの「大地震」という電話で目を覚ましました。「こっちはそれどころじゃない。しんどい。寝るぞ。」と電話を切ろうとすると、「神戸で高速道路が倒れている」と聞かされ慌ててテレビをつけました。日本に一都市全体がやられるような震災はもうおこらないと、研究者のくせに何の根拠も無く思っていたのですから、呑気な話です。
数日後、熱も下がったので、名古屋止まりの新幹線と辛うじて動いていた東海道線を乗り継いで、家内の実家(「マスオさん」をしてました)に戻り家族の安全を確かめたあと、とにかく現地に行ってみようと考え、4~5日神戸に通いました。
強い印象を受けたのは、人的被害や建物被害の他に地形自体が破壊されていことでした。山間部でのがけ崩れ地滑りの類いは想定内か、むしろ想定以下でしたが、ほとんど傾斜がない都市部の平地でも、地面が大きくずれていました。8階建ての鉄筋マンションが裂けて、廊下の手すりが数cmずれていました。単なる揺れのせいではなく、大地がずれたのです。教科書どころか専門書にも記載の無い現象でした。
その年、広島平和記念資料館を見て、「確かに放射線や灼熱が人や建物に与えた被害は悲惨だったけど、地形自体は全く変わっていない。核兵器といえども、所詮は人間のつくったもの。自然の暴力の比では無いな」という、不謹慎なんだか謙虚なんだかわからない感慨をいだきました。やはり神戸では特別なことがおこったのでした。研究者にとっては一生に一度以上のチャンスです。
これは徹底的に調べるべきだと思い、都内の大学院で地震や地質を学ぶ後輩たちに「調査に行かへんか。交通・宿・メシはワいが面倒見るで」と声がけしましたが、「怖いからいいです」との返事ばかり。「何が怖いんじゃい。せいぜい余震でビルが倒れてきて下敷きになるだけや。研究者なら本望やろ」と啖呵を切って帰ってきました。ある同僚は「将来ある彼らは、殉職より村山の仲間と学界で見られるリスクを恐れたのだろう。」と言って慰めてくれました。是非そうあってほしいものでした。
歩いて触って嗅ぐ専門書
その年、私は都内のO大学で地球科学の非常勤講師をしていました。今年は変わったことをしてやろうと、全学向けの一般教養の授業にもかかわらず、実習中心の授業を計画しました。月曜日の午後に連続2コマ3時間、学校近くのポイントを見学する予定で、江ノ島、向ヶ丘遊園のプラネタリウム、淵野辺の宇宙研究所、本務校の情報技術センターと、結構面白い教材が揃いました。講義のタイトルは、「現物と現場で学ぶ『デートで使える地球科学』」「第一講;誕生星座の天文学。星を見に夜誘おう」「第二講義;ルビーとサファイアは兄弟。誕生石と指輪の話題で手を握ろう」......「最終講;マグマと温泉は実は同じもの。お泊まりデート前にチェックしておく火山学」細部はうろ覚えなので、かなり話を盛ってしまったかも知れませんが、コンプライアンス偏重の令和の大学なら軽く教授会ものでしょう。震災の半年前の秋に、この渾身のシラバスを教務に提出しました。
同じ地球科学が専門で牧師さんでもある教授から、「我が校はキリスト教教育をやっているミッションスクールなのだから、星占いや誕生石などの迷信を教えるのはいかがなものか」と意外な角度からのクレームはありましたが、「史上最大の天文学者ヨハネス・ケプラーの本職は占星術師でした。また、誕生石の最初の出典は旧約聖書の「出エジプト記」です。(ちなみに両方とも本当です)科学史的にはむしろ正統派のミッションスクール的なカリキュラムだと思われますが」などと反論して誤魔化しました。ちなみにデート云々には何のおとがめもなかったようです。
この授業では毎週の短期見学とは別に、欠席者の補講を兼ねて希望者には2泊3日の地学ツアーを用意しました。場所は伊豆箱根方面です。標高300mのミニ富士山と言われる小室山に上ったり、満天の星空に下で宇宙の話をしたり、もちろん海水浴、花火、飲み会の「必修科目」もしっかりこなしました。学校集合の2泊3日3食付きのバスツアーでお値段1万円、もちろん、私自身は個人的にかなり持ち出しでした。
「フィールドでの一日は専門書一冊に匹敵する」という地質学者の言葉がありますが、学生たちは、勝手に歩き回って、触って、嗅いで、どんどん学んで行きました。公務員試験などの頻出問題で、「富士山型の火山は傾斜がゆるやかであるというのは正しいか」なんていうのがあるのですが、小室山登山での汗と筋肉痛の記憶があればなんなく答えられるでしょう。「マグマは最終段階では異臭のもとになる[A]などを多く含む熱水になる」なんて、小涌谷を思い出せば「硫黄」と一発です。「温泉」を「熱水」と言い換えて解答者を混乱させるあざとい出題も「鼻」で笑えます。
もちろん、参加者全員が内容を全てを消化できたわけではありませんが、私のつたない講義などとは比較にならないほど、理解も記憶の定着も進んだはずです。映像教材が格段に進化した現在でも、科学の世界には、大きさ・手触り・熱・匂いなど、どうしても現場や現物でしか学べないものがあると実感できたことは、大学教員としての私にとって大きな財産になりました。
さらなるリスクを求めて
けれども、当時は軽視していたリスクの方も教室での講義とは比べものにならなかったはずです。海岸や地獄谷での転落、登山時の急病、交通事故、飲酒して海に入ったり花火をしたり......。
カップルでの参加も何組かありました。「そういえば、キミの彼女。俺の天文学の講義を欠席してたな。ちょうど今、ハクチョウ座が出てるから、屋上でキミが『補講』してあげなさい」などと、深夜の飲み会で「指導」したのですから、何事もなかったのは一種の奇跡なのかも知れません。最悪の場合には非常勤講師である私の手が後ろに回り、同時に学部長のクビぐらい飛びかねなかったと思います。
けれども、これに気をよくした私は、もっと恐ろしい「実習」を企画しました。被災地神戸への研修旅行です。
この話は次回ということにしましょう。
[1]国家は葛藤する,p168,池田清彦、内田樹,2024,ビジネス社,東京