日本が住みにくくなった理由を考えてみる

 物価が上がっています。キャベツ一球が500円。以前、大阪府の田舎に住んでいたときは、子供のお散歩の帰りに近所の畑で収穫したてのやつを、100円で分けてもらうのが恒例でした。
 ある意味で心地よいデフレが長々と続き、「給料は上がらないけど物価も安いからなんとか暮らしていける」というのがわが国でした。バブルのころには、世界一成功した国、少なくとも勝ち組国の一つだと自他とも認める存在でした。もっと前は、ジャパニーズ・アズ......恥ずかしいからやめておきます。そんな時代もあったねと、今でもG7には昔の名前で出ています。
令和になって、いよいよ苦しくなりました。引き金はコロナやらロシアやらユダヤやらの外因ですが、昭和頃には東西冷戦もドルショックもオイルショックも、むしろ発展のチャンスにしていたのとは、様相がエラく違います。
 
 なんでこんなことになったのでしょうか。教育が悪い。政治が悪い。格差拡大が容認された。福祉が過剰だ。いろんな説がありますが、私は本質的に原因は3つしかないと思います。平均寿命が延びたことと、生活への要求水準の向上、そして世界全体のグローバル化です。

 目出度いことではありますが
 
 まずは、データをご覧ください。

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1960 1990 2020
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平均寿命 67.76 78.91 84.64
  (差) 11.15      5.73
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65歳余命 12.86 18.26 22.43
  (差) 5.40 4.17
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 この表は、厚生労働表発表の資料[1]をまとめたもので、平均寿命(資料では「0歳平均余命」と表記)と65歳の平均余命を表しています。選んだ年次は、高度経済成長初期の1960年、バブル終末期の1990年、そしてコロナ直前の2010年で各30年間隔です。
 「戦後の前半」と言える1960年から90年の間、65歳以上の高齢者の延命はあまり伸びていない(5.40年)のに、平均寿命がほぼ倍の11.15年も伸びたのは、ほとんどが乳幼児死亡率の低下によるものでしょう。
 一方バブル崩壊後の「戦後の後半」(別名「失われた30年」)の間、頭打ちになった平均寿命の延び(5.73年)のうち、7割以上は高齢者の寿命の延び(4.17年)によるものです。基本的には目出度いことなのですが、考えておかなければならないのは、平均寿命が延びると少子化が進まなくても高齢化は進むということです。
 医療や年金などの制度設計が行われた時代には、こうした急速な高齢化は想定されていないということです。とは言え、平均寿命の延びは当時から常識論レベルで予想できたことですから、医療保険や年金の財政が厳しくなることは関係者全員が分かっていたはずです。けれども、支出の切り詰めや保険料の引き上げを口にする人は、少なくとも「戦後の前半」には皆無でした。福祉に関して渋いことを言って顰蹙を買っても、得になることは何もないからです。
 「戦後の後半」には、はっきりと制度の軋みが出てきましたが、国債を増発したり、温存すべき基金を早めに取り崩したり、勤務医の過剰労働に見られるように現場にツケを回したりで乗り切っていたのですが、ゴマカシはそろそろ限界を迎えています。
 悪いことに日本人は、制度を微調整したり、予算をやりくりしたり、何より現場が義務感で頑張ったりするのが得意で、危機が発生してから全体が破綻するまでに時間がかかり、最後には巨大な崩壊にいたるのがパターンになっています。アジア太平洋戦争で、政治家の無能や軍上層部の無責任を下級官吏や現場の将兵がカバーし続けたため、歴史上空前絶後の敗戦を迎えるはめになったのと、同じ道なのでしょう。

 欲しがりましょう負けるまでに

 理由の2つ目は、生活全般に対する国民の要求水準の向上です。
 ビジネス街を歩けば、ランチメニューで刺身でもトンカツでも選びほうだい。子供の頃、夕食でさえ肉や魚が塊で出るのは多くて週に1~2回、他の日は野菜料理ばかりで、動物性蛋白はカレーの挽肉や酢の物のジャコぐらいでした。わが家が特に貧困だったわけではなく、同級生の家も似たようなものでした。令和の学校給食の方がよほど御馳走です。
 衣類にしても、良く破れる子供服なぞ継ぎ接ぎだらけ。高校では制服の修理を自分でやっていました。ボタンがとれたというだけの理由で、去年買ったシャツがゴミになる時代が来るなんて想像もできませんでした。
 養殖技術や高機能繊維の進歩もありますが、経済成長で世界中から原材料から完成品まで何でも輸入できる国になったのが大きかったのでしょう。けれども、企業はいつの時代も「少し上の生活」を繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し発信します。広告の主戦場がマスメディアからスマホに移ってからは、視聴者個人の属性(年齢・性別・居住地・職業・年収など)を収集分析して、欲しがりそうなものを狙ってぶつけてきます。
 政治にしても、政党間の争点は減税・年金・福祉はもちろん、万博や整備新幹線に代表される無駄な公共事業の話が争点になり、要は「いつ・誰に・どういう口実で・どれだけばらまくか」の議論ばかりになっています。まあ、「即時停戦か徹底抗戦か」とか、中絶や同性愛の是非が争点になる国よりも幸福なのかも知れませんが、なんだか常にだれかに欲求不満を煽られているみたいで落ち着きません。
 「あなたは贅沢しすぎている。分をわきまえて慎ましく暮らしなさい」なんて誰も言いません。財務省あたりが本気で財政の危機をエビデンス付きで訴えて、政治家のバラマキをヤメさせるように、国民にお願いしても良さそうなものですが、そんなことをすれば炎上さえせず、馬鹿にされて終わりでしょう。多少は危機感が社会に共有されても、自分の生活を変える人は少数でしょう。どうせ危機が来るなら、今のうちに楽しんでおこうというわけです。
 敗戦後の日本人は冷め切っていて、いくら国家が窮状を訴えても、身を切る犠牲を受け止めようとはしません。「不当な国家権力と戦って死ぬのは英雄でも国家の都合で死ぬのは馬鹿である」という空気が漂っています。
 これはある意味で当然のことです。先の大戦では「欲しがりません勝つまでは」と国策に協力して、多くの国民が財産や生命まで差し出したあげく勝てませんでした。それどころか世界戦史に残る惨敗でした。それでも誰も自ら責任を取ろうとはしません。GHQが追求したのは、他国に損害を与えたことへの責任で、国民を苦しめたことに関しては追求がうやむやになって、「済んだこと」になってしまいました。持って行き場所のない被害者意識は、国や公共に対する冷めた本音となって世代を超えて継承しています。内田先生が書いておられましたが[2]、第二次大戦の敗戦国では高齢化が進みやすいというのも同じ背景があるように思います。
 こういう潜在的欲求不満社会は経済成長が止まると一気に不安定化します。高度経済成長期のように「今日より明日が豊かになる」「都会に出れば一旗揚げられる」という国民的コンセンサスがあれば、貧困や格差もあまり問題にもなりませんでした。ところが、バブル崩壊以降、若者や富裕層までが貧乏臭くなり「今日より明日はひもじくなる」「都会に住めばルフィーが来る」なんて考えるようになりました。 

 グローバル化で見えた本来日本

 寿命が延び消費社会化が進めば、こうした問題がおこることは「中所得国の罠」と言って、途上国が経済発展をとげると早々におこる問題のようですが[3]、わが国の場合、戦後半世紀ぐらいも成長が続きました。冷戦構造のおかげで、原材料を安く途上国から輸入して、先進国に良い値でビジネスモデルが成立したからです。植民地をもっているようなものでした。けれども、東西対立の緩和や南北格差の是正が少しずつでもすすむと、こういう美味しい商売はやりづらくなってきます。
 勤勉な国民と器用な官僚たちのおかげで、その後もなんとか住みよい社会が維持されてきましたが、もう限界です。地方・老人・低学歴者などの社会的弱者を守ってきたエッセンシャルワーカーが潰れ始めました。典型は医療です。すでに産科・小児科や救急などで、第一線でバリバリやってきた医師たちが燃え尽き始めています。コロナが最後のトドメだったのかも知れません。それを見た研修医たちが「直美(ちょくび)[4]」に走るのもやむを得ないことです。
 ここでも「欲しがりません勝つまでは」のやり甲斐詐欺体勢が崩壊すると、その倫理的欠落は世代を超えて継承されるのでしょう。弱者から順につぶれていき、それが全体の足をひっぱり新たな弱者を呼び込むという悪循環がいたるところで始まっています。

 解決策はあり得ません。

 以前、私の作った言葉に「キキララ本」というのがあります。財政にしろ文化にしろ教育にしろ、前半で危機の(キキ)大きさを緻密に的確に論証しながら、後半の解決編では、楽観的(ララ)で無責任な対応策が提案されており、読んでいて途中で一気に興ざめするタイプの本です。
 ただし、この手の本の著者を責めるのは酷でもあります。リアルで深刻な危機の話は日本人には受けないからです。いくら警鐘を鳴らしたくても、本が売れないことにはどうにもなりませんから、最後のところで読者におもねって、ハッピーエンドにもっていくわけです。

 けれども私は、「日記」の読者の知性を信じていますので、声を大にして言いましょう。これから日本はどんどん住みにくくなります。解決法はありません。いや、あり得ません。


[1]
https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&fr=wsr_is&p=%E5%B9%B3%E5%9D%87%E4%BD%99%E5%91%BD%E8%A1%A8#3dcc98456d564287df20bc90fa35d477
[2]
https://dot.asahi.com/articles/-/128406?page=1
[3]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%89%80%E5%BE%97%E5%9B%BD%E3%81%AE%E7%BD%A0
[4]
https://toyokeizai.net/articles/-/843108?display=b