50代以上なら覚えているかも知れませんが、バブルのころに「マーフィーの法則」[1]というのが流行ったことがあります。原型は「失敗する可能性があるものは必ず失敗する」という皮肉っぽい処世訓だったのですが、そのバリエーションの一つに「樽いっぱいの汚水にスプーン一杯のワインを注ぐと、樽いっぱいの汚水になる。樽いっぱいのワインにスプーン一杯の汚水を注ぐと、樽いっぱいの汚水になる」というのがありました。
まあ、私などは少々の泥など気にせずに美味しく飲んでしまいます。泥よりもアルコール
の方が健康上は問題かも知れません。でもこれがスプーン一杯の青酸カリとなると話が変わってきます。良いものが大量にあっても、たとえ少量でも決定的に悪いものが混じると、全体がダメになってしまうというお話です。
逆に言うと、どんなに悪いものでも、全ての部分が悪いとは限らないということです。青酸カリが混じっていてもワインはワインです。肥料か染料にでも使うなら構わないということも十分ありえます。工業用エチルアルコールなどは、猛毒のメチルアルコールを添加して酒としての飲用が不可能にすることで、合法的に酒税を免れています。
今回は、私にしては分かりやすい話になりそうですね。
長期間「悪いこと」だけしていることなど不可能
アメリカ大統領選挙。過去にトランプ候補が「ヒトラーは良いこともした」と発言したことがあると民主党陣営が指摘して、トランプ氏がフェイクニュースだと否定するという、よくある展開がありました。今回、おやっと思ったのは、民主党側だけでなく共和党も「良いこともした」発言は失言であると認識していることです。
同じような議論は日本の論壇にもあります。「検証 ナチスは『良いこと』もしたのか?」という岩波ブックレットまで出ていて[3]、経済政策などでしばしば指摘される「ヒトラーの功績」、たとえば社会福祉やアウトバーンなどを事細かに分析して、事細かに否定しているのです。
専門家でもない私が事細かに反論することはあえていたしませんが、一読「苦しそうな議論」をしているように見えます。ナチスの政策のうち「良いこと」とされているものについて、「ナチスが始めたのでは無い」「うまく行ったのは幸運や他の要因によるものである」「副作用がある」というような議論をしているのですが、批判しているというよりケチを付けているように見えてしまいます。同じ基準で現代の政権(日米欧どこでもいいですが)を評価したら、同様に、どの政権も「良いことは何もしていない」という結論が出かねないとも思います。
ナチスが権力の座にあったのは1933年から45年の12年間。これほどの年月、全く「良いこと」をせずに政権を維持できるものなのでしょうか。もちろん、民衆を扇動したり反対派を暴力や策謀やらで押さえ込んだりすることはある程度可能でしょう。けれども、経済が第一次大戦のダメージから回復し、軍事的には欧州の大半を支配するだけの国力をもたらしたのです。「悪いこと」だけしていては、とうてい不可能だったはずです。
ナチスが政権をとったのは、当時としては先進的な憲法を持った福祉国家であったワイマール共和国でのことです。憲法を無視して独裁体制をしくにしても、行政システムを破壊ないし総入れ替えしてしまうのはあまりにも不効率で、強行すれば国家機構を弱体化させ、自分たちのやりたい「悪事」が実行できなくなります。よって、ナチスの行政には、旧ワイマール共和国の理念が部分的には温存されることになり、自動的にさまざまな「よい事」が出来てしまったはずです。もちろん、そんなことはホロコーストや軍事侵攻の悪事と比較することさえ無意味な細事です。けれども、無視できることや無視すべきことと、存在しないことは意味が全く違います。
アイヒマンの「よい事」が虐殺を拡大した
アウシュヴィッツ強制収容所長のアイヒマンは、「勤勉」「忠実」「冷静」「勇敢」などの美徳を備えたエリートドイツ官僚でした[4]。もし彼が、私のような怠惰でいい加減で感情的な臆病者だったら、ザル収容所になりユダヤ人犠牲者はかなり減少していたはずです。
言い換えれば「私情をはさまずマジメに任務をこなす」という「良いこと」が、多数のユダヤ人の命を効率的に消滅させてしまったのです。
けれども「いくら任務であっても殺人は『悪いこと』である。悪しき命令は拒否するのが『良いこと』である」というのは、アイヒマン問題への最新流行の模範解答のようですが、なんだか良く出来た空文のような気がします。
死刑を執行する刑務官や戦闘中の狙撃兵のように殺人が仕事ということは現代でも存在します。けれどもメンバーのひとりひとりが、受け取った命令が「よい事」かどうかを自らの信条や感情に基づいて判断するような組織が、まともに機能するとは思えません。
こうした気の滅入るようなパラドックスを無視した「ナチスは何もよい事をしなかった」という能天気な見解は、アイヒマン問題から目をそらす原因になりかねません。
全否定することの危険性について
「ナチスは良いこともした」という見解を安易に否定してしまうのは、危険なことでもあります。こうした主張をしていて、もし近い将来、万人が見て賛成できるようなナチスの政策が発見されたらどうするつもりなのでしょう。「何も良いことをしなかった」という全否定は、「悪魔の証明」を要する主張で、良いことが何か一つでも見つかれば破れてしまいます。そうなればネオナチは大喜びでしょう。
けれども、マーフィーの法則に基づき、ナチスは「何も良いことをしなかった」からではなく「極端に悪いことをした」から批判すべきだという立場なら、いくら「良いこと」が発掘されても、鼻で笑うだけで済みます。
批判対象を悪魔化してその行動を全否定してしまうことは、被害者本人や近親者の気持ちを考えればやむを得ない事ではあるにせよ、理論的には脆弱な主張であり、歴史修正主義者につけいる隙を与えることになります。
日韓併合にしろ大東亜共栄圏構想にしろ、ことのスケールを考えれば「良い点」ひとつもなかったらむしろ不思議な話です。そして「良い点」を見つけ出してきては全体の正当化を図るのは、いわゆる「歴史修正主義者」の基本中の基本になっています。そして、こういう幼稚な詭弁に一番効くワクチンは、マーフィーの法則だと思います。
ヒトラーは悪魔なんかではなく、時には良いこともする普通の人間でした......だから恐ろしいのです。
[1]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87
[2]
http://maxime-accounting.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-ff35.html
[3]
https://www.amazon.co.jp/%E6%A4%9C%E8%A8%BC-%E3%83%8A%E3%83%81%E3%82%B9%E3%81%AF%E3%80%8C%E8%89%AF%E3%81%84%E3%81%93%E3%81%A8%E3%80%8D%E3%82%82%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8B%EF%BC%9F-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88-1080-%E5%B0%8F%E9%87%8E%E5%AF%BA/dp/4002710807
[4]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%92%E3%83%9E%E3%83%B3