ミャクミャク問題の「最終的解決」について......ミャクハラの報い【大阪万博 その08】

 こんばんわ。村山恭平です。
 「最終的解決」ということばには違和感があります。この表現の代表例が、「解決」どころか「問題」をこじらせ、人類史上最悪の民族差別に発展させてしまったからだけではありません。そもそも「解決」という言葉は、「これでもう問題が無くなった」「関係者一同ハッピー」というのが本来の意味のはずです。だから、たとえば、殺人犯が検挙されて「ついに事件は解決」などと言うのも、被害者の遺族に「これで君らに寄り添うのも終了。次の仕事があるからね」とメディアが言い放っているみたいで、嫌な感じです。被害というものは、本質的に解決することはないはずです。

 いい加減にしろミャクミャク

 というわけで、また万博です。そろそろ打ち切ろうと思っているのに、次から次へと問題が発生します。もちろん「解決」の見込みなどありません。今回は、呪われたゆるキャラ「ミャクミャク」の話です。
 日本には、膨大な数のマスコットやゆるキャラがありますが、このミャクミャクほど嫌われているものを私は知りません。そもそもゆるキャラというものは、団体なりイベントなりのイメージを良くするための存在ですが、こやつは完全に万博の足をひっぱっています。私の周辺にも「万博に行ってみたい」という人もいますが、「あれは嫌」という声が多数派のようです。逆に、「この子が可愛いから万博も許す」なんて言うやつは見たこともありません。
 それでも、大阪府市政は必死です。公的機関を中心に不気味なポスターがそこらじゅうに貼ってあります。最高傑作は「来るぞ!万博」というやつです。最初見たとき、「交通問題やら、強制動員やら、財政悪化やら、ありとあらゆる災難が、もうじき現実になります。精一杯の抵抗をしましょう」という万博反対派のメッセージかと思いました。
 グッズや車のナンバープレート、ラッピング電車や飛行機、さらに郵便切手や記念貨幣。成金の親父が、不出来な自分の子供を無理矢理アイドルにしようと、金にあかして画策しているみたいです。大阪市民にとっては、立派な「ミャクハラ」です。
 文房具やナンバープレートは嫌なら使わなければ良いのですが、公共交通機関ではそうはいきません。乗る電車を一本遅らせて会社に遅刻したり、一個人が旅客機を地対空ミサイルで撃墜したりすることは社会的に許されていませんので、ラッピングの乗り物に嫌でもつきあうことになります。
 あるいはまた、不吉な切手が張られた封書が、突然郵便受けに投げ込まれるかもしれません。別れ話、解雇通告、紙ベースのお祈りメールなんかには絶好のアイテムです。もっとも、いかにも今回の万博らしいマヌケな話ですが、開幕のころにはもう、あまりこの84円切手は使われそうもありません。郵便料金が値上げされるからです。
 一方、救われないのは一定期間は流通するはずの記念貨幣の方です。インフレと万博赤字のせいで、大阪の公共料金は怖いほど値上がりする中、窓口で予想外の出費にムカムカしているときに、あやつの500円玉でお釣りが返ってきたら、キレるやつが出るでしょう。

 「せんとくん」には続けない

 ミャクミャクと同じように、イベント系のゆるキャラが嫌悪された例としては、平城遷都1300年の公式マスコットキャラクターの「せんとくん」があります。お地蔵さんの頭に鹿の角を付けたようなキャラで、「不気味」だとか「仏様を侮辱している」(鹿は侮辱してもいいのね)だとか散々でしたが、奈良県が無理に露出をさせないという戦略をとったおかげなのか、デビュー25周年の今では県の観光マスコットとして、ノベリティで稼ぐまでになっています。
 けれども、ここまで「ミャクハラ」をこじらせてしまっては、「せんとくん」のあとに続くことは、1300年経っても無理でしょう。こういうところが、維新の文化的な未熟さで、何かをやればやるほど、どんどん嫌われていきます。そればかりか、「せんとくん」のときには、さすがに皆無だった破壊活動(?)まで起こりつつあります。

 ついに事件が起こる

 まずは、大阪市役所前に寝そべっていたミャクミャク像が、https://news.yahoo.co.jp/articles/fbb2bc83351f1e13dae951bb3255488db17f71cb3月12日の深夜、複数の傷を付けられました(事例1)。
 またhttps://nostal-space.com/myakumyaku-hakai-who/ある高校の陶芸部が「一年がかりで作り上げた登板画」を、何者かが破壊されたという事件が、ゴールデンウィーク中におこりました(事例2)。
 最後は、https://news.livedoor.com/topics/detail/26431903/修理したての大阪市役所のミャクミャク像に、「Free Palestine」という文字の落書きが発見されたことです(事例3)。被害金額は一番小さそうな(シンナー1瓶とティッシュ数枚?)、この落書き事件が、実は一番影響が大きそうです。3つの事例を比較検討してみましょう。

事例1は酔っ払いの憂さ晴らし

 市役所前のミャクミャクが損傷を受けた最初に事例1のとき、吉村知事は「どんな理由があっても許せない」と声明を出していました。お気持ちはわかりますし、立場上そうとしか言いようがありません。まさか「刑罰だけで済むと思うなよ」とも言えないでしょう。
 万博反対派の犯行を匂わせるような発言でしたが、今となってはミャクミャクはむしろ反対派のヒーローです。横山大阪市長が「こいつのせいで、ますます万博が嫌われるやろ」と思って、仕事帰りに犯行に及んだのではないかと、私なんかは思っていました。けれども、笑ってばかりではおられません。防犯・警備の問題があるからです。

 善悪と防犯の違い

 話は変わります。よく、性被害の被害者に「隙があったあんたが悪い」などと言い放つヤカラがいますが、これには暴言である以前に論理の混乱があります。整理しましょう。隙があろうがなかろうが、本人が望まない性的な接触を強制することは許されません。ただ、そのことと防犯上の過失である「隙」とは別の問題です。「理由もなく夜道を一人歩きしていた」とか、「夏場で極端な薄着だった」などの場合は、被害者の側に防犯上の過失があったと言うべきでしょう。けれども被害者は何ら悪いことはしていません。
 もちろん、だからと言って加害者が許されるわけではありません。また、被害者にわざわざ防犯の話をするのも間違っています。善悪の問題と防犯は、それぞれ全く別の目的と価値観があり独立して考えるべきことです。ある種の自称フェ○ニストは、こういう議論の大前提を故意でか無知でか知りませんがこれを無視してしまい、いらぬ混乱を招きがちです。反省を求めます。

 公共に被害が及ぶようなケースでは、防犯は警備と呼ばれるようになります。 
今回のミャクミャクの場合、あれだけ評判が悪いのに、誰にでも触れるところにブツを出して挑発をすれば、高い確率で破壊されるということを想定をしなかったのでしょうか。たいした経費がかかるわけでもないのに、適切な警備をしなかった責任が大阪市にはあります。
 修復するのに結構な費用がかかってしまったのですから、「どんな理由があっても許されない」などと言って、「警備の話」を「善悪の話」にすり替えて、被害者顔をしている場合ではありません。
 結局、この破壊の「一番槍」は......「うさ晴らしするかのように、近くにあった鉄製の看板を用いて、何度も叩いて傷をつけた。」という、只の酔っ払いでした。飲み屋の赤提灯の代わりにミャクミャクが被害者になっただけの話です。

事例2の陶芸部の悲劇

 大和川河川敷での陶板画の破壊。陶芸部員たちがかわいそう過ぎます。破壊のことではなく、こんなものを1年がかりで作らされたことです。高校生にもなって、ゆるキャラのコピー製作ですか。
 いやしくも造形高校なら、ミャクミャクなど絵の具と紙粘土かなんかで、ササッと2分ほどで仕上げマジックで着色、みんなでひとしきり笑ったら「燃えるゴミ」に出すぐらいで十分だと思うのですが、1年がかりの登板画だそうです。
 部活というものの暴力性を感じます。こういうのは「シュートをミスるとウサギ跳びで体育館20周」とか「人間ピラミッド最上段で高校横綱が土俵入り」というのと同類ではないでしょうか。それに、陶板画というのは残酷です。下手をすると、幾多の歳月が流れ堤防が倒壊し土砂に埋まっても、数百年後に埋蔵文化財として、また出てきたりもするものです。そうなると郷土の恥部と青春の黒歴史が半永久的に人目にさらされるのです。
 それを承知の上で、生徒たちがシャレで製作したのならサスガですが、指導する側(わざとぼかして書きますが)が何らかの意図(わざとぼかして書きますが)を持ってやったのなら、大阪では近年ある政党(わざとぼかして書きますが)が、教育に締め付けをしていることを考えれば、随分と嫌な話です。
 もうひとつ、セコい言いがかりかも知れませんが、気になるのは知的所有権のことです。どこかの高校が、「ひこにゃん」や「キティーちゃん」の登板画を無断で作ったら、ばれればただでは済みません。あえてキャラ名は隠しますが、最近著作権の一部がようやく切れた浦安にいるのネズミの絵を、https://banzai-disney.com/syougakusei-puru-cyosakuken-4478プールの底に卒業制作で描いた小学校に、強制的に削除させたテーマパークの会社がありました。
 今回の場合、万博協会は登板画を作ることを許可していたのでしょうか。まさか、推奨していたのではないでしょうね。