リングにしかさかない花【大阪万博 その02】

 デザイナーにも社会的制裁を

 こんばんわ。村山恭平です。前回に続いて、関西・大阪万国博覧会の話をしましょう。

 前回指摘しましたリーダーシップの欠如、というより責任者の欠如の典型例が、いわゆるリングの問題です。昭和の悪役レスラーが「血はリングに咲く花だぜ」と言ったらしいのですが、令和の悪役政治家は「血税はリングに散る花だぜ」とでも言うのでしょうか。
 "大本営発表"ですら300数十億円。ため息が出ます。
 だれの責任かと言えば、こういうものを採用した万博協会が悪いに決まってますが、私は敢えて、デザイナーであるF氏(個人攻撃が目的ではないので仮名にします)の責任も追及します。
 もし採用されれば大阪府市民をはじめ多くの国民に多大な負担を求めるような代物を、平気で考案してしまうような人物を、今後は公的な行事に関与すべきではないと思います。これが高校生ぐらいまでの若者の「僕の考えた万博のシンボル」なら、たとえ荒唐無稽、経費無視であっても一向に構いませんが、プロとして何年もやっているデザイナーがこういうことをしてはシャレになりません。

 規模は小さいけれど、例の2億円デザイントイレも同じです。そのうちの一つは、工事の入札にゼネコンがどこも手をあげなかったことからも、いかに非常識でコスト感覚のないデザインなのかがわかります。2億じゃ済まない話なのかも知れません。
 吉村知事は「将来、ここから世界的建築家が誕生するかもしれません」などと、呑気に言っていますが、このての迷惑な「世界的建築家」の芽は、今のうちに摘み取ってしまうのが人類の為、また本人の為でもあるように思います。

 実は以前、私自身も「建築基準法無視で勝手に借家を改造をした老デザイナー」相手に裁判沙汰になったこともあり、芸術家の自我(それはそれで大事なのですが)を、社会で野放しにすることの危険性を思い知らされています。ただし、こういう問題で法規制というのは言論弾圧と直結しかねませんから、彼らには何らかの社会的制裁が与えるのがベストだと思いますが、いかがでしょうか。
 そういえば、東京五輪の国立競技場での、ザハ案がコンペで採用後に没になった件、結構な無駄金がかかったはずですが、誰か責任をとったのでしょうか。

 世界一でもダメはダメ  

 本題にもどって、そもそも万博のシンボルとしてなぜリングなのでしょう。維新の政治家がよく口にする「先端技術の発展」ですか。掘っ立て柱の物見台なら、似たようなのが三内丸山や吉野ヶ里にもあったと思います。日本の建築技術は、令和の今も縄文弥生レベルが最先端なのでしょうか。タフトやヴォリーズが化けて出て来そうです。

 ならば「世界最大級の木造建築物を作ろう」というのはどうでしょうか。
 まずは「......級の......物」などと、最初から言い訳じみた情けない表現はやめてください。どうせなら堂々と「世界一」を名乗りましょう。国会で「二番じゃダメなんですか」と聞かれたら、胸を張って答えましょう。「絶対にダメです。一番でもダメなぐらいです」。
 単純にものを横に並べて世界一のサイズにするのは、お金と土地とかなりのセンスの悪さがあれば誰にでも出来ます。「世界最大のタオル」とか「世界一長いホットドッグ」なんかと同じです。個人が自腹でヤルならシャレで済みますが、公金でとなると笑い事ではありあせん。
 ちなみに、本物の木造世界一がどこかご存じなのでしょうか。倉庫の類いではアメリカ・オレゴン州にあるティラムーク航空博物館だそうです。柱と梁のある普通の建物でなら京都東本願寺の御影堂でしょう。京都駅から徒歩5分ほど、入場無料ですがかなり見応えがあります。ちなみに、二位と三位は、奈良の大仏殿と西本願寺の御影堂で、これらを一度でも見たことがあれば、「あれ」を世界最大級などと名乗ることの恥ずかしさが分かると思います。
 「あれ」は、数百億出してセンスの悪さを主張しているようにしか見えません。会場内には全貌が見える場所があまりないのが救いと言えば救いですが、万博協会が入居する近くの高層ビルからは、よく見えるそうです。どっちを見てデザインしているのかがよく分かる話です。

 念のため言っておきますが、「木造だからSIDGs」なんて言うのもやめてくださいね。使用された木材の総重量が2.6万t、ざっと計算しただけで、東京ドーム一個分ぐらいの森が丸坊主になる分量です。その貴重な上質木材が半年で廃材、しかもその間、何かにつけて大量の化石燃料で重機を動かす。焼き畑農業よりもタチの悪い自然破壊です。

 これらの他にも、「あれ」は遊歩道にも日よけにもなるなどと"実用性"を言い立てる主張もあったのですが、「あれ」って、もともとは今回の万博のシンボルでしょ。前回の万博で「太陽の塔」に関して、建設する意義についての議論はあまり無かったと思います。ちなみに、あのデザインが醜悪だという意見はありました。私個人は今でもそう思っています。
 今回、「あれ」はシンボルなのに正当性や実用性について下手な言い訳をするから、必要以上に炎上したのではないでしょうか。シンボル(=芸術作品)が役に立たなくて何が悪いと一貫して主張をしていたら、「それにしては高すぎる」「いやこれぐらいは」という、ある意味で筋の通った単純な議論で済んでいました。
 そうはせず、関係者が妙に正当化に走るというのはやはり、彼らも「いくらなんでも高すぎるよね」というのが本音だったからではないでしょうか。テーマに関して、幹部の間でさえ意思統一が出来ていないことが、よく分かります。

 救いも無くはないが

 戦略の失敗を戦術でカバーすることは不可能だと言われていますが、実際にはある程度ならカバー出来てしまいます。だから困るのです。一般的に真面目で従順で、そして器用なわれわれ日本人は、リーダーの失敗や無理な指示でもかなりの段階まで、なんとかかんとかクリアしてしまいます。その代わりある限界を超えると、いきなり総崩れになります。
 歴代幕府の崩壊、第二次大戦の敗戦、バブル末期の金融機関の破綻......ところが、こうした歴史の教訓が少しずつ国民に共有され、一方で極端な新自由主義の副作用として組織への忠誠心も消滅しはじめたためなのか、現代日本の組織には粘りがなく、かなり早い段階から崩壊が始まるようです。現場が無理に頑張らなくなったからです。これは困ったことのようですが、よい面もあります。
 今回、万博がボロクソに言われる理由は、現場からの問題点の指摘や不平不満が、握り潰されにくくなったからでしょう。SNSをはじめとする「声を上げるためのツール」が充実したこともありますが、「上からの指示でも自分がおかしいと思ったら盲従はしない文化」が根付きつつあることの証のようにも思えます。
 今回、関西・大阪万博は歴史に残る大失敗に終わりそうですが、こうした「自分の価値観で行動する文化」がさらに根付く契機になれば、それはそれで一定の成果だと思います。まあ、そうとでも思っていないと、大阪市民としてはやりきれないのも事実ですが