大阪万博の失敗を考える

なんのための万博なのか

 こんばんわ。村山恭平です。
 昨秋以降、関西・大阪万博は袋叩き状態です。工事の遅れ、予算の膨張、しょぼいコンテンツ、その結果としての前売券の販売不振。あらゆる方向からあらゆる論者がボロクソに批判しています。こんな空気の中で、さらに新たな問題を指摘するのは、なんだかイジメみたいで少々後ろめたいのですが、一人あたり2万7千円も出費させられている大阪市民としては、とても看過できません。少しでも機運を盛り下げて、中止は無理でも縮小してもらえればなあ、という気分です。

 それにしても、なんでこんなことになったのでしょうか。根本の原因は、だれも本気で、「博覧会をやりたい」とは思っていなかったことでしょう。よく指摘されることですが、ネットワークがここまで発達してくると、web上にないコンテンツが世界的に枯渇します。世界中が「ぜひ、これを見たい」という展示物は世界中にも皆無です。
 そのため、近年の万博のテーマは「食」やら「環境」やらに向かいます。視聴覚以外の刺激があるものや一定以上大きいものです。その中の一分野に「建築」があります。あまりに大きいため、液晶画面では見きれないからです。その点から考えれば、前回のドバイ博ではなかった通称「万博の花」と呼ばれるタイプAパビリオンを、各国が自ら設計・施工までやって、オリジナリティを競うと方針は理にかなっています。
 けれども、「建築を見せたい」という意思統一から博覧会を開くのではなく、はじめに「博覧会を開く」という前提で建築を集めるという構図ができあがったことは、今にして思うと躓きの第一歩であったようです。

 さらに、この構想には夢洲はあまりにも不適切でした。ゴミを埋め立てて作った軟弱地盤の人工島は、大規模な建築には全く不向きな場所でした。ならば、参加募集の段階から「会場の地盤は最悪......その上に何が作れるか各国で競ってください」と言っておけば、ある国は建築技術の粋をつくして頑丈な建物を作り、別のある国は伝統的な高床式住宅風、また別の国は敷地のほとんどを池にして「浮かぶパビリオン」というのもありでしょう。こういう展開になれば軟弱地盤がひとつの「お題」になるわけです。
 ところが、地盤の悪さが周知されたのは、各国がコンペなどを経て凝ったデザインを決めた後のことでした。さらに世界一厳しい地震国日本の建築基準。予算のことを別にしても、そんな曲芸みたいな現場を引き受けるゼネコンが出てこないのも仕方ありません。
 おそらく、現時点(2024年3月)で業者さえ決まっていない約20ヶ国は、いつの間にか姿を消すか、主催者側が仕方なしに建てる平凡な施設(いわゆるタイプXですね)に入るかしかありません。また、業者は決まったが未着工という国々(現状ではこれが最多数)からも、開幕に間に合わないところが、ボロボロと出て来そうです。最悪の場合、開会式当日に、まともなパビリオンが建っていない国が過半数ということになりかねません。

 内容も淡泊で貧相に

 さらに「建築さえ開幕に間に合えばなんとかなる」というのは甘い考えです。内装完成後、展示物を搬入設置して、スタッフを集めて訓練するだけで、まともにやれば数ヶ月はかかりそうです。
 もっとも、参加国の立場で考えれば、ここまでケチのついた万博に十分な予算や人員を付けたり、貴重な展示品を持ち込むことはあり得ません。各国の担当者たちは、もう逃げることしか考えていないでしょう。
 イイ加減で投げやりな展示(たとえば「有名人の愛用品」や「ありふれた民具」と「観光ポスター」だけの、やる気のない小学生が8月31日に作った自由研究みたいな代物)で、お茶を濁して逃げる気なら、準備は数日で十分です。ただし、SNSなんかでどんな評判が立っても知りませんよ。
 多くのパビリオンがこういう惨状になれば、万国博覧会自体が全世界的に終了です。今後、開催に手をあげる国はなくなるでしょう。大阪については、前売り券の払い戻し要求さえ出てきかねません。

 電通のいないイベント

 なんでここまで酷いことになったのでしょう。開催決定の段階から、「何を見せる万博なのか」が明確にせずに話を進めたせいで、何か障害に当たるたびにパニックになり、「先送り→クラッシュ」の必敗パターンに陥り、複数の致命傷を抱えることになったことが原因なのではないでしょうか。
 言い換えれば、「いのち輝く未来社会のデザイン」というところから、具体的にどうするのかという所にまで、踏み込めていなかった点が致命的でした。環境・食・園芸などのアイテムは、これまでの博覧会でやり尽くされていますから、医療や介護福祉あたりの方向性を、徹底的に詰めるべきでした。
 こうなってみると、東京五輪の不祥事などで電通が参加できず、具体的な活動で、イベントのプロが誰もリーダーシップを取れなかった事が大きかったようです。例を挙げれば、あのミャクミャク。私は世界大腸癌学会のゆるキャラかと思いました。大阪市内では汚水用マンホールの蓋に使われていますが、さらにイメージが「そっち」に行ってしまうのは覚悟の上なのでしょうか。
 「空飛ぶ車」にしたところが、ネーミングを「有人ドローン」ぐらいにしておけば無事でした。「どうしてあれが車なんだ?」というツッコミは当然だとしても、「空飛ぶ」の方も、通常は「円盤」と「絨毯」がほぼ独占している修飾語で、怪しげなイメージはおよそ科学技術とは折り合いが悪そうです。
 素人芸のイメージングが次々に失敗して、開催目的までもがますます混沌としてくる中、予算ばかりが膨らみ続けるという、最悪のパターンになってきました。「引き返す勇気のなさ」では世界最高水準を誇るわれわれ日本人が、陥りがちな罠そのものです。

 科学技術振興のためのシンプルな方法

 今になって、開催目的をこじつけようとするのは悪あがきです。
 大阪府市の政治家たちが「科学技術の振興が目的」などと言い出しましたが、それなら、万博に数千億かかる経費を、日本中の大学研究室にバラまいた方が効率がいいでしょう。2万人弱の全大学短大の全教員に1000万円配れば、最低でも1000人ぐらいは地味でも役に立つもの、100人ぐらいは面白いものを作ると思います。
 残りは全部無駄金になっても、間接的に多くの大学の研究・教育活動や関連業界(出版社や実験装置業者)には、かなり恩恵がありそうです。干天の慈雨です。
 あるいはシンプルに奨学金徳政令というのもありでしょう。

 関係者が誰一人本音ではよろこばず、無関係者は喜ばないどころか今後の負担の恐怖に震えているというのが、関西・大阪博覧会の現状です。次回は、もう少し具体的な問題、一番批判の集中しているリングについて、お話しましょう。