リアルなものとリアルでないものの境界線について
12月3日
眠いなあと思ってずっと寝ていると、昼過ぎまで寝てしまった。
反省して、溜まっていた洗濯物を洗濯して、朝日カルチャーセンターに電話して、ヴィレッジヴァンガード川崎店に問い合わせをして、携帯電話の新製品を見てきた。
その後ネットを見ていたら、景気回復の実感が全く感じられないのにのに株価が15000円を突破したのは、韓国政府が崩壊の危機にあるので、韓国資本が大量に日本株の取得に走っているからだという書き込みを見つけた。
真偽のほどはわからない。けれども、大変な事が水面下で起こっているのだというのは何となく分かる。
12月1日
もう、12月。
怠惰にぼーっとしている自分に不満。
11月30日
「ソニーのウォークマンの使用体験記を記載したBLOGが炎上して、閉鎖された」ということを聞いたので残っていたgoogleのキャッシュを読む。
何でも、「自分の所有しているMacのマシンではうまくダウンロードできなかったので、Windowsマシンを買い換えてダウンロードしたらうまく出来た」という記述があったのに、5日前のエントリーに記載されているマシンの写真にはWindowsキーがしっかり写っていたということで、400以上のコメントが殺到して閉鎖に追い込まれたということ、らしい。
わたくしがこの件を知ったのは、このブログが閉鎖に追い込まれた後なので現在googleのキャッシュに残っているもの以外の他のエントリーを読むことができないけれども、上記のWindowsキー以外にも「MacのマシンではうまくダウンロードできないというでWindowsマシンを買い換えるくらいのお金があるのならば、初めからipodを使ったほうが良いのではないか」という疑問や「素人さんが書いている体験記にしては、エントリーにアップロードされている写真には二重に影ができており、おそらくハロゲン光源を使用しているいるものと思われる。おそらく写真はプロの手によって撮影されたものだろう」という見解も出されている。
昔まだ大学にいた頃に「『リアルなもの』と『リアルでないもの』を分ける境目とは何なのだろうか」ということを真剣に考えた。今回の件からふと思ったことは、細部まできちんと作られているものがリアルであると人々に認知されるのではないだろうかということに気がついた。
ちょっと前に、「水曜どうでしょう」に出演している鈴井さんのインタビュー記事をちらっと読んだ事があったけれども、そこで「(TVなので、夜行バスに乗るときと目的地に到着した時の映像を撮影して、後はバスの車内の映像をそれらしく撮影して編集し、実際には夜行バスではなく飛行機で移動しているのだということも可能かもしれない。)しかし、実際に東京から福岡まで夜行バスで移動して、福岡に到着した時に疲労困憊しきった表情を撮影するとか、ベトナムでトゥクトゥクに乗って長時間移動してしまったせいでお尻が痛くて痛くてしょうがないといった映像を撮影するとかすることが、面白い番組を作る秘訣なのだ」ということを語っていたような気がする。
「神は細部に宿る」というこという言葉もある。
脳で判断して、視覚や聴覚や触覚などで判断して、それ以外の身体的感覚で判断して、「矛盾がない」と判断されたものが「リアルである」と認識されるのだろう。
今回の炎上したウォークマンの使用体験記につけられたコメントの中には、「ビジネスブログでも、成功しているものは消費者と同じ視点、同じ場所に立ってリアルに綴っているようなものであり、このように露骨に人を騙そうとするような意図が見え隠れするものはその意図が透ける」というような内容の意見があった。
インターネットが普及して電脳空間上に多くのテキストが氾濫するようになった時に、文章の細部や、文章の持つ身体感覚性が重視されるようになったとは興味深い。
しかしWebを取り巻く情勢というのは、文章の細部や、文章の持つ身体感覚性をさらに重視する方向に進んでいくのだろう、と思う。
11月28日
いつものようにネットの記事を眺めていたら、「ミス&ミスター東大」の記事が毎日新聞のサイトに掲載されたいた。
「ミス東大コンテスト」というのは、TBS系のTV番組「学校へ行こう!」に登場するおもしろ大学生や、IQ190の天才少年がどれくらい凄いことかを証明するために、比較対象としてIQテストを受ける東大生などのTV番組に出演する学生エキストラを集めてくることなどを生業としていた、元スーパーフリーのNO.2で、レイプ容疑で逮捕された岸本英之氏らによって企画されたのだ。ということは前にもこの日記で書いたけれども、もう一度書いておく。
そういう事情があるので、「ミス東大コンテスト」は初めから学園祭を盛り上げるために学生達の手によって行われているというよりは、「ミス東大」のブランドを最大限に活用してあちこちからお金をもらってこようとする商業主義的な感じが色濃くあったりした。
で、「ミス東大」だけではなく最近の「ミス・キャンパス」に関連した記事をあちこちで見かけることが多いけれども、「ミス○○」という肩書きがアナウンサー試験を突破するための資格の一つになっているような感じを受けてしまうのである。
美人かどうか、くらい写真と実物を見て判定できそうな感じもするのですが、、、と思うのですが。
でも、「肩書きはないけれども美人」という女の子と「『ミス○○』という肩書きがある美人」という女の子の2人がいる場合、「肩書きはないけれども美人」という女の子の方が美人で将来性がありそうだとしても、「『ミス○○』という肩書きがある美人」という女の子の方が採用する理由として周囲を納得させることができるということで採用されるというのが、現在の放送局の採用のあり方なのでしょうか。
そんな事情もあるので何としても「ミス○○」の肩書きが欲しいという人も現れたりしていて、何年か前の「ミス慶應」のコンテストの際には、かなり不透明な選考が行われたのだということも聞いている。
まあわたくしにとっては縁のない話なので、「ミス○○」の肩書きを有り難がるおじさんも「ミス○○」の肩書きを得るために奔走するお姉さんも興味の範囲外で「ふーん」というような感じではあるけれども、大学生限定のミスコンは流行っているのに、一般の「ミス日本」や「ミス・ユニバース」の受賞者はあまり注目されないのは何でだろう、などと思った。
11月27日
駒場祭演武会の当日。
とはいっても、かなりの稽古不足なのでちょっと不安。
朝起きておうちのマンションの通路でちょっと受け身の練習でも行った後、朝食に豆腐丼を食べて駒場キャンパスへと向かう。
ちょうど、黄金色に色づいた銀杏の葉っぱがものすごく綺麗。でも学園祭なので人が多くて前に進むのも困難な感じ。
道場に到着すると、一緒に演武するはずだったT雄氏とT崎嬢が来ていないということなので、急遽受けのお兄さんを2人用意する。
「別に緊張なんかしないもん」と思っていたけれども、後輩のみなさまの演武を見ながら出番を待っているうちに妙にトイレに行きたくなってくる。
演武は、まずまずの出来でした。と思うことにする。
その後、模擬店で毎年恒例のクレープを食べて、その後に渋谷のブックファーストに行って「知に働けば蔵が立つ」を買っておうちに帰った。
11月24日
職場の飲み会の後に、電車の車内の中吊り広告をぼんやりと眺めていたら「髪型も偽造、姉歯建築士」という週刊文春の記事を見つけた。
これはちょっと酷いなとも思ったけれども、この姉歯建築士という人物をTVで見ているとある種の不自然さを感じてしまう。
それは「髪型が不自然」とかいう見れば1秒で分かることではなく、そこそこに整った身なりであり愛車がベンツということと、TVで映されている自宅兼仕事場の建物の細部がひどくボロボロになっているということの2つに何か不気味なアンバランスさを感じてしまうからだ。
昔何かの雑誌で、専業でヒモをやって生活しているという男性が「どうやって寄生対象となる女性を見つけ出しているのか?」という質問に答えて「どこか目が虚ろであるとか、かばんの替わりに紙袋に物を入れて歩いているとか、靴がやたらに貧乏くさいとか。。。そう、何か見た印象がどこかアンバランスな感じの女性にターゲットを絞って声をかけてます。」と答えていたのを覚えている。
その、ヒモの男性のターゲットにされている女性と同じようなある種のアンバランスさを姉歯建築士を見ていると感じるのだ。
このアンバランスさというのは、悪しき者の悪しき意図に付け入る隙を与えてしまうような心の状態が目に見える形で現れたものなのだろう、、、かと思った。
11月23日
碑文谷体育館で杖と木剣の特別稽古があるということなので、目黒区まで出かける。
最初に呼吸法を行った後、杖と木剣をひたすら振る。
トランス状態になるほど振る。
自分の脳内で何かを考えなくても、自然に体が動くくらいのレベルにまで杖や木剣を振るのが良い。
こうして体を動かしていくうちに、少しずつ感覚が戻ってきて身体がきちんと頭で思い描いたように動くようになる。
うん、だいぶ身体の感覚が戻ってきた。
諸般の事情により、ずっとお稽古に行っていなかったけれどもこれで少しは駒場祭演武会でまともに動けるだろうか。