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2005年12月 アーカイブ

2005年12月04日

リアルなものとリアルでないものの境界線について

12月3日

眠いなあと思ってずっと寝ていると、昼過ぎまで寝てしまった。
反省して、溜まっていた洗濯物を洗濯して、朝日カルチャーセンターに電話して、ヴィレッジヴァンガード川崎店に問い合わせをして、携帯電話の新製品を見てきた。
その後ネットを見ていたら、景気回復の実感が全く感じられないのにのに株価が15000円を突破したのは、韓国政府が崩壊の危機にあるので、韓国資本が大量に日本株の取得に走っているからだという書き込みを見つけた。
真偽のほどはわからない。けれども、大変な事が水面下で起こっているのだというのは何となく分かる。

12月1日

もう、12月。
怠惰にぼーっとしている自分に不満。

11月30日

「ソニーのウォークマンの使用体験記を記載したBLOGが炎上して、閉鎖された」ということを聞いたので残っていたgoogleのキャッシュを読む。
何でも、「自分の所有しているMacのマシンではうまくダウンロードできなかったので、Windowsマシンを買い換えてダウンロードしたらうまく出来た」という記述があったのに、5日前のエントリーに記載されているマシンの写真にはWindowsキーがしっかり写っていたということで、400以上のコメントが殺到して閉鎖に追い込まれたということ、らしい。
わたくしがこの件を知ったのは、このブログが閉鎖に追い込まれた後なので現在googleのキャッシュに残っているもの以外の他のエントリーを読むことができないけれども、上記のWindowsキー以外にも「MacのマシンではうまくダウンロードできないというでWindowsマシンを買い換えるくらいのお金があるのならば、初めからipodを使ったほうが良いのではないか」という疑問や「素人さんが書いている体験記にしては、エントリーにアップロードされている写真には二重に影ができており、おそらくハロゲン光源を使用しているいるものと思われる。おそらく写真はプロの手によって撮影されたものだろう」という見解も出されている。

昔まだ大学にいた頃に「『リアルなもの』と『リアルでないもの』を分ける境目とは何なのだろうか」ということを真剣に考えた。今回の件からふと思ったことは、細部まできちんと作られているものがリアルであると人々に認知されるのではないだろうかということに気がついた。
ちょっと前に、「水曜どうでしょう」に出演している鈴井さんのインタビュー記事をちらっと読んだ事があったけれども、そこで「(TVなので、夜行バスに乗るときと目的地に到着した時の映像を撮影して、後はバスの車内の映像をそれらしく撮影して編集し、実際には夜行バスではなく飛行機で移動しているのだということも可能かもしれない。)しかし、実際に東京から福岡まで夜行バスで移動して、福岡に到着した時に疲労困憊しきった表情を撮影するとか、ベトナムでトゥクトゥクに乗って長時間移動してしまったせいでお尻が痛くて痛くてしょうがないといった映像を撮影するとかすることが、面白い番組を作る秘訣なのだ」ということを語っていたような気がする。

「神は細部に宿る」というこという言葉もある。
脳で判断して、視覚や聴覚や触覚などで判断して、それ以外の身体的感覚で判断して、「矛盾がない」と判断されたものが「リアルである」と認識されるのだろう。
今回の炎上したウォークマンの使用体験記につけられたコメントの中には、「ビジネスブログでも、成功しているものは消費者と同じ視点、同じ場所に立ってリアルに綴っているようなものであり、このように露骨に人を騙そうとするような意図が見え隠れするものはその意図が透ける」というような内容の意見があった。
インターネットが普及して電脳空間上に多くのテキストが氾濫するようになった時に、文章の細部や、文章の持つ身体感覚性が重視されるようになったとは興味深い。
しかしWebを取り巻く情勢というのは、文章の細部や、文章の持つ身体感覚性をさらに重視する方向に進んでいくのだろう、と思う。


11月28日

いつものようにネットの記事を眺めていたら、「ミス&ミスター東大」の記事が毎日新聞のサイトに掲載されたいた。
「ミス東大コンテスト」というのは、TBS系のTV番組「学校へ行こう!」に登場するおもしろ大学生や、IQ190の天才少年がどれくらい凄いことかを証明するために、比較対象としてIQテストを受ける東大生などのTV番組に出演する学生エキストラを集めてくることなどを生業としていた、元スーパーフリーのNO.2で、レイプ容疑で逮捕された岸本英之氏らによって企画されたのだ。ということは前にもこの日記で書いたけれども、もう一度書いておく。
そういう事情があるので、「ミス東大コンテスト」は初めから学園祭を盛り上げるために学生達の手によって行われているというよりは、「ミス東大」のブランドを最大限に活用してあちこちからお金をもらってこようとする商業主義的な感じが色濃くあったりした。
で、「ミス東大」だけではなく最近の「ミス・キャンパス」に関連した記事をあちこちで見かけることが多いけれども、「ミス○○」という肩書きがアナウンサー試験を突破するための資格の一つになっているような感じを受けてしまうのである。
美人かどうか、くらい写真と実物を見て判定できそうな感じもするのですが、、、と思うのですが。
でも、「肩書きはないけれども美人」という女の子と「『ミス○○』という肩書きがある美人」という女の子の2人がいる場合、「肩書きはないけれども美人」という女の子の方が美人で将来性がありそうだとしても、「『ミス○○』という肩書きがある美人」という女の子の方が採用する理由として周囲を納得させることができるということで採用されるというのが、現在の放送局の採用のあり方なのでしょうか。
そんな事情もあるので何としても「ミス○○」の肩書きが欲しいという人も現れたりしていて、何年か前の「ミス慶應」のコンテストの際には、かなり不透明な選考が行われたのだということも聞いている。

まあわたくしにとっては縁のない話なので、「ミス○○」の肩書きを有り難がるおじさんも「ミス○○」の肩書きを得るために奔走するお姉さんも興味の範囲外で「ふーん」というような感じではあるけれども、大学生限定のミスコンは流行っているのに、一般の「ミス日本」や「ミス・ユニバース」の受賞者はあまり注目されないのは何でだろう、などと思った。

11月27日

駒場祭演武会の当日。
とはいっても、かなりの稽古不足なのでちょっと不安。
朝起きておうちのマンションの通路でちょっと受け身の練習でも行った後、朝食に豆腐丼を食べて駒場キャンパスへと向かう。
ちょうど、黄金色に色づいた銀杏の葉っぱがものすごく綺麗。でも学園祭なので人が多くて前に進むのも困難な感じ。
道場に到着すると、一緒に演武するはずだったT雄氏とT崎嬢が来ていないということなので、急遽受けのお兄さんを2人用意する。
「別に緊張なんかしないもん」と思っていたけれども、後輩のみなさまの演武を見ながら出番を待っているうちに妙にトイレに行きたくなってくる。

演武は、まずまずの出来でした。と思うことにする。
その後、模擬店で毎年恒例のクレープを食べて、その後に渋谷のブックファーストに行って「知に働けば蔵が立つ」を買っておうちに帰った。

11月24日

職場の飲み会の後に、電車の車内の中吊り広告をぼんやりと眺めていたら「髪型も偽造、姉歯建築士」という週刊文春の記事を見つけた。
これはちょっと酷いなとも思ったけれども、この姉歯建築士という人物をTVで見ているとある種の不自然さを感じてしまう。
それは「髪型が不自然」とかいう見れば1秒で分かることではなく、そこそこに整った身なりであり愛車がベンツということと、TVで映されている自宅兼仕事場の建物の細部がひどくボロボロになっているということの2つに何か不気味なアンバランスさを感じてしまうからだ。
昔何かの雑誌で、専業でヒモをやって生活しているという男性が「どうやって寄生対象となる女性を見つけ出しているのか?」という質問に答えて「どこか目が虚ろであるとか、かばんの替わりに紙袋に物を入れて歩いているとか、靴がやたらに貧乏くさいとか。。。そう、何か見た印象がどこかアンバランスな感じの女性にターゲットを絞って声をかけてます。」と答えていたのを覚えている。
その、ヒモの男性のターゲットにされている女性と同じようなある種のアンバランスさを姉歯建築士を見ていると感じるのだ。
このアンバランスさというのは、悪しき者の悪しき意図に付け入る隙を与えてしまうような心の状態が目に見える形で現れたものなのだろう、、、かと思った。

11月23日

碑文谷体育館で杖と木剣の特別稽古があるということなので、目黒区まで出かける。
最初に呼吸法を行った後、杖と木剣をひたすら振る。
トランス状態になるほど振る。
自分の脳内で何かを考えなくても、自然に体が動くくらいのレベルにまで杖や木剣を振るのが良い。
こうして体を動かしていくうちに、少しずつ感覚が戻ってきて身体がきちんと頭で思い描いたように動くようになる。
うん、だいぶ身体の感覚が戻ってきた。
諸般の事情により、ずっとお稽古に行っていなかったけれどもこれで少しは駒場祭演武会でまともに動けるだろうか。

2005年12月20日

Qちゃんアネハ陰謀を推理する

12月17日

きょうはひどく寒くて眠い。
師走というのは恐ろしいもので、ぼーっと一日を過ごしているとあっという間に時間が過ぎていってしまう。
いろいろと書きたいこと・書くべきことはあったはずなのに日記は書けず、先週分の日記も中途半端に書いたまま放り出してしまっている。。。
あまり良くない。
でも眠い。
今日の朝は6時に目覚まし時計をかけて、一度目が覚めたのにそのまま2度寝をしてしまい、次に起きた時には8時を過ぎてしまって大変な思いをした。(そのせいでお稽古に出ることが出来ず、K藤氏に立て替えてもらっていた2500円を返すためだけに駒場に出かけることになった。)
それなのに上野でドネルケバブなどを食べている間にひどく眠くなって2時から5時までお昼寝をしていたはずなのにまだ眠い。
なんでこんなにも眠いのだろう。


12月11日

今日は、日記の文章を書いた後に今年最後の多田塾研修会に行ってきた。
今回はやけに人が少ない。
でも、これくらいの人数だと技をかけるのに不自由はしないのでいろいろと太刀取りの技を行う。
駒場祭の演舞会の時に太刀取りをやろうとして、でもいろいろと試してみてやっぱり止めて無難に両手取りを
やることにした。その後のいろいろを考えると、あえて太刀取りをしなかったのは正解だったように思える。
でも、いつかはちゃんと人前で見せられるくらいにしておこう、と思う。


12月8日

マンションの耐震構造の偽造問題については、未だにネット上やTVの報道番組でいろいろと議論されている。
今週発行された週刊誌の中で、「姉歯建築士の妻が重度の鬱病で、入退院を繰り返していた」という記述があったので、少し思うところを書いていこうと思った。
多くの報道がなされるうちに、マンションの耐震構造の偽造は姉歯氏個人によって行われたのではなく、建築主・施行主から総合経営研究所という建築コンサルタントまで全てが組織ぐるみで行われていたらしい。ということが明らかになっている。そして、今回の件は決して特殊な事例ではなくその他建築業界で行われていることの氷山の一角でしかないことも十分に推測可能である。
そして、姉歯建築士はこのような巨大すぎる不正の仕掛けの中の「使える歯車」にしか過ぎないことも。
11月24日ののエントリーの中で「自宅兼仕事場の建物の細部がひどくボロボロだ」ということを書いた。
それ以外にも一つ気になっていたのは家の中庭に空き缶を入れたゴミ袋が大量に放置してあったことだった。でも、その時は「建物があんなにボロボロなのだから、どうせ燃えないゴミも大量に溜め込んでしまっていて放置してあるのだろう」と思っていた。
しかし家の中庭に放置してあったゴミ袋の中身の空き缶というのは、どうやら姉歯家から出た燃えないゴミではなく、家の横に設置された自動販売機から出たゴミが庭の中に投げ込まれたものだということだ。

ここからはあくまでわたくしの想像に過ぎないことを明記しておく。

民家の横に自動販売機が設置されているというのは、決してないというわけではないけれども住宅地の中では稀だ。現地に足を運んだことはないけれども、特に交通量が多いわけではない箇所に自動販売機は設置しないのが普通、だろう。普通はある程度の交通量がある道路に面するように自動販売機は設置する。
そして、自動販売機の横にゴミ箱はなかったのだろうか。
家の庭に空き缶が大量に投げ捨てられる事態が生じているのならば、自動販売機の設置者と姉歯家側で何らかの交渉が行われていたとしてもおかしくないのだが、そうはならなかったのだろうか。
鬱病患者というのは、自分の身の回りの秩序が誰かによって乱されるような事態にひどく弱い。
もともと鬱病を患っていた姉歯建築士の妻が家の庭に空き缶を投げ込まれることが続くことによって、さらに病状を悪化させていったことは容易に想像できる。
ここで一つ恐ろしいことを思いついた。
もしも、自分の意のままに構造計算書を偽造させることのできる建築士を血眼になって探していた人間が、姉歯家の庭に空き缶を大量に投げ込むことでわざと姉歯建築士の妻の病状を悪化させていたとしたら......???

ここに書いたことはあくまでわたくしの妄想にしか過ぎない。
しかし一方で「このようなことも有り得ない話ではない」と思っている自分もいる。
いろいろ考えたので、一度立ち読みでざっと読んだ文春新書の「拒否できない日本」を改めて買ってきて読み直すことにした。
この本の冒頭で、建築士の資格制度を国際的に統一するという協定がアメリカと中国との間で締結された、ということ。それと今回のマンションの耐震構造の偽造問題の黒幕とされる内河氏が中国国内の建物のコンサルティングも大量に引き受けていること。そしてこのマンションの耐震構造の偽造問題がこの時期になって表沙汰になったこと。
全てが繋がっているのだとしてもおかしくはない。


12月5日

「生協の白石さん」の本は驚異的な売れ行きを示し、電車の中にある中吊り広告に書かれていることを信用するとすると、既に60万部出荷されたらしい。
googleで検索したところ「電車男」の発行部数は50万部らしいので、「生協の白石さん」はネット発のムーブメントの中で最も多くの書籍を売り上げたコンテンツの著者と言うことになってしまった。
しかし「生協の白石さん」は別に有名になって本を出そうとしたわけでもなく、自分のブログを持っていたわけでもない。(「がんばれ、生協の白石さん!」というブログは存在するけれども、このブログはK條氏という生協の白石さんをこよなく愛する農工大生のお兄さんが運営しているのあって、白石さん自身は自分の回答をネット上にアップすることは全くしていないのであった。)
ただ単に、「一言カード」の質問に面白い回答を書き続けただけであった。
これは今までの自分のブログのあり方を見直したほうが良いのかもしれない。

ところで「生協の白石さん」の本と「がんばれ、生協の白石さん!」のブログ(http://shiraishi.seesaa.net)を読んでいて気がついたことがいくつかある。

Q.白石さん好きっす。
A.光栄っす。(白石)

Q.単位がほしいんです。
A.そうですか、単位がほしいですか。
私は単車がほしいです。お互い頑張りましょう。(白石)

Q.いつか白石さんを越えます。
A.何については存じかねますが、越えて下さい。
私は最近、肥えています。(白石)

「一言カード」の質問と回答を3つほど書き出してみたけれども、共通しているのは質問と回答とで韻を踏んでいるということだろうか。
質問が白石さんに届いていて、そして回答されているということを感じられているのは質問と回答が韻を踏んでいる、あるいは質問者と同じモードにチューニングされているということでないかと思った。

それと、「生協の白石さん」が原則として本人の都合と白石さんファンの人々の希望によって原則として顔出ししていないのも何となくいい感じを醸し出している。
普段は東京農工大の小金井キャンパスの生協に勤務していて、36歳既婚、小沢健二似で趣味はビリヤードとダーツということは既に公表されているけれども、マスコミに顔出しをしていないので何となく謎の人のようなイメージがある。
その正体不明の人に「一言カード」の質問を投稿すると、白石さんの返事が書かれる。
そのようなコミュニケーションのあり方が、以前内田先生が何かの本で書いていた「原初の交換貿易」のあり方に類似しているのではないかと思った。

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