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2005年11月 アーカイブ

2005年11月07日

thes little shop of horors はジャック・ニコルソンの出るオリジナルが面白いです(監督はロジャー・コーマン!)

11月6日

今日は何もすることがないので、1週間分の日記を書いている。
それと、田口ランディさんのエッセイ「馬鹿な男ほど愛おしい」を読む。
最初に「できればムカつかずに生きたい」の引きこもりの兄の死について書かれた文章を読んで激しい衝撃を受けたけれど、でも家族の問題がある程度解決してしまったら徐々に文章から受ける衝撃の度合いが少なくなってしまうものか。。。と思ってしまっていたけれどやっぱりこの方は物凄く才能がある。

11月5日

まりりんたんと一緒に山本耕史主演の「リトル・ショップ・オヴ・ホラーズ」を見に行く。
16:50に渋谷で待ち合わせて、そこからてこてこと青山劇場まで歩いていく。
劇場に入る前に、一応楽屋口と駐車場の入口の位置を確認したけれども、今までのことを考えると楽屋口から出てくることはないだろう、という結論に達したので今回は出待ちなどはしないことにする。
「今回の役はね、花屋で働いている情けない男の人の役なの。そういう役だからずっと冴えない黒縁メガネをかけているの。だから今回のお芝居のパンフレットは買わないわ」と言っていたまりりんたんは、売店で「新選組!」の土方歳三の洋装姿のポスターを発見してしまったらしく、即座に購入していた。

席に座っていろいろ話していると急に劇場の照明が暗くなり、ミラーボールが回り始めてお芝居が始まる。
最近わたくしの視力が急激に落ちてしまったらしくて、まりりんたんから宝塚観劇用高級オペラグラスを借りないと小堺一機と上原多香子の顔が判別できなくてかなり鬱が入ってしまった。
肝心のお芝居は、エンターテイメント性が強くてけっこう楽しめたし、かつて河村隆一プロデュースでソロデビューした時には超絶に下手だった上原多香子の歌もちゃんと聴けるようになっていた。
しかし、ラストが主人公が人食い植物に食べられて終わるという近年稀に見るバッドエンドで少し驚いた。
これと、山本耕史が最初から最後までずっと冴えない黒縁メガネをかけ続けていて綺麗な顔がきちんと見えないことさえ無かったら。。。と思ってしまったけれども、仕方のないことか。

お芝居が終わってから、渋谷の「Bobby's_Cafe」に行って飲んだくれる。
そこで、大学の学園祭でミスコンを開催することの是非や、ミス&ミスター東大コンテスト開催にスーパーフリーのNo.2の人間が関わっていたということや、「ネットワーク・ハイ」というのが存在していてネット上に文章を書き込むことで躁病が誘発される場合があるということや、その他いろいろを話しているうちにいつのまにか12時近くになってしまっていた。
何か物凄く酔っ払ってしまった。


11月2日

上司のおじさんが出産祝いのお返しとして「超絶においしい中華料理」をご馳走してくれるらしいということで千歳烏山までついて行く。
そこで、貴重な黄色いニラを使った炒め物や、フカヒレと豆腐入りの春巻きや、北京ダックや、鮑とホタテの貝柱の出し汁が濃厚に含まれたリゾット風の炒飯などを頂く。
非常においしい。
最近物事が思うように行かなくて、少し落ち込んでしまっていたけれど、おいしいものを食べると少しの間確実に幸せになれる。
これが「小さくとも確実な幸せ」というものなのだろうか。


11月1日

猪口邦子新大臣の、青いお姫様ドレスがちょっと凄い。
「10年前の雅子皇太子妃殿下のご成婚の際に新調したものだ。」ということらしい。
確かに日本に住んでいる限りあのドレスを着る機会というのは滅多にないので、晴れの舞台にあれを引っ張り出して着てみたいという気持ちは分からない訳でもない。
しかし、大臣の認証式にあの青いお姫様ドレスを着てくるというのは、どうなんだろう。
「所詮は、晴れ舞台に嬉々として青いお姫様ドレスを着てくるようなタイプの人間なのだ」ということを世間に知らしめることにはならないのだろうか。
そういえば、猪口邦子新大臣は青いお姫様ドレスだけではなく、同じデザインで色違いのピンクのお姫様ドレスを以前着ていたような記憶があるのだけれど、どうなんだろう。


10月30日

今日は毎年恒例のハロウィンパレードが川崎で開催されるので、それに参加する。
JR川崎駅のホームで待ち合わせをして、会場に向かう途中に「そういえば去年の今頃は『新選組!』に凄まじいはまり方をしていた」「そういえば去年ここで『電車男』は本当に起こったことか作り話か、とか20代後半の女性がツインテールの髪型にするだろうかということを話し合ったな」ということを話した。 
今年のハロウィンパレードは例年よりもそうとう気合を入れて準備しているらしかったので、特設の受付があり更衣所としてテントが設営されている。
駅前をゴスロリの服を着た人や魔女の服を着ている人がいると、何となくハロウィーンっぽいなと思う。
今年は昨年と異なりPRに相当力を入れたせいか、仮装する人もそれを見物する人もものすごく多い。
 
更衣所のテントで、わたくしはメイド服に、まりりんたんはミニスカポリスの服に、まーべらすちゃんはインド人の服に着替える。
着替えてからそこら辺の雑貨屋を見て回って「細木数子キティがかわいくない」とか「リラッくまのポーチがかわいい」とかそんなことを話す。
それから、レストランでオムレツを食べてビールを飲んでいろいろお話などをしていると外から大音量の音楽が流れてくる。ハロウィンパレードの始まる時間になったらしい。
ということで、仮装した人の列の最後尾に並んで川崎の街のアーケードを一回りする。
今年は「スターウォーズ」に登場する帝国軍の兵士の服を着ている人はいなかったけれど、ケンタウルス族のように下半身が馬になっている人や、頭に直径1メートルくらいのお正月の飾り物をつけている人などがいた。頭にかぼちゃを被っている人や、ゴスロリの服を着た人はけっこうたくさんいた。
去年に比べると観客の数が圧倒的に多くて、なんか圧倒されてしまった。
仮装している人々の列や、目立つ仮装をしている人に携帯についているカメラを向けている人もたくさんいた。
パレードの最中には、「ザイン」の黒い服を着たお姉さんと白い服を着たお姉さんの衣装が「プリキュア」の主人公2人に似ているとか、そんな話をした。

パレードが終了して、仮装コンテストの結果発表は興味が無いのでそのまま抜けて着替える。
「さてこれからどうしましょう。」とわたくしが言ったところ、まりりんたんが「去年行った焼肉屋に行って焼肉を食べたい」と行った。わたくしは、去年ハロウィンパレードの後に焼肉を食べに行ったことや、その焼肉屋の場所を完全に失念してしまっていたのでいろいろととやかく言われてしまったが、京急川崎駅の前までいったところで焼肉屋の場所を思い出したので、そこに行って死ぬほどお肉を焼いて飲んだ。

2005年11月21日

生協の白石さんは東京農工大の宝です

11月20日

最近日記が書けてないのは、別に忙しいわけでも文章が書けない状態にあるわけでもなく、ただひたすら眠いからだったりする。
今日も、放っておくと何時間で寝てしまう。「寒いなあ」「眠いなあ」と思ってずっとふとんの中にいたらお昼の12時過ぎまで寝てしまっていた。
5時半過ぎに身支度をして、久しぶりに甲野先生の講習会に出かける。

脳が半分寝てるような状態だったので、甲野先生の技の数々にひたすら感嘆するばかりだった。
もっとお稽古がしたいなあ。

11月19日

お稽古に行こうとしたけれど、生理痛が痛いので起き上がれない。
しばらく横になっていたら、お昼過ぎになってようやく痛みが引いてきてまともに動けるようになった。
今日一日結局何もしなかった、というのも休日を無駄に過ごしてしまったようで癪なので本棚を整理して、お部屋の床に積んであった本を収納することにする。
いらない本は処分し、捨てるには忍びないけれどもあまり読んでない本は奥のほうに並べておき、読む頻度が高い本は本棚の前の方に並べる。
内田先生の著書を並べていったが、遂に棚の一列分には収まりきらなくなった。
冊数を数えてみると、25冊あった。
先日亡くなったピーター・F・ドラッカー氏が95年間の生涯の中で執筆した本の冊数が30+αであることから考えると、多いと言えば多いのか。
わたくしの記憶が確かならば、この日記を書き始めた時に既に出版されていたのは「ためらいの倫理学」「『おじさん』的思想」「期間限定の思想」「大人は楽しい」「現代思想のパフォーマンス」の5冊だったように思う。この2年間ちょっとの間に約20冊が出版されているということになるのか。
これでは出版される本の品質が中谷彰宏の領域に近づきつつあるのも無理もない、と思いつつ本の整理を中断してちょっとネットで調べてみたところ、中谷彰宏がこれまでに書いた本の冊数は400冊を既に超えるらしい、ということが分かった。
......内田先生には良質の本を数多く書いて頂きたいと思った。

本がある程度片付いたら、空間が出来たのでこたつをセッティングすることにした。
温かくて気持ちが良いのでそのままこたつから出られなくなってしまった。


11月17日

2日ほど前から、厚着をしていても寒くて寒くて仕方がない。
仕事中もあまりにも寒気がするので全く集中できないくらいだ。
こんなときは現実逃避、温泉、サウナに限る。
ということで、お仕事が終わった後に後楽園SpaLaQuaに行ってサウナに入ってお風呂に浸かる。
温かいっていいなあ。
一生ずっと温泉につかってぼーっとしていられるといいのになあ。
そんなことを考えながらぼーっとする。

岩塩のサウナに入っていると、へそピアスをした白人のお姉さんや中国語を話す3人組のお姉さんが入ってきてそして出て行く。日本はこれまで世界の片隅でぬくぬくとムラ社会を営んできたけれど、国際化の波を逃れられないのだな、と何となく思う。


11月12日

ピーター・F・ドラッカー氏逝去。
享年95歳。
95歳の人が老衰で亡くなることは、その年齢からいって仕方のないことではある。
しかし、この方の驚異的な点はこの年齢でも現役の大学教授として講義をしていて、第一線の経営学者として数多くの論文を書き続けていたということだ。
そして、95年の生涯の中でオーストラリア皇帝退位から世界恐慌、ナチスドイツの台頭に第2次世界大戦を経て日本経済の隆盛と凋落から現在のIT革命に至るまでの世界経済を見続けてきたその見識は、他の経営学やビジネスを説く人間とは一線を画する深さが存在したように思える。
多くのビジネス書が、「短期的には儲かるかもしれないけれども、長期的な観点で見た場合にはこれってどうなんだろう」という事例を誉めていたり、「儲けるためには道義的に反することも行う必要がある」というようなことを述べていたりすることもあるのに対して、倫理・原理・原則のような人間にとって大切なものが経営にとっても大切なのだと語っていた印象がある。
......こんなことを書いていてもわたくしはドラッカー氏の著書を一冊しか読んだことがない。
しかし、彼が「Web2.0」という言葉に代表されるような今後の10年の間に起こり得る社会や経済の変化に対して、一番正確に予測していたのだろうと思えるのだ。
だが、ドラッカー氏はその変化した後の世界をもはや見ることが出来ない。
ここから先は、自分達の知識や経験を元にして今後の10年の間に起こり得る社会や経済の変化に対して、何とか生き延びることが要求されているということだ。

目の前の闇を凝視したところで、ただ何か巨大で不気味なものが蠢いているらしいということだけが見えるだけではっきりとした未来が見えるわけではない。
それでも、未来を見ようとした人間、未来がどのような時代になるのかを頭の中に絵を描いた人間だけに未来を予測することが可能であるはずなのだ。
目前に広がる闇の中で小さく光る希望を、見つけ出すことができるのだろうか。。。


11月9日

「生協の白石さん」がネット上で評判になっているらしい。
とはいっても、「生協の白石さん」はネット上に日記を書いていたり、ブログをやっているというわけではない。
どこの大学の生協にもある、生協の利用者と職員が品揃えなどの要望のメッセージをやり取りする「一言カード」の質問にひたすら回答をしている、ということだけである。
しかし、この「一言カード」の質問に対する回答が超絶に面白く、そして深いと言うことで、「生協の白石さん」が働いている東京農工大学の有志がネット上に「一言カード」の質問に対する回答をアップしたところ、「一言カード」の質問に対する回答をアップしたサーバーがあまりのアクセス数の多さにダウンしてしまうほどの反響を得ることになった。
そんな「生協の白石さん」の人気に後押しされて、遂に「生協の白石さん」の本まで出版され、東京農工大学の学園祭でサイン会を開くまでに至った。ということらしい。
そんな「生協の白石さん」の名回答を一つ紹介しておきます。

Q.愛は売っていないのですか?

A.どうやら、愛は非売品のようです。
もしどこかで販売していたとしたら、それは何かの罠かと思われます。
くれぐれもご注意ください。(白石)

この他にも、「牛を置いてください」「単位売ってください」というような無茶な要望や「豆?」「ナブラチローワ!!」というようなほとんど禅問答に近いような謎かけに対しても、白石さんは丁寧かつ誠実な回答を行っている。
このように、どんな質問に対してもしっかりと受け止めて回答する「生協の白石さん」は、東京農工大学の貴重な宝だ、と思った。

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