11月20日
最近日記が書けてないのは、別に忙しいわけでも文章が書けない状態にあるわけでもなく、ただひたすら眠いからだったりする。
今日も、放っておくと何時間で寝てしまう。「寒いなあ」「眠いなあ」と思ってずっとふとんの中にいたらお昼の12時過ぎまで寝てしまっていた。
5時半過ぎに身支度をして、久しぶりに甲野先生の講習会に出かける。
脳が半分寝てるような状態だったので、甲野先生の技の数々にひたすら感嘆するばかりだった。
もっとお稽古がしたいなあ。
11月19日
お稽古に行こうとしたけれど、生理痛が痛いので起き上がれない。
しばらく横になっていたら、お昼過ぎになってようやく痛みが引いてきてまともに動けるようになった。
今日一日結局何もしなかった、というのも休日を無駄に過ごしてしまったようで癪なので本棚を整理して、お部屋の床に積んであった本を収納することにする。
いらない本は処分し、捨てるには忍びないけれどもあまり読んでない本は奥のほうに並べておき、読む頻度が高い本は本棚の前の方に並べる。
内田先生の著書を並べていったが、遂に棚の一列分には収まりきらなくなった。
冊数を数えてみると、25冊あった。
先日亡くなったピーター・F・ドラッカー氏が95年間の生涯の中で執筆した本の冊数が30+αであることから考えると、多いと言えば多いのか。
わたくしの記憶が確かならば、この日記を書き始めた時に既に出版されていたのは「ためらいの倫理学」「『おじさん』的思想」「期間限定の思想」「大人は楽しい」「現代思想のパフォーマンス」の5冊だったように思う。この2年間ちょっとの間に約20冊が出版されているということになるのか。
これでは出版される本の品質が中谷彰宏の領域に近づきつつあるのも無理もない、と思いつつ本の整理を中断してちょっとネットで調べてみたところ、中谷彰宏がこれまでに書いた本の冊数は400冊を既に超えるらしい、ということが分かった。
......内田先生には良質の本を数多く書いて頂きたいと思った。
本がある程度片付いたら、空間が出来たのでこたつをセッティングすることにした。
温かくて気持ちが良いのでそのままこたつから出られなくなってしまった。
11月17日
2日ほど前から、厚着をしていても寒くて寒くて仕方がない。
仕事中もあまりにも寒気がするので全く集中できないくらいだ。
こんなときは現実逃避、温泉、サウナに限る。
ということで、お仕事が終わった後に後楽園SpaLaQuaに行ってサウナに入ってお風呂に浸かる。
温かいっていいなあ。
一生ずっと温泉につかってぼーっとしていられるといいのになあ。
そんなことを考えながらぼーっとする。
岩塩のサウナに入っていると、へそピアスをした白人のお姉さんや中国語を話す3人組のお姉さんが入ってきてそして出て行く。日本はこれまで世界の片隅でぬくぬくとムラ社会を営んできたけれど、国際化の波を逃れられないのだな、と何となく思う。
11月12日
ピーター・F・ドラッカー氏逝去。
享年95歳。
95歳の人が老衰で亡くなることは、その年齢からいって仕方のないことではある。
しかし、この方の驚異的な点はこの年齢でも現役の大学教授として講義をしていて、第一線の経営学者として数多くの論文を書き続けていたということだ。
そして、95年の生涯の中でオーストラリア皇帝退位から世界恐慌、ナチスドイツの台頭に第2次世界大戦を経て日本経済の隆盛と凋落から現在のIT革命に至るまでの世界経済を見続けてきたその見識は、他の経営学やビジネスを説く人間とは一線を画する深さが存在したように思える。
多くのビジネス書が、「短期的には儲かるかもしれないけれども、長期的な観点で見た場合にはこれってどうなんだろう」という事例を誉めていたり、「儲けるためには道義的に反することも行う必要がある」というようなことを述べていたりすることもあるのに対して、倫理・原理・原則のような人間にとって大切なものが経営にとっても大切なのだと語っていた印象がある。
......こんなことを書いていてもわたくしはドラッカー氏の著書を一冊しか読んだことがない。
しかし、彼が「Web2.0」という言葉に代表されるような今後の10年の間に起こり得る社会や経済の変化に対して、一番正確に予測していたのだろうと思えるのだ。
だが、ドラッカー氏はその変化した後の世界をもはや見ることが出来ない。
ここから先は、自分達の知識や経験を元にして今後の10年の間に起こり得る社会や経済の変化に対して、何とか生き延びることが要求されているということだ。
目の前の闇を凝視したところで、ただ何か巨大で不気味なものが蠢いているらしいということだけが見えるだけではっきりとした未来が見えるわけではない。
それでも、未来を見ようとした人間、未来がどのような時代になるのかを頭の中に絵を描いた人間だけに未来を予測することが可能であるはずなのだ。
目前に広がる闇の中で小さく光る希望を、見つけ出すことができるのだろうか。。。
11月9日
「生協の白石さん」がネット上で評判になっているらしい。
とはいっても、「生協の白石さん」はネット上に日記を書いていたり、ブログをやっているというわけではない。
どこの大学の生協にもある、生協の利用者と職員が品揃えなどの要望のメッセージをやり取りする「一言カード」の質問にひたすら回答をしている、ということだけである。
しかし、この「一言カード」の質問に対する回答が超絶に面白く、そして深いと言うことで、「生協の白石さん」が働いている東京農工大学の有志がネット上に「一言カード」の質問に対する回答をアップしたところ、「一言カード」の質問に対する回答をアップしたサーバーがあまりのアクセス数の多さにダウンしてしまうほどの反響を得ることになった。
そんな「生協の白石さん」の人気に後押しされて、遂に「生協の白石さん」の本まで出版され、東京農工大学の学園祭でサイン会を開くまでに至った。ということらしい。
そんな「生協の白石さん」の名回答を一つ紹介しておきます。
Q.愛は売っていないのですか?
A.どうやら、愛は非売品のようです。
もしどこかで販売していたとしたら、それは何かの罠かと思われます。
くれぐれもご注意ください。(白石)
この他にも、「牛を置いてください」「単位売ってください」というような無茶な要望や「豆?」「ナブラチローワ!!」というようなほとんど禅問答に近いような謎かけに対しても、白石さんは丁寧かつ誠実な回答を行っている。
このように、どんな質問に対してもしっかりと受け止めて回答する「生協の白石さん」は、東京農工大学の貴重な宝だ、と思った。