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お祭り終わったそのあとは

9月4日

プチ断食の2日目。
この文章を書いている今のところは、まだ断食励行中。
水とCCレモンとけっこうな量の紅茶は口にしたけれど、「この2日間は食事を口にしないのです。」と自分に言い聞かせるとけっこう空腹を気にすることはないのだなということを実感する。
でも、明日からはお仕事に支障をきたすかもしれないので、今日の晩からは少しずつ消化の良いものを摂取して元の状態に戻しておこうかなと。

9月3日

昨日の夜に見た夢の内容が現実のものになってくれればいい。という夢を見た。
実際には何度かあったチャンスをなかなかつかむことができない状態が続いている。
でも、この夢の内容が現実のものになっている場面を本当に強く強く渇望している。
最後にはちゃんと手をつないで、笑っている映像を頭に浮かべてみる。

最近の自分の精神の不甲斐無さに、非常に呆れ果ててしまっているので今週の週末は突発的にプチ断食を励行することに決定した。
清涼飲料水の類と、後輩のみなさまから頂いた日本各地のお土産と、I藤くんが作って持ってきてくれた黒ごまのケーキのかけら(約2立方センチメートルくらい)は有り難く頂いたけれども、それ以外の食料は一切口にしていない。
それでも今のところはけっこう気合でなんとかなっている。

9月2日

自分の行動の詰めの甘さと、最近のどこか集中力を欠いた感じがものの見事によろしくない結果をもたらして、「それは自業自得だ」と言われても、「はいその通りです。申し訳ありませんでした。」としか言えない、そういう非常に悔しくて悔しくて仕方のない一日。

8月29日

月曜日。
職場から速やかに戻ってきて「スローダンス」を見る。
この「スローダンス」というドラマは、安易にコミックや映画から原作を採用せずに、きちんと正面から恋愛ドラマを描いていこうという姿勢がいい感じなので、いままでずっと見てきている。
でも、視聴率的には初回に22.5%を叩き出したけれどその後は15%から17%くらいの数字を行ったり来たりしている。
今回のクールでは、「電車男」が平均約20%の視聴率で人々の事前の予想を激しく裏切ってトップをひた走っており、「スローダンス」はその次くらいだから決して悪い数字だと言うわけではないけれども、でも広末涼子の出産後初復帰作であり、深津絵里・妻夫木聡・藤木直人が出演しているということを考えると、ちょっと微妙な数字だということになるのだろうか。
わたくし的には恋愛の切なさや痛さというものがきちんと書かれている脚本だと思うのだけど、ブログ上にドラマについてのエントリーをアップしている人の文章を読むと同じようには思っていない人もいるようだ。
諸般の政治的な事情で小林麻央が重要な役どころで画面に映る以外は、面白いと思うのだけどなあ。きちんと毎週1時間の時間を確保して、ドラマを楽しむという習慣がなくなりつつあるのかも。とりあえず話のあらすじだけを理解しておきたいという姿勢でドラマを見ている人だと、話のテンポが遅く展開が読めてしまうと思ってしまうのだろうか。

「電車男」は主人公のお兄さんの演技が達者なのと、それと劇団ひとりが非常にリアルなヲタクを演じていたりなど、その他いろいろ通常の連続ドラマではまず出てこないような人が数多く出演していたりするので決して面白くないものではないけれど、でもなぜこれが平均約20%の視聴率を叩き出しているのかは、かなりの謎。
でも、強いて言えば、データには表すことができないしうまく説明することもできないけれど、得体の知れない熱気がドラマの底流に流れているのではないか、と思う。
で、この得体の知れない熱気は、特に注目も期待もされていなかった故に、純粋に面白いものを電波に流していこうという気合から生じているものではないのかなと思ってしまう。

8月28日

おとといの午後からずっと寝ていたらほぼ風邪の症状が全快した。
ということで、軽く読書などをすることにする。
でネットの一部で「つまんない」と評判になっている、鈴木謙介氏の「カーニヴァル化する社会」を読んでみた。
で、最初に一読してみたのだけど、いまいち脳の中に言葉が入り込んでこない感じなので、少し読むスピードを落としてからもう一度読んでみる。
・・・・・・うーん。何だろうな、この感覚は。
ネット上に頻発する「祭り」や「炎上」という現象を通して、何が言いたいのかということは何となくではあるけれども理解できるし、このお兄さんが非常に多くの知識量を持っていることも十分に分かる。
しかし、大量の情報とそれに対する分析が脳内を通り過ぎるだけでどこか言葉が「腑に落ちていない」印象を受けてしまうのだ。書いている本人もどこか自分の書いていることについて完全に納得している訳ではないというような。
ネット上に発生する「祭り」とだんじりのようなコミュニティに根ざした従来型の祭りとは何が根本的に異なるのか、人々がネット上の「祭り」を発生させるエネルギーは何に由来しているのか、就業の機会を奪われニート化した若者は何故にネット上の祭りを希求するのか・・・。ネット上に頻発する「祭り」や「炎上」という現象に着目した点は面白いのだから、読む人間が納得して脳内がきちんと整理されていくレベルでの深さの分析というものがあればもっと良いのかなあとも思った。

同い年で、自分の考えを新書として出版することのできる立場に嫉妬していないと言えば、嘘になる。しかし、本を出版することのできる立ち位置を確保するということだけでも大変なことだったということは十分に理解できることであるし、だからこそ師匠のM台S司が到達した場所よりもさらに遠くの位置まで辿り着いて欲しい、と思ってしまうわけなのですが、どうなのでしょうか。

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» 『カーニヴァル化する社会』を読む 送信元 しせいのしこう
『カーニヴァル化する社会』(@鈴木謙介、講談社現代新書)を読む。 宮台真司と東浩紀を足して2で割ってもいない(つまり足しただけの)本というところが正当な評... [詳しくはこちら]

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2005年09月04日 20:52に投稿されたエントリーのページです。

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