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2005年09月 アーカイブ

2005年09月04日

お祭り終わったそのあとは

9月4日

プチ断食の2日目。
この文章を書いている今のところは、まだ断食励行中。
水とCCレモンとけっこうな量の紅茶は口にしたけれど、「この2日間は食事を口にしないのです。」と自分に言い聞かせるとけっこう空腹を気にすることはないのだなということを実感する。
でも、明日からはお仕事に支障をきたすかもしれないので、今日の晩からは少しずつ消化の良いものを摂取して元の状態に戻しておこうかなと。

9月3日

昨日の夜に見た夢の内容が現実のものになってくれればいい。という夢を見た。
実際には何度かあったチャンスをなかなかつかむことができない状態が続いている。
でも、この夢の内容が現実のものになっている場面を本当に強く強く渇望している。
最後にはちゃんと手をつないで、笑っている映像を頭に浮かべてみる。

最近の自分の精神の不甲斐無さに、非常に呆れ果ててしまっているので今週の週末は突発的にプチ断食を励行することに決定した。
清涼飲料水の類と、後輩のみなさまから頂いた日本各地のお土産と、I藤くんが作って持ってきてくれた黒ごまのケーキのかけら(約2立方センチメートルくらい)は有り難く頂いたけれども、それ以外の食料は一切口にしていない。
それでも今のところはけっこう気合でなんとかなっている。

9月2日

自分の行動の詰めの甘さと、最近のどこか集中力を欠いた感じがものの見事によろしくない結果をもたらして、「それは自業自得だ」と言われても、「はいその通りです。申し訳ありませんでした。」としか言えない、そういう非常に悔しくて悔しくて仕方のない一日。

8月29日

月曜日。
職場から速やかに戻ってきて「スローダンス」を見る。
この「スローダンス」というドラマは、安易にコミックや映画から原作を採用せずに、きちんと正面から恋愛ドラマを描いていこうという姿勢がいい感じなので、いままでずっと見てきている。
でも、視聴率的には初回に22.5%を叩き出したけれどその後は15%から17%くらいの数字を行ったり来たりしている。
今回のクールでは、「電車男」が平均約20%の視聴率で人々の事前の予想を激しく裏切ってトップをひた走っており、「スローダンス」はその次くらいだから決して悪い数字だと言うわけではないけれども、でも広末涼子の出産後初復帰作であり、深津絵里・妻夫木聡・藤木直人が出演しているということを考えると、ちょっと微妙な数字だということになるのだろうか。
わたくし的には恋愛の切なさや痛さというものがきちんと書かれている脚本だと思うのだけど、ブログ上にドラマについてのエントリーをアップしている人の文章を読むと同じようには思っていない人もいるようだ。
諸般の政治的な事情で小林麻央が重要な役どころで画面に映る以外は、面白いと思うのだけどなあ。きちんと毎週1時間の時間を確保して、ドラマを楽しむという習慣がなくなりつつあるのかも。とりあえず話のあらすじだけを理解しておきたいという姿勢でドラマを見ている人だと、話のテンポが遅く展開が読めてしまうと思ってしまうのだろうか。

「電車男」は主人公のお兄さんの演技が達者なのと、それと劇団ひとりが非常にリアルなヲタクを演じていたりなど、その他いろいろ通常の連続ドラマではまず出てこないような人が数多く出演していたりするので決して面白くないものではないけれど、でもなぜこれが平均約20%の視聴率を叩き出しているのかは、かなりの謎。
でも、強いて言えば、データには表すことができないしうまく説明することもできないけれど、得体の知れない熱気がドラマの底流に流れているのではないか、と思う。
で、この得体の知れない熱気は、特に注目も期待もされていなかった故に、純粋に面白いものを電波に流していこうという気合から生じているものではないのかなと思ってしまう。

8月28日

おとといの午後からずっと寝ていたらほぼ風邪の症状が全快した。
ということで、軽く読書などをすることにする。
でネットの一部で「つまんない」と評判になっている、鈴木謙介氏の「カーニヴァル化する社会」を読んでみた。
で、最初に一読してみたのだけど、いまいち脳の中に言葉が入り込んでこない感じなので、少し読むスピードを落としてからもう一度読んでみる。
・・・・・・うーん。何だろうな、この感覚は。
ネット上に頻発する「祭り」や「炎上」という現象を通して、何が言いたいのかということは何となくではあるけれども理解できるし、このお兄さんが非常に多くの知識量を持っていることも十分に分かる。
しかし、大量の情報とそれに対する分析が脳内を通り過ぎるだけでどこか言葉が「腑に落ちていない」印象を受けてしまうのだ。書いている本人もどこか自分の書いていることについて完全に納得している訳ではないというような。
ネット上に発生する「祭り」とだんじりのようなコミュニティに根ざした従来型の祭りとは何が根本的に異なるのか、人々がネット上の「祭り」を発生させるエネルギーは何に由来しているのか、就業の機会を奪われニート化した若者は何故にネット上の祭りを希求するのか・・・。ネット上に頻発する「祭り」や「炎上」という現象に着目した点は面白いのだから、読む人間が納得して脳内がきちんと整理されていくレベルでの深さの分析というものがあればもっと良いのかなあとも思った。

同い年で、自分の考えを新書として出版することのできる立場に嫉妬していないと言えば、嘘になる。しかし、本を出版することのできる立ち位置を確保するということだけでも大変なことだったということは十分に理解できることであるし、だからこそ師匠のM台S司が到達した場所よりもさらに遠くの位置まで辿り着いて欲しい、と思ってしまうわけなのですが、どうなのでしょうか。

2005年09月12日

日本はどうなる

9月11日

ところで今日は選挙だ。
ということで、投票に行ってきた。
単純に気がついた事を書けば「これまでになく投票所に人が多い」ということに尽きる。

私は小泉純一郎という人物が構造改革を成し遂げるとは思えない。
しかし、小泉内閣というのは、「郵政利権や、道路利権や、闇の勢力に強いつながりを持つ政治家を失脚させない限り構造改革など一歩たりとも進まない」ということを明らかにした。最初に掲げた公約がほとんど実行されていない、と批判する人間も多いけれど、その点については小泉内閣が果たした役割は大きい。
そして、今回の選挙によって「旧来の自民党を壊す」という目的が完遂されるわけだ。

私は何を信じるのか、と聞かれたら小沢一郎のビジョンを信じる。
それはすなわち完全に古いものが壊れた跡地に新しいものを作るということであり、会社経営に例えればV字回復の経路を辿るということだ。今回は「完全に壊すべきものを壊す」という段階であり、次に「新しい在るべきものを構築する」という段階が訪れるだろう。
これが正しい選択であるかどうか、不安な部分もある。
それでも、今回は必ず何かを選択しないとならない。
複数の選択のうち、「何も選ばない」という選択が最悪なものであるのだから。

・・・・・・とここまでがお昼に書いていた文章。

今、開票速報を見ながら書いているのですが、結果は凄まじいほどの自民党圧勝である。
どうしたんだ民主党。どうしたんだ都市型リベラル派。
こうなる予兆は無くはなかったけれど、それでもいろいろと、予想を裏切られることになった。

9月8日

作家の見沢知廉氏が飛び降り自殺した、というニュースを聞いた。
とはいっても、この人の「天皇ごっこ」「調律の帝国」という作品を全部読んだわけではない。
「天皇ごっこ」が文庫化されたときに、その文庫版の後書きをM台S司が書いたというので、それに目を通したくらいだ。
しかし、この「天皇ごっこ」の文庫版の後書きの中で、M台S司が初めて「輝ける天皇ロマン主義」ということを言い出したのがけっこう重要な事だと思っている。
この「輝けるロマン主義」という概念がM台S司のフォロアーに引き継がれており、例を挙げると北田暁大氏の『嗤う日本の「ナショナリズム」』の中では、国家や純愛や電車男にハマるネットワーカーの特徴として「アイロニー(嗤い)」の指向と「感動を希求するロマン主義」の指向が共存しているということを論じている。

「で、だから何?」と聞かれても、作家の見沢知廉氏が飛び降り自殺した、というニュースを聞いてえらいことびっくりしたということと、M台S司が鬱になる要因がまた一つ増えたな、と思ったくらいだ。
M台S司の名前が出たついでに少し書いておくと、彼が結婚したというニュースがあまり世間に広く流布されていない(と、少なくともわたくしには感じられる)のはどうしてだろう。
自己不全感に悩む少女達を援助交際するように煽っておいた挙句に、東大教授の娘と結婚して、かつ結婚する時に「うちの家庭はクリスチャンなので、浮気することも離婚することも許さない」という誓約をさせられたということを聞いてしまうと、梯子を外されてしまったように思ってしまう女子が少なからず存在するからだろうか。よく知らないけど。

9月7日

最近、ブログ空間上で大学のコピペレポート論争が発生しているみたいです。
ということを、先週日記の文面を添付したメールに書いて内田先生に送付した。
その時には、「剽窃と霊感の間」のエントリーの内容を完全に忘れていて、後でそのことに気が付いて蒼ざめてしまった。
まあ仕方がない。よくある事だし。
その後に、大学のコピペレポート論争について書かれたブログを読んでいくうちに、少し自分の中で気になったことが出てきたので、エントリーに起こしておこうと思ってしまった。

課題としてのレポートが最低限満たすべき条件として、下の3つが考えられる。

レベル1:最初から最後まで、レポートの文章は自分で書く。
レベル2:他人の文章からの引用と自分の意見は区別する。他人の文章からの引用の場合には出典を明記しておく。
レベル3:他人の文章からの引用、過去の知的資産の流用にとどまらず、自分オリジナルの見解や意見が記載されている。あるいは、過去の知的資産を引用してこの場にレポートの形にして提出することの意義がはっきりしている。

(インターネットやgoogleが発達していなかった)従来なら、大学のレポートにおける問題というのはレベル2かレベル3の程度で議論されていた。例え他人のレポートを丸写しするような場合でも、一応は自分の手で文章を最初から最後まで書かないとならなかった。しかし、インターネット上に大量の知的資産が蓄積されるに従って、他人のBLOGの文章やはてなキーワードやWikipediaの解説をそのままコピー&ペーストして、多少の修正を加えてレポートの体裁を整えて(ひどい場合にはレポートの体裁すら整えないで)そのまま提出しているという話を聞くと、それはさすがにどうなんだろうという気がする。
更新の程度が1~2週間に一度というヘタレブロガーであるわたくしでさえ、何かお題が出て2000字程度のレポートであればそんなに苦もなく書くことが可能である。
ほぼ毎日エントリーをアップしているブロガーなら、息を吸って吐くが如くにレポートを仕上げることができるだろうと考えられる。(もちろん、一行日記や写真のみをブログにアップしている人々はそうではないだろうけれど。)
その一方で、文章を書いて自分の意見を表明する機会に横着して、WEB上のテキストを切り貼りして提出する人々もいる。
機械が発達したり交通機関が発達したせいで、人間が重いものを持ち上げたり長距離を走ったりする必要性は昔ほど無くなっている。しかし、インターネットが発達したからといって文章を書く能力の必要性は無くなったわけではない。むしろ、以前より重要性を増している。
文章を書くことに習熟した人々と、文章を書くことを回避した人々の差というのは取り返しのつかない差になってしまうのではないかと思う。でも、このような二極化の傾向は止まらないんだろうなと。

9月5日

プチ断食でも通常の断食でも、大事な事は、断食を行った後に完全に食を絶っていた期間と同じくらいに、流動食を摂取して胃の働きを徐々に戻していくということらしい。
という訳で、今日の晩ごはんはコンビニで買ってきたおにぎりをお湯で溶かして、それに万能ねぎと卵を加えて雑炊にして食べる。
この3日間プチ断食を試みてみたけれど、感想としては「2日間くらい抜いていても意外と大丈夫じゃないか」ということだ。
多田先生が以前仰っていたように、これから2日間絶食するのだと強く念じていればそれほど空腹を感じないように思えるのだ。

身体の調子はよくなったけれども、9月1日付けのBUBKAに甲野先生を誹謗する記事が掲載されていたことを思い出すとどうしても気が晴れない。
甲野先生本人に伝わるような形ではなく、ああいう「裏系」の系統の雑誌に掲載させるということ自体、所詮その程度の人物でしかないのだろうと思う。しかし、突出した才能の持ち主がリスペクトされるのではなく、人々の負の感情に足を引っ張られてしまうことが多い時代なのだ、ということを思い知らされてしまう。

2005年09月26日

不幸な女子にかけられた呪い

9月23日

愛知万博に行こうとして入場券を格安チケットショップで購入したけれど、名古屋までの交通機関をあれこれ調べていくうちに面倒くさくなってしまった。
今日の入場者数は一日で18万7千人になってしまったとか、日立館では8時間待ちになってしまったとか、2ちゃんねるの万博板がアクセスが多すぎて落ちてしまったとか、ものすごい話を聞いたので行かなくてよかったのかな。

9月19日

今日は「K錬会の至宝」K藤夫妻の結婚式があった。
なので、新宿の丸井で直前に白のショールを購入してから2次会に参加する。
2次会の開始5分前くらいに到着して、化粧室で白のショールをあれこれと結びなおしていたり、ちょっと化粧直しなどをしていたりすると知っている人が入れ替わり立ち替わりやってくる。
事前に、「会場のワインバーは100人ほど入れるから何人来ても大丈夫」と聞いていたけれど、実際に行ってみたらK錬会関連の人々や、K藤くんの研究室の人々や、まっすーの勤務先の人々などで人があふれんばかりになっていて、全員が席に座れない状態だった。
これもお2人の人望の成せる業なのでしょうなあ、と思った。
大変な混雑の中で乾杯し、S賀さんの司会で、2次会が始まり、結婚式の衣装に身を包んだK藤夫妻が登場する。
その後にご歓談タイムがあり、いろいろな人に挨拶をする。
あまりにも人が多くて、話しかけようとする人を探すのも動くのも食べ物を取りにいくのも非常に大変だった。
2代目のS井さんと最近のK錬会のことなどをいろいろと話していると、突然照明が暗くなり、窓の所に掛けれられていたスクリーンにK藤夫妻の出会いからプロポーズまでを綴ったビデオが映し出される。
この、2人の馴れ初めを綴ったビデオがものすごく面白かったので、会場に爆笑が起こる。
おおと思ったのは、多田先生のお宅に年始のご挨拶に伺った時に、K藤くんがまっすーに酔って絡んで「ねえ、結婚しよう。結婚しようよ」とプロポーズをしている動画があったことだ。
というか、ああいう映像を誰が撮影していたんだろう。。。
その後も、会場のあちこちに隠された景品を探すゲームや、10人ほど代表を出してお題に沿っておもしろい写真を撮って来るというゲームが行われ、会場に爆笑の渦が絶えなかった。

いろいろ企画して準備していただいたS賀さんのおかげです。どうもありがとうございました。

そろそろ会もお開きかも・・・・・・というようなタイミングで「それでは不幸な人はご起立ください。ただし女子限定です」というアナウンスがあってブーケトスが行われたのだけれども、まっすーの投げたブーケはなぜか天井の隙間に挟まってそのまま落ちてこなくなってしまい、前の方で待ち構えていた女子が唖然としてしまいもう激しく笑うしかないわね状態になってしまった。
でも非常に楽しい会になったのではないかなと思う。

9月17日

3連休1日目の今日は焼肉を食べに足立区のはずれまで行ってきた。
昼過ぎにまりりんたんと待ち合わせをして、まずは高島屋に行って、なわとびと結婚式の2次会用のショールを見に行ってきた。
なわとびなんてものはどこにでも売ってそうなものだけど、凄く下の一般のお客に見えないところに並べられていて探すのに手間取ってしまった。なわとびは小学生くらいしかやらないと思われているのだろうか。
なわとびを購入した後に、フォーマル用品のコーナーでショールと、ついでにドレスも見て回る。
ショールっていうのは、、、布地屋さんで適当に化繊のシフォンの生地を買ってきて、裾がほつれないように熱処理をして、あとは見た感じが綺麗になるように曲率をつけておけばそれで出来上がり、という感じだけど、どうして1万円以上もするのかしらと思ってしまう。
とはいえ、最近は気力と時間が足りないので、3年前にまりりんたんの誕生日のためにアメリカのドラマに登場するウェイトレスの制服を作ったように手芸に時間をかけることができないというのがなんとも。
その後に1時間ほどカラオケ。
最近ずっとカラオケに行っていなかったのでどうもいまいち上手く歌えない。
右脳の働きがちょっと衰えているのか、、、ちょっと嫌だ。

それから電車で赤羽まで行って、赤羽駅の東口でM本氏と合流し、さらにそこからバスに15分ほど乗って、焼肉屋「スタミナ苑」まで向かう。
お店の概観はそれこそ本当に「じゃりん子チエ」に出てくる下町のホルモン焼き屋のような店構えであるけれど、それでも既に30人ほど行列ができている。
なので、まりりんたんがアルバイトの面接に行ったときに遭遇した出来事や、ブログを書くことの利点などについて延々と話す。
16:30になると、列が移動して店員さんが事前に聞いていた客の人数を元に効率的に人々を店の中に詰め始める。
狭いと思っていたお店の奥に離れの座敷席もあったので、何とか座ることができた。
そして、ブログを書くことの利点の続きや定期的に読んでいるブログについて、それからまりりんたんが以前勤務していた会社で発生した信じがたい出来事の数々について(この話はあまりにも凄まじいので本人の許可がとれたら一度文章化してみたい)などを話しながらお肉を焼く。
雑炊は最初に注文を聞いてから1時間かけて作るということだ。
話が(通常どおり)盛り上がっていたら、店員さんにデザートを勧められたり、店長らしき人に「あの......そろそろ2時間が経過するので......そろそろお勘定を......。」と言われてしまった。
2200円の上ロースや上カルビなどを頼んでけっこう食べたと思ったのに、代金は3人で5500円と意外と安かった。
しかし、使っているガスコンロが本来はホルモン焼き用に最適化されているせいか、肉を焼いた時に付着する焦げたような風味がわたくしにとっては微妙な感じだった。
まりりんたんやM本氏はおいしいといっていたからわたくしだけなのかも。
でも、最後に頼んだギアラや、雑炊やキャベツと海苔のサラダは以前に聞いていたとおり噂通り絶品だったと思う。
しかし、遠いからなあ。また行くかどうかはちょっと微妙だ。
それから再び赤羽に戻って、赤羽駅前天狗に行って飲む。
天狗では、「すてきなリー様」という、わたくしが今までの人生で一番女性にもてまくっていた人物の話をしたり、ソーシャルネットワークサービスのいろいろについて話したりした。
そんな感じでM本氏の終電くらいの時間に天狗を出た。
久々に、ものすごく飲んだような気がした。

9月14日

今日がだんじり祭りの初日ということだ。
ちょっと前に「SPA!」か何かで、「同僚が退職した理由でもっとも不可解だったもの」という記事の筆頭に、「一流商社マンでせっかく栄転でニューヨーク勤務が決まったというのに、『海外勤務になったらだんじり祭に出られないから』という理由でそのまま退職してしまった」という文章を読んだ時にもかなり驚いたが、江さんの日記に「祭前の夏や直前の8月に会社やそれまでの仕事を辞めるケースにもしばしば遭遇する」という内容の一文を読んで「ひえーっ」と思ってしまった。
そこまで人を熱くさせてしまうだんじりというものはいつか見に行かなくてはいけないだろう、と思いつつも今週は仕事が溜まっていてとても「だんじりを見に行きたいので休みを下さい」と上司のおじさんに言えるような雰囲気ではなかった。
でも、ものすごく熱いんだろうなだんじりというのは。

9月13日

内田先生と池上六郎先生のトークショーがあるので、お仕事が終わってから青山ブックセンターへ向かう。
このあたりの町並みはものすごくハイソではあるけれど、この過剰にハイソでおされな感じがどうしても肌に合わない。
そんなことを考えながら表参道から渋谷への道をひたすら歩く。
青山ブックセンターに到着した時には開始5分前くらいになっていて、席がだいぶ後ろのほうになってしまった。
それでも始まるまで少し時間があったので、会場後ろの書籍販売コーナーに並んでいる本を眺めてみることにする。
「身体の言い分」やその他の内田先生と池上六郎先生の著書のほかにも、「お2人が推薦した著書」というのも販売されていており、山田昌弘氏の「希望格差社会」や、平川さんの「反戦略的ビジネスの薦め」や、現在ブログのコメント欄が大変な事になっている町山智浩氏の「バカでマヌケなアメリカ白人」や、佐々木正人先生のアフォーダンスの本などが並べてある。そういうものを見ているだけでも面白い。
それから5分ほど経過してから、内田先生と池上六郎先生が会場に入ってきて、トークショーが始まる。

池上六郎先生が「少し前まで、お年寄りといえば腰を90度くらいに曲げて杖をついているのが普通だったんですが、あれは社会的通念が『お年寄りは腰が曲がっているものだ』となっていて、腰を曲げていても変な人に思われていなかったから曲がっていたんです。」「ときどき相当の年配の方で私のところに治療にくる方がいらっしゃるんですが、ここで治療して元気になったとしても、それから後の人生にいったい何をするんでしょうかねえ。ははははは。」などと過激な発言をなさる度に、会場の人々がどっかんどっかんと笑いが生じる。
この、緊張を一気に解きほぐすような感覚が池上先生の治療者としての能力につながっているのだろうか。
他にも、
・何かにものすごく我慢をして、イライラして不快な気分になっている人間のもっている不快感というのは、絶対に周囲の人間に伝わっている。「周りの人間にために我慢してやってるんだ」と思い込んでいる人間の周囲にいる人間は絶対不幸になっているはず。
・昔船乗りをしていたときに、アフリカの某国の港に停泊していたら船に盗賊が侵入してきた。なので船員で袋叩きにして縛り上げてその国の警察に突き出した。そうしたらその警察の人間は自分の目の前で盗賊の腕を折った。そのことを親戚や知り合いに話したけれど、誰にも信じてもらえなかった。けれど親戚の男の子が同じく船乗りになって、アフリカの某国に行って、船に進入してきた盗賊を捕まえて警察に突き出したら、やはり警察の人間が自分の目の前で盗賊の腕を折った。その時に自分の話を初めて信じてもらえた。自分達の常識を凌駕していることはなかなか口で言っても信じてもらえないようだ。
というような話があったように覚えている。

トークショーのあとに質疑応答があって、その後にサイン会。
間近で見た内田先生は、小学校で飼われているウサギレベルに目が充血して辛そうだったので、「お疲れ様です。。。」と言ったきりそのまま絶句してしまった。

9月12日

選挙が終わった。自民党の凄まじい勝利に終わった。
新聞やテレビでは、「民主党が勝つのではないか」という報道も多く見られたけれど、大きく外れてしまった。
様々なメディアのうち、2ちゃんねるだけを熱心に見ていた人間が今回の選挙結果を正しく予測できたというのは皮肉な事だ。というか普通に考えたらおかしいだろうと。

どうしてこのような結果になったのか、ということを考えると「自民党が大勝した」というよりは「民主党が敗北した」ということの方が大きいようにわたくしには思える。
造反議員の選挙区に女性刺客を立てて、争点を郵政民営化に絞って、選挙日をわざわざ9月11日に設定して、ワイドショーで多くの時間を選挙関連の報道が流れるようにしても、投票率の上昇は6ポイント程度に留まった。
これほどまでに「今回の選挙は、今後の日本の未来を決定する重大な選挙である」ということが言われていても3分の1の有権者は投票に行かなかった。
それよりも、従来民主党が強いと言われていた都市部で、大幅に自民党に議席が流れてしまったということが大きい。特に東京では、25の小選挙区のうち、自民党が獲得した議席が23・民主党が獲得した議席が1・公明党が獲得した議席が1とまさに自民党の圧勝という勢いであった。唯一民主党が獲得できた議席である東京18区の菅直人の議席も、元の吉祥寺市長である自民党公認の候補と激しい戦いになり、日付が変わる直前にやっと当選確実が出たという状況だった。
(上司のおじさんから聞いた話では、菅直人は何かのきっかけにアメリカの金融界を牛耳る某ユダヤの財閥の総帥の激しい怒りを買ってしまって命を狙われており、そのせいもあって今回の選挙では菅直人を落選させるように激しい圧力をかけているようだ。まあ、危ないホームページに載っていた単なる噂だけれど。ということであったけれども、その話を単なるガセネタだと無視することもできないような感じである。)

このような民主党の大敗北は、メディアが喧伝するように「自民党勝利の予測が出て、勝ち馬に乗ろうと選挙民が自民党によってたかって投票した」「20代~30代の若者層が小泉戦略にまんまと乗せられてしまった」ということによって引き起こされたものではない。
もちろん、小泉首相の「確固たる意思」に引きずられてしまった層も少なくは無いだろうけれども、多くの有権者(それも前回民主党に投票して今回は自民党に投票した人々)は、「日本の危機的状況を打破できるのは小泉純一郎という人物か、それとも岡田克也という人物か」ということを熟慮した結果、自民党に投票したのだろう。

今回の「小泉劇場」と呼ばれる選挙戦の仕掛けは少なくない人々が見抜いている。しかし、この騒々しい「小泉劇場」を仕掛けられて、民主党の人々が正しく返し技をかけることができなかったのではないかというのが一番の敗因ではないかと思われる。
「自民党は党内の歪みを解消できた。民主党の内部に存在する旧社会党の面々はどう処理する?」「イオンの社長一族の人間が本当に弱者の味方に成り得るのか?」「民主党が政権をとったら、政策が中国寄りになったりしないだろうか?」という人々の疑問を消すことができなかったことや、選挙戦の間に、岡田前党首が「地方の郵便局に貯金を預けているような人々に1000万円以上を預けている人はいない」と発言したこと、TV番組で各党の党首が選挙に対する思いを色紙に揮毫するように求められた際に、岡田前党首が「政権交代」と書こうとして「交代政権」と書いてしまったことなど、民主党の自殺点になると推測される行動が目立ったこと、民主党を支持していた都市在住リベラル層に「政権交代を達成することができれば、このようなことが発生する」と訴えることができなかったことなどが敗因となるのではないだろうか。

何だか書いているうちにまとまらなくなってきた。
この他にも、今回の選挙には「従来のマスコミの影響力とネットメディアの影響力」の問題、内田先生が既に書かれたように「『弱者』を名乗り利益を主張する弱者と、『弱者』を名乗り利益を主張する弱者を激しく敵視する、自分のことを弱者と思っていない弱者」の存在が大きく絡んできている。この2つについては詳しく書く余力がないけれども、この2つの点についても自民党サイドは上手に立ち回り、民主党サイドは後手後手に回った印象を受けた。そんなところだと思う。

とは言え、自民党圧勝の選挙結果を見て少し不安になってきたのもまた事実。

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