« 驚愕の数値 | メイン | 麻生・F・太郎 »

鬱な梅雨時

7月12日

やはり、大量の生のライチは一人ではとても消化できないことが判明した。
さてどうしよう。冷凍保存しておくか、それとも入れ物と焼酎と氷砂糖を買ってきて果実酒にでもしようかな。

7月11日

諸般の事情により、生のライチを大量にもらってきた。
一人で食べきれるかな。

7月9日

約2年振りに両親と会って、丸ビル内の「グリル満天星」で会食をする。
本当はこのあたりのことについてもきちんと書くべきなのだろうけれど、まだうまく書けそうにもない。

7月8日

いろいろなことがあったので、さすがに極限まで疲弊した。
日記に書きたいことはたくさんあったけれど、ほとんど何も書けずに終わってしまった。
前々から上司のおじさんに「このままでは過労で倒れそうです。お願いですから休ませてください。何だったら、この場で今すぐ倒れましょうか???」と直訴していたのだけど、「とりあえず、仕事が一段落するまで何とか我慢しなさい。」ということだったので、何とか仕事の終わる目途がつく昨日までは何とか耐えた。
そして、昨日でお仕事が一段落したので今日は会社を休んで一日中だらだらしている。
時間が出来たら書きかけの日記を書いてしまおう。と思っていたけれど、頭の中にアモルファスな感じのものが存在していて、どうしても文章が書けない。

とにかく自分の自由に使える時間がほしい。
疲れが完全に取れるまで休んで、自分の脳内をきちんと整理したい。
いろいろと読んでおきたい本やBLOGを読んで、これから起こることをきちんと把握しておきたい。
今抱えている懸案事項がきちんと解決の方向に向かうように、ちゃんと計画したい。

けれど、現状では全然身体も動かないし脳もあまり働いてない。
なので、せっかく休みをとっても何もすることなく一日が過ぎてしまう。

6月29日

いつも通りブログを眺めていたところ、町山智浩さんのところのブログとfinalventさんのところのブログが荒らされて閉鎖されたり、コメント欄がはてなユーザー限定になっていたりすることを知る。
この件についてはたくさん書きたいことがあるけれども、自分の思うことをきちんと文章化するだけの時間が取れそうにもないので、ここに起こったことだけを書いて時間が出来たときにきちんと自分の思うことを文章化しようと思う。
しかし少しだけ自分の思うところを書いておくと、インターネット空間に貴重な知の資産を無償で提供している人々は公共の財産として何らかの形できちんと守らなければいけないと思う。
とはいうものの、著名人のブログ荒らしを行っている人間の目的はインターネット空間に貴重な知の資産を無償で提供している人々を怒らせ、混乱させ、疲弊させて知的資産の提供を滞らせる方向に持っていき、日本でもようやく立ち上がってきたばかりのブログ空間の知の集積を再び無に帰することであるから、そのことを思うと複雑な気持ちになる。

6月26日

今日、スーパーでお寿司を買おうとしてきたときに白人のおじさんがやってきていて、「あの、私、一応ベジタリアンなもので、魚類を使ってないお寿司を買いたいのですが。」とお店の人に言っていて、店員のおばさんを初めその場にいた人々から「お寿司コーナーにやってきて魚類を使ってないお寿司を買いたいなんて......。」などとものすごく怪訝な顔をされていた。
少しかわいそうに思ったので、わたくしはその白人のおじさんにいなり寿司や助六寿司やかんぴょう巻きやたくわん巻きの原材料を逐一説明した。
今日、わたくしは少しだけ良いことをしたと思う。

6月25日

いろいろなことが起こっていたので、そろそろちゃんと合気道をして身体に侵食してる瘴気を祓っておかないといけないよなあ、と思うのできょうはちゃんとお稽古に行く。
とはいっても、土曜日のお稽古は朝の8:00~10:00という時間に行われるので、きちんと朝早起きする習慣をつけておかないとなかなかお稽古に間に合う時間に起きることが出来ない。
最近ちゃんとお稽古に行っていなかったので、微妙に朝早く起きることが出来ない。

お稽古が終わった後は、ブラジャーを探す長い旅路に出る。
胸が大きい、ということは一般的には恵まれていることのように思われているのかもしれない。
けれど、こういう局面では、想定されている規格から外れているということの悲哀を思い知らされることになる。
商品のラインナップは、B~Dカップの商品が最も多くて、そこから外れるほどにどんどん選べる色やデザインが減っていく。
「あの、大き目のサイズを探しているんですが。。。」と店員の人に聞くと、売り場の片隅に連れて行かれてろくな色やデザインのない中から選べと言われたり、引出しから明らかに太目の人のために作られた商品を引っ張り出されて「これなんかどうでしょうか。」と言われてしまったり、定価15000円のブラジャーのブランドを持ってこられて「ここのブランドなら、大き目のサイズも扱っております。」と言われたりする。
でも、5~6件のランジェリー売り場を回って、ようやく値段的にもサイズ的にも納得する品を2点手に入れた。
歩き回っていると、なんか疲れてしまった。
ということで家に帰ってからはお昼寝。

6月24日

今日職場でものすごく嫌なことがあったので激しく落ち込む。
あまりにも激しく落ち込んだので、まりりんたんに電話をかけたが「これまでの3年間でそのようなことが起こらなかっただけでも非常に恵まれた環境にいるということで、私が会社勤めをした間ずっとそういうことに悩まされ続けていた。そういうことは会社組織が大きくなれば大きくなるほど頻発して起こる」と言われる。
そう言われると複雑な気分になり、何も言えなくなる。
結局のところ、わたくしは会社勤めをしていると人間関係絡みの問題に巻き込まれてしまうのだろうか。やはり、ブログ上のアフィリエイトで稼いだりデイトレーディングの技術を身に付けて稼いでいくとかして特定の組織に依存しないような形で日々の生活に必要な小銭を得ていくほうがよいのだろうか。そんなことを考えてしまい、ますます鬱の泥沼に落ち込んでいってしまう。

気を取り直そうとしておうちのマシンをネットにつなげたけれども、6月19日の記述で「さらにブログ上には書けない事態に関連してわたくしの偏頭痛を激しく痛くさせるするような出来事が発生している」と触れていた事態が未だに継続中であることを発見する。

もう少し、大人になりなさいよ。
所詮、自分の感情だけが大事で、私が何を思って何に怒っているかなんて全く考慮に入れていないんでしょう。
そもそも、周りの人々には私のことを「好きだ」と口頭で言っていたとしても、意識の下では私のことを激しく憎んでいて、母親に対する恨みを私を執拗に苦しめることで解消しようとしている癖に。

マシンのディスプレイを見ていると、そういう嫌な思いが止めどもなく浮かんでくる。
明日も早い。きょうはさっさと寝ることにしよう。

6月23日

禁煙をしようとしている人の話を聞くと、ほとんどの人が自分が禁煙することをある日突然高らかに宣言し、その日からタバコを全く1本も吸わずに何日も我慢に我慢を重ね、その結果どうしてもタバコを吸いたいという自分の欲求を抑えきれずに吸ってしまって、禁煙の誓いを破ってしまうという経路を取ることが多い。しかも、この経路を何度も繰り返してしまう人々が多いように見受けられる。(たまに、そのままずっとタバコを吸わずに禁煙に成功する人もいるけれども、その数はどちらかというとやっぱり少ない。)
タバコといっても広い範囲で見れば薬物の一種なのだから、ニコチンに対する依存を抜くためには一日に吸っている本数を20本→10本→5本→1本→0本というように段階を踏んで少しずつ減らしていけば良いのではないかとわたくしなどは思ってしまうけれど、どうなんだろう。
「人格改造マニュアル」にも、薬物依存から脱するためには気合で止めるのが良いなんてことが書いてあるけれども、そのあたりの方法の選択は個人の性格にも大きく影響するもので、一度決めたら気合でそのまま最後まで突っ走るというタイプの人でない場合には、段階を踏んで少しずつ減らしていったほうが確実でないのかな、とふとそんなことを思った。

About

2005年07月13日 11:23に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「驚愕の数値」です。

次の投稿は「麻生・F・太郎」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35