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インドマグロとカレーうどん

2月12日

ものすごく久しぶりにお稽古に行ってきた。
よくよく考えれば、この半年間お稽古をちゃんとしていたことは数えるほどしかなかったのに、ずっとお稽古を毎週続けているつもりで技をかけたり受身を取ったりしたので、今激しく腰が痛くて泣きたい(;;)
練習不足というのは、こういう形で表面化してしまうものなのか。
それと、約半年ぶりくらいにY木くんと会ったので、「去年の8月1日の『重慶から遠く離れて』のエントリーの際と、9月27日の『オニババ化する女たち』のエントリーの際には、荒らしを見事撃退くださり、どうも有難うございました。」とお礼の言葉をかけたけれど、本人はその事はあまり覚えていなかったようで、「まあ、ただ単に、基地外が発生していて鬱陶しかったので論破して撃退してやっただけのことです。そのあたりの事はけっこう得意分野なので」ということだった。

2月10日

人生に疲れてたので、「そういえば最近金遣いが荒いかも」という考えが一瞬頭をよぎったのだけど仕事が終わってから無性にお寿司が食べたくなってしまったので、回転寿司のお店に直行する。
回転寿司なので、レーン上を何周も周回しているお寿司は表面上が既に乾いてしまっているのでそういうのは避けてまずはまぐろの赤身や、あわびや、烏賊、鰯といった130円の皿に乗ったものから頂くことにする。
おいしい。
しかし、目の前を中トロや鯵や豊後サバや雲丹といったちょっと高級なネタのものが通り過ぎるたびに、どうしてもそちら側に気を取られてしまう。
中トロは我慢できずに思わず手を伸ばしてしまった。
この後に燦然と輝くゴールドのお皿に乗った車海老を血迷って注文した後、レーンを流れるゴールド皿に乗ったインドマグロの大トロに眼が釘付けになってしまった。
「食べたい…。けれども高い…。でも食べたい…。」というようなことを考えながら逡巡しているうちに、ピンク色の赤身に白く脂肪の部分が交じった高級な霜降り牛肉のような見かけのインドマグロの大トロが目の前を何度も通り過ぎた。そのネタの輝きをじーっと見つめてしまうと、脳内でいろいろと考えていることとは関係なく燦然と輝くゴールドのお皿に手が伸びてしまったのだった。
インドマグロの大トロは、これが凄くおいしい。
回転寿司のクオリティを遥かに超越した濃厚な味で。
しかし、こうして調子に乗ってインドマグロの大トロを2皿取ってしまったので、合計金額は予想を越えて2100円になってしまった。
これが果たして高いのか安いのか。。。インドマグロの大トロが予想を越えておいしかったので安かったことにしよう。

2月8日

ライブドアの堀江社長がニッポン放送の株を35%買収し、形式上はニッポン放送の子会社に当たるフジテレビに影響力を及ぼそうとしているということで大騒ぎになっている。
ところで、ほりえもんが「金で買えないものはない」という顰蹙な発言をして世間の良識ある人々の強い反感を買っている最中なのだけれども、(実際に少しでも考えれば、若さ・家族・信頼できる友人・才能・高潔な人格・不撓不屈の精神......など、人生において本当に大切なものはお金では買うことはできない、あるいはお金でも買えるかもしれないけれどもお金で買うことは非常に難しいことがわかる)彼が本気でそういっているのかという点については少し微妙だ。
昨年の12月の大日本ビール党の忘年会のときに、フェルディナント・ヤマグチさん(というペンネームで執筆活動をしている覆面をした美形の男の方)から、「堀江社長という人は、一見すると非常に傲岸不遜な人物であるように見えるが、実はかなり慎重に事を運ぶ人間だ。ライブドアは無節操に周辺企業を買収しているように見えるかもしれないけれども、決して無駄な買い物をはしていない」というような内容の話を聞いた。
わたくしも、本当のところはそうではないかと思っている。
堀江社長は「若くして大金を手に入れる身分になった傲慢なIT社長」というイメージを積極的に世間の人々に植えつけようとしているが、それは人々に本当の目的を悟られないようにするための目くらましではないかという気がしてならないのだ。
その「本当の目的」が何であるのかということや、ほりえもんが他の誰かに足元を掬われることなく目的を達成することができるかどうかということは、わたくしのように大した情報や権力を持っていない人間には正確に予測できないことだ。けれど、堀江社長が今後何をするかということについては、どうも注意深く見ていく必要がありそうだ。
(とは言っても、別に彼の発言に共感できるとかそういうことではなくて、単に「観察対象」として興味深い、と思っているの訳なのです。)

2月7日

内田先生にメールでお叱りを受けたので、少し落ち込んでしまっていたが、もう少しで致命的なミスをしてしまうところだったので仕方のないことか。

2月6日


少し思うところがあったので、午前中にネットカフェで用事を済ませた後にとげぬき地蔵の真横にあるカレーうどんの名店「古奈屋」の本店に行って食べることにした。
(話の本筋とは関係ないけれど、とげぬき地蔵の真向かいには山京くんがよく着ているような、アジア系のお洋服を大量に売っているお店がある。お洋服だけではなく、東南アジアやアフリカの楽器や飾り物も大量に売っている。話の本筋にはまったく関係ないのですが。)

今日も相変わらず行列ができているので、最後列に並んで「身体から革命を起こす」の続きを読みながら順番を待つことにする。
しかし、「古奈屋」だけではなくこの「地蔵通り」自体が相変わらずものすごく混雑している。
地蔵通りはよく「おばあちゃんの原宿」というような言い方で表現されるけれども、おそらく現在では本家の原宿竹下通りの人手を超えているのではないか、と思う。
とげぬき地蔵に参拝する人やそこらへんでまったりしてコップ酒を飲んでいる人は後を絶たないし、本尊として祀られている本物のとげぬき地蔵の他にもお寺の横に、自分の体の具合の悪いところを磨くとその病状が改善すると言われている石造りの地蔵があるのだけれども、そこには遊園地のアトラクションに匹敵するくらいの人々が並んで順番を待っている。
わたくしはここに来る度に毎回「世の中には並ぶことが大好きな人が多いんだなあ」と思う。
「古奈屋」に並んでいる人もある程度は、とげぬき地蔵に並んでいた、ものすごく並ぶのが大好きな人が流れてきているのではないだろうか。

15分ほど並んでいると、お店の人が「お一人様のかた、お先にどうぞ」というのでわたくしの前にいた2人連れ2〜3組を差し置いて中に入る。
最初にここへ来た時にも思ったことなのだけれども、「古奈屋」カウンターのみの15席くらいで行列のできる店にしてはやけに狭い。
まあ、狭いから行列ができて、行列ができるから雑誌やTVで取り上げられるようになるという、「行列のできるラーメン屋の定理」が働いているのかもしれませぬが。
席に座って暫しの間待っていると、問題のカレーうどん1200円がやってくる。
ほとんどとろみのついてない汁状のカレーは、30種類のスパイスとカレーうどん用に特別に作られたというヨーグルトなどを極秘のレシピで配合して作られており、そこに半透明に輝く細い麺が入っており、トッピングに申し訳程度に茹でたインゲンの細切りが乗っている。
このカレーは、スパイスをあれこれ配合しているので通常のカレーうどんや学食のカレーと比較するとけっこう辛い。日本で通常に食べられている「カレー」ではなくてむしろ本物のインド料理屋で提供されているカレーの味のほうに近いのではないかと思った。
わたくしは通常のそば屋で提供されているカレーうどんを食べたことがないので、それがどのような味のものであるかということをきちんと理解しているわけではないけれども、おそらく今食べているカレーうどんとは全くかけ離れたものなのだろう。だから、ヒラカワさんが「このカレーうどんは口に合わなかった」と言われたのも無理のないことかもしれない、と思った。

大昔に週刊朝日の連載「恨ミシュラン」の中で、西原理恵子が銀座のなんとか、という超高級天ぷら屋に取材に行った際に、最初に出されたさいまき海老の天ぷらの衣がベタッと重い感じだったので「天ぷらの衣が重い感じがする」と文句を言ったら、お店の主人に「えー。この世の中にはものすごくおいしいんだけれども口に合わない料理と、おいしさはちょっとなんだけれども口に合う料理の2つがあるのですが、私はどちらかと言えば、おいしさはちょっとなんだけれども口に合う料理の方がいいんじゃないのかなあ、と思うのです。」と返されて煙にまかれた、ということが書かれていた。
わたしは最初にこれを読んだときに、この天ぷら屋の主人が何を言っているのかが全くもってよく分からなかった。
しかし、今はその意味がようやくわかったような気がする。

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2005年02月14日 07:04に投稿されたエントリーのページです。

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