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チャノミバにもの申す

2月5日

貧血で気持ち悪かったので、6時に一度目が覚めたけれど2度寝してまた起きたら9時だった。
ちょっと鬱だ。
仕方がないので入浴してからお買い物に出かけることにする。
入浴すると、もう、老廃物が「何なのかしらこれ!」と思うくらい大量に出る。
もうすぐ春も近づいているので、身体の状態も再び変化を始めているのかもしれない。
リトルマーメイドで食事をした後、渋谷に行ってブックファーストの新刊を見てくる。
甲野先生の「身体から革命を起こす」が平積みにされていたので、買う。
その後にまーべらすちゃんのお誕生日プレゼントの加湿器を買う。
この後、銀座の松屋に行って、一週間だけ限定発売の永田農法でつくられた野菜を買って、家に帰る。

永田農法の野菜というのは、ちょっと前にユニクロが永田農法でつくられた野菜を通信販売する事業に乗り出して結局撤退したということで有名だったりする。
しかし、この野菜自体は非常に質が高いものであるらしい。
一本900円のりんごジュースと、一缶300円のトマトジュース缶3本と、ピーマン一袋ときゅうり一袋を買って帰る。
りんごジュースの味は際立って甘酸っぱく個性があり、トマトジュースの味も一缶90円のものとは味の奥行きが違う。
ピーマンときゅうりも、お店の人に勧められたように生でそのまま食べてみたのだけれども、久々に「ピーマンの味がするピーマン」「きゅうりの味がするきゅうり」を食べたという感覚がした。たぶん含まれているミネラル分の量がぜんぜん違うのだろう。
ただ、値段がもう激しく高い。
お金持ちになったら、こういうものだけ食べて健康に生きていきたいけど普段の食事に使うとなるとなかなか厳しいものがある。

2月4日

今週は激しく残業が続いて、しかも体調を思いっきり崩してしまった。
貧血で気持ちが悪いのに、やらなくてはいけないことは大量にある。
早く帰りたいなあ。

2月1日

やらなくてはいけない仕事は大量にあるのだけれども、今日はラジオ「チャノミバ」で糸井重里と山本耕史の対談があるので、9時までには家に到着することができるように急いで帰る。
この対談は先週からの続きなのだけれども、先週は香取慎吾の話と木村拓哉の話が大部分だった。
糸井重里が「山本耕史と木村拓哉はきっと同じようなタイプの人間なんだろう」と言いたいのは良く分かるし、その言ってること自体も当たっていると思う。しかし今ラジオを聞いている人は、木村拓哉の話ではなく山本耕史の話をもっと聞きたいと思っているだけどなあ、と少しイライラしながら聞いていた。

それで、今週は先週の木村拓哉の話の続きをした後に、山本耕史が大河ドラマの撮影中に全国の土方歳三に関連した史跡を訪ねて回ったのだけれども、唯一「土方歳三は絶対に今自分が立っている場所と同じ場所に立っていた」と思える場所があって、それは会津のかなり高い山の中腹にある近藤勇の墓の横に立ったときだった、という話をして、その後に、山本耕史が「撮影のために、殺陣師の方から一応天然理心流の型を習ったのだけれども、実際のところ本当の戦いではあの型のとおりに綺麗な感じで戦ったのだろうか。それとも、実戦というのはあの型のように綺麗なものではなく、もっと殺伐でがさつなものだったのだろうか」という疑問を投げかけた。糸井重里はいろんなことを言ってさんざん焦らせた後に「僕は、実際の戦いでも『型』というものは使えたのではないかと思う」と答えたので一応ほっと一息つくことができたけれども、糸井重里がその結論を言うまではずっと「もしも、公共の電波を使って『僕は剣術の型と言うのは実戦では役に立たなかったんじゃないか、って思います』」なんて口走ったら二度と糸井重里の言っていることはまともになんか聞いてあげない、なんて思ってハラハラしながら聞いていた。
戦いというのは簡単に言い切ってしまったら殺し合いだったりするわけで、そこからどうして武道や武士道が立ち上がっていったのか、ということを考えると不思議といえば不思議だ。でも武道に型がある理由というのは「それが実戦で使えるようになる唯一の訓練法だ」ということになるからだろう。まあ、これは所詮多田先生の受け売りなんですが。
素朴に考えると、型稽古は実戦からかけ離れた稽古で現在の柔道や剣道のように実際に乱取りや試合をしたほうが実戦に近い稽古と思ってしまう。けれども実はこれが逆で、実際の戦いに役立つように身体や感覚を鍛えるためには型稽古こそが有効で、乱取りや試合では乱取りや試合に勝つための稽古ができるけれども、それは実際の命をやり取りする場ではほとんど役には立たないものだ、というのも多田先生が講習会で繰り返し言っていることだったりする。
でもラジオで糸井重里がいろいろあれこれ言っていることに対して、「実際の戦いでも『型』というものは使えた方が正しいに決まってるてば!!!!!」と思う程度にはわたくしの中で内面化されていたらしい。
話をラジオの続きに戻すと、「新選組!」のキャストの中では山口智充が「実戦とは型稽古のようなものではなく、もっと泥臭いものであった」という意見で、他の誰か(名前は出てこなかったけれどおそらく堺さんではないかと思われる)は、「やっぱり『型』というものは実戦でも使えたのではないか」という意見だったらしい。このことはけっこう撮影の現場でもいろいろ議論されていたようだ。まあ、ぐっさんは本職は芸人だし、あまり武道とかには縁なさそうだし、そう思っていても仕方ないか。

その後、糸井重里が「近藤勇という人間は、僕の中では『毛深い人』というか、女に手が早いというか、上半身と下半身が別物であるというようなイメージがあるのだけれども、どうしてそういう人物に新選組の隊士の人々はついて行ったんでしょうねぇ」という話をしようとしたけれども、山本耕史に華麗にスルーされてしまっていた。
山本耕史の脳内では近藤勇=香取慎吾だし、彼はは香取くんのことがものすっごく大好きなのだから、そんなことを言ってはいけないような気がする。

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2005年02月06日 20:51に投稿されたエントリーのページです。

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