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言説戦略の変化について考える

1月22日

 今度堺さんが主演する舞台「お父さんの恋」の先行予約を全部外してしまったので、10:00から約30分間必死につながらない電話をかけつづけていたけれども、結局チケットを取ることは出来なかった。鬱だ。
 それから気を取り直して家のマシンを何とかネットにつなげようといろいろと試してみたけれども、マシンのポートのドライバを正常にインストールすることが出来ず、結局今日もネットへつなぐことが出来なかった。
 自棄になったのでふて寝をして、それから駅前のスーパーでハーゲンダッツのアイスクリームを買ってきてやけ食いをした。むかつく。

1月20日 
 

最近ホームページの「お気に入り」に加えた田口ランディさんのブログを読んで少し思った。
 ほんのちょっと前まで、世間で評価される文章は上野千鶴子、あるいはM台S司のようにクリアカットな論理構造と主張を持つものであった。
 それらは、今から議論において絶対に負けないということを目的としたように思える。
 特に社会学やその周辺の関連では、議論や批判の淘汰を受けてそれに勝ち残ったものだけが正しい論説であるという考え方が根強いので、議論において負けない、批判した相手を叩き潰すことの出来る論説というのが人々に支持されてきたように思える。

 しかし、ネットワークの普及と他の何か別の要因によって人々から支持される文章というのがいわゆる「不敗の思想」から別のものにへと変化した。(と少なくともわたくしには感じられる。)
 それは「腑に落ちる言葉」ではないだろうか。
 ホームページやブログが一般の人々の間に普及したことによって、一日に生産されて世間に公表されるテキストの数はインターネットが普及する前と比較するとそれこそ本当に桁違いの量になっている。
 それだけの量のテキストが全て人々の目に触れて、話題になるということはない。
 まるで大量の砂粒から一粒の砂金を拾い出すかのように、人々は生産される膨大なテキストの中から自分にとって価値があると思われるものを注意深く拾い出して、自分のブラウザのブックマークに付け加える。
 その際にどんな言葉、どんな言説が価値あるものとして人々の目に留まるのかということを考えるとその響きが深く身体の奥底に響き渡るような言葉、胸に深く刺し傷を残すような言葉ではないだろうか。
 一日に大量の情報を入力して、出力して、また入力して、出力する…ということを繰り返していると脳は説得されるかもしれないけれども身体には何も響いてこないという論説はなかったものとして忘れ去られてしまう。
 そして身体に何かの影響を及ぼした言葉だけが、人々の記憶の中に刻まれることになる。
 
 半年くらい前にO野寺くんから、上野千鶴子の授業に出てたのだけれども2回目の講義の出席人数が初回の半分くらいになっていて、3回目の講義の出席人数が2回目の半分くらいになってしまっていたということを聞いた。
 おそらくこれも、人々の希求している言葉が「不敗の論理」から「腑に落ちる言葉」へと変化していることの一端なのだろう。
 多くのヒステリックな批判を受けながらも、田口ランディさんの文章や三砂ちずる先生の本が多くの人に読まれ、支持されているのはこの方々たちの言葉が「腑に落ちる言葉」であり、現在を生きる人々に激しく求められている言説であるからだ、と思う。
    
 そしてわたくしもブログを書いていくならば、人々の身体にまで届くように書いていかなくてはならないと感じる。でないと多くの人の目に留まることもないだろうから。

1月17日

 阪神大震災が発生してから今日で10年になる。
 わたくしは10年前の今日はまだ名古屋で高校生をやっていて、直接被害を体験したわけではない。
 なので、この時神戸で実際に被害に遭われた方々に申し訳なくて震災について何かを偉そうに語ることなど出来ない。
 しかし、1月に阪神大震災が発生して3月に地下鉄サリン事件が発生したあの騒がしい1995年から既に10年が経過してしまったのだということを思い返すとそれなりに感慨深いものがある。
 私はこの年の4月にある種の希望を抱いて上京してきた。
 しかしこの10年間というのは、日本社会全体にとっても私自身にとっても失われたものの多い10年間になってしまった。
 次の10年間も、失うものばかりが多い10年になってしまうのだろうか。
 それではあまりにもつまらない。

1月16日

 最近ちょっとついていないなあ、と思うことが重なっていて鬱になることこの上ない。
 今日もまた甲野先生の講習会に出席しようとして、更衣室で着替えをするためにかばんを開けたら胴着の上が入っていなかった。
 しょうがないので急いで家まで帰って胴着を取りに行ってすぐにまた神田まで戻る。
 ものすごく急いで移動したけれど、やはり30分ちょっとかかってしまう。
 再び戻ってきたときには19:00をちょっと回ってしまっていた。
 一応ホームページ上には「19:00以降の入場は認められません」と明記してあったので、ああ、もしかしたら入れてもらえないかもしれないなあ。と思いながらおそるおそる道場に行ったのだけれども、何とか入れてもらえた。
 着替えているひまもなかったので、道場の隅で正座をしながら甲野先生が講習会の参加者に対して新たに発見した技法の実践を行うのじっと見ていた。
 今回の講習会では、Tシャツにジャージという普通の服装をしている人に混じって、ロゴの一杯付いたブラジリアン柔術をやっているらしいお兄さんお姉さんが2、3人いて甲野先生に豪快に投げられていた。
 この、最近甲野先生が新たに発見された「三次立法」というものがどういうものかというのは良く分からない部分がある。けれど、体の一箇所に力を集中させて使うのではなく、体の縦軸と横軸を崩すことなくかつ細かく割った身体を同じスピードで動かすことによって凄まじい威力を出すことが出来るということは理解できた。
 去年の6月に神戸女学院の光岡先生の意拳講習会に参加した時は、そこで習った8種類の動きや站春功といったものが何を目的としているかということが良く分からなかった。(なのでその後あんまりちゃんとやらなかった。)
 しかし、最近ようやくこれらの動きが身体の動きの威力を最大限に高めるためのの訓練であることに気がついた。
 わたくしは思いっきり遅刻してきたし、着替えてもいなかったし、ということでずっと道場の隅で正座をしながら他の講習会の参加者の人々が甲野先生の新たに発見した術を体感しているのを眺めていたのだけれども、運良く甲野先生に質問をする機会を得たときに実際に「三次立法」を体感することができた。
 非常に月並みな言い方をすると「50歳を超えているとは思えないほどの凄まじい威力」なのであるけれども、わたくしが1年ちょっと前に甲野先生の講習会に行ってその際に新しい術理を体感したときよりも桁違いに威力が増してきているのであり、「武術というのは、思っていたよりも奥の深いものだったんだなあ」と改めて認識させられることになった。 

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2005年01月23日 20:21に投稿されたエントリーのページです。

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