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ご縁についておよび2005年世相予言

1月8日

 「努力すれば必ず報われる」という言葉は良く聞くものであるけれども、必ずしもそうではない。
 特に恋愛などでは、どんなに努力したとしても相手あってのものだから追っかければ追っかけるほど相手が逃げていくということもある。
 そんなことを「ココリコミラクルタイプ」の「怖い女特集」を見て思った、と書かれていたブログを見てわたくしも少し反省した。
 恋愛だけではなくて、就職活動もそうだったなと思う。いくらこちらが努力したところで努力したところを見せようとすればするほど相手が引いてしまうということは良くある話だった。
 そのような場所で良く使われる言葉は「縁」で、自分の努力とは無関係なところで「縁」が繋がらなかったり、あるいは全く予想もしなかったところで「縁」がつながってしまうこともある。
 何かと「縁」をつなげようとする努力が全く無駄だというわけではない。ただ、「縁」というのは自分の努力とは無関係なところでつながったり切れてしまったりするということだ。

 そして、つながる見込みが非常に薄そうだったり既に切れてしまった「縁」に対してはあきらめたり見切りをつけたり、ということを行う必要性が発生する。
 このあたりは「努力すれば必ず報われる」という思想と全く相反するところであるけれども、全く気の無い相手の気持ちを何かの圧力で変えようとしたりだとか、自分の能力を認めていない会社に何とか入社しようとする努力は、穴の空いたバケツに水を貯めようとしたり全く利益の上がらない事業に多大の資金と労力を費やすことに似ている。要するに全くの無意味に終わるということだったりする。
 で、「縁」を自分の側に呼び込むにはどうにもならないものには見切りをつけて、自分の身の回りをきちんとして心正しく生活をしながら一般的に「機」と呼ばれるものを待つしかないことになっているらしい。
 もちろん「どうしても諦めることの出来ない思い」というのも存在する。それをどう処理するかはいま自分の行っている努力が報われる可能性がどのくらいあるのかということを冷静な目で見つめてみたりだとか、自分の胸に手を当てて良く考えてみたりだとか、周りの状況をじーっと観察してみたりしたりだとかして、努力を投資することを続けていくべきか断腸の思いできっぱりと諦めるべきかを決断してどちらかお好きな方法で処理すれば良いだろうと思う。

 自分にも粘着な部分があるので、この文章はある意味での自戒を含めながら書いている。

しかしある場面では「負けず嫌い」「粘り強い」と賞賛される性質が、別の場面では「粘着」「あきらめが悪い」として他人の嘲笑となるそのことの理不尽さを感じながら人の運命を左右する「縁」の力に思いを巡らせている。 
 さて、来週はちゃんと寝坊しないで起きられるようにしよう。

1月6日

 昨年の12月から何となく体調がよろしくないなあ、と思っていていたけれど、今日お風呂に入って老廃物落としを敢行したら、「ああこれでは体調が悪くなるのも当然だなあ」と思うほどの老廃物が出た。無意味に体重が重いのも老廃物が溜まっているせいか。落とさなくてはなあ。

1月5日

 OSをWindowsXPにアップグレードしようとしたけれど、マシンのBIOSやデバイスが対応していないのでインストールできないことが分かったので激しく鬱になる。
 あーあーあ。買う前にきちんと調べておけばよかったのに。とは思っても後の祭だ。
 1万3000円が激しくもったいないではないか。 
 しょうがないので、Windows98のセカンドエディションか2000を探してみたけれども、もう店頭での発売はしていないとのこと。
 あとはネットオークションで探すしかないらしい。
 OSを探すか、それともいっそのことDVDドライブとTVチューナー付きのマシンを買ってしまうか、ADSLを引いてしまうか、どれにしよう。
 いまのマシンには特におかしいところはなく(ダイヤルアップをする際に電話線を繋ぐところのジャックが破損しているくらい)文章もこうして問題無く書けるけれど、BIOSやデバイスなどが対応していないとかそういう部分で古いことにされてしまうというのが何となく悔しい。
  とりあえず、家のマシンをネットにつなぐことは当分お預けみたいだ。
 AirH"からでも、2ちゃんねるやたいていのBLOGは何とか読むことが出来るけれども、内田先生の書いた文章や自分の書いた文章を読もうとすると化け化けに化けているというのと、AirH"の小さな画面から長時間見ていると見ていると目が痛くなるというのだけが辛い。
 (でも近日中に何とかするので対策は必要ありませぬ。)
 ネットにつなげないので、日記でも大量に書いておく。 

1月3日

 スマトラ沖地震の続報を知りたいと思ってTVをあちこちザッピングするけれども、どこの局もお正月用特別ドラマやバラエティばかりを放映していて肝心のスマトラ沖地震の続報を伝えるニュースはほんの少ししかない。バラエティとバラエティとの合間に、日本人の死者が21人であることくらいを伝えているだけだ。
 仕方が無いのでAirH"から2ちゃんねるのニュース速報を見る。 
 去年の30日に海外に出ている日本人で現在連絡が取れていない人が百数十人とも数百人とも言われて言われていたのだけれども、その事がニュースではまったく伝えられることも無くテレビではお正月番組が流されている。CNNやBBCでは9.11の時と同じような量でスマトラ沖地震の被害状況を伝えていて、街が丸ごと一つ壊滅した状況や欧米人のツーリストの行方不明者が約6600人存在していることを報道しているらしい。

この嫌な感じは何なのだろうか。
今まででも、野中弘務元代議士が辞任する直前に秘書が収賄で逮捕された事件が一切大手の新聞やテレビに出てこなかった(時事通信社が伝えてごく僅かの地方新聞に掲載されただけだった)時などはマスコミの報道はどこかで重要な検閲がかかっていて本当に重要な情報は国民に知らされることはないのではないか、などと思ってしまった。年末に皇室で慶事の発表もあり、お正月特番を潰したくないテレビ局の事情もあるのでしょう。しかし、こうして特番のバラエティ番組を眺めながらネットに繋いでニュースの続報を見ていると、マスメディアの情報の信頼度が微妙に揺らいでしまう。
 
もちろん現時点ではTVがメディアとして圧倒的な力を持っていることは否定しない。しかし、TVで放映されていることと自分の感覚が捉えていることにかなりの差異が生じたときに「このメディアが伝えていることはこのまま鵜呑みにして受け入れて良いものだろうか???」というような感じになってしまうことと、より自分の感覚に近い現実を扱う情報がネットという手段を通して流通してしまうことは避けられない流れなのだろうな、と思う。
 

1月2日

初詣に行って、その後に後楽園SpaLaQuaに行って温泉につかる。
低温サウナに入りながら、「ハリー・ポッターと賢者の石」の原書でも読んでおこうかなと思ったけれど、疲労が溜まっていたせいか寝てしまった。 


1月1日

いろいろとマシンに文章を打ち込んでいたり調べものをしたりいているうちに年が明ける。
昨年は、個人的には「新選組!」を見たり堺さんの追っかけをしたりしてけっこう楽しく過ごすことができたけれど、日本の国、あるいは日本社会という視点で見た場合には、地震や台風などの災害をはじめとしていろいろと大変な事が起こった年になってしまった。

さて、今年はどうなるんだろう。

去年1年間に起こったことを振り返ってみてみると(ただし天災は考察してもどうしようもないので除く)、「1、戦後日本社会を支えていたシステムがそろそろ本格的に綻び始めた」「2、日本社会を構成している弱い環が暴発し始めた」「3、インターネットの普及によって情報の流れ方や権力の居場所が変わり始めた」ということが言えるのかな、と思う。
 例えば、「球界再編」という出来事は1と3との複合体なのだろう。
 多くのサラリーマンな人々が準拠集団としていたプロ野球球団は、観客の減少と選手の年俸の高騰によって経営統合・身売りを余儀なくされ、その空いた穴は新興のIT企業によって運営される球団によって埋められることになったのではないかと。
 「幼女誘拐」や「旧おれおれ詐欺、現振り込め詐欺」、「インターネットで参加者を募集した練炭による集団自殺」というのはおそらく2番。
 長期に渡る不況の影響をまともに受けてNEETや無職や引き篭もりにならざるを得なかった人々が手っ取り早く現金を得ようとして手当たり次第に電話をかけたり、自分よりもさらに弱いものである幼女に性欲込みの鬱憤をぶつけているのではないだろうかと思われる。
 
で、今年起こることを考えてみる。

 20世紀までならどこかで確実に揉み消されるはずであった、組織やあるシステムの存亡に関わる重大な情報が表に出やすくなっているということから考えると今年も何かどこかの大企業かお役所かそれに準ずるような組織がまた不祥事を起こして大変なことになるだろう。
変わらない権力を持つ、と思われていたものでも大きな岩が1年間で10cmずつ動くかのようにその力を喪失していく。それが具体的にここだ、と指摘できれば良いのですがこればかりは何とも。去年のお正月の時点では某ナベツネ氏が巨人軍のオーナーを辞任するような事態になるとは誰も思っていなかったですし。某「あの国」や某「あの団体」が、その組織のトップを欠いた場合に順調に権力委譲が行われるかといったら当然そうではなくて組織そのものの解体をもたらすか組織が維持できたとしても混乱状態をもたらすことになってしまうだろう。
 
NEETに転落してしまう人、というのも増える要因ばかりあって減る要因はほとんど無いので幼女誘拐も、振り込め詐欺も、自殺も昨年に引き続き増えるだろう。
そしてこれらについては、さらに進化した形態(幼女だけではなく男子児童も誘拐の対象になるとか、何らかの方法で騙され易かったり気が弱かったりする人をスクリーニングした名簿が作成され、それを元に新手の詐欺が行われるとか、金持ちの老人をターゲットにした組織的犯罪であるとか)が出てくるかもしれない。

あと、ITによって情報の流れ方が変わったこと、特にマスメディアの側から流れる情報だけが価値を持つのでは無くそこら辺の人々が発信する情報も有用な情報として扱われるようになったこと、を利用した新たな動きというのも当然出てくるだろう。それが何なのかが分かれば、ベンチャー企業の株でも買って大儲けが可能なのだけれども、今のところはまだよく分からない。けれども重大な動きが必ずこの2、3年の間に起こってくる。

そう言えば去年1年間に起こったことには「4、性欲を始めとして自分の欲望のタガが外れっぱなしな人々が増えてきて大変なことになった」ということもあった。(ミラーマンこと植草元早稲田大学教授が女子高生のスカートの中身を手鏡で覗いた事やその他いろいろあった。)今年もそういう事件は嫌というほど耳にしそうなので、せめてわたくしだけでも十分にお稽古をして自分の欲望が統御できるように、あるいは基地外の人に遭遇した場合でも正しい対応が取れるようにしておかなくてはいけない、と切実に思った。 

年の初めなので2005年の予言もどきを書いてみました。
今年もよろしくお願いいたします。
 
  
  

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2005年01月09日 13:17に投稿されたエントリーのページです。

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