5月12日(土)
8月刊行予定で編集が進んでいる「岸和田だんじり讀本」の打ち合わせ
に岸和田へ向かう。
難波からの南海電車に乗っていると、泉大津を過ぎた頃に書き手の一人
である萬屋誠司さんから、講談師の旭堂南海さんをお送りに貝塚駅まで
来ていると連絡が入ったので、そのまま貝塚駅まで乗る。
偶然にお会いした旭堂南海さんはこの日、もうひとりの書き手の泉田祐
志さんが若頭をやっている筋海町で講談の後、貝塚市でもう一席あるそ
うだ。
お忙しい講談師である。
ごあいさつもそこそこに(「ラジオの街で逢いましょう」6回目http://
www.radiodays.jp/ja/program/でお世話になりました)入れ違いにクル
マに乗せてもらって、筋海町の会館へ行く。
「第4回筋海町を愛そう会」という会合が開かれていて、その第1部に
南海さんが「大坂夏の陣・後藤又兵衛の勇戦」の講談、第2部は岸和田
天神宮宮司・川原一紀さんによる「岸和田天神宮の神々について」とい
うお話で、到着すると丁度それが終わったばかりで、第3部は「筋海地
車四方山話 各種祭礼団体にてご自由に」とのこと。
20代前半の若い衆から世話人さんまで、おおよそ百人はいるだろうか、
その席に大工町の萬屋さんともどもお邪魔する。この町のだんじり大工
棟梁・田中隆治さんのお顔も見える。
「おお、江くん。ようけ集まってるとこに、今日は本売りに来たんか」
と棟梁は冗談を言う。
この町はすでに「姉川合戦」「加藤清正」「長門守木村重成」と3回、
旭堂南海師を招いての講談の会を持っている。
今回の「大坂夏の陣・後藤又兵衛の勇戦」も含め、講談はすべて昭和八
年新調のこの町の地車に彫られている作品についての演題である。
この筋海町は、それまで大正十、十一年とたて続けに地車を新調してい
る特異な町だ。特に大正10年に新調した地車は、「気に入らぬ」と一
度も曳行されずに売却されている。
だから、地車に対しては相当目が肥えているので、この昭和の新調に当
たっては極めて念入りに製作され、誠に優れた地車が出来たとの事であ
る。
その昭和八年新調の現地車は、作事には名匠「久吾」こと久納久吉・幸
三郎兄弟があたり、扇垂木入母屋の大屋根の軒唐破風(通称・二重破
風)を苦心の末に組み上げ、また彫刻師としては西本五葉、野村正が手
掛けた芸術的な彫物で、泉州屈指の名だんじりに数えられる。
とくに、彫物は作品として抜群である。
泉田さんが前に出て、第一部の講談演目であった見送りの「大坂の陣後
藤又兵衛勇戦」の彫刻は、西本五葉師が刻んだものであること。五葉師
は高村光雲の弟子・山本瑞雲の流れを汲んでいて、この作品は昨今の地
車人物彫刻にある三頭身の錦絵調と趣を異にしたリアルな八頭身の近代
彫刻で類を見ないこと。
左土呂幕に彫られている野村正の「新納武蔵野守薩州川内河に加藤清正
と戦ひて敗れたるも引き分けとなる」は、合戦の時空および「間」を風
によって表現したたぐいまれな芸術作品であることを説明する。
他の町のだんじり関係者はもちろん見物人、観光客に、「自町の彫物の
ことを訊かれて、よう説明できないのではあかん」とばかりに町の誇り
でもある彫物について、そのテーマや物語を十分知らしめておこうとい
うことである。
それには書物や印刷物で読んで知りおいてもらうよりも、聞いて面白い
講談による口伝が一番だということである。
城下町・岸和田の街場の町人は旧来、文字や絵より寺子屋や会館での話
し言葉を優先してきた。
筋海町地車 扇垂木入母屋の大屋根と「浪兎」の纏
西本五葉刻 後藤又兵衛