だんじりフォーラム最終回
3月26日(日)
1月から6回にわたって泉大津市の池上曽根弥生学習館で開かれた、フォーラム「泉州とだんじり」の最終回。
テーマは「祭の1年」。
「だんじり若頭日記」著者のわたしがコーディネーターで、パネラーは一筆佳和さん(平成17年度岸和田市流木町曳行責任者)、岸本博さん(平成17年度和泉市池上町若頭会会長)、大谷忠さん(平成15・16年度泉大津田中町曳行責任者)、中森安彦さん(17泉大津十二町地車連合会会長)である。
快晴の日曜日、開始2時間前の11時に現地に到着する。
駐車場前から入ろうとすると、ちょうど岸本さんと中森さんが来られたところで、事務局長の吉房さんに紹介される。
「岸和田五軒屋町の江です。今日は頼んどきます」とご挨拶すると、おふた方ともにっこり笑って「あれ、ええ本でしたね」と誉められる。
先輩格からの言葉にちょっとテレるが、地区は違うが泉州だんじり人間、それもエキスパートからそういうふうに言われるのがとてもうれしい。
吉房さんからは「今日は最終回で、しめくくりですから、それにふさわしいような内容でお願いしますよ」と言われる。
この日、用意した資料は、平成14年度の若頭筆頭の1年間の各祭礼関係者会議、寄り合い、段取りを記したB4版の日程表だ。
わたしは平成15年度に筆頭をしたが、こういう書き物はだいたい次年度筆頭予定者か会計責任者が作成する。
だからこれはわたしがまとめ、作成したものだ。
前年の10月第1日曜から始まり、平成14年の祭礼の後片づけ・落策の9月16日で終わるオフィシャルのそれら行事だけで70回。
1日にだんじり本体の段取り、町内会議、他町との祝儀交換会とダブル・トリプルヘッダーの日もある。
町内の寄り合いのあれやこれやを含めると、1年のうち100日はなんだかんだで祭の準備に取られている勘定だ。
わいわいとだんじり話をしながらみなさんと昼食の後、いよいよシンポジウムが始まる。
年に1度、祭礼に目の当たりにする躍動するだんじりとそれに熱狂する参加者。
けれども祭当日以外の日々は、関係者以外見ることは出来ません。
その隠れた1年のさまざまなストーリーが、祭を支えているといっても過言ではありません。
本日は、祭礼の大役に当たり、祭がすべての1年を経験されたパネラーのみなさまばかりですが、
仕事や家族を放ったらかしにし、時には会社を辞めたり家庭崩壊の危機にさらされるというのもままあるようです。
そんなお話しをぶっちゃけて、包み隠さず大いに語ってもらいます。
そんな前口上で一発、笑いを取った。
そして、わたしの基調講演は以下だ。
「祭こそ人生そのもの」「祭の2日は人の1年や」といわれる岸和田だんじり祭。
その、岸和田だんじり祭を若頭筆頭という内側から、実際の「祭の1年」を通じて感じ、考察したこと、それを「若頭日記」として1年あまりブログに書き、出版することになった。
ここでは、実際にその祭までの日々を経験し、執筆体験したことに基づいて、この時代にあっての「だんじり祭」の1年を通じてその社会性としての可能性を語りあいたい。
『アエラ』(朝日新聞社刊)05年10/10号の小特集「40代哲学 岸和田だんじり祭で見つけた」でも取り上げられたが、 会社、家庭、それ以外に「第3の社交場」が、だんじり祭の「社会性」の一面である。
岸和田には、祭だけでつながっているある種の「社会」がある。社会というのは例えば、家族、会社、地域、スポーツクラブやホビー愛好会、極端に言えば喫茶店や酒場などの店…と個人にとって重層的に重なっているはずだし、そこでのさまざまな活動や人と人とのコミュニケーションがあるはずだ。
けれども都会型の現代社会には、ほとんど経済社会と消費しかない。
それがコンフリクト(軋轢)として人をストレスフルに締め付けている。
「だんじり祭」という、たぐいまれな祭礼において、その祭礼運営団体(寄り合いを中心とする場)およびそこでのコミュニケーション(顔をつきあわせての話し合いで物事を決めていくこと)は、「会社」「家族」という2つの共同体のありようと、また違った意味での社会性を帯びた共同体だと思う。
日本においての近代化のプロセスの中で、地縁(含血縁)共同体から家族共同体、そして個人主義へのシフトの大きな流れがある。
けれども岸和田だんじり祭にある、だんじり祭を運営している町単位の「新しい地縁共同体」というベースはますます求心的で、そこへの回帰が行われている。
それは、だんじりを軸として、単なるかつての地縁血縁的関係以外の「人と繋がる何か」を人は欲しているからだ。
中学生の時に、たまたま仲がよくなった同級生を自町の祭礼に誘ったのがきっかけで、その町になんの縁もない人が、祭礼団体に入り、青年団、組、若頭、世話人と30年以上もその町に関わり、ともに祭人生を送る。
その人は、祭礼以外の町行事、例えば大掃除、運動会、年末夜警といったものにも関わる。
良かれ悪しかれ、だんじり祭運営組織の「縦社会」、「来るものは拒まず去る者は追わず」の精神は「新しい地縁的共同体」を育んでいる。
今の日本の都市型生活において、崩れてきているものの、会社と家族、この二つの「共同体」以外のものは稀だ。
それだけ実際の社会生活では、経済軸消費軸の欲望と活動のみが突出した価値になってきている。
「お金儲けと消費」のみの過酷さの現実にあって、実際「わたしらしい幸せの実現」を隣組、町内会といった地域共同体に求めるのはかなり難しいが、だんじり祭の社会には祭礼に参加して何の見返りもないのにも関わらず、「共-身体」に支えられた「共-欲望」的な求心力がある。
共同体の求心力は、成員の人間関係が全面的であり濃密であればあるほど強力なのだが、それゆえその深い人間関係性は、何かやろうとする際に、うまく合意する場合とそうではない場合の激しい落差をつくってしまう。
「効率的でより多くのお金儲け」のような単純自明なテーマではない、「何か」つまり祭礼を「誰かとともにやる」ことは、すなわちトラブルがつきまとうことであるからだ。
共同体のその構成員の属性やパーソナリティや欲望が、出来るだけバラけている方がいい、というのは真だが、だからこそ地域共同体においては、そういう成員の利害や価値観がぶつかり合い、対立し紛糾する。
その際には個人であれ複数であれ、必ず内部にあってその原因となる成員当事者の倫理観や人間性が問われることになるのだが、共同体はそれを内部で共有し解決しなければ存続しない。
そこから我々が感覚的に知ることは、同じ地域つまり祭礼の場にいるかぎり、人は人に迷惑を掛けあって「日常」を生きていくものであるという理解である。
たぐいまれな地域共同体のモデルケースとして知られる岸和田だんじり祭においては、その「場」は祭礼である当日の祭そのものと、町会館ほかの施設で普段行われる「寄り合い」つまり「話し合いの場」である。
だから永続的である。
ということをレジュメに沿って話す。
パネラーの方々が、自己紹介の後、ひとりひとり自地区・自町の祭に引きつけて、うまく話をつないでくれる。
一筆さんは、岸和田修斉地区にあって未だだんじりを従えて渡御行事を行う矢代寸(やしろぎ)神社の神輿について。
その輪番制の当番年にあたった苦労や、前年の他町からの引き継ぎ、来年度の申し送りなどからのお話、そして青年団の寄り合いがここ数年、より回数が多くなり、時間も長くなったことからの考察を話された。
高校生が夜遅くまで家に帰らず、会館で溜まっているのはいかがなものか(きっと酒盛りをしている)、との意見もあるが、上下関係の厳しい祭社会では高校生にお酒を飲ますということはない、われわれもそういうふうにやってきたからどうかご理解のほどを、という話には大いに沸く。
遣り回し主体の岸和田型下だんじり全盛の現在にあって、上だんじりの伝統をかたくなに守る、大津神社浜八町地区田中町の大谷さんは、曳行責任者をされた年の行事表を持参されていて、その祭の一年(寄り合いは岸和田より多いのではないか)を話す。
また数町が一台のだんじりを共同で曳行していることからの、その運営と調整のご苦労が伝わる。
かちあい(この地区ならではの特徴で、停車中の前のだんじりに後ろからぶつける)時の安全確保、そして喧嘩防止についてのお話は、われわれ岸和田だんじり祭とはまた違ったものであり、とても面白くぐいぐいと引き込まれる。
池上町の岸本さんは、行政区画が和泉市にありながら、変則的に泉大津市の曽根神社に宮入しているということの特異性を話された。
池上町は泉大津十二町地区だが、行政区画である和泉市の大連合の曳行に参加したことがあって、ウェブ上で大バッシングをされた逸話、自町民が少なく、他町参加者がカシラつまり団体の長になる際に紛糾した経験談、上だんじりから下だんじりへの新調時、前梃子操作を岸和田旧市のとある町に習った話、若い者が足回り新装置導入を主張した際の折衝…と、興味深いネタは盛りだくさんだ。
最年長の中森さんは、どの町・どの地区も少子化で10代20代の曳き手が少なくなり、他町・他地域からの曳き手を受け入れていることが共通し、事故や万一の際の保障や団体の役付きが課題になっていることなど、こと細かにお話しされた。
休憩に入ると、この池上曽根弥生学習館開館以来10万人入場者が本日記録されたとのことで、くじ引きで記念品が贈呈されるアトラクションで、泉大津市市長が当選者に泉大津特産品のシルク製毛布が贈呈され、くす玉が割られた。
後半はお客さんからの熱心な質問。
上だんじりから下だんじりへの趨勢は、伝統を壊すことではないかと思うがどうだろう、という質問。
10月祭礼を見物する、岸和田旧市(9月祭礼)の見物者のマナーが悪く、迷惑をかけていることなど、手厳しい意見もあって、大汗をかいた。
パネラーそして参加者のみなさま、そしてこのような「濃い」だんじりフォーラムを主催された実行委員会みなさま、ありがとうございました。