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岸和田侠客列伝

2月19日(日)

泉大津市の池上曽根弥生学習館のフォーラム「泉州とだんじり」の第3回目。
テーマは「だんじり彫刻」で、木彫刻研究家の花内友樹さんとだんじり彫刻師の木下賢治さんが出演。
日光東照宮の伝説の彫刻師・左甚五郎が泉州貝塚の出身で、だんじりに施される泉州彫りに多大な影響を与えたこと、江戸時代から明治大正昭和、そして現在までのだんじり彫刻師の系譜など、図版・写真ふんだんのほとんど書籍並みの資料付き解説で迫力満点だ。
河内地方や淡路、神戸のだんじり彫刻についての調査もあって、 地元にとどまらない泉州木彫芸術の奥深さを実感。
木下賢治さんは、岸和田だんじり人なら誰もが知る名工「舜さん」こと木下舜次郎師のご長男で、父の思い出から現在製作中の彫物展示、下絵の披露などなどと、ちょっとこれは普段では見ることが出来ない貴重なフォーラムで、70年大阪万博から文化関係一筋で大活躍されているミスター元大阪府教委職員・吉房康幸さんのその情熱のたまものだ。70歳を超えておられる方だが、通称「大阪府の文化イベント屋」のパワフルな仕掛け力、実行力には本当に頭が下がります。

大阪のブレーンセンターからわたしが編集する300ページを超す「だんじり本」の出版が計画中で、その著者となる平成17年度筋海町若頭筆頭のだんじり研究家の泉田祐志氏と、大工町後梃子で元だんじり会館職員の萬屋誠司氏、そして篠笛奏者「民の謡」代表の森田玲氏が集合。
前回のフォーラム後もそうだったが、このメンバーでよく「だんじり酒宴」をやっているが、酒が入るとほとんどだんじり話に終始してしまう。だから今回は、その前に仕事の話、ということでわたしの『だんじり若頭日記』の装丁をやってもらった六覺千手さんも交え、とりあえず忠岡町にある彼の事務所兼だんじり篠笛&だんじりグラフィック店でさっと編集会議。
泉田・萬屋・森田三氏の元原稿はたっぷりある。写真も充実している。
後はわたしの編集・構成が、多分二度と出せない「超だんじり本」の出来を左右する。
これは責任重大である。

その後はもちろん酒宴で、わが岸和田・五軒屋町の居酒屋へと移動。
遣り回しピッチの熱燗徳利の激しい注ぎ合戦と、猪口の上げ下げで簡単に出来上がってしまう。
いつもそうだがだんじりの話は、各町が持ち寄る多種多様なその奇跡のような内容、そして人を掴んでそらさない語り口で飽きることがない。
特に大工町の漁師系だんじり関係者話は、その超弩級スケールで他の追随を許さない。
要するにおもろい話はナンボでもあるのであった。
この日の最高は、ある漁師網元の昔話。
その網元のおっさんの町と「喧嘩はいつでもどこでも、安うても高ても何でも買う」あの有名町の喧嘩の話。
有名町はその網元の船に乗り込む店子やその家族、関係者も多い。
網元のおっさんは腕っ節がすこぶる強い。というよりほとんど凶暴そのものであったそうだ。
この喧嘩の時、かかってくる有名町の若い衆をボカスカにやるのだが、その際「おまえ、おっちゃん知ってるか」と訊き、「知ってる」と答えると「よっしゃ、行け」と逃がし、「知らん」と答えると即座にボカンと殴ったという話。
まことに岸和田浜気質の人情にあふれた逸話である。
今度の「だんじり本」にはこの類の話が出ることは少ないが、司馬遷の史記列伝ならぬ「だんじり男列伝」のようなものを書いてみたいと思うがどうだろう。

さて次回、4回目のだんじりフォーラムは3月5日。
テーマは「だんじり囃子~これまでの鳴物とこれからの鳴物~」。
コーディネーターはもちろん森田玲氏。青年団の頃、約10年鳴物係を担当し鳴物責任者の経験のあるわたしはゲスト出演。

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2006年02月23日 13:24に投稿されたエントリーのページです。

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