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若頭の弁明

1月28日(土)

来月初旬に地元・岸和田市市民生活部の市立女性センターから、「岸和田・だんじり・今昔2」というテーマでのシンポジウムに呼ばれている。
11月頃に『だんじり若頭日記』を読まれた担当の市立女性センターのK谷さんから、そのシリーズ2回目のご依頼のご丁寧なお手紙およびメールを頂き、お電話でも数回やりとりをさせてもらった。
はじめに「女性センター」とお聞きして、これは理由もないわたしの全くの悪い偏見
であるが、なんか糾弾とかされそうな感じで「恐いナー、かなんナー」と思った。
このあたりの感覚は、やはり長屋をお借りしている関係か、大家さんの内田先生ゆずりかもしれない。
さらに、この長屋の主・内田先生は11月5日のブログで、

 すべての「だんじり」に女性が乗ることを認めよと訴えた本を書いた人がいて、岸
和田の「だんじり」関係者を代表して、江さんが毎日新聞のインタビューに「岸和田
では女性の参加は想定していません」と答えていた。
http://blog.tatsuru.com/archives/001349.php

という記述があるように、わたしは毎日新聞の記者さんにそう答えていたからだ。
「だんじり関係者を代表して」というのは、別にこのわたしが「代表」だとはこれぽっ
ちも思っていなかったが、記事になってしまったんだから仕方がない。
先週末には大阪・難波であった「なにわ名物研究会」の新年会の席で、だんじりに詳
しい講談師の旭堂小南陵師匠から「わたしは、女性の参加は完全に認めるべきやと思うわ。江くん」と言われていて、ああこの方もあの記事読んではったんや、と思いちょっとぞくっとして、ひょっとすると「みんな」がそう思ってるかもしれないと、ちょっ
とビビっているのも事実だ。

K谷さんはお手紙にて、わたしの『だんじり本』の中で、
「寄り合い等のとき個人の家で、女性の手を煩わせる場面(飲食の接待)が全くない
のに驚きました。いつごろから、このように変わってきたのでしょうか。勉強不足で
すいません」と書かれていたが、わが町の場合「寄り合い」を個人の家でやるという
ことは記憶する限り全くない。
「寄り合い」は「町会館」で、「懇親会や飲み会」は「店」でやる。
そんなシーンは『だんじり若頭日記』に、ひつこいほど出てくる(というより日記ペー
ジはほとんど酒席の話だったかもしれない)。
また、祭の最中や祭の明くる日には、婦人会の方が会館の掃除などをお手伝されるというのはあるにしろ、「寄り合い」が終了すると一番若い者のグループが食べたものや飲み残しからタバコの吸い殻までをてきぱきと片づけ、コップはじめ食器を洗い、灰皿を拭き、栓抜きをしまい…と自分たちでやる。
つまり「女手」をあらかじめ想定している、という事実はない。

とくにうちの町の場合、祭りの中枢である若頭や拾伍人組に関しては、試験曳きと祭本番の3日間は、丸大家具さんの広いガレージをお借りして「詰所」を設置する。
詰所には簡易な座席とテーブルセット約200席を仮設し、ビールやチューハイの業
務用のサーバー、また瓶や缶を冷水で冷やす業務用什器、そして生ビールやチューハイの樽や炭酸ガスのボンベが林立し、鍋料理のセットから調味料、刺身や揚げ物やおでんなどなどのアテ用の食器類に至るまで総動員である。
でかいダンボールに巨大ビニール袋を入れた分別回収のゴミ箱、地面に直に置くスタンド灰皿も毎年のように素早く、自分たちの手だけで「段取り」する。
そして一夜明けると、朝一番から「祭りの後」の抜け殻のようになった体と嗄れてし
まってほとんど出ない声状態で、すべてを片づけゴミをまとめ、コンクリートの地面
を床ブラシで水洗いし、それこそ「ほんまに昨日まで祭あったんか」というぐらいに
するのが「一六日の祭の後片づけ」の伝統であるからだ。
これは各町から代表が出る、年番・若頭連絡協議会・後梃子協議会・千亀利連合青年団の詰所となり、さまざまな町や世代の祭人間でごった返す「祭禮本部」でもしかり。
ここでも見事なまで「女手」は見えない。

岸和田だんじり祭において、「祭りの後」の行儀悪さというのが、もっともタチの悪
い振る舞いだということが、倫理的美意識においてわれわれの体に刻み込まれている。
だんじり祭礼というもんは、その「年に1度の大祭」の間中は、それこそ好き放題走
り放題遣り回し放題飲み食べ放題するのがそうであるが、その後始末を怠ると来年は祭が出来ない。
いくら岸和田祭好き体質とはいえ、だんじりが突っ込んで自分の家の壁が潰され屋根瓦を落とされて、祭が終わってもそれを放置されるのと同様に、食事や宴会の後片づけや掃除を怠ってゴミ箱のような状態なままだと「詰所」として自分のガレージも貸さないだろう。
事実、「祭りの後の」岸和田旧市街地は「なんちゅう量、なんちゅう類」のゴミだらけの街に成り果てて驚くばかりであるが、祭礼関係者およびその街に住む老若男女が、自分たちおよび70万人という観光客や露天商がとっ散らかせたその残骸を朝早くから片づける。
そうでないと、毎年われわれを熱狂させまた多くの観客を魅了する、この日本を代表する岸和田だんじり祭の伝統は、続かなかったのではないか。

K谷さんは岸和田旧市ではなく、春木~久米田地区のだんじりでお育ち方なので、そこのところは微妙に違うのかもしれないが、個人の家で親戚、友人、同僚…(この方たちは祭礼をするものではなく見物人である)を招いて饗応する際を別にして、「男が女をここぞとばかり、こき使う」みたいなことはありません、とここで書き留めて
おきたい。

それよりも、わたしがいま一番考えていることは、だんじり祭というのは、とても言
語的であるということだ。
それはふだん日常の仕事の場や街で交わされている言葉とは次元が違う、岸和田特有の祭言葉に支えられ、それによってだんじりが疾走し、曲がっているということである。
「寄り合い」は「会議」「ミーティング」、「遣り回し」は「コーナリング」と言い換えることは出来ないし「曳き出し」「チョイ取り」といった語句の持つ意味や「いかんかえ」といった怒号とも取られる言い回しは、ほかに代替不可能な言葉であり言
語運用で、さらにその瞬間瞬間で意味が違ってくるということだ。

「だれもが参加出来るだんじり祭」というのは、正しすぎるくらい正しくてとても素
晴らしい考え方である。
だからこそ岸和田のだんじり野郎というのは、一人一人それこそ個性のカタマリみた
いな人間ばかりだということの証左だし、そんな奴がいっぱい出てこない祭は非常に
どんくさくて味気ない。
そして何よりも、そのコミュニケーションそれ自体が面白くて仕方がないからそれを
やっているのである。

K谷さんからの書簡で、
「だんじりはとても言語学的であるということ。ふだん表現の過剰さや不足さがつき
まとう(それを味わい深く思うことが多い)種々のコミュニケーションのなかにいて、
だんじり祭は感覚的な過剰さと言語的な不足さで独特な存在だと感じました」
とあって、さらに、
「中上健次が描くような『路地』(ムラ?)とは明らかに違う、『祭り』でつながっ
ている岸和田の街というものについて」
の問いに答えることは、遣り回し同様大変難儀だと思いますが、10月5日のこの長
屋ブログ「だんじり現象学」http://nagaya.tatsuru.com/kou/archives/001269.html
に続いてちょっとよく考えてみたいと思いますので、どうかお手柔らかにお願いして
御免蒙る次第である。

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2006年01月28日 17:56に投稿されたエントリーのページです。

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