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ラジオとババ酔い

1月21日(土)

午後1時半から月一恒例のNHKラジオ第1放送「かんさい土曜ほっとタイム」の生放送。
レギュラーで出演するようになってちょうど2年になるが、相変わらず台本の棒読みみたいになってしまうところがどうも自分自身にとってはあまり面白くない。
そんな愚痴をこぼすことについては、本当は無効なハズである。
なぜならあらかじめ自分でA4 ペラ2枚の台本を書いているからだ。
けれども書き言葉をそのまま読み上げる、という行為は何だかしっくりこない。
やっぱりその場限り、出たとこ勝負のイタコ状態においての舌先三寸の話(@内田樹)のほうが、喋る方だって楽しいに決まっている。

この日の内容は、北船場とりわけ三休橋筋の「まち歩き」について。
大阪のキタとミナミを繋ぐ御堂筋と堺筋のちょうど真ん中にある南北2キロの三休橋筋の魅力、なのだが、5年ぐらい前から、そのストリートとしての魅力を探りPRし続けている自主活動グループの「三休橋筋愛好会」のかたがたに直接お話をうかがっている。
「三休橋筋愛好会」のS原さんによると、道幅が13メートルのちょうどよい幅のこの通りは「街路樹や歩道が整備されていて気持ちよく歩けます。ヒューマンスケールなストリート」と表現されていた。

大阪の船場は、その昔から南北の道路を「筋」、東西を横切る道を「通」と通称しているが、もともと江戸時代からその東西の通りごとに特徴のある町が形成されてきた。
例えば、北からご紹介すると、金相場会所や俵物会所から発展してきた金融取引の町・北浜。
続いて、鴻池始めとする両替商の屋敷が建ち並び、現在は保険会社やメガバンクの金融機関が集中する今橋。
武田、塩野義、田辺といった薬品会社が軒を連ねる道修町。
かつては夜店で賑わい、都心部では珍しく今も個人商店が建ち並ぶ平野町。
さらに南へ下ると繊維街の本町・南本町。
といったように、南北の筋の三休橋筋を歩くと特徴的なそのルーツと現在がわかる。

また近代建築の宝庫で、これも北からご紹介すると、中央公会堂(辰野片岡建築事務所 1918)、八木通商ビル(辰野金吾 1918)、現在仏料理グランメゾンの『シェワダ』になっている大中証券(辰野片岡建築事務所 1912 )、その南に隣接する浪花協会(ヴォーリズ 1930)、国際連盟を脱退した際のリットン調査団がここで待機したという綿業会館(渡邊節 1931)、大阪農林会館(1930)、原田産業ビル(1928)と盛りだくさんである。
またその中に、適塾はじめ戦災を免れた昔の佇まいを見せる旧家が混じり、新しいビルが建ち並ぶ御堂筋や堺筋とは異なった、船場本来の豊かな表情にふれることができるのも魅力だ。
このところ、そんな旧いビルのフロアや旧家をレストラン、カフェやブティックといった店舗に転用しているところもあって、旧き佳き大阪、に直に触れられるのもうれしいことだ。
といったことを約15分間、駆け足で話す。

遅い昼飯を食べて、いよいよシンポジウム『泉州とだんじり』のレジュメにかかる。
ひとつ前の「長屋ブログ」でも触れたが、わたし以外の諸先輩方は、ほぼだんじりの歴史の話題に終始するだろうから、わたしは祭礼を支える普段からのコミュニケーションの「場」としての「寄り合い」ほかを中心にまとめる。

そうこうしているうちに、冬空が暗くなってくる。
夜7時からは平成18年度五軒屋町若頭の新年会である。
実家に帰って、バッグだけ置き「ほな、新年会行ってくるわ。遅なるし、鍵開けといてなぁ」と世話人の兄に言うと「おれとこも新年会や」と言う。
前の泥除けに「五軒屋町○-× マルエ洋装店」と住所と屋号を白のペンキで書いてあるママチャリに飛び乗り、M人と明智光秀の肖像画がある本徳寺で待ち合わせて、会場の南町の活け魚料理「ヒロ」へ向かう。
2人並んでキコキコと自転車をこいで10分足らず。
ガキの時のまんまである。

若頭顧問および相談役、つまり若頭最年長になった昭和33年生まれのオレら6人は奥の席である。
単身赴任の岡山からKバが帰ってきている。
今年の祭が終わったらオレらの年だけで卒業旅行へ行こう、そのために今月から毎月5千円積み立てようという話がわき上がる。

毎年同じであるが、新年会の司会は次年度つまり平成19年若頭筆頭予定のO崎で、初めの挨拶は今年筆頭をやるT造である。
「みんな、今年1年オレに付いてきてくれ」と男気あふれる言葉である。

乾杯の発声は昨年度筆頭のM人である。
全員のコップにビールが注がれるやいなや、彼はなにも言わず「起立。それではカンパーイ」とだけ言った。
そしていきなり日本酒燗酒にチェンジ。文字通りの「酒呑み」ぶりである。

ことし若頭に上がってきたメンバーは10人あまり。去年の祭で前梃子係コンビとして認定された2名、大工方の1名も上がってきた関係でいつもよりで多い。
オレが筆頭をした同じ年に拾伍人組の組長をしていた、ちょうど10歳下のKタカの顔もあり頼もしい面々である。
鯛と肝たっぷりのカワハギの魚ちりで、最後の雑炊が出てきた時は、すでに下の者からの献杯酒注がれまくりでそれが腹に入らない。
歳か。というても、燗酒はうまいのだが。

新年会がハネると予想通り、M人・M雄・オレの3人はオレの自転車の後ろ荷台にM雄を乗せた2人乗り酔っぱらい運転状態で、そこから駅前に出て「喜平」に行き、偶然にも中町若頭筆頭のT満くんと大手町若頭のY本くんがいてドライブがかかり、いつの間にか一昨年度本町筆頭のワイン商のH出も合流してババ酔いの後、このところミーツ客も増えた町家バー「SISEI」の2階へ上がり込んで飲んでいたのであった。
帰って気が付けば、自転車の後輪タイヤがパンクしていた。

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2006年01月23日 23:17に投稿されたエントリーのページです。

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