« 血が騒ぎ過ぎ | メイン | 祭りは、終わった »

試験曳き

9月4日(日) そのだんじり曳行篇

やっぱり、だんじり祭というものは「地べたを走る」もので、だんじりに乗ってばかりいては、しょうもない。
足を攣りながらも綱を曳いたり、鳴物係で汗まみれになって大太鼓を叩いたり、後梃子でドンスを持ったり肩入れしたりしないとそんなもんは、岸和田だんじり祭ではない。

そういうことが分かったのは、オレは前梃子を待たなかったからもあるが、若頭というのは直接的にはだんじり曳行中の「力」にはならないからだ。
もちろん、足回りのセッティングや曳き綱の調整誘導や、各パートへの指示等、その名前の通り「若い者カシラ」としての仕事は、エキスパートたり得ることが当然のこととして要求される。

けれども、「山手の後梃子」さんのブログにコメントされてたsyutaさん(春木の若頭さん)の「後テコで活躍されているとか羨ましいです、若頭のおじさんには綱やドンスを持てる若者にはかないません。」という言葉は青年団、拾伍人組としっかりとやってきた者だけが知り得る知見である。

だんじり祭においての縦社会にいると、「もう、流れていく時間には逆らわれない」という結構デリケートというか繊細な感覚が分かる。
それは、よく似ているが「過去は取り返しがつかない」ではない。
過去というものが、その後やっとその時になって分かる、みたいなものだ。
だんじり祭では、すでに経験したことの意味が、事後的しか分からない。

いよいよ、今年初めてだんじりが出る。
自分でも「ほんまに、いけるんか」とふらつく頭で、とりあえず駅前まで小屋根下に「たかって」一発目の遣り回し。
なんじゃこれは、なんとまあ遅い。
こうなるとスピードが乗らないだんじりにイラつき、駅を左に曲がったところで飛び降りて走る。
腰回りの梯子を手で押すような感じで走る。実際四トンのだんじりを一人の力で梯子を押してもどうなるわけでもないが、乗ってだんじり自体を重くするよりも降りて走るほうが軽いのは事実だ。
同じように前梃子持ちはじめ若頭幹部腰回りの全員が、たかるのをやめて降りて走っている。
このあたりのだんじり祭の常識がわからずに、年長だからと偉そうにだんじりに乗る、つまり「たかって」ばかりいる奴のことを「横着」という、という誠に言い得て妙なりの洒落た言い回しを先輩に聞いたことがある。
いつもいつも横着が過ぎると、必ず怪我ではすまない事態を招く。

同じ左回りのイズミヤの交差点ではインになるので、一旦小屋根下に重しとしてたかり、下り坂になるもスピードが乗らない。
旧26号線をゆっくり渡ると、後からB町が走ってくる。
腰回りの若頭はそれを見て、「B町に追われてるやないか」と舌打ちをする。
オレは前へ回り、綱元前まで行って「おい、お前ら。後からB町に追われてるど。いかんかえ」と、団扇をパンと鳴らして怒鳴り気合いを入れる。
しかし、小走り状態で大声を出すと頭が真っ白くなり、一瞬ふらっとして「これは今日は相当ヤバイ」と思うが「ええい祭じゃ」と思い直す。
恐い顔をしていて同じ側を走るM雄が、一瞬それを見て「ひろき、いけるんか」と笑う。

しばらく走ってると、汗をかいたからか、血圧降下剤が効いてきたのかは分からないが、身体が軽くなる。
日通前まで、B町に追いつかれては、また走り…を繰り返す。

今年一発目のカンカン場。
竹の節を掴んで小屋根下にたかる(「山手の後梃子」さんのコメント通り、それは私です)。

わが五軒屋町はこのあと、駅を続けて上がり右回りで船津橋、カンカン場と一周。貝源そしてS字から南町、小門…というコースを取った。
この日の試験曳きは、3時回ったあたりから一時、どしゃ降りになったが、入庫する4時半くらいには雨も上がる。
青年団にとっては、例年より涼しくて、絶好の激走日和のはずだが不満が残った。
無事に試験曳きが終わる。

毎日新聞のM井さんから
 4日はお疲れ様でした。
 カンカン場で見てましたが、信号に激突したり、
 膨らんでバックしたりで、荒れ模様でした。
というメールが入っている。

山手の前梃子さん、コメントお気遣いすんません。

コメント (3)

寄り合いから帰り江さんのblogのぞくと山手の後梃子さんにコメントした私のことが書かれててビックリしました、時々blog拝見させてもらってます、これからも楽しい話おねがいします。

kissie:

はじめまして。
偶然このブログを発見して以来密かに(?)読ませて頂いてました。
書きたいことはたくさんあるのですが、、、とりあえず祭が先ですよね。今年もいい祭になりますように。

娘:

ピー君 お久しぶりです。

日根野のおばちゃんの娘です。(もう娘という歳じゃありませんが‥)

ちょっと前に このサイト見つけ 楽しく拝見してました。

母にそのこと話すと 「相変わらずやなぁ~」と
目を細めてました。

本買ったよ! 私今 結婚して宮本にいます。
主人も ピー君と面識あるみたい
うちの息子は、ピー君の小さい頃とにてるんやて f ^ ^; 

母は何かあるごとに「ピーやと一緒やー」と言い 
ピー君の母は「こじきにゃならんが 大臣にもなれん ハハー」と言ってます。

私としては、ピー君のようになってくれれば、恩のじですが‥

いよいよ 明日からやね
うちは 宮本も 五軒屋も 鳴りもんよう聞こえます。最高やろー

もう今日は 五軒屋へ帰ってるのかな?
気ィつけて!! 
事故ない けど迫力ある祭りになりますように!

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

About

2005年09月09日 09:42に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「血が騒ぎ過ぎ」です。

次の投稿は「祭りは、終わった」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35