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血が騒ぎ過ぎ

9月4日(日)

試験曳きの当日。
午前9時集合、10時出庫である。

8時過ぎに起きると、何だか身体がおかしい。
立とうとすると、まっすぐ立てない。
顔を見ようと、洗面所に行く途中でよろけてこけそうになる。

ここ1年ほど高血圧気味で、医者にかかっていて降下剤を毎朝飲んでいる。
徹夜明けの朝など、最低が150を超えることがあり、そんな時は頓服と大量の水を飲み寝ころんでいるのだが、あいにく実家には血圧計がない。
だから余計に、言いようのないドキドキ感としんどさがやってきて、無根拠かつエレメント不明のイライラ感から、ぐゎーんと不安と絶望が混濁するやばいモードに入ってきた。
とりあえずいつも通り薬と大量のペットボトルの水を飲み、これはあかん、ともう一度横になることにした。

きのうもやっぱり寝不足なので、ちょっと睡眠を取ろうと寝てしまって、同じ若頭顧問のM雄からのケータイで起こされるも、「無理すんな、寝とけ」とのことでそうすることにする。
20年ほど前、青年団の現役最後の年、相談役の時に、M人M雄ほかの同級生ばかり5~6人で、曳き出しの前夜うちの家で未明まで無茶呑みして、全員で「びちけてしもて」、曳き出しに遅れたことがあるが、こんなことは初めてだ。

試験曳きは午後2時から。
何とか正午頃、起きる。
O場さん前の五軒屋町地車常駐位置から、遠鳴りのだんじり囃子が聞こえてくる。
子供が叩いてるのだろう、鉦・小太鼓のリズムもおかしいし大太鼓の手も不安定だ。
祭衣装に着替え、素麺を流し込み、今年の筆頭のM人の家であるテーラータカクラに行く。

いつも通りの顔ぶれが揃っていて「ひろき、いけるんか」「お前、若い時は祭になったら昂奮して、よう鼻血出してた。それが出えへんようになったから血圧上がるんじゃ」とか、やかましくわいわいと、それでも真剣に気を遣ってくれる。

「だんじり本」で書いたその通りに、M人の叔父さんが来て「また1年たったのお」と挨拶してくれる。
「Kちゃん、同じこと書いてるで」と言ったら、M人が「だんじり本」ひき出しからさっと出してくれて、219ページの『9月5日(日) 試験曳き出発編』を開ける。
もう60歳になってるだろう、Kちゃんは声を出して読み始める。
 
 だんじりの横の人混みすり抜け、テーラータカクラ前に行くと、M人が「中へ入って、お茶でも飲めや」と麦茶を出してくれた。M人の叔父さんであるKさんが世話人の法被姿でいて、「あ、Kちゃん、久しぶりです。今年も頼んどきます」というと「お前の顔見たらね、今年も祭来たと思うんや」と言ってくれる。

という一節だ。
「ほんまやのお」とKちゃん。

「今でこそ初老の風貌だが、自動車教習所の先生だった彼は、ハーレダビッドソンに乗っていた粋なおやじである。」
とオレが続けて読んで「ええこと、書いちゃあるやろ」と言うとみんなが笑っている。
何だか懐かしい風景だ。

1時に毎日新聞社会部編集委員のM井さんと、だんじり前でお会いする約束だったので、外に出てだんじり前に行くと、きっかりにいらっしゃる。
岸和田通信部に3年ほど勤務しておられ、この町に住んでいたというM井さんは、小学生くらいの娘さんを連れていて「この子は、ちょうど岸和田で生まれたんですわ」と言う。

決して取材などとは言えない、ここ数年の祭と五軒屋町の話とを数分して、彼は「それでは見物してから帰りますわ。気いつけてください」と言い、オレは「お疲れさま。そちらも気いつけて観ていってください。今年は例年に比べて涼しいから、どこもよう走ると思いますから」と返す。

この日、朝日新聞の読書欄の書評にその「だんじり本」が載った。
こんなことを言うと「お前だけの祭ちゃうぞ」と叱られそうだが、体調は最悪だが、何だかうれしい試験曳きである。

もう数分で、だんじりが走る。

コメント (1)

江さん
ご自愛のうえ『ええ祭』してください。

yamanakaさん
恐縮です。。。

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2005年09月07日 20:38に投稿されたエントリーのページです。

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