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また熱い夏がやってくる

5月8日(日)

午前9時から、奇数月恒例のだんじりの掃除。
だんじり本体の保守・監理は若頭の管轄である。
だから奇数月の第2日曜はだんじり小屋を開け、屋根から腰回りと全てを覆っている埃よけのシ-トカバーを外し、コンプレッサーの風圧で細かい埃やチリを吹き飛ばし、建築現場用の大型の掃除機で吸い取る。

このだんじりは平成10年新調なので、今年で7年目の祭を迎えるわけだが、新調を決定したのがその10年ほど前で、そこから積み立てが始まり、製造が始まったのが平成7年頃。
その間、だんじり大工は誰に発注し、彫り物師は誰で…なとを決定し、大きさやスタイル、三百部材を超えるパーツのなか、とくに腰回りや見送り、松良(まつら)の彫り物のテーマを何にするかとか、その数年は本当にいろいろな資料をあたり町内以外のいろいろな人と話をし、その積み重ねで現在のだんじりが完成した。
オレは新調して5年目に若頭筆頭をしたという幸運もあるが、三十代になるかならないかの拾伍人組の時から若頭に上がる約10年、一番「だんじりとは祭とは何か」が分かってくる時に、現在進行形の形で新調にたずさわった。
なので、まあ人よりは非常にだんじりには詳しくなったし、いっぱしの説明も出来るようになった。
そして、気がつけば今年の若頭のメンバーを見渡すと、最年長になっている。
思うに先代だんじりは大正12年新調で約70ぶりの新調なので、これに関しては「新調の時に現場にいた」ほんとうにラッキーな人生である。
ちなみに前代のだんじりは堺市太井町に譲り、現在当町で曳行中だ。

この日は「だんじり日記」の表紙ほかをお願いしている、だんじりものグラフィックデザイナー六覺千手さんと、我が国屈指の篠笛の奏者でだんじり囃子研究家の「民の謡」森田玲さん兄弟がわざわざ五軒屋町まで来ている。

森田さんは6月19日の岸和田文化会館で行われる「地車祭鳴物 岸和田の笛」という研究考察会イベントを企画していて、自らが「岸和田のだんじり祭~これまでの鳴物とこれからの鳴物~」いう講演を行い、その後のパネリストとしてわたしに参加して欲しい、ということで二つ返事で諒承していたのだが、とにかく「お会いして話を」ということでわざわざチラシの校正を持ってきてくれて説明してくれる。
加えて7月2日・3日「祭の響き~笛と太鼓の音体験~」という石川県で400年以上の歴史を持つ「浅野太鼓文化研究所」とのコラボ・イベントがあって、その際に五軒屋町の鳴物の「宮入太鼓」の実演を頼めないか、とのオファーで早速、中央地区のソフトボール大会の最中の青年団団長に携帯を入れて出演の打診をするも、即決。
「今年の鳴物責任者はS田か。恥かかさんといてくれよ、と言うといてくれ」と念を押す。

六覺千手さんはイラストのための取材で、うちのだんじりのディテールと左右前梃子を長年持っていたM雄(平成16年度若頭筆頭)とM人(本年度筆頭)の写真を撮る。
両人は照れに照れ「梃子ないからポーズ取られへん」といいながらも、「もうちょっと早よ言うてくれてたら、散髪に行っといたのに」とかます。

10時半に小屋を閉め、会館で若頭幹部会。
御献灯台の設置および鉢巻用の手拭いの発注についての申し合わせ。

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2005年05月13日 09:24に投稿されたエントリーのページです。

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