5月7日(土)
大阪きっての仏レストランとして知られる「ラ・ベカス」が、四つ橋から編集部から徒歩2分の高麗橋4丁目に移転してきた。
このレストランはルレ・エ・シャトーに加盟、グラン・ターブル・デュ・モンドにも取り上げられている凄いレストランで(極東では確か2~3軒だけだった)、渋谷圭紀シェフとは旧知の仲だ。
彼がミヨネーのアラン・シャペル、パリのオテル・ド・クリヨン、ロビュションといった3つ星レストランを経て、生まれ故郷の大阪に帰ってきてもう15年になるだろうか。
ロビュションがまだ16区のロンシャン通りに「ジャマン」という名前でやっていた頃、直前に電話で予約を取ってもらったり、友人のアラン・パッサールという天才のシェフがロダン美術館の近くで2つ星をやってるからそこも行ったらいいとか、オレがまだバリバリのグルメとファッションな副編集長をしていた頃、パリコレに行った時についでにどこに行くべきかなどなどを彼がいろいろ教えてくれた。
そのアラン・パッサールのレストラン「ラルページュ」は96年、あの「トゥール・ダルジャン」と入れ替わる形で3つ星になったのだが、オレが行ったのは確か92年冬と93年の春・秋だったと思う。
世界で1番予約が取りにくかった「ジャマン」は、92年冬にあいにく1週間の滞在中の昼しか予約できなかったが、昼メシの「ムニュ・デギュスタシオン」(お味見という感じで6皿くらい小ポーションで出てくるコース)がうまくて、岸和田弁英語で「無茶苦茶うまい、こんなん食うたことない、最高だ」とかメートルに話したら、あとで立派な鼻のロビュションが出てきて、「渋谷は元気か」とか「雑誌でオレの店のこと書くんか」とかメートルの英語通訳で話して、「あと2日パリにいるんやけど」といったら、「もっと食べたかったら、明日の遅くに来い」「10時くらいでエエか」「よっしゃ、それでええ」みたいな感じで、翌日のディナーにありついた。
イタリア語もそうだが、ラテンでサンパなフランス語は岸和田弁に訳しやすい(といってもオレは英語しかできないが)。
オレはその夜、気が大きくなって、「大丈夫、安く出してるから」と昨日のメートルの薦めるままにグラーブの1級のシャトー・オー・ブリオンを抜いて、広東料理のエビチリソース風オマールみたいな料理とか、トリュフどんぶりとでも形容したいような料理が出てきてとても驚かされたし、ここで渋谷はオードブルと肉を担当していた、ということを聞いた。
帰りに「記念としてメニューをくれへんかなあ」と言ったら、「ええよ、ほな帰って渋谷に見せとけ」とくれた。
隣の初老の夫婦客は日本通だとかで話に入ってきて、シガリロを1本勧めてくれた。
彼が渡仏したのが80年で、この最後のジャマンで活躍して(修業ちゃいます)大阪に帰ってきたのが89年だったと聞いている。
「ぼく、日本の80年代、知りませんねん」と言っていたが、81年の神戸ポートピアホテルのオープンの際に、メインダイニングとして入ったレストラン「アラン・シャペル」のお披露目会のために、シャペルと一緒にスープ係で日本に来てたことを先輩記者から聞いたことがある。
それはさておき、次号「ミーツ」はニュースのページで、この店の移転記事を書かないといけない。
ということで偶然にも今日すでに取材を入れている。担当は副編のS岡だ。
オレは案内が来ていたし仕事とか関係なくいち早く食べに行きたかったのだが、ゴールデンウイーク始まる4月29日にオープンということでなかなか予約が取れなかったのだ。
「まあしゃあないし、ええか」と思っていたが、本町の若頭でワイン商のH出が、オープン数日前にミナミの酒場で渋谷シェフとばったり出会って「7日なら何とか」と予約を入れてくれた。
H出が聞いていたとおり、前のベカスとは全然違うシンプルな内装で、めっちゃ広いウェイティングのラウンジバーも併設されている。
7時半にもう満席状態のなか、ど真ん中の席に案内される。
タバコを吸おうとすると、禁煙にしたらしい。なるほどそれでウエイティングがあるんか、と納得。
席に着くと初対面のスーツを着たメートルが「シェフからです」とシャンパンを出してくれて、名刺をくれた。この新店のための新スタッフらしい。
新しい店なので、あれこれ見渡す。
レストランや料理屋でほかの客をじろじろ見るのは、とてもイモな行為で街的ではないがしょうがない。
OL風、それもテレビのキャスター風の女性客が多くて、いつもよりちょっとアレでナニな感じがするが、そんなのはどうでもいい。
けれどもメニューを開くといつも通りのアレだ。
「アレだ、と言ってもわからへんやんか」と言われそうだが、書くととても長くなるし仕事の文のようになるので今回はやめとく。
前の店の通り、しばらく放ったらかされる。
「何食う」「コースでええやン」「せやのお」となって、メートルに訊くと、オマールのサラダ、鯛のポワレのホタルイカと何か(忘れた)のソース、子羊のロティ苺ソースだが、「オードブルのオマールを特別に活け伊勢エビのロティに替えることができますが」というので、「伊勢エビってどうな。美味いのは味噌汁ぐらいちゃうんか」「まあ、そう言うてるんやからええやんけ」と、そのスペシャリテにした。
アミューズのポタージュの冷製に何かのテリーヌをこそいだリエットみたいなのを入れたようなのが出てきて、シャンパンで一気に食べる。美味い。
岸和田のワイン屋のH出は、ワインリストを見る。
「あかん老眼や。字が小さいから読めへんわ。ひろき、お前読め」
と渡されて小声を出して読むが、訳の分からん地区の知らんドメーヌだらけなので、じゃまくさくなって「すいません。虫眼鏡ありますか」といったら、メートルはにこっと笑って懐中電灯を出してくれた。
H出はうーんと一通り見て、「お、これおもろい」とロワールのルイイという銘柄を選ぶと「グラスで出してますし」と、とりあえず1杯。
ドカンとてんこ盛りの量で出てくるのが、オレらに「水商売」してくれているのだろう。
うまい、としかいいようがない。
やっと伊勢エビが出てくる。
「泉州の水なすと香味野菜と…」と説明してくれるが、オレらは「おおー、でかいのお」と伊勢エビの半身を見て感激し、ちゃんと聞いていない。第一そんなのは見たら分かる。
ちょい半生加減な火の通し方が抜群で、ミソの部分がちょうど生ウニのようになっていてこれはすごく美味い。
「せやけど、これパンに付けるんか」
「フィンガーボール出てるから、指でもなんでもええんちゃうんか」
うまいうまい。グラスワインをもう一杯、ええい、瓶ごと頼めや。
ふた皿目の鯛のポワレもこんな感じで、以下同文。
オレは一皿食べ終わると、どうしてもタバコを吸いたくなって「ちょっと、行ってくるわ」と高校生が部室でタバコを吸うような気分で席を立つと、メートルがついてきてくれ話相手をしてくれる。
渋谷シェフも出てきていろいろと話をする。
「近いし、昼もちょくちょく来てくださいよ」
「せやけど、ここで食べたら2時間かかるし、飲んでしまうし」
「早く出すようにがんばりますから」
こんな感じで、一皿終わるたびにタバコを吸いに行く。
チーズもデザートもワインでいって、最後のエスプレッソが出てきたのが11時前だ。
ほんとうに食べるのは早いが、食事時間は長い。
昼メシ時に女同士で食べてるシーンがどうしても嫌いなイラチの大阪人、そして若い頃からてっちりや鮨や焼肉やフレンチにしろ「外でうまいもんを食う」のは男ばっかりでという癖がついている岸和田人に、フランス料理というのは食事の愉しさを教えてくれる。