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さよなら春一番

5月4日(祝)

4日の「国民の休日」は、服部緑地へ「春一番コンサート」の第3日目に行く。
去年も第2か3日目かに行っている。

このコンサートは1971年5月に天王寺の野外音楽堂第1回目でが開かれた。
確か、高校1年生の時(とすれば74年である)、こないだ亡くなった高田渡、加川良、遠藤賢治とかのフォークな兄貴たちが出ていて、それを見に行った記憶がある。
中山ラビという女性のシンガーソングライターが、かっこいい歌詞の歌をジョニー・ミッチェル風に大まじめに唄っていて、久しぶりに邦楽の彼女のレコードを買ったことを記憶している。

その頃、オレは近所やアメリカ村に出入りしていた4~5歳上のサーファーという新しいタイプの風俗や人種に憧れ、出来たばかりの森本徹さんの「メロディ・ハウス」に行って、ウエストコーストもんの音を聴きまくり、そのまま西海岸の風に乗った気分でいた。
なので、ちょっと古いというかドメスティックな感じがして、それっきり行かなくなっていたが、去年の「春一番」にバッキーイノウエに誘われて行った。

ちなみに「春一番」は79年に一度終了し、94年に大阪城野外音楽堂で復活し、その後この服部緑地の野外音楽堂に場所を移したらしい。

イノウエに「何時くらいに行くんや」とその当日の朝に連絡すると「オレらは京都を1時までに出るよって」と返事があって、家で適当にありものでブランチを食ってラガーの小瓶2本を開けて、いい天気だったので適当に半ズボンをはいて1時過ぎに神戸を出て、JR大阪駅から地下鉄に乗り換える途中、イカリスーパーに寄ってチュウハイ6本とテキーラのレモンソーダ割りの瓶2本を買った。この高級スーパーは保冷剤を詰めてくれるからである。

会場に着いたので、 入口からイノウエに「今、着いた」と電話して当日券を4千円払って入場すると、すぐにイノウエ率いるキヨちゃん、元「西成の少年」こーじくん、河原町に「水商売のような服屋」を開いたばかりのエディ片山、「飲み盛り・音聞き盛り」30代シンマくん、北新地でたまに会う「酒場馬鹿」の坂本くんがいた。
おっさんばかりのメンバーである(おばはん約1人)。

彼らは弁当を食いながら、缶ビールで相当出来上がっている。
「コウちゃん、食えや」と食べ物を出してくれるが、オレは「食うてきたから、ええわ」といって、それでも中華テイクアウトのザーサイをアテに、立て続けにテキーラ2本を開けた。

わけのわからんおっさんのギターバンドが出ていて、「ナンやこれは」とこーじくんとエディに言うと、ギタリストでもあるこーじくんは「今から、オレらやってもこいつらよりもええで」と応え、ライブハウスをやってたエディは「笑うしかないな」といって、げらげら笑った。
イノウエは居眠りしている。

白のタキシード着た昭和歌謡な司会者が「大西ゆかりさんにフォローを頼みます」といって、ユカリちゃんが登場した。
友だちのユカリちゃんは飛び入りのあと、オレらの席に来て「まいどまいど」といってどこかに行った。

なぎら健壱がテンガロンハットをかぶって、たくさんのバンドを引き連れて登場する。
中川イサトがいる。一人ずつソロを取るが、番茶の出がらしも出がらしな抜群に気の抜けたカントリーで、飲むしかない。

一人ずつ持参した半ダース見当のビールやチューハイがアッという間になくなる。

このクソ暑いのにいつも通り蝶タイをしたマトバックス・的場光旦さん夫妻がやってくる。
奥さんは完全に酔っぱらっているし、それも脱力的に笑うしかない。

史上初の「ボサノバ演歌」と名高い「カオリーニョ藤原と彼のボサノムーチョ」が出てきて、もの凄くいい演奏を聴かせてくれた。
あとで詳しい関係者に聞くと、盆踊りで人気の「江州音頭ラッパー」桜川唯丸の弟子らしい。

それから数組あとに出てきた訳の分からん「少年の主張」シンガーソングライターは、我々にとって聞くに堪えない演奏で、シンマくんは「完全に、しらけさせてますね」といって、あちこちからヤジが飛びまくる。
イノウエはキヨちゃんどっか会場外に出ていってしまった。
オレはかわいそうだが「おいきみ、どこの駅前で唄てんや~」とヤジり、笑いを取った。

「もう帰りましょか」とシンマくんが言い出した頃、やっと彼が引っ込み「坂田明」のバンドが登場する。
50代半ばのスキンヘッドの的場さんは「さっかたぁ~、ひさしぶりやのお~」と大声を出すと、ステージから坂田さんはチラッとこちらを向いて、軽く右手を挙げて応えた。

レベルが違う演奏である。 去年のトリだった山下洋輔を思い出す。
「佐渡おけさ」風のエフェクトを聞かしたボーカルも抜群だ。長いちりちり髪のピアノの女性もむっちゃうまい。
坂田バンドが終わり、大拍手のあと「さあ帰ろう」といって席を立つ。

次は「友部正人」でまだプログラムがあるが、みんなで会場を出て「ミナミへ行こか」となるも「緑地公園唯一のまともな居酒屋」に、こーじくんに案内される。
おでんも串カツが美味かったし、みんなが寛いで、芋・麦とも焼酎のボトルがバカスカと空いた。

伝統の「春一番」は今年で終わるらしい。
終わってよかった、とオレは思う。それは「しみじみ」とかではなく、本当にそう思う。

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2005年05月09日 20:24に投稿されたエントリーのページです。

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