4月22日(金)
清原の500号がらみのスポーツ紙の記事がおもろい。
デイリースポーツも報知も一様に、昨日の三振について書いている。
清原のその三振に対しての発言である。
阪神ー巨人6回戦7回裏、10対2で阪神8点リードの2アウト満塁で清原。
阪神は2失点のみで好投の井川から藤川に交替。
最高の場面だ。
ツースリーのフルカウントで藤川のフォークに空振り三振。
デイリーの記事より。
> よっぽど悔しかったのだろう。清原はいかつい顔でこう言った。「10対2で2アウト満塁。2-3でフォークやろ。ちゃうやろ」。さらに「ケツの穴小さいなあ。チン×コついとんのか」と阪神バッテリーを激しく“口激”した。
多分清原は「チン×コ」とは言っていないと、オレは思う。
いや、断言できる。
「チン×コ」ではない「チン×」と言っているハズだ。
「チン×コ」は小児用語で大人は「チン×」である。
この記者は、岸和田というところを知らない。
「男やったら、こんな場面、真っ向からストレートで勝負せんかい!」というのは、オレも分かる。
分かりすぎるくらい分かるけど、空振りする方が悪いに決まっている。
プロの世界やんけ。お前が負けや。なあ、清原よ。
オレは南海電鉄に勤める「清原さん」と、同級生で沼町の若頭の「清原」と二人の清原和博の親戚眷属を知っていて、本人のお母さんはちょくちょくうちに生地を買いに来て頂いていたことを母から聞いている。
誰かにあげたが、サインも昔、西武ライオンズ時代にお母さんに頼んでもらったはずだ。
そして岸和田という旧い街には「おれは、あいつが小学生の時にバッティングを教えたった。そやからあのフォームがあるんや」とか「精神修業したったんはワイや。なんせ中学時代せんど(何回も、の最上級)説教したったからな」とかいう話に溢れかえっている。
販売部長の中島くんが笑いながら『ミーツ』編集部にやってきて、「清原、今週号の『ナンバー』でとんでもないこと言うてる、お母さんのコメントも最高でっせー。ほんまアホやな~、岸和田の人は」というので、早速読む。
スポーツグラフィック『ナンバー』の今週号は、創刊25周年特別編集1980~2005
「日本野球の25人ベストゲームを語る」である。
当然、清原和博が登場している。
昨年オフ、球団からはついに戦力構想外であることを告げられたり、「引退」「移籍」とかマスコミに文字が踊り、清原は結局11月になってやっと「あと1年巨人で」と決定した。
相当、まいっているはずだしそれこそ腹の立つことは山のようにあるのも、分かる。
その『ナンバー』5月5日号の
清原和博「本当の4番打者になれた日」
にはこう書かれている。
>悔しさを忘れたわけではない。むしろその悔しさを胸に深く刻みつけようとした。時の流れが、あの屈辱を洗い流してしまうことがないよう、心の奥底にだけでなく、その表面にも---------。
「タトゥーを彫ろうと思ったんだ。シャワーを浴びるたび、あのときの悔しさを思い返せ
るように。でも、親に生んでもらった身体だから、一応、電話を入れた。『俺は、こうい
う気持ちでタトゥーを入れようと思ってる』
と。ところが『それだけは勘弁してくれ。それやったら、私死ぬ』って言われて……」
母の懇願に、その鍛え抜かれた肉体に彫りものがされることはなくなった。(中略)
「普段、賭け事はせえへんけども、今年1年は大博打やね。勝つか、負けるか。あの宇部商との決勝戦を上回るようなベストゲームをやって、絶対に巨人を見返したる」
オレはこの記事を読んで、腹を抱えて爆笑した。
まるでヤ○ザやんけ。
時折「 」のインタビュー記事を交えたシリアスなルポルタージュ風のタッチだが、はっきりいってこのライターは下手だ。
というより分かっていない。
タトゥーというはアメリカ村の子どもが入れるもので、清原の言っていたそれはそうではない。
それは岸和田弁で言うところの「墨」つまり「刺青」である。
こういう人種が岸和田にはまだ、だんじり以外にもごろごろとそこら辺にいて、いろんな業界に輩出しいろんな職種で活躍し、いろんな世界で住んでいるのである。
そこらへんをわからんとなぁ!
というのを書いて、副編あおやまに「おう、読んでみぃ」と見せたら、「あきませんやん、ここも抜き出さんと」とのこと。
>提案したのは、妻の亜希だった。
-----ピアスをしてみたら?
ピアスならば、いつかはその穴もふさがれる。
親を泣かせることもない。清原は「ダイヤモンドのでっかい、とにかく目立つやつを」と、すぐに注文を出した。
本当にあきれるほどの大アホである。