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サンボア小史

4月20日(水)

昨日の長屋ですこしふれた「堂島サンボア」について、『ミーツ』読者さんからのメ
ールによるレスが多かったので(といっても3通だが)、本文を再掲載いたします。

なおバックナンバーは04年6月号(通巻192号)
「京都・大阪・神戸 新名店の系譜。」
P53~55で、系譜図および他店サンボア紹介記事入りです。

岡西ミルクホールから一世紀
街バー・スタンダード
サンボアの系譜。


関西スタッグバーの代名詞サンボアは創業86年。
「生前、父も祖父も、新聞記者の方に、本にしたほうがええ、と言われていたんです」
というのは堂島サンボアの3代目。
その系譜の根底にあるものを探る。

取材・文/曽束政昭(本誌)

創業者岡西繁一氏が前身であるコーヒー店[岡西ミルクホール]を神戸・花隈に開き
、「旦那衆相手に」と、洋酒を出す店に発展していったのが、サンボアの原点だ。
店名は、谷崎潤一郎の智恵で、朱欒(ザボン)=ZAMBOAのZを左右反転させ『SAMBOA』と名付けられた。
最初に独立したのは[京都サンボア]の初代・中川護録氏で、大正14年(1925)
2月のこと。
そして岡西氏はその神戸の店を洋酒を扱っていた泉常吉氏に譲り、大阪へ進出する。
「もっと大衆的な、バーに」と大阪の北浜に出店したのが大正14年の12月。
関西で洋酒文化が花開いたのは、どうやらこの頃のようだ。
鳴尾ゴルフクラブのクラブハウス時代(ミルクホール創業前)から岡西氏の元で働い
ていたという堂島の初代・鍵澤正男氏による旧い雑誌の対談記事には、北浜の本店は「有名人も多かった。谷崎さんの他に、芥川龍之介、二枚目スターの岡田時彦、鈴木伝明さんたちが、特にごひいきでした」とある。
昭和7年(1932)、岡西氏は中之島に大阪2号店を出す。
昭和9年(1934)に独立し、その中之島の店を継ぐのが鍵澤正男氏である。これ
が[堂島サンボア]の源流で、昭和11年(1936)に現在の場所に移転した。
翌年、鍵澤正男氏は出征。弟の時宗さん(南サンボア初代)が留守を預かる。
戦争によって、残念な話だが北浜本店が空襲で焼け、昭和20年(1945)姿を消す
ことになる。
が、翌年には[大阪・北サンボア]が誕生する。
これは先の泉常吉氏と同じように、洋酒やワインを扱っていた初代・大竹金治郎氏がお初天神の東、戦火を逃れた場所に開いた店だ。
遅れること5年、堂島から鍵澤時宗氏が独立し、[南サンボア]を昭和26年(194
6)に開き、ようやく系譜の一列目が揃う。
現在、[北新地サンボア]の新谷尚人氏が銀座に店を開いて、計11店舗。
そこに共通するのは「時代がどんなに変わっても、立派に店を守りさえすれば、お客
さんというのは絶対見捨てない」という岡西氏の言葉。
もう一つ、共通していたのが「客を酔わせてはいけない」という作法。これは「月に
一回でしこたま呑んで帰ってもらうより、たとえ1~2杯でも、毎日来て貰う方がえ
え」という思い。
代替わりして店ごとの色が変わっても、根底にあるこの気持ちが、サンボアの世界を
作り上げているに違いない。

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2005年04月20日 18:49に投稿されたエントリーのページです。

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