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大阪の夜と東京の風景

4月18日(月)

昼メシを食べて、色校の突き合わせをしていると、平川克美さんから携帯に電話が入った。
東京の平川さんのオフィスからである。
「今から、大阪に行くんだけど、一杯やりますか。ウチダは教授会って言ってたけど
ね」
いつものように歯切れのいい江戸っ子弁だ。
それではだいたい8時くらいに、ということでお約束する。

表紙はじめ校了朱書きにばしばしとサインして、こちらから8時前に携帯を入れると、「ホテルが天満橋で今からでもすぐ出れるよ」とのことなので、「京阪に乗って淀
屋橋に来てください。大阪市役所の1番出口で、15分後にお待ちしています」とお
伝えする。

編集部のある江戸堀からゆっくり歩いて、15分後きっかりに「淀屋橋」の橋桁で待
ち合わせ。
土佐堀川を渡り「これが市役所、あれが日銀で確か辰野金吾の明治建築で…」とご説明しながら北新地へ。
そのままべっぴんさんが揃う、行きつけの高級クラブへ‥‥。

と言うのは嘘で、北新地で奇跡のように残る「純居酒屋」の[いし橋]へご案内する。
この時間は一番ピーク時だ、カウンターが一杯だったらどうしようか、と思いつつガ
ラリと引き戸を開けると、予約していたかのようにコの字型のカウンターの正面2席
だけ空いている。

この店については、03年1月号特集『ザ・居酒屋』で「 居酒屋はその街そのもの、北新地の居酒屋もしかり。」という記事をオレは書いている。
ちょっと押し売りみたいだけど、ワードに保存してあるのを見つけたので、再録しよ

[店記事]

いし橋
●大阪・北新地
初めて強引に頼み込んでご紹介させて頂いたのは特集「北新地/祇園」(136号)だ
ったが、築50年の渋すぎる一軒家の引き戸を開けると、いつもながらワイシャツ/カ
フス率が高い客層である。家庭的にうち解けた大阪的ムードと抜群のアテが熱燗を進ませるが、常連さんが多いのでそのつもりで。予算的には2人で1万円というところ。●大阪市北区曽根崎新地1-6-7 t06・6344・3825 5:00PM~10:00PM 土・日・祝休

[写真キャプション]
小鉢ものにしても刺身にしても、鯛やヒラメといった白身からマグロ、ヨコワまで、たまらなく熱燗がほしくなるアテばかり。煮付けは鯛のあらやメバル、ガシラ。鯛は明石から。小鯛煮付けなど、箸が止まらない。

[店本文]

「とてもいい居酒屋だ」と東京の先輩に聞かされていた店だが、新地本通の中ほどに
あるその佇まいからは「これはちょっと…」という感じでいた。
 …は「料理屋と違うの、一見では怖そう」とか「居酒屋にしては、敷居が高そう」とかであるが、ある日、閉店間際にビ-ル箱を運び出している所に出くわし、店の様子が見えた。
さりげなく前を通りがかるふりをして、けれどもしっかりのぞき込み、「これは行かなあかん」と思った。けれども長い間、行けなかった。
店員の大きな声が飛び交うチェーン店や情報誌に載っているようなお洒落系居酒屋
ならその逆だが、この手の居酒屋は案外、フリでは入りにくい。
長い間かかって練られてきた店の気配みたいなものに、浮いてしまうことがどうして
もカッコ悪いと思ってしまうからだ。
ずいぶん経って、北新地の店の人に連れてもらうことになり、それからは一人でふらっと飲みに行っても、会社の仲間と飲むではなく食べに行っても、お腹がすいたか
らとご飯にアサリの味噌汁を出してもらったり、押し寿司を勧めてもらったりと、た
ぐいまれなこの店の居酒屋ぶりに親しんでいる。
過剰な自意識は居酒屋というカテゴリーの店では不要だと今さらながら思うが、こ
のあたりの揺れみたいなものが、この北新地という街では、一番楽しいことに違いな
い。
どこの街でもそうだが、いい居酒屋を1軒知っているということは、街的に何ものに
も代え難い幸運である。 ●江 弘毅(本誌)


平川さんはいきなりお酒を常温で(コップ酒である)、オレは瓶ビールを頼む。
フキとゴボウの炊いたんと若竹煮、ホタルイカの酢みそ、イサキの塩焼きを矢継ぎ早
に頼む。
隣のネクタイをゆるめた3人客がウニ一枚まるごとドカンと注文していて、最後に白ご飯としじみの味噌汁を注文して、ウニをてんこ盛りご飯に載せている。

「いいねえ」と平川さんが唸る。
「東京にもこういう店、ありますか」とオレは自分がエラいわけではないのに、いつものように自慢する。
「あるよ。新宿に」とか、外に出て内田先生に携帯を入れて「今、教授会終わったって。今日は勘弁して、だって」とか、内田先生の若い頃の話とか、うちのA山のブロ
グの話とかしているうちに、店が仕舞い出す。
この店の良いところは、「朝が来ない街」北新地にあって、9時半頃になると客が引
き出すことだ。
だから店が「酒で荒れない」理想的な居酒屋である。
お勘定になって、平川さんが「いいよ、こないだ奢ってもらったから」とごちそうになる。

そうなったからには北新地一の美人シャンソン歌姫がいるステージのあるラウンジへご案内、
というのももちろん嘘で、[堂島サンボア]へご案内する。

9時半かぁ、ピークだからひょっとすると椅子席が一杯かも、立ち呑みは平川さんに
気の毒だし、かなわんなあ、とおもってビカビカのドアを開くと、ここも予約していたように一番いい手前の2席だけ空いている。

オレはニッカ竹鶴を水割り、平川さんはサントリー山崎をロックで注文する。
ひとくちふたくち飲んでから、オムレツを頼む。
芸術品のようなチーズ入りオムレツが出てくる。
「いいねえ」と平川さんが再び唸る。

この店のルーツ、大正7年神戸・花隈[岡西ミルクホール]からの1世紀。
そしてそこからのスタッフが独立して「京都」「北」「南」そしてこの「堂島」の各サンボア系統ができたこと、この「鍵澤」さんの店が今年70周年を迎えたこと。
また開店前の掃除中に入ってきて、三代目の鍵澤秀都さんが仕方がないから酒を出し、開店と同時に帰っていく老人の常連客がいることなどを「街の雀」のオレは話す。

ついでだし、04年6月号特集『新名店の系譜』の1コーナー、「街バー・スタンダード サンボアの系譜」から、昭和9年開店のこの堂島サンボアの記事を紹介しよう。

堂島ビジネスマンが
三代に亘って通う立ち飲み。

取材・文/曽束政昭(本誌)

堂島サンボア

ショット売り、ウイスキーは全てダブル、そしてスタンディング。
これぞサンボア、といった店内には、早い時間から上質の記事が見て分かるスーツ姿の街の諸先輩が訪れる。
店名と同じく、堂島に勤める御仁たちが多いのも事実。先代・鍵澤正氏は、北新地サンボアの新谷氏が独立する際の後見人。
初代から通う客も少なくない。角840円。
●大阪市北区堂島1-5-40 t06・6341・5368 5:00PM~11:30PM(土曜4:30PM~10:00PM) 日・祝・第2・4土曜休

平川さんとお会いし、いろいろとお話ししていると、いつも好きだったある種の東京
の街の風景が浮かんでくる。
オレは東京には住んだことがないし、2泊3日以上は滞在したことがない。
80年代に就職試験や面接でしばしば行っただけだ。
けれども「岸和田の編集者」になってからは、それ以降、よほどの仕事や用事があっ
ても「行きたくない」街である。
出張ほかで年に1回くらいは行くが、それは「仕方がない」からだ。
正確には「オレには関係ない」という感じだ。

その平川さんから感じる東京の街の風景とは、ひとつはトヨタ2000GTや最後にザ・ピーナッツとハナ肇が出てくる「シャボン玉ホリデー」的な華やかさであり、もうひと
つは井上順のこの唄である。

『お世話になりました』
作詞・山上路夫

明日の朝この街を ぼくは出てゆくのです
下宿屋のおばさんよ お世話になりました
あなたの優しさを ぼくはわすれないでしょう
元気でいてください お世話になりました

男なら夢を見る いつも遠いとこを
煙草屋のおばあさん お世話になりました
お金がない時も あとでいいと言って
ハイライトをくれた お世話になりました

新しい生き方を ぼくは見つけてみたい
おそば屋のおじさんよ お世話になりました
将棋のにくい敵 五分と五分のままが
くやしいぼくだけど お世話になりました

なにもかも忘られないよ お世話になりました
誰もかも忘られないよ お世話になりました

20年ほど前、編集者になりたての頃、一度だけ義弟の結婚式で会った遠い親戚筋のおばさんがいて、彼女は渋谷区幡ヶ谷のビニール製カバンものの町工場のおかみさんだが「出張とかでこっちにきたら、いつでも泊まりに来ていいよ」と言ってくれた。

その東京弁の優しさは本当にやさしくて、それは内田先生の2005年04月11日「港町ブルース」で書かれていた「センチネル」みたいなものだと思っている。

それと知らないうちに堂島サンボアのお勘定を済ませて頂いていた平川さんは、あすは高野山に行かれるらしい。

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2005年04月19日 22:26に投稿されたエントリーのページです。

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