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名古屋の勢い

4月6日(水)


『ミーツ』で名古屋の特集をしている。
タイトルは「名古屋!一生に一回。~名古屋、笑いっぱなし、泣きっぱなし~」である。

今、日本でいちばん元気がいい街。
今年3月から始まる「愛・地球博」もあって、有史以来の大名古屋ブームに沸いて
いる。
万博景気で新しい施設や店はバンバンオープンしているし、駅からも道行く人からも街からも、何だか「ノッてる感」がビシバシ伝わってくる。
底値のついた強さというか、もはやヤケクソ感すらする時代を生きる大阪京都神戸
の街人にとって、「隣の隣の街」である名古屋は、今までギャグや笑説の類でしか捉えていなかったのも事実。
関西で喧伝される、あまりに過剰なサービスや食べ物、造形物は、
閉鎖的な土地柄(地元志向強力)や倹約体質(ケチ)、そして屈折したプライド(どうせ私ら中途半端だし…)などの要素が複雑に絡まった、名古屋でなければありえない産物といえる。
それは私たちにとって本当のところどうなんだろう。
大阪から1時間弱、京都ならたった40分弱の近さなのに、
お互い何となく見て見ぬフリだったのは、これまでの日本と韓国の関係とちょっと似てなくもないか。
ならば、冬ソナが韓流ブームのきっかけだったみたいに、万博をきっかけに関西からいちばん近い外国を訪れてみるのもいいかもしれない。
好きか嫌いか。ハマルかもう二度と行かないか。
ファーストインプレッションが激しく分かれる都市というのは日本で名古屋だけかも。

という編集趣旨である。今週初めからガンガン初校が上がってくる。
これはおもろい。誌面で書けなかった取材話も沸騰、大盛り上がりである。

連載中の「我々は「救済」にすら値しない!」の清田友則先生(名古屋芸術大講師 
博多出身、東京~サンディエゴ~名古屋と流民)の名古屋論「名古屋は「救済」にす
ら値しない?」の特別寄稿もいい感じ。

それを少しご紹介。
名古屋を「大いなる田舎」(@タモリ)としたうえで、
「およそ生活感に欠けた品物がところ狭しと並ぶ[ドン・キホーテ]が東京や関西の
象徴なら、名古屋のそれは、カーペット敷の余裕たっぷりのスペースに、下はジャス
コから上はシャネルまで、それこそありとあらゆるモノが簡単に手に入る[イオン熱
田]や[ダイアモンドシティ・キリオ]です。
そこでは駐車料金も待ち時間もありません。一息つきたければスターバックス、疲れ
たら足裏マッサージ、お腹が空けば全国選りすぐりのラーメンテーマパーク(これも
待ち時間なし)、手持ちぶさたのお父さんには隣接する大型パチンコ店と、人混みや
ストレスとは無縁のお手軽文化がここにはあります。
「そういうお仕着せの消費文化なんてしょせん退屈じゃないか」って? 確かにおっ
しゃるのはごもっともです。刺激や緊張感を求める人にとって名古屋は、はっきりい
って退屈な街です。でも「おだやかで変化のない生活がしたいと思う」(NHKの都
市別アンケート調査では最上位項目)人にとっては大変居心地のいい街ですし、東京人や関西人のなかにもそうした生活に憧れる人は少なくないはずです。
都会生活をすこし持て余し気味のあなた、「自分が将来何をしたいのか、あるいは今
、自分は何をしたいのか、それすらつかめずに(…)、ただ、息をしてぼんやり生き
ている。とりあえず目の前の楽しいこと、面白そうなことには飛びついてみて、あと
のことはまたその時考えてみる」(中澤天童『名古屋のオキテ』)あなた、そんなあ
なたにとって名古屋は最適の居場所です。景気もいいし、仕事ならいくらでもありま
す。
万博がてら、そうしたことも少し考えに入れてみてはいかがでしょうか?」

実際、編集部員全員が名古屋の店や施設や人や合コンを取材してきたが、「大いなる田舎」にいる名古屋の人は全然「田舎もん」ではないという実感がある。

「ちょうど万博とかで忙しいはずやのに、どこも喜んで取材受けてくれる」
「あるラーメン屋に取材に行った時、カーナビでも探せなかって電話したら、女将さ
んが、どこにいるの?すぐ行くから待ってて!と迎えに来てくれた」
「大阪から来たどこの馬の骨か分からん我々に、ここまでしてくれるのに感激した」

これはすぐ前のエントリーでも言及した「ヤンキー的精神性」である。

この名古屋特集と前のエントリー&コメントで思い出したのは、表紙にヴィトンやエ
ルメスのロゴを使ったりプラダの新店をバーンと出したりして、そんなブランド会社
と「なりふり構わぬなりふりの構い方」みたいなタイアップまるだしの特集をしまく
っていた頃の『ブルータス』誌の甘糟りり子という人の連載コラムである。

「『いなかもん』はカジュアルな差別用語である。
『東京出身はそんなにえらいのか?」

そんなタイトルで、こんなことが書かれていた。

「メルセデスのSLに乗り、アッピアという伊レストランに行き、まだ暑い9月に秋物
ジャケットを着て香水の匂いをさせるスノッビーに出身地を聞いたところ山陰の出身
だった。
『これだから、いなかもんは嫌だわ」
と彼女は思い、いなかもんとはどういう人かを評論している。

オレは、あれえ、この人「ブランドもん評論家」とおもっていたのにいつから「いなかもん評論家」になったんだろうと思っていると、

「『東京出身』はそんなにえらいのか。
確かに彼らはアドバンテージを握っている。人によって、そのアドバンテージを、えらいと表現する人もいる。ただし、それは【きらびやかな都会】を使いこなすことに関してであって、それ以上でもそれ以下でもない。都会になれた態度を、たかがそんなことと思うか、とても大切なことと見るか、それは人それぞれである。私に限っていえば、一番大切ではないが、絶対に必要なことという感じ」(【 】は筆者)とある。

これはえげつないこと書くなあ、状態になったオレはちょっと考えてみようと思った。
都会とは街とは何か、そして田舎もんとかヤンキーとかについての新しいヒントがあ
るような気がしたのだ。

(以下、次エントリーへ続く)

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2005年04月07日 20:21に投稿されたエントリーのページです。

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