2月14日(月)
3月1日売りの「ザ・純喫茶」特集の色校が出ているので、次は「ザ・純酒場」もあ
りか、などと書こうとしていたら、突然、富岡多恵子さんから電話があった。
実に3年くらいご無沙汰をしていて、もしやオレがこの長屋で書いた内容のことか?
と一瞬ビビリまっくたが、富岡さんは「情報通信非順応ヒト類」(「難波ともあれ
ことのよし葦」P24 )なのである。
その短いコラム最後には、
「最近インターネットを仕事に大いに利用しているひとに、わたしのような者を情報
弱者というのですねと自嘲したら、弱者ではなく、たんに文字が読めないのと同じと
いわれてしまった。そうかーー、ついに琵琶法師になって、今様の敗者の物語の歴史
を語るしかないのかと思ったのであった。」
と書いてあるお人だから、そういうことはない。
このところ「史上最弱の主婦@青木るえか」「史上最弱のブロガー@内田樹」と「史
上最弱」の方々が我が「ミーツ」周りに多いのだが、富岡さんはさしずめ最弱横綱か。
電話に出ると
「元気でやってますか? 塩飽さん、そっちにいてへんよね」
「はい、結婚して三重県で住んでます」
「もうあんたとこの雑誌はやってないの?」
「いえ、作家さんのコラムとか担当させてます」
「そっちへ本送ったンやけど、それは編集部の分で、直接担当してもろてた彼女に送
ろと思ってるンやけど」
「あ、編集部には筑摩のM宮さんから送ってもろてます。塩飽にはつたえてます。た
ぶんあいつのことやからもう買うてるんとちゃいますか」
「ああ、そう。それで、あんたはどうやねん?」
「おかげさんで、おととしだんじり祭の若頭筆頭やらさしてもらいまして、もう今は
編集一本です」
とかだったが、はよ礼を言えあんた行儀悪いな、とまでは言わないが、本が届いたか
どうかくらい知らせてもいいんとちゃうのあんた水くさいなあ、みたいな感じで、や
はりビビってしまうのだった。
大阪の編集者はつらい。
夜は大林ビルにあるグランメゾン、“ル・ポンドシェル”のパリの3つ星レストラン
“ル・グランヴェフール”のギィ・マルタン料理週間に招かれる。
今年も料理長ピエール・ゲイが来ていて、自ら料理をつくってくれる。
このところ、どうも仏伊料理から食べることも書くことも遠ざかっていたのだが、な
ぜか毎年この時期のこのレセプションには参加していて、今年は大阪を代表するイタ
リア料理“ポンテベッキオ”の山根大助シェフと、新しくなった大阪証券取引所ビル
のリーシングを手がける水田さんと、そして副編集長の袖岡と同席だ。
同世代の山根さんとは、まだ大阪でイタリア料理がそんなにブレイクしていなかった
80年代後半からの付き合いで、オレは「イタリアンなのにフレンチみたいな料理な
のはとても大阪的だ」とか「チャーシュー麺みたいなパスタである」とか、だれも書
かないのをいいことに好き勝手にミーツに記事を書いていたし、食べに行くといつも
最後の客になり、仕事を終えた彼が席に座りワインを一緒に飲み、そんなときはたい
てい終電を乗り損ねた。
そしてその後、彼は時代を走りまくり、ガンベロロッソなどに絶賛され、押しも押さ
れもせぬ日本を代表する伊料理店になるわけだが、たまにしか行かないくせにオレは
そんなことお構いなしに、「8人で行くから、ひとりあたりン千円でお願い」とヤカ
ラを言っている。困ったものだ。
ギィ・マルタンの料理は、ほんとうにパリの料理っぽい。
パリの街人のファッションを見ていて、いつも感心し楽しくなるのは、進んだデザイ
ンのインパクトだったり、大胆に他国のエスニックな要素を取り入れたりしているこ
となどだったりするわけだが、ここの料理はそれにとても似ている。
今回は特に肉料理が圧巻で、子羊のロティはひょっとして醤油を使っているのだろう
かと思う日本の焼鳥調のもので、ちょびっと添えられていた真っ赤なペーストは、ク
ミンシードとかカルダモンのインドっぽい香りに韓国のコチュジャンの味がして、そ
のうまさにびっくりした。
3センチほどの極小の大根もそれをちょいとつけるとキムチのようで(味は全然違う
が)、なんぼでも酒が飲める。
悪ノリした山根シェフと水田さんは「骨のところのこれ、もしあったら追加お願いし
ます」とメートルさんにねだったら、ウインク1発、なんと小さな皿にそれだけ4本
持ってきてくれて、またワインのがぶ飲みが始まる。
誰か止めてくれい!