1月9日(日)~15日(土)
風邪をひいてしまって、今週は編集部にいる以外はほとんど家で寝ているので、音楽
ばっかりデカイ音で聴いている。
ヘビーローテーションはヴィニシウス・ジ・モライスとバーデン・パウエルの「サン
バ・ダ・ベンサォン(祝福のサンバ)」で、これは本人のバージョンと、ベベウ・ジ
ルベルト(ジョアンとミウシャの娘)、エリス・レジーナのものといろいろ聴き比べ
てみる。
ボサノヴァのゴッドファーザー、ヴィニシウス・ジ・モラエスは、この唄の中で「詩
人で外交官 ブラジルで最もブラックな白人 シャンゴの直系だ」と非常にかっこい
いことを言っているが、彼は確かパリで外交官してたはずで、やっぱりかっこいい。
フランス人のピエール・バルーはこの曲をぱくって「サンバ・サラヴァ」という仏バ
ージョンの歌詞を付けて唄っている(アヌーク・エイメがシビレる「男と女」でも出
てきます)。
皆、幸せになりたいと思っている。
私は歌うのが好きだし、人が
楽しくしているのを邪魔しようとは
思わない。けれども、
悲しみのないサンバなんて
酔わせてくれない酒みたいだ。
そんなサンバなんかいらない。
うーん、サウダージそのものである。
「サウダージ」というのは、バイーヤ地方出身の黒人が、リオで家族や故郷のこと思
う気持ちを歌詞やメロディで表現した独特の感覚とのことだが、これがわからないと
サンバやボサノヴァは歌えない、という感じで思っている。
その「サウダージ」というポルトガル語は、友人の柿木央久によると、
葡和辞典では、懐かしさ、やるせない思い出、郷愁。
葡英辞典では、あこがれ、熱烈な欲望、思慕、ホームシック、ノスタルジア。
葡仏辞典では、名残惜しさ、ノスタルジー、思い出、人の不在による哀しみ。
だそうで、そんな風にお国柄に引きつけて訳されているのが面白い。
もう一つは、つじあやののアルバムで、このアルバムはよしだたくろうの「結婚しよ
うよ」とかサザンオールスターズの「シャ・ラ・ラ」とかのカバー集なのだが、ロス
・インディオス&シルビアの「別れても好きな人」がとりわけいい。
ちょっぴり寂しい乃木坂 いつもの一ツ木通り
ここでさよならするわ 雨の夜だから
という抜群に街的な歌詞が、ウクレレの弾き語りに合いすぎるくらい合っている。
あと一つが西田佐知子の全集で、このところ江利チエミとかと同じく20代のDJた
ちの再注目を集めている。
なかでもザ・ピーナッツ版で有名な「ウナセラディ東京」がいい感じだ。
街はいつでも 後ろ姿の
しあわせばかり ウナセラディ東京
「後ろ姿のしあわせ」ってところがグッとくる。
ボッサ/ラテン系の唄は、かなしいと楽しいは分けることはできない、みたいなこと
をいつも言っている。
かなしいことと楽しいこととか、陶酔と絶望みたいなものは、実はアナログ的に連続
しているものであって、ここからが楽しいの領域です、こちらからはかなしい方です
、とデジタルに線引きできない。
いちいちどこからどこまでがかなしいことで、どこからどこまでが楽しいことだ、と
かいってるから人生は味気ないのだと思う。
陽気に行こう。
コメント (1)
江さんが得意とされるいくつかの文章のうち、「泣き」に類するフレーズですね。
いつもながら、しみじみ、目頭の奥と心で涙する、そんな時間の描写ですね。
そうです、哀しいと楽しいって、同時にくることがあるんだと、大人になるとわかる。
齢を重ねるごとに、確信というか、実体験による「あ、やっぱりね」が増えてくる。
「哀しい」と向き合い、同居して、それを「あきらめではない克服」という形で、陽気に「楽しい」に転化したい。
それが、「人間として生きていく」、ということ。
…ってことを、江さんやこの長屋の主人・内田先生は、主張、されてるのではないでしょうか?
投稿者: 門葉理 | 2005年01月17日 02:04
日時: 2005年01月17日 02:04