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日本一引きこもりなだんじりエディター

12月16日(木)

このところパソコンと長時間にらめっこしているせいか、夕方を過ぎると首が痛くな
る。

この秋、シグマリオンをやめて、家にもiMacを導入した。このマックは「有限会社の
ぞみ」の若きアントレプレナー藤田青年がオークションで落としてくれたものである

最上位機種のグラファイト、大容量・高速HDが搭載されているスグレもので、快適極
まりない。

編集部員は「インターネットは、家でやったらあきませんよ」と忠告してくれるが、
「あほやのお、知らんかったんか。オレは『日本一引きこもりなだんじりエディター
』や」とこの長屋のタイトルをもじってうそぶいている。
「だんじり祭の若頭と引きこもりはどう考えてもつながりませんね、それ、寄り合い
とか祭当日にも引きこもるんですか。むちゃくちゃですね、わけわからん」とみなは
笑う。

そんなもんで、首や肩が痛くなったので仕事を早く切り上げて、はよ帰って神戸・三
宮の「源平」で寿司でも食うか、とビル地下直結の肥後橋駅から地下鉄に乗ろうとす
ると、西梅田行きは出たばかりだ。
かわりに反対側ホームに住之江公園行きが入ってきたのでそれに乗る。
とっさに「白雪温酒場」の錫のチロリの熱燗とナマコとカニを思いだしたからだ。

本町で中央線に乗り換え、九条まで10分。寒いし1分でも早く行きたいから、1メ
ータだが駅前で流しのタクシーを拾って乗る。

ガラリと扉を引くと、満員だ。うわー、アンラッキー。
広いつけ場のいつものところに兄ちゃんの顔が見える。L字型のカウンターをざっと
見渡してからこっちを向いて「すまんなあ」と顔を曇らせたるのと同時に、こちらは
「一人だ」と人差し指を立てる。
この無言の1秒ほどで「ごめん、そこひとつ、空けたってくれる」と初めて声が出て
、こちらは詰めてもらった客に「えらいすんません」といって勝手に補助椅子をひと
つ入れる。

温酒場はいつもと何か様子が違う。
おばちゃんがいなくて、いつもは10時半きっかりに皿洗いをしに来る兄ちゃんの嫁
が替わりにいる。
嫁さんは毎日同じ時間に来て、いつも兄ちゃんは時計を見て「おっ。今日も終わりか
」と時刻を確かめる。
彼はわたしより2つ上の昭和31年生まれで、昔は伝統ある明星高校で応援団をして
いた。はじめはなんか怖い感じがして、10年ぐらい(1年ちゃうぞ)話はしなかっ
たが、このところよく話をするようになった。

「居酒屋大全」の太田和彦さんが『居酒屋かもめ唄』(小学館)で見事に書ききって
おられたこの名店は、メニューも灰皿もない店だ。だから客は誰かに連れて行っても
らうか、隣の客が何を頼んだかを見て真似するしかない。
オレはこのオールドスタイル極まりない店に、日限萬里子さんに連れていってもらっ
てから、ここ20年ほどよく行ってるが、たまたまおばちゃんが、高校の時によく遊
びに行った同級生の家の2軒隣から、その昔、この九条に嫁に来たという奇遇で、よ
くしてもらってるし、おそらくメディアとして初めてミーツに書かせてもらった。

酒は「酒」、大ぶりの大豆と昆布を煮たものは「豆」、カニは季節によって毛ガニ、
松葉、ワタリと違うが「カニ」とだけ言って注文する。おばちゃんに「大根おろし」
と注文すると「辛いとこ?甘いとこ?」と訊いてくれてから下ろしてくれる。 (タ
バコの灰は床に落とし、吸い殻は床に捨て足で消す)

一口飲んでから「ちょっとぬるい?」と思う酒は、分厚い「錫半」(もう倒産した大
阪の錫器会社)製造のチロリで一個ずつ丁寧に燗されて出てくるので、ガラスの小猪
口の二杯目三杯目が必ずちょうどいい温度に上がる。
そして酒を一升瓶からチロリに入れて、7個口が開いた鍋の燗器につけ出してくれる
のは、やっぱり「おばちゃんやないと美味しない」。

兄ちゃんはめちゃ忙しそうだし、ここ10年ぐらい、仕込みが終わり夕方店を開けて
からは満席になる時以外、奥の部屋で寝ころんでいる親父さんもレギュラー出演だ。

店に入ってからずっと気になっていたことだが、息子の兄ちゃんに訊くのもナンだと
思って親父さんに「おばちゃんはどうしたん?」と訊いたら、オレの顔も見ずに下を
向いて、ひとこと「入院してる」。
それ以上は、もう訊けない。

一時間ぐらいでナマコやおでんやほうれん草やオムレツやらを食い倒して、小ジョッ
キとチロリも四つカウンターに積んでおあいそ。2千7百円だった。

その後、どうしても道頓堀のバー・ウイスキーに行きたくなった。
この店にしても創業名バーテンダーの小野寺さんは、ここ2〜3年は忙しい時しかこ
られないし、カクテルもあまりつくらない。ちょっとだけ炭酸を入れるテキーラサワ
ーを飲みながら、世代交代なのだ、とつくづく思った。

白雪温酒場もバー・ウイスキーも、20代の頃、諸先輩方によく連れて行ってもらっ
た。
こいうところでは仮に一人で初めて入っても、何をどう注文するかわからない。
その店で何を注文したらいいのか、それは言葉と同じで、「誰かにその瞬間に教えて
もらう」しか分からないことだ。そしてその繰り返しが経験となって先験的に「自分
がその店で何が分からないのかが分かる」という、単なる消費だけではない、実は街
的に最重要な「分かって楽しむ」ことへのパスワードを獲得することになる。

そういう意味で人は街では誰しも先輩にならなあかんし、それがアタリマエである。

少なくとも誰かの先生はなおのこと、親にすら「ならない、なれない、なりたくない
」の三重苦を背負った人間はたくさんいる時代ではあるが、自分よりも若い誰かの矢
面に立ったり道しるべにならないと、つまり「ええカッコ」ができないと生きていて
おもしろくも何ともない。

だから若い人は、履歴書には、これから何が出来るかを鼻をふくらませて書くもので
はないし、ボランティアで「これこれこういうことをしてきました」というものでは
さらになく、どういう先輩がいて何を教えてもらったかが書けることで、この街で過
ごしてきた値打ちが証明できる。

コメント (2)

ヒラカワ:

「タバコの灰は床に落とす。吸殻は足で消す」ってのがいいねぇ。
ついでに、
「歯にはさまった、イカは舌ではずす」だよね。
こんど、俺も付き合うぜ。

ヤマナカ:

江さんが、「街」を『贈与』の場であると考えておられるように、
私は今、自分の仕事・職を、贈与のステージとして捕らえています。
(この『贈与』とはもちろん、内田先生や平川氏の著書等(TFKなど)で頻出する、あの、贈与です。)

「最近の若者は、云々」という表現、私もよくしていまいますが、
こちらの贈与に対して、真摯な返礼を下さる若い方々、
なかなかどうして、結構いらっしゃるんですよね。

それに対して、自分は「ちゃんと大人にならんとあかんなぁ」と、
胸がいっぱいになりますね。
そんな経験、ありません?

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2004年12月17日 21:22に投稿されたエントリーのページです。

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