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街の逆説

12月10日(金)

午前10時過ぎ、大阪行きの新快速に乗ってたら、いきなり携帯にメールが入った。

あれえこの人、何でオレのアドレス知ってるんかな? という滅多にメールなんか来
ない「妙齢のご婦人」(@内田樹の研究室11/30)からで、その文面は「そんな男が
好きです。」の1行だった。

ご無沙汰だったので、心うきうきして「何の話です?」とメールを車内で返信したが、
これへの再返信はない。

編集部に着き、ドトールで買ってきたサンドイッチとカフェラテを広げ、このブログ
を見ると、長屋家主ウチダの親父さん作の「こんな男でよかったら」という昨日のタ
イトルがあった。

「ははん」と思うと同時に、顔から火が吹いた。
たぶんその夜、岸和田で一緒に忘年会をやっていた若頭のメンバーがそれを見たら
「江、おまえは気が狂たんか」と嘆くだろうし、実家の年老いた母親なら「ひろき、
いつの間に安なって…」と泣くだろう。

最高と最低はいつも同じにやって来るから、人生は楽しい。はっはっはっ、ははh。
爆笑のち、やっぱり苦笑。

「大阪力事典」という大層なタイトルが付いた400ページもある本が届いた。

そうか、去年の年末に、大阪ガ×のエネルギー・文化研究所主任研究員K本さんから
「アメリカ村・南船場」「エルマガジンとミーツ・リージョナル」についての原稿依
頼があって、そういや昨年末に10枚ほど書いたそれかなあ、ということをようやく
思い出した。

同じくそういえば、諸事情で(どんな事情やねん)「出版が遅れる」というメールに
ての伝達があったことも、やっとこさ思い出した。

月刊誌で締め切りに追われている編集者からすると、こういう出版のテンポというの
は、実にほのぼのとしていいもんだ。

表紙を見てみると、おお、ミーツでおなじみのイラストだ。表紙も何十号か描いても
らったし、前回の内田先生の「街場の現代思想」のカットもお願いしていた「奈路く
ん、さすががんばってるな」である。

編集は「大阪ミュージアム文化都市研究会」。
「活動するミュージアム、(大阪の)都市の活気を手に入れよう」とのことで、芸
能文化・街・御堂筋・近代建築・祭・たこ焼き…といった大阪の文物がA to zで並ん
でいる。

いろんな人がいろんなことを書いていて、大阪のあんなことこんなことのおもろいこ
とを書いてる人は、本当に多いと思う。

けれどもこのところ、街そのものについては、オフィスにいる行政や経済・産業界の
人々が 「街作り」「都市環境」さらには「長屋」とか、なんだかこのリセッション
以降、急にあれこれと言うようになってきたのはなぜだろう。なにが関係するのか。

長年の祭と街雑誌の編集を通じて、そしてやっと40代を過ぎてやっと、こなれた下町
の愉しさやそこにいる喜びがようやくわかり始めたオレにとっては、そんな同世代の
3学期の学級委員が、試験の前の一夜漬けのようなことをやってることにつき合って
いるヒマはない。

オレらがお世話になり、毎日泣いたりわめいたり手足をばたつかしている、この街と
いうものに思いをはせる時に、明治や大正、さらに昭和というわけのわからない時代
を街とともに生きてきた諸先輩方が、駅前ビルやファーストフード店やコンビニと入
れ替わるように、もはやこの世から引っ込みつつある現状をこそ直視したい。

それには、今のうちに街に出て、なんとか差し向かいでリアルな街の話を聴かせてい
ただくしか、街的方法論はないのである。

ほんとうに、街は決して誰かが何かを「仕掛ける」ためにプランニングして出来るも
のではなく、その街に生活しあるいは蝟集するその人自体が、その通りをうろついた
り、知り合いの店でメシを食ったり、横丁の酒場で飲んだり、坂道のカフェでお茶す
ることで街というものが街になるようだ。

まさに「街は誰かに何かの目的によってつくられることを拒むように構造化されてい
る」(リナックスカフェ平川克美)のである。

相変わらず、このブログはおもろい!
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2004年12月14日 11:49に投稿されたエントリーのページです。

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