9月5日(日)その試験曳き出発編
午後12時40分。
家に帰ってシャワーを浴び、祭衣装に着替える。地下足袋の7枚のコハゼを止め、家
を出る。
寺町筋を抜け昭和大通りに出ると、すでにだんじりの回りは後梃子拾五人組の法被姿
の男たちで一杯だ。
だんじりの横の人混みをすり抜け、テーラーT前に行くと、「中へ入って、お茶でも
飲めや」と麦茶を出してくれた。
M人の叔父さんであるKさんが世話人の法被姿でいて、「あ、Kちゃん、久しぶりで
す。今年も頼んどきます」というと「お前の顔見たらね、今年も祭来たと思うんや」
と言った。
オレも逆に本当にそうだと思う。テーラーTはKさんの生家である。けれども、子ど
もの頃から祭以外は、テーラーTで顔を見た記憶がない。
今でこそ初老の風貌だが、自動車教習所の先生だった彼は、ハーレーダビッドソンに
乗っていた粋なおやじである。
前梃子責任者のTに、前梃子、大工方の順番で塩をかけてもらう。この塩は比叡山延
暦寺のから取り寄せたものだ。
まだかまだか「今何分や?」と腕時計をしているものを見つけては時刻を聞き、タバ
コをせわしなく吸い、足の筋肉をのばしたりして、ようやく前板に曳行責任者、会長
が乗る。
青年団が綱を張る。「ちょっと前へ出せ」と中央へそろりと出す。
「後ろ、ええんか」「いくぞー」。その合図でオレは、腰回りから小屋根下、見送り
の竹の節を掴んで、後ろのホゾに乗る。松良にはM雄、その後ろに前梃子が一人がた
かっている。だんじりが並足で走る。
道が右へゆるくカーブしているので左に寄った。なかなか取れない。
おい後梃子、いけるんか、これは危ない、腰回りで走ってる拾五人組の副責任者のS
村に「あかん!はよ逃げれ、どかんかえ!どけ!」と怒鳴って、自分もだんじりから
飛び降りて挟まれないように、腰回りの3〜4人と軒先の窪みを見つけて飛び込む。
ブレーキが入ってだんじりが止まる。「おい、しっかり取らんかえ!」「オマエら、
何やってんな!」。若頭、世話人から後梃子にこれ以上のものはない岸和田弁の怒号
が飛び交い、言われた拾五人組組長はさらにどんす(綱)を持つみんなに怒鳴りつけ
気合いを入れる。
だんじりはとても言語学的である。「だめだよ」「あぶないぞ」「止まれ」といった
テレビドラマの標準語的な言語運用では、皆目だんじり祭にならない。
その語法や言葉遣いつまりエクリチュールが、だんじり全体の何百人という男とだん
じり動きそのものを統御しているのだ。
「せーのぉ、チョイ!」とチョイ取りが一発で決まり、町旗と御祭禮幟を大きくゆら
せる派手な動きで体勢を立て直して、ゆっくり目の曳き出し太鼓でで駅前へ向かう。
さあ、これからだ。