9月5日(日) 試験曳き出庫編
昨夜は寄り合いの後、喜平で筆頭以下の幹部と前梃子、大工方の面々と飲んで帰って
、時計を見ると1時だった。
家に帰って風呂に入り、法被、胸当て、バッチ、鉢巻、地下足袋とお守り等々、祭衣
装を確認して寝ようとしたが、なかなか寝付けない。
ええ年こいて、まるで小学生の祭前やなあ、まあ明日は朝9時やしええか、などとウ
トウトしていたら雨音がしてきた。これは雨か、ええことないなあ、と思いながらも
やっとこさ寝て起きたら、これはあかん、9時きっかりだった。寝過ごしてしまった
。いつの間に目覚ましを止めたのだろう。
雨は止んでいる。 あわてて五軒屋町若頭オリジナルのTシャツを着て、だんじり小
屋駆けつけると、だんじりには幕、金綱、飾り旗…と化粧が完了している。梃子祭も
終わりかけで、M人から「遅いわい!もう終わりじゃ」と半分怒ってるような苦笑顔
で言われて、あわてて御神酒をもらい一気に飲み、その後スルメをかじる。
梃子祭というのは、だんじりが出庫する前に、正面に清酒と剣先スルメを供え、二拝
二拍一拝の後、酒でだんじりの足回りと前梃子を清める。
その酒とスルメは、会計が紙コップを配り、めいめいに1センチほど酒を注いでまわ
り、スルメを割いてみんなで頂く。
だんじり出庫は、旧26号線を100メートルほど大阪方面に行って、駅前商店街入
口と泉州名物で有名な村雨の竹利商店前を浜へ遣り回し、大場宅前へ付け、またUタ
ーンをしてだんじり小屋に戻り…と2回繰り返すが、正真正銘の今年一発目なので結
構緊張する。
去年は筆頭だったので、腰回りについていたが、遣り回しのあと青年団の綱元の前あ
たりがこけてブレーキと梃子が入って、こいつら本番大丈夫か、とハラハラしたこと
を思い出す。
一町だけの特別曳行(?)なので、旧26号線のクルマを止めたり人払いをしたりの
警備も自前だ。
時間までに駅前商店街の入口で人払いをする。だんじり出庫までのこの数分は、いつ
もそわそわして胸が高まる。血が騒ぐ、というのはこのことなのだろう。
青年団が綱を張る。そしてオレは大阪方面のクルマを止める。出庫の際の曳行のそれ
ら一切は若頭の責任仕事だ。しかし世話人のMさんほかが自発的に手伝ってくれる。
来た。大太鼓の重低音が三井住友銀行のビルに反響し、いい感じだ。鳥肌が立つ。
アメリカ衣料前で毎年のようにブレーキテスト。前を曳く青年団は50人ほどで、少
ない。その後、遣り回しの体制に入る。
筆頭のM雄がイン側の松良にたかる。太鼓が変わる、走る。ああ、ちょっと取るのが
遅い、おい、と思った瞬間に曲がる。安堵。
戻ってきて、2回目は完璧。大場宅前にだんじりが据えられたのを確認して、クルマ
を通し、みんなで交差点についたコマの後を確認するように見る。
1回目はだいぶアウトで回っている。そのことを拾五人組の幹部にどなりつけて、梃
子持ちの面々がいるテーラーT前へ行く。全員汗をかきながら4本の前梃子を「はつ
って」いる。
昼飯はM雄、M人のコンビとその他3名でお好み焼き屋で焼きそばでもツマミながら
ビールを飲もうと、「一休」と「双月」を覗くが、どちらも見物客で満員。
仕方がないとラーメン屋に行くと、世話人の参与さんたちが2組20人ほど占領して
いて満員気味だったが「よっしゃ、開けちゃろ」と1グループが替わってくれた。
参与というのは、いわば祭礼運営においての長老格であり、世話人の曳行責任者や年
番を経験したまだ上の世代のおおよそ50台半ば以上の人たちで、まつりごとに関し
て、ここぞという時の意見は絶対である。
みんなすでに酒が入っていて、でかい声で「今年はどこで抜けよか」「駅曲がったら
、もうよう走らんやろ」とか、若い頃の祭の際に遣り回しで飛ばされた危機一髪な話
とか、 さらに花寄せ行ったスナックかどこかの女の話とか、 ほかのお客さんお構い
なしにデカイ声&笑い声で、まだ試験曳き前というのに、これぞお気楽お祭気分だ。
Tさんは升酒に塩を載せて飲んでるし、うちの兄もその中にいて「ひろきもM人もM
雄も、オマエらの体つき見てたら、この年になったらよう走らんど。オレらみたいに
運動してダイエットせい」とからんできて、笑いを取った。「ほんまに、元気やのお
、うちの世話人だけは」と全員であきれる。
ラーメンとおにぎりを食べ終わり、ジョッキ1杯ずつ奢ってもらった生ビールの礼を
言って先に店を出る。
われわれ若頭が青年団の頃、前梃子を長い間持っていたOさんが「オレらは今年はこ
んなんや。オマエら、ええ祭せいよ」と実に五軒屋町の先輩らしい言葉をかけてくれ
た。