9月1日(水)
三郷の寄り合い。
江戸時代から続く祭礼運営の最高会議である。
太閤検地によりわれわれの岸和田旧市あたりは「岸和田村」として初めてその姿が明
らかになるが、その岸和田村も時代が下がり元和年間に行われた城郭整備により、城
内と村、町、浜に分けられた。
このだんじり祭が始まった江戸封建時代には、祭礼も藩の承認が必要で、また古文書
にある通り祭礼によるトラブルも多かった。
したがって、あらかじめ祭礼に先立ち、その村・町・浜の三郷(ちなみに天下の台所
、大坂三郷は北・南・天満である)の代表が寄り合い、その年の祭礼について話し合
ったという。
そのようなルーツを持つ現在の三郷は、中央・浜・天神であり、この会合は江戸時代
から引き継がれ、毎年9月1日に年番主催で行われている。
そこで決められるのは宮入とパレードの順番で、受付順位に「予備くじ取り」が行わ
れ、その順番でパレード、宮入の「本くじ取り」が行われる。
今年は若頭責任者ではなく顧問なので、三郷の寄り合いには呼ばれていないが、今こ
うしてこの日記を書くにあたって、去年のことがこと細かく蘇ってくる。
さて、寄り合いは6時半集合。寄り合いというより、台風が直撃する可能性があると
のことで土曜日に提灯を外した献灯台に、また提灯を設置する作業だ。正直いったん
付けた約百五十の提灯を取り外し、また取り付けるという作業は面倒極まりないが、
横着をして提灯が風で飛ばされでもしたら、大変である。
平日だし仕事も手が離せないので、ちょっと遅れて午後8時前に着く。「すまんなあ
、遅なって」と三郷の寄り合いに出席している責任者を代行しているM人始め、下の
者に謝りながら、終わりかけの作業を見守る。
会館に戻ると、今日から始まる毎夜の寄り合いのためにビールとチューハイのサーバ
ーが設置されている。
下の者に「おお、ビール入れてくれ」と、スタジアム野球観戦仕様のプラスチックカ
ップに注いでもらい、おのおのが飲む。もちろんスルメや豆、おかきなどのアテも用
意されている。
携帯電話か何かですでに宮入とパレードの順番が入っている。五軒屋町は宮入が宮本
三番の特権がある。すなわちくじなしで順番が決まっている。だから気になるのは「
ケツがどこか」、つまり後ろの町がどこの町かだけである。 パレードの順番はそれ
に「前はどこや」も加わる。
どこの町でもそうだが、この順番は結構微妙で、例えば歴史的に仲が悪い町や前年に
揉めたりした町同士が前後になるとちょっとまずい。とくにあらかじめ試験曳きや宵
宮で揉めていたりすると、再び紛争が起こったりする可能性が高い。
喧嘩になるのはたいてい後ろの町が「早よ、いかんかい」と「ケツをかぐ」、つまり
前のだんじりに、暴走族でいうところの「ケツべた」、つまりテール・トゥー・ノー
ズすることがきっかけになる。
うちの町の後、すなわち番外後の宮入一番は堺町だ。正直のところ安堵である。
パレードは十番。時間的にいい感じだ。一番とか二番だと「せわしなく」、二十番と
かだと「待たされる」。ちなみに去年は確か四番を引いた。前が中町、後が春木南。
こちらはノーコメント。
また「速い町」つまり遣り回しが上手い町の後ろは、ちょっとやりにくいのは当然だ
。
皆から一斉にかけられた「ご苦労さん」という声で、責任者のM雄が三郷の寄り合い
から帰ってきたことを知る。早速会計にくじで決まった順番を書いた2枚のメモが渡
されて、字のうまいお寺の住職のO野ちゃんが、用意されている大きな模造紙に順番
を書く。
まず宮入。宮一番宮本町 、宮二番上町 、宮三番五軒屋町。うちだけ赤字で書く。そ
の下に一番堺町 、二番本町、三番大工町 、四番中町 …最後の十一番は紙屋町だ。
くじ引き最後の方の町は、午前中の順番待ちと城内での昼食をはさんでしまい、宮入
が2時前になるから、昼からは「祭にならない」。これは仕方がないとはいえちょっ
と不条理で、毎年議論の対象になっている。それが本年度、年番の寄り合いで決まっ
て、宮入開始は去年より15分早くなると年番より知らされている。
またうちの町は宮入が毎年同じなので段取りは変わらないが、一番とベッタ(最後)
ではそれこそ祭礼そのものの段取りが全然違う。
続いてパレード。一番北町、二番中北町、三番紙屋町、四番南町…。早速書き終えた
順位表を張り出す。
すでに、毎年9月第1日曜の試験曳きの準備も万端で、花寄せつまり寄付集めも始ま
っているその頃。
だんじり野郎にとっては、この毎年九月一日の、この町会館でシーンも「祭がそこま
でやってきた」と実感する瞬間だ。