8月10日
朝から掃除に、洗濯をしてから出勤。
家よりもパソコンが大きいし、なんといっても静か。
自ら街中を選んで住居を定めたのだが、右翼の街宣カーがあんなにうるさいとは思わなかった。
別に時間に縛られるわけでもないので、気楽に出かける。
学生のいない大学は静かでいい。
新任なので、なんやかんやと用事を言いつけられることもないから、研究室にいても気楽だ。
日文研の居心地の良さを改めて思い出した。
研究するには、最高の環境だよな。
でも、お部屋がもらえている今の環境も満足だ。
いかんせん、パソコンがまだ音が出ないままに放置してあるのがネックだが。
それでも、休みで人が少ないため、学科共通のテレビでDVDを観る事もできる。
家のは、録画中で観られないし、モニターが大学のほうが大きいので、使いたい放題。
昨年、見逃してしまった『プロミス』と『スピリット』を観る。
『プロミス』のほうは、チェン・カイコー監督だから少し期待していたのだが、観始めてすぐに「あれ、面白くない」と思い、最後までがっかりさせられた。
『スピリット』は大体予想通り。
日本人俳優が出演しているこのところの「マーシャル・アーツ・ムーヴィー」をまとめてみると、なんだかねえ。
まあ、観ないといえないわけだから、観てよかった。
さあ、帰ったら、本でも読もうっと。
8月9日
ようやく夏休み。
とはいえ、まだ成績つけが終わっていないので、大学に出勤して、なれないシステムに四苦八苦しながら、なんとか今日中にすべてを終わらせた。
やったー!
これで夏休みだ。
ようやく自分の研究ができる。
あまりに嬉しくて、昨日買いこんだ野菜を中心に、食べきれないほどお料理をする。
まあ、別に今日中に食べなくてもいいのだから。
自分の好きなものをいろいろ作って、満足。
しかし、帰ったのが遅かったので、料理を終えて机についたときには、23時前だった。
でも、なんか嬉しいなあ。
うっかり、山田風太郎の小説を読んだら、夜中になってしまった。
8月8日
台風が心配されたが、朝方に雨が降っただけで、オープンん・キャンパスが始まるころから、気持ちが悪いほど晴れる。
いやーな暑さだ。
学生だけでは心もとないので、じっとしていればいいものを、うろうろしながら、なんとかミニ講義や説明会に高校生たちが来てくれるようにアピールをする。
同学部内に5学科あるのだが、どこも高校生の取り合いのような雰囲気が流れ、「客の取り合いをする呼び込みの人」たちのように、みんなうろうろ。
おそろしい。
しかし、せっかく得た職がつぶれてしまってはどうにもならないので、気がつけば必死になっている自分がおかしい。
夕方に、無事終了。
台風の動きが気になるので、早めに撤収。
久しぶりに、近所の八百屋にいくことができた。
ほっとして気が緩んだためか、けっこう仰山買うてしもうた。
家に帰ると、呆然。
8月7日
今日で、春学期が終了するが、明日はオープン・キャンパス。
とにかく、定員割れだけは避けたいため、どこの学科も必死である。
アルバイトの学生さんたちに、「にこやかにきちんと挨拶するように」など、指示を出し、配布物の確認や、パネルの展示などをみんなでする。
来たばかりなので、まだ飲み込めていないが、「アピールをして、一人でも多くいい学生をAO入試で取らなくては」という焦燥感だけはわかる。
これは、弱小大学すべてに共通することなのだろう。
まだまだ夏休みは来ない。
8月6日
昨日よりは、少しましだが、しんどい。
午後に近鉄で名古屋に戻った。
しんどいので、本を読みながら、半分ボーっとしながらアーバンライナーにゆられていたとき、ふと思った。
関西に向かうときはつい「帰る」とか「帰阪」とか使ってしまうのだが、今の私の本拠地は名古屋なのである。
しかし、名古屋に戻るとはいうが、どうも帰るとは、自然に出てこない。
生まれてからすごした年月と、ようやく4ヶ月を過ごしたばかりでは、関西に気分が残っているのも致し方ないか。
8月5日
本来ならば、名古屋に戻らなくてはならないのだが、お稽古があったので、日曜日に戻ることにした。
どちらにせよ、土・日は休みなのだから。
いきなり、「装束とつける」といわれていたが、朝起きたら疲れが出たのか、下手に養生したのがあかんかったんか、体調をどーんと崩してしまった。
お稽古に行くにはいったのだが、装束付けは月末の稽古日にふりかえてもらい、普段どおりのお稽古をしてもらった。
うーん。しんどい。
8月4日
至福の二泊三日でした。
毎年、夏期ゼミナールを楽しみにしている。
博士課程に入った年に初めて参加してから、一度も欠かしていない。
今年は、「成瀬巳喜男」特集。
昨年は生誕百年かな、成瀬巳喜男特集があちらこちらで企画されていた。
しかし、それに行く暇がなかった。
成瀬の作品は、有名なものを何本か観た記憶があるが、こんなにまとめてみたことはないし、注意してみたこともない。
いやあ、面白い。
何をいまさらと言われるかもしれないが、本当に面白かった。
未見の作品も多いし、これはじっくりと観ないとあかんなあ。
時代劇を中心にしてきているので、どうしても現代劇まで見る余裕がないままにきている。
両方とも量があまりにも多くて・・・
何気なく映画をまとめてみながら思っていたことがあったのだが、シンポジウムのときにパネリストの富田美香先生が発言したことが、ちょうど同じことだった。
数多ある成瀬研究に眼を通していないので、すでに指摘されていることなのかもしれないが、やはりそう感じるよなあ。
まあ、全作品に通じるとは思わないのだが、成瀬作品は、よく「女性映画」といわれている。しかし、今回見ていて、たしかに主人公は女性たちなのだが、どうしても女性の視点からとか、女性のしたたかさや社会に置かれた厳しさに対するふるまいだとか、女性を中心に描かれているようにはみえなかったのである。
結局は、彼女らに関係している男性たちが主体に思えた。
別に、フェミニズム的な視点から、批判するわけではない。
なんだか違うなあと思ったまでだ。
もう一つ、これもシンポジウムのときに関連して、ちょっと感想として発言したのだが、もし女性を描いていると考えるなら、女性たち全般ではないと思った。
本当に面白いし、映画に魅入られた点なのだが、このたびの映画の多くは、「母と娘」の癒着を描いているように思えた。
現代にも通じるというより、現代のほうがよっぽど顕著になり、ときどき弊害にすら感じられる母と娘の癒着関係と言うか依存関係である。
これも単なる感想に過ぎない。
成瀬は90本の映画を撮っているといわれている。
このたび観たのは、たったの9本。
『浮雲』はあてはまらないし、今回は上映されなかったが、以前拙論で扱った『歌行燈』もあてはまらない。
『三十三間堂通し矢物語』も違うし、『鶴八鶴次郎』も違ったような気がするが、これは大分前に観たので記憶が定かではない。
だから、今回見た作品に限る感想である。
ちなみに、このたび観たのは『稲妻』、『浮雲』、『流れる』、『めし』、『夫婦』、『女が階段を上がる時』、『山の音』、『女人哀愁』、『妻』の9本である。
『浮雲』のラストシーンが印象的だったと思い込んでいたが、このたび久しぶりに観たら、思い込んでいたラストシーンとは違っていた。
あれ、何と勘違いしていたんやろう???
まあ、映画にはよくあること。
帰りに、一月ぶりに主治医のところによって、養生した次第である。
8月1日
小学生だって、もう夏休みなのに・・・
明日からの夏期ゼミナールに参加するため、今日は遅くまで残業。
しくしく。
家に帰ったら23時過ぎていた。