6月12日
はああ。
ほんまにあかんたれやなあ。
今日は、落ち込みやわ。
落ち込みより、落ちこぼれやなあ。
今日は、初めて会合なるものに参加したんやけれど・・・
情けないことに、こういう場でどうやって振舞ってええんか、さっぱりわからん。
ほんまに情けないやっちゃ。
知らない人ばかりで、でも観察しているとどうも8割がたの人はお互い知り合いのようで、開かれた場のようで、見えない高い壁を感じた。
それって・・・人見知りの人の言動やん。
ほんまに、なんの情報交換も新たなネットワークも構築できず、かといってどうも著名な人たちらしいので、うっかり声もかけられない。
ほんま、役に立たんなあ。
午前中の授業だけして、そのまま東京に勇んでいったものの・・・
遅れていったせいか、全然馴染めず。
組織内に取り込まれて、そこで割り当てられた仕事を対外的にもこなしていく。
これが、正式に雇われたものとして、会社であろうと大学であろうと、こなさなくてはならない仕事なんやろうけど・・・
営業は向いてないみたいやわ。
どんな職場であろうと、ばりばり働いている友達を改めて見直した。
それよりも・・・自分のあかんたれぶりに、落胆。
別に、出来るやつとも思ってへんけど、もう少し振舞えると思っていたのだが、ほんまに一人も話しかけることが出来ず、「名刺交換」なぞの儀礼すら出来へんかった。
帰りの新幹線の中で、かなりへこんでいる。
性悪のクセに、小心者なんて、最低やな。
はあ、明日から生きていくのが嫌んなってきた。
だって、こんなやつが人を教えとったらあかんやろう。
6月11日
昨日が祖母の誕生日だったのだが、誰もいないからと、今晩、伯父も来るから祖母の誕生日を祝うという。
明日は、午後に東京へ出張というと対外的にかっこがつく言い方なのだが、まあ出張だわな、それで東京へ行くのだ。
だから、午前の授業にすべての荷物を持っていかなくてはならないため、「夕飯もいらない」とあれほど言っておいたのに・・・
言っておいたのに、「誕生祝」という切り札を出してきて、18時半までに帰ってこいと朝から電話が入る。
またかよ。
ええ加減にしてくれよ。
そう思ったが、92歳という誕生祝はやはりそう邪険に出来ず、大体の準備を済ませて、アーバンライナーで仕事をしながら帰る。
18時前に祖母の家に到着。
学生が発表で『ハウルの動く城』を題材にするので、ついでにTSUTAYAでDVDを借りて帰る。
相変わらず、祖母に家に着くと、麻雀をしていて、「で、どういう予定なんですか」と聞くと、「ステーキ屋に行こうと思ったら店が休みだったから、焼肉でも行こうかと思って・・・」って考えてへんやん。
店も予約しておらず、そんな無計画な外食なら、いつでも出来るやん。
そんなことは口に出しては言えず、あわてて近所の焼肉屋を押さえて、しかもゴルフから早めに帰ってきた父と先に行っておいてくれと言う。
ようは、父の付き合いをしろと言うこと。
まあ、これが誕生日プレゼントというのなら、断るわけには行かず、Tシャツに着替えて焼肉屋に。
体調があまりよくなくて、顔中吹き出物が出て、肌がぼろぼろ。
おまけに、新陳代謝がうまく行われておらず、浮腫み、へんな汗、など身体が思いっきり「そろそろええ加減にしてくれまへん」と言うてきておる。
『ハウルの動く城』は今から見ます。何時におわんねん。
胃がもたれてつらい・・・
6月9日
どうも・・・当っているかも?
何が?
私の老齢化が・・・
いや、字のごとくではなくて、それって年をとると出る症状、婆あ化現象?と指摘されたことである。
先日、大学の帰りに、4人ほど同僚でご飯を食べに行った。
そのときに、年をとるとこういうことが増えるといった話題になった。
その年をとるというのは、還暦を過ぎるとかそれぐらいの年齢をさしている。
そこで、あがったのは・・・
「独り言が増える」
「テレビなどに向かって話しかける」
「ニュースを見ると、やたらに一人で怒っている」
などなど・・・
私は、どれもやっている。
独り言も多いし、今日もニュースを見て突っ込みを入れ、この前は新聞記事を読んで一人で怒っていた。
よく、戦前のチャンバラ映画の話になると、「小川さんは、本当は歳をごまかしているでしょう」と言われた。
あまりに、「みてきたかのように」一緒に感動して、感情移入して話をしているからである。
「みてきた」のは、同時代ではなく「後からみた」のだから、ある程度はあたっているのだが・・・
でも、普段の行動まで・・・老齢化・・・
6月7日
嬉しい。
今日は、創立者記念日でお休み。
以前から楽しみにしていて、あれこれすることを考えていた。
おまけに、朝から快晴。
うきうきしてまずはお洗濯。
それからお掃除をして、薬局やスーパーにお買い物。
銀行にも行って、帰ってきたらもうお昼を過ぎていた。
お布団を干して、たまっていた雑事をすませ、ようやく本を読み始めたら、もう外が暗くなってくる。
お気に入りのお野菜を売っている店が、昼から夕方までなので、こういう日にしか行けない。
夕方は安くなるからと、閉店前にいくと、菜っ葉とかいろいろ安くしてくれる。
お野菜をたくさん買い込んで、食べきれないものは湯通しして、下処理をしておくと保存が出来る。
今日出来たての「おから」もただで仰山くれはって、久しぶりにゆっくりお料理がしたくなった。
別に、毎日料理をしているんだけれど、なんだか手抜きで・・・
おからハンバーグをつくる。
嬉しいことににんじんの葉っぱつきが手に入ったので、にんじんの葉で佃煮もどきをつくる。
和え物が食べたくて、酢の物と胡麻和えをつくる。
焚き合せも。
なんか幸せ。
でも、あっという間に1日が終わってしまった。
ええ??
目標の本が読み終わっていない・・・
6月3日
今日は、ダブル稽古。
朝一番で、舞の稽古に行く。
内輪でやる恒例の夏のお稽古会が、今月末に迫っている。
しかし、出張が入ったために、お稽古会までに稽古をつけてもらえるのは、なんと今日と明後日の月曜日。
お稽古会の直前の金曜日もあるが、それはその週になってみないと、帰ってこられるのか分からない。
仕事で帰ってきているのか、稽古のために帰ってきているのか、ようわからんな。
最後までいったばかりだから、今はそれを見につけるのに、精一杯。
謡は、とりあえず今日のところは、自分が稽古会で担当する『山姥』のツレのところだけで許してもらう。
前回、ようやく『山姥』最後まで習ったのだが、これが今までとちがって難しいのだ。
それでなくても謡は昔から下手で、音がうまくとれない。
謡には、一応舞と同じ(もちろん能楽とも同じ)で、難しさによって段階が分けられている。
もうそろそろこれぐらいのレベルを習ってもいいですよ、と先生から判断されると、免状が発生する。
免状というと、普通は「そのぐらいのレベルの証拠」としてみなされるが、うちの先生に言わせると、今の免状の制度は「そのレベルのものを謡ってもかまわない」という意味だそうだ。
だから、そのレベルに達しているのではなく、今から初めて習えるのであり、また公式に謡っても文句を言われないためのライセンスなのであると、説明された。
そうして、免状代が家元のところに最終的に入るのである。(もちろん途中で手続きがあるみたいだが)
何の話やったっけ。
ああ、そうそう。『山姥』は免状取得して習う一段階レベルの高い謡なので、こうして苦労しているわけである。
舞いは、今回の曲は、以前から「いつか舞ってみたい曲」の一つ(前にも書いたなあ)なので、やっていて本当に楽しい。
師匠に言わせると、私は「型をうつす」のがうまいそうだ。
それは、うつっているだけであって、身についたわけではない。
だから、稽古を続けないと、すぐに忘れる。
ああ、その通りです。
さすがに中学生のときから、なだめすかして稽古をつけてきただけあって見抜かれている・・・
ひさしぶりにうっきーに会って、とても顔色がよくなっているので、なんだか嬉しかった。
なんか、前にあったときは、体調も崩していたせいか、すごく顔色も悪くて、しんどそうだったから。
彼女の可愛い笑顔が戻ってきてくれているので、こっちも嬉しい。
さあ、午後は頭もほぐす稽古だ。
6月2日
あああ。
面倒くさい。
関西に帰ると、祖母の家に泊まるのが常なのであるが、実家も近いのでたまに実家に泊まることもある。
しかし、いずれにせよホテルなどに泊まることはない。
たしかに、そんなことは「勿体無い」ことであろう。
だが、毎回「何時に帰ってくるのだ」とか「晩御飯はどうするのだ」とか聞かれるのは面倒だ。
どんなに親不孝ものとののしられても、その通りなのだから反論もせんけどね。
極悪に生まれついたんやし、死なな治らんわ。
折角帰ってくるのだから、なんか美味しいものでもと気遣ってくれるのは、ありがたい。
確かにありがたいのだが、今のところ毎週帰っているんですけれど。
年に数回、外国から帰ってくるのならともかく、名古屋から毎週やのに・・・
それが親の愛情というものですよ、と言われてもねえ。
何が面倒くさいかと言うと、そのたびに、時間を拘束されることだ。
「夕飯はいらない」といっても、「何時ごろになる」と聞かれるし、「こっちで遅くても何か食べるんでしょう」と決められる。
家の鍵は渡されているのだし、真夜中に忍び込むわけじゃあるまいし、こっちの都合もあるんやけどねえ。
今回は、自分の都合も入れて、金曜の晩に帰った。
ということは、それだけ関西で過ごす時間が増えるわけであり、その間にしようと思っている授業準備や仕事の資料などをすべて持ち歩かなくてはならない。
これが、また面倒なのだ。
「夕飯はいらない」宣言をしていたにもかかわらず、大学で事務処理の書類を書いたり、忘れていた手続きなどに追われていると、なんと夕飯はいきつけの中華料理屋に行くことにしたから、遅くなってもいいからタクシーで来るようになぞと、ふざけたメールが来るではないか。
ありがたいメールかもしれんが、お店に行くというのは、すなわちそこにいる時間は限定されていることである。
遅くなってもいいったって、あんた、22時ごろにいけるわけがないだろう。
結局、17時過ぎには大学を後にし、家に帰って、あわてて新幹線で帰ることにした。
今からだと、20時前にはなんとかつくだろう。
なんで、私がこんなに気を遣ってるんやろう・・・
はあ、もうすぐ京都か。