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2006年06月 アーカイブ

2006年06月02日

行ったり来たり

6月1日
私もぜいぜい言っているが、どうも学生たちもだれてきたようだ。
季節もへんやしねえ。
やっとええ天気になったと思うたら、真夏日よ。
まあ、朝から洗濯できて嬉しいけれど。

最近、ちょろちょろっと研究室に学生が遊びにきたり、質問をしにきたりするようになった。
どんな形であれ、結構うれしいものである。
しかし、たまには、「そんな質問をする前に、まず自分で調べてみたの?」と思うときもある。
辞書と引くとか、辞典/事典を紐解くということをしないみたいだ。
電子辞書だと感覚が違うしね。
結構、調べものは楽しいと思うねんけどなあ。

でも、私もすぐに人に聞いたりするし、自分の学部時代を思い出すと・・・
やはり他人のことは言えんわ。

5月31日
ぜいぜい、はあはあ。
やっと、5月が終わる。
明日から6月。
折り返し地点がようやく見えてくるかもしれない。
こんなんで大丈夫なんやろか。
おまけに、6月には仕事の締め切りが二つある。
えええ?
今の生活では、絶対間に合わないが、そうも言ってられへんなあ。

授業準備をなるべく早く済ませて、毎日少しは自分のために時間を割こう。
そう誓ってみるものの・・・
さっきから貧血でめまいがする。

とりあえず、今日は・・・明日の準備だけですなあ。

今村昌平監督、岡田真澄、田村高廣と、訃報が相次ぐ。
映画を研究しているものとしては、ニュースに釘付け。
ご冥福をお祈りいたします。
合掌。

5月29日
非常勤を済ませた後、お稽古。
やっと舞が最後まで行った。
最後まで型を教えてもらっただけなので、これから身につけていかなくてはならない。
はあ、家でおさらいをしようと思いながらも、毎日忙殺。
そんなに忙しいわけでもないんやろうけれど、要領が悪いんで、私にとっては忙殺の日々。
うぎゅう。
結構、毎週関西と往復するのもしんどいもんやね。
おまけに、後で支給されるのがわかっていても、目の前の交通費の出費が痛い。
惑わされるな、と思いつつ・・・
環境を整えるために、なんだかものすごく出費しているような・・・
家計簿つけたほうがええかもしれん。

5月27日
4月以来、参加できなかった稽古会。
間があくと、余計なことを考えんでいいらしい。
言われたままに、見たままに、素直に動いてみる。
その後も、しゃべること数時間?
頭も体もすっかりほぐれました。

稽古ってつづけないとあかんねえ。
心身のためにも。

5月26日
修士のときの同期が、里帰りで名古屋に来るというので、久しぶりに会う。
向こうは2児の母だから、なかなか外に出られないし、私も関西を離れてしまったので、どうしても疎遠になってしまう。
2~3年ぶりかなあ。
しゃべっている間は、お互い変わっていない気がするけれど、やはり年月は経っているのね。
久しぶりにたくさん喋ることができ、元気になった。

5月24日
健康診断。
朝起きると、顔がげっそりとしているのがわかる。
あああ、絶対ひっかかるわ。
そう思って、行ったのだが、なんだかえらく簡単に終わって、これってどうなの?と思わなくもない。
しかし、結果が出ればわかるだろう。
はじめて「バリウム」を飲みました。
そのせいか、異がもたれて気分が悪い。
授業をしていても、ふらふら。
吐きそう。
胃の検査の後は、普通に食事をしてくださいって書かれても、無理やわ。

5月23日
学科会議の後、なんだかんだと遅くなり、呆然。

5月22日
学生の前では、咳を抑えて話すことは出来る。
まあ、喋りが一種の商売やさかい。
とにかく、お仕事を終えて、ずっとかかっている耳鼻咽喉科に直行。
はあ、思っていたとおりのことが・・・

「まあね、風邪じゃないことは確かね。
喘息まではいってないんだけど、炎症が起きていますね。横になると咳が出るでしょう?夜のほうがつらいでしょう。喘息ではないんだけど」
って、先生、もうわかりました。
今は名古屋にいると告げて、1か月分の薬を出してもらう。
喘息じゃない、喘息一歩手前、といわれたのが、昨年だっけ。
2月ぐらいに、やはり同じ症状で来院したときよりもひどくなっている気がする。
出された薬が物々しい。
飲み薬以外に、貼る薬、吸引機器とふぞく薬品。
はああ。
絶対健康診断ひっかかるで。
ちょうど喘息(昨日の友人がそうだった)の人が発作を出すのが、このような季節の変わり目。
落ち込むなあ。
まあ、尼崎で育ったというだけで、気管支や肺がやられてもおかしくないと全国的には思われていますけど・・・?

帰りは新幹線。
京都にさしかかり、東寺の五重塔がライトアップされているのを見る。
前にも書いたが、この五重塔を見ると「ああ関西に帰ってきた」と思う。
近鉄だと、見ることができない。
近鉄はほとんど使用したことがないのだが、昨日乗っていて「ああ、この山の中ってもしかして奈良?」と思い、その後、少し町になってきた風景を観て、「もしかして・・河内?」と思った。
でも、それは推測で奈良にも河内にもなじみはほとんどない。
じゃあ、五重塔は?ということだが、これは深い思い出がある。
東寺の近くに映画館があり、そこでは必ずといっていいほど雷蔵の映画がかかる。
雷蔵の映画を観に足繁く通い、東寺の前のバス停でライトアップされた五重塔を眺めながらバスを待っていた。
今日は名古屋に向かって帰るのに、京都に思いをはせた瞬間だった。

咳というのは体力を奪う。
ちょっと、弱気になってんのかなあ。

5月21日
撃沈。
昨日、父が帰ってから、一人になると、気が抜けたのか体調が一気に落ちた。
咳はずっとしていたのだが、そんなん比やない。
朝早くから、咳き込みながら目覚めたものの、身体が・・・
身体が痛くて、重くて、動けない。
咳をするたびに、身体を波打たせ、ベッドの中で悶絶。
痛いのだ。
どう向きを変えても痛いし、重くて身体を起き上がらせるのもつらい。

父には、美味しいものを食べに連れて行ってもらい、感謝している。
しかし、この体調は美味いものでは挽回出来へんかった。
授業準備をしようにも、身体が動かない。
結局、午前中がつぶれた。
はいずるしか動けない。
咳き込んで、集中力も何もあったもんやない。
ようやく、昼頃に人間らしくなり、とにかく少し口に入れようと準備を始めると電話が。
んー、知らない番号と思いながら、なんとなく出た。
おお!それが中学時代から細く途絶えそうになりながら連絡を取り合っていた友人。
関東の人なのだが、実は4月に豊橋に引っ越していたことが発覚。
挨拶状を出したが、転居先不明で戻ってきたのに、何を思ったかふと実家に送ってみたら、実家のご両親が連絡してくれはったらしく、連絡があったのだ。
その友人は関東を出たことがなく、私は関西を出たことがない。
そんな二人が、今になって愛知県で遭遇するとは。
しかも共通の友人が名古屋にいる。
小一時間話し込む。
しかも、二人ともげほげほ咳をしながら。
なんか、季節の変わり目とか、環境が変わったとかそんなことを理由に体調を崩しているのが自分だけではないという共通項も嬉しかった。

ちょっと元気付けられて、2時間ほど集中して授業準備をし、帰阪。
最近、近鉄と仲がいい。
今回もアーバンライナーで帰阪。
なぜか、御堂筋線にのり、ごみごみした大阪の地下街を歩くとほっとする。
近所のなじみの寿司屋に行くことになっていたので直行。
その後、祖母の家に行ったときには、もうぼろぼろ。
あまりの咳に、ごっつい心配され、とにかく休むように言われる。
言われんでも休むがな。
つらい。とにかく、服薬しました。
おやすみなさい。

2006年06月13日

うまれついての極悪だい

6月12日
はああ。
ほんまにあかんたれやなあ。
今日は、落ち込みやわ。
落ち込みより、落ちこぼれやなあ。

今日は、初めて会合なるものに参加したんやけれど・・・
情けないことに、こういう場でどうやって振舞ってええんか、さっぱりわからん。
ほんまに情けないやっちゃ。
知らない人ばかりで、でも観察しているとどうも8割がたの人はお互い知り合いのようで、開かれた場のようで、見えない高い壁を感じた。
それって・・・人見知りの人の言動やん。
ほんまに、なんの情報交換も新たなネットワークも構築できず、かといってどうも著名な人たちらしいので、うっかり声もかけられない。
ほんま、役に立たんなあ。

午前中の授業だけして、そのまま東京に勇んでいったものの・・・
遅れていったせいか、全然馴染めず。
組織内に取り込まれて、そこで割り当てられた仕事を対外的にもこなしていく。
これが、正式に雇われたものとして、会社であろうと大学であろうと、こなさなくてはならない仕事なんやろうけど・・・
営業は向いてないみたいやわ。
どんな職場であろうと、ばりばり働いている友達を改めて見直した。
それよりも・・・自分のあかんたれぶりに、落胆。
別に、出来るやつとも思ってへんけど、もう少し振舞えると思っていたのだが、ほんまに一人も話しかけることが出来ず、「名刺交換」なぞの儀礼すら出来へんかった。
帰りの新幹線の中で、かなりへこんでいる。
性悪のクセに、小心者なんて、最低やな。
はあ、明日から生きていくのが嫌んなってきた。
だって、こんなやつが人を教えとったらあかんやろう。

6月11日
昨日が祖母の誕生日だったのだが、誰もいないからと、今晩、伯父も来るから祖母の誕生日を祝うという。
明日は、午後に東京へ出張というと対外的にかっこがつく言い方なのだが、まあ出張だわな、それで東京へ行くのだ。
だから、午前の授業にすべての荷物を持っていかなくてはならないため、「夕飯もいらない」とあれほど言っておいたのに・・・
言っておいたのに、「誕生祝」という切り札を出してきて、18時半までに帰ってこいと朝から電話が入る。
またかよ。
ええ加減にしてくれよ。
そう思ったが、92歳という誕生祝はやはりそう邪険に出来ず、大体の準備を済ませて、アーバンライナーで仕事をしながら帰る。
18時前に祖母の家に到着。
学生が発表で『ハウルの動く城』を題材にするので、ついでにTSUTAYAでDVDを借りて帰る。
相変わらず、祖母に家に着くと、麻雀をしていて、「で、どういう予定なんですか」と聞くと、「ステーキ屋に行こうと思ったら店が休みだったから、焼肉でも行こうかと思って・・・」って考えてへんやん。
店も予約しておらず、そんな無計画な外食なら、いつでも出来るやん。
そんなことは口に出しては言えず、あわてて近所の焼肉屋を押さえて、しかもゴルフから早めに帰ってきた父と先に行っておいてくれと言う。
ようは、父の付き合いをしろと言うこと。
まあ、これが誕生日プレゼントというのなら、断るわけには行かず、Tシャツに着替えて焼肉屋に。
体調があまりよくなくて、顔中吹き出物が出て、肌がぼろぼろ。
おまけに、新陳代謝がうまく行われておらず、浮腫み、へんな汗、など身体が思いっきり「そろそろええ加減にしてくれまへん」と言うてきておる。

『ハウルの動く城』は今から見ます。何時におわんねん。
胃がもたれてつらい・・・

6月9日
どうも・・・当っているかも?
何が?
私の老齢化が・・・
いや、字のごとくではなくて、それって年をとると出る症状、婆あ化現象?と指摘されたことである。

先日、大学の帰りに、4人ほど同僚でご飯を食べに行った。
そのときに、年をとるとこういうことが増えるといった話題になった。
その年をとるというのは、還暦を過ぎるとかそれぐらいの年齢をさしている。

そこで、あがったのは・・・
「独り言が増える」
「テレビなどに向かって話しかける」
「ニュースを見ると、やたらに一人で怒っている」
などなど・・・

私は、どれもやっている。
独り言も多いし、今日もニュースを見て突っ込みを入れ、この前は新聞記事を読んで一人で怒っていた。

よく、戦前のチャンバラ映画の話になると、「小川さんは、本当は歳をごまかしているでしょう」と言われた。
あまりに、「みてきたかのように」一緒に感動して、感情移入して話をしているからである。
「みてきた」のは、同時代ではなく「後からみた」のだから、ある程度はあたっているのだが・・・
でも、普段の行動まで・・・老齢化・・・

6月7日
嬉しい。
今日は、創立者記念日でお休み。
以前から楽しみにしていて、あれこれすることを考えていた。
おまけに、朝から快晴。

うきうきしてまずはお洗濯。
それからお掃除をして、薬局やスーパーにお買い物。
銀行にも行って、帰ってきたらもうお昼を過ぎていた。
お布団を干して、たまっていた雑事をすませ、ようやく本を読み始めたら、もう外が暗くなってくる。
お気に入りのお野菜を売っている店が、昼から夕方までなので、こういう日にしか行けない。
夕方は安くなるからと、閉店前にいくと、菜っ葉とかいろいろ安くしてくれる。
お野菜をたくさん買い込んで、食べきれないものは湯通しして、下処理をしておくと保存が出来る。
今日出来たての「おから」もただで仰山くれはって、久しぶりにゆっくりお料理がしたくなった。
別に、毎日料理をしているんだけれど、なんだか手抜きで・・・
おからハンバーグをつくる。
嬉しいことににんじんの葉っぱつきが手に入ったので、にんじんの葉で佃煮もどきをつくる。
和え物が食べたくて、酢の物と胡麻和えをつくる。
焚き合せも。
なんか幸せ。
でも、あっという間に1日が終わってしまった。
ええ??
目標の本が読み終わっていない・・・

6月3日
今日は、ダブル稽古。
朝一番で、舞の稽古に行く。
内輪でやる恒例の夏のお稽古会が、今月末に迫っている。
しかし、出張が入ったために、お稽古会までに稽古をつけてもらえるのは、なんと今日と明後日の月曜日。
お稽古会の直前の金曜日もあるが、それはその週になってみないと、帰ってこられるのか分からない。
仕事で帰ってきているのか、稽古のために帰ってきているのか、ようわからんな。

最後までいったばかりだから、今はそれを見につけるのに、精一杯。
謡は、とりあえず今日のところは、自分が稽古会で担当する『山姥』のツレのところだけで許してもらう。
前回、ようやく『山姥』最後まで習ったのだが、これが今までとちがって難しいのだ。
それでなくても謡は昔から下手で、音がうまくとれない。
謡には、一応舞と同じ(もちろん能楽とも同じ)で、難しさによって段階が分けられている。
もうそろそろこれぐらいのレベルを習ってもいいですよ、と先生から判断されると、免状が発生する。
免状というと、普通は「そのぐらいのレベルの証拠」としてみなされるが、うちの先生に言わせると、今の免状の制度は「そのレベルのものを謡ってもかまわない」という意味だそうだ。
だから、そのレベルに達しているのではなく、今から初めて習えるのであり、また公式に謡っても文句を言われないためのライセンスなのであると、説明された。
そうして、免状代が家元のところに最終的に入るのである。(もちろん途中で手続きがあるみたいだが)
何の話やったっけ。
ああ、そうそう。『山姥』は免状取得して習う一段階レベルの高い謡なので、こうして苦労しているわけである。
舞いは、今回の曲は、以前から「いつか舞ってみたい曲」の一つ(前にも書いたなあ)なので、やっていて本当に楽しい。
師匠に言わせると、私は「型をうつす」のがうまいそうだ。
それは、うつっているだけであって、身についたわけではない。
だから、稽古を続けないと、すぐに忘れる。
ああ、その通りです。
さすがに中学生のときから、なだめすかして稽古をつけてきただけあって見抜かれている・・・

ひさしぶりにうっきーに会って、とても顔色がよくなっているので、なんだか嬉しかった。
なんか、前にあったときは、体調も崩していたせいか、すごく顔色も悪くて、しんどそうだったから。
彼女の可愛い笑顔が戻ってきてくれているので、こっちも嬉しい。

さあ、午後は頭もほぐす稽古だ。

6月2日
あああ。
面倒くさい。
関西に帰ると、祖母の家に泊まるのが常なのであるが、実家も近いのでたまに実家に泊まることもある。
しかし、いずれにせよホテルなどに泊まることはない。
たしかに、そんなことは「勿体無い」ことであろう。
だが、毎回「何時に帰ってくるのだ」とか「晩御飯はどうするのだ」とか聞かれるのは面倒だ。
どんなに親不孝ものとののしられても、その通りなのだから反論もせんけどね。
極悪に生まれついたんやし、死なな治らんわ。
折角帰ってくるのだから、なんか美味しいものでもと気遣ってくれるのは、ありがたい。
確かにありがたいのだが、今のところ毎週帰っているんですけれど。
年に数回、外国から帰ってくるのならともかく、名古屋から毎週やのに・・・
それが親の愛情というものですよ、と言われてもねえ。
何が面倒くさいかと言うと、そのたびに、時間を拘束されることだ。
「夕飯はいらない」といっても、「何時ごろになる」と聞かれるし、「こっちで遅くても何か食べるんでしょう」と決められる。
家の鍵は渡されているのだし、真夜中に忍び込むわけじゃあるまいし、こっちの都合もあるんやけどねえ。

今回は、自分の都合も入れて、金曜の晩に帰った。
ということは、それだけ関西で過ごす時間が増えるわけであり、その間にしようと思っている授業準備や仕事の資料などをすべて持ち歩かなくてはならない。
これが、また面倒なのだ。
「夕飯はいらない」宣言をしていたにもかかわらず、大学で事務処理の書類を書いたり、忘れていた手続きなどに追われていると、なんと夕飯はいきつけの中華料理屋に行くことにしたから、遅くなってもいいからタクシーで来るようになぞと、ふざけたメールが来るではないか。
ありがたいメールかもしれんが、お店に行くというのは、すなわちそこにいる時間は限定されていることである。
遅くなってもいいったって、あんた、22時ごろにいけるわけがないだろう。

結局、17時過ぎには大学を後にし、家に帰って、あわてて新幹線で帰ることにした。
今からだと、20時前にはなんとかつくだろう。
なんで、私がこんなに気を遣ってるんやろう・・・
はあ、もうすぐ京都か。

2006年06月30日

指折り数える夏休み

6月28日
今日は会議がなくて、ちょっと時間に余裕ができた。
明日と、来週の授業準備を簡単に済ませ、6月締め切り原稿に着手。
といっても間に合わんわなあ。
最後まであがくぞー。

それにしても、さっきから頭痛がひどい。
なんとなく熱っぽい気がするが、こういうときは熱を測らないこと。
気のせいやわ、きっと。

6月27日
明日の授業では、映画音楽の話をするために、(映画の音ではなく音楽)いくつか断片的に映像も見せようと、やっきになって映画を選ぶ。
当たり前だが、映画を全部見ているからこそ、そこで使われている音楽の効果が発揮されるのである。
だから、断片的に見せるにしても、「この映画は大体こんなストーリーでね」と説明をしなくてはならない。
あまりにも、音楽ともに印象的な映画が多いので、結構迷う。
そのほかの授業でなるべく重ならないような映画にしたいしなあ。
それにしても、「このシーンであの音楽が流れて」と思っていたものが、ぜんぜん音楽が流れていなかったという、記憶違いが多い。
まあ、昔見た映画にはよくあることだけれど。
気がついたら、音楽が鳴り終わっているのに、映画をそのまま見てしまっている。
あかん、時間がなくなってきた。

『羅生門』つながりで、『愛と哀しみのボレロ』を見せようと思い、ラスト10分強のジョルジュ・ドンのボレロを踊る姿を見ていると、泣けました。

6月26日
どうしようもないストレスに押しつぶされそうになっているような紀がする。
何のストレスかは、わからない。
ただ、自律神経がおかしくなっている。
ついでに、自分が何を今しようとしているのか、わからない。
制御できない。

最近は、ぎりぎりのところでとめることができていたと思ったが、狂い始めると止まらないのかもしれない。

6月25日
歌仙会。
今日は、いつもの私にしたら、出番が少ないほうである。
体調がかなり崩れかかっているので、それでもちょっとしんどかった。
仕舞が割りと早く終わってくれたので、気持ちが楽。
間違えたけれど・・・
昼ごはんを食べたら、気分が悪くなって、がんばっていたけれど、結局ちょっと席をはずして、軽くもどしてしまった。
あああ、暑いからかなあ。

それでも、まあ緊張感が持続しているので、倒れることはない。
久しぶりに内田先生ともお話をする機会を得、飯田先生とともに、いろいろと大学の先生とは、実際の教育の場についていろいろとアドバイスをいただく。
本当に、持つべきものは師匠です。
時間にしたらほんの少しだったけれども、短い言葉でも重い。

祖母の家に帰ると、いつもながらどっと疲れる。
明日の非常勤に備えて、今日はよく休もう。

6月24日
もう、なんて最悪なんや。
住めば都なんて、いつ来るねん。

今日はついてへん。
もちろん、己の不注意が原因のものもあるんやけど。

明日は、謡曲の歌仙会といって、内輪の稽古会がある。
昨日が、稽古日だったので、本当は昨日の夕方まで帰って、お稽古したかったのだが諸事情により断念。
一つは、折角お声をかけていただいた「書評」の仕事が、明日までなのに、できていなかったこと。
これについては、本当に反省している。
書評も初めてだが、とても面白い本だったのに、こちらの時間管理が悪く、もっと丁寧に書くべきところを、あまり時間が避けなかったのだ。
読んでいるうちに、あれこれ構想が膨らんでいたのに、書き出すと時間がなくて、しかもぎりぎりまで取り組めなくて、消化不良に終わった。
依頼してくれはった先生の顔を潰したようで、まことに申し訳ない。
ネット上で公開されるものなので、没になっていなければいいのだが・・・
それでも生き恥さらしているな。

もう一つは、こっちに来て一番いらいらしているトラブルである。
引越し時にいろいろ問題があったことは、何度も書いたが、そのうちの一つが「エアコン」の部品をなくされて、吹き出し口ががたがたになっていることである。
漸く、もう一度も苦情を言って「いつになったら、修理にくるんや」と交渉して、今日の午前中に決めたのが、2週間ほど前。
それで、家で仕事をしながら待っていたのだが、なかなかこない。
「11時ごろに行きます」と連絡が入っていたにもかかわらず、12時前になっても来ない。
12時になりそうなときに電話が入って、「部品がまだこちらに来ないので、いってもしかたがないのですが」と信じられない言葉を吐く。
部品がはいらへんって、こっちが日取りを決めたのは、2週間前やで。
そのために、今日の予定を確保しているのに、ふざけんな。
まだ、なじめないよそ者ゆえの暴言として許していただきたい。
おそらく、初めて関西に来られた方も、同じように苦々しい経験をしていると思うので、名古屋に特化して言うのではない。
が、ここにきて腹が立つのは、「再三」催促しなければ、対応してくれないことが多い。
また、「そんな説明は、はじめに聞いていない」ことが多く、「聞いていませんけれど」と強気に出ると、平謝りに謝られる。
だからといって、即対応してくれるわけでもなく、また催促する結果に。
まるで傍若無人に振舞っているのは自分自身ではないかと、強烈な自己嫌悪に陥る。
でも、不便な思いをし、しかもこちらのミスではないのは事実。
もう嫌やわ。

そんな気持ちで昼ごはんを作ろうとし、うっかり電子レンジの耐熱皿を落とし、木っ端微塵に割ってしまった。
オーブン・レンジなのでトースター用の網と電子レンジ用の耐熱皿を交換しようとした瞬間だった。
朝から折角掃除したのに、今度は広範囲に飛び散ったガラスの始末。
時間がなくなってきたので、あわてて関西に帰ろうとして、なぜか名古屋の地下街を迷ってしまい、(しかもいつも通っているルートにもかかわらず)焦れば焦るほど、周りが見えなくなり、電車に乗り遅れた。
30分もまたなくてはならない。
疲労困憊し、梅田まで帰り着くと、今度はあんなに慣れ親しんでいた阪急電車の券売機で、切符を買い間違える。

はあ、明日が思いやられるわ。

6月22日
うえー。
ちょっと調子に乗りすぎたんやろうか。
漸く前期の半分を過ぎ、なんとか夏まで行けるやろうと勢いに任せて過ごしていたんやけれど、身体さんの声を無視したんやろうなあ。
今朝、家を出ようとした途端に気持ちが悪くなり、そのままトイレに直行。
嘔吐。
朝御飯を食べていなかったので、胃にはほとんど何も入っていない。
胃酸が多くて、吐くものが少ないのはかなり辛い。
健康診断のときに、胃の検査は何もなく無事にクリアーしていたのに・・・
はああ。

胸焼けした気分で、通勤。
気分でなくて、胃酸で胸焼けしてんのか。
さすがに、昼ご飯を食べる気になれず、講義と演習をする。
終わってから、いろいろ事務手続きなどしていると、すぐに19時。
何も進んでへんなあ。
いつになったらちょっとは要領を得られんねんや。

家に帰るとさすがにおなかが空いた気がしたので、夕飯を食べる。
なぜか、今はおなかが痛い。
あかんたれやわ。
休講出来へんさかい、自分のためにも学生のためにも、体調を崩されへん。
そろそろ主治医のところにいかなやばいなあ。

6月21日
今日は会議が三つ。
なんだか、とても組織内の人間みたいじゃないか。
そんなに長い会議がないので、いつもありがたく思っているのだが、さすがに3つも重なるとしんどいなあ。
6月締め切りがまだ未着手。
やばいなあ。
大人って疲れるのねえ。

6月20日
初めて、少数ではあるが学生と飲みに行く。
とはいえ、先生方も多数なので、自分の教えた学生とでかけたわけではない。
このたびは、新入生のオリエンのスタッフ学生のねぎらいである。
来年は私がこの委員に指名されているので、半分は自分のための調査になる。
だって、全然みえてないんやもん。
先輩に当る学生の有志からスタッフを選び、自分たちが経験したオリエンテーションを学生主体にオーガナイズするのは、いいことだと思う。
先生はあくまでもサポートサイドである。
だが、情報収集してどうもよく分からないことがある。
それは、この研修のリハーサルがあるということだ。
新入生もいないのに、何をリハーサル?
どのように1泊2日をコーディネートするのかという打ち合わせを入念にやるのはわかる。
しかし、リハーサルと言うのは、実際にその研修所にスタッフ学生のみと泊まりに行くらしい。
ええ?
せやかて、スタッフも1回のときその研修所にオリエンで泊まっているんやろう。
施設が変わるならまだしも、そんなに広くないねんから、施設のルールも食堂や風呂場の場所も一度行けばわかるやん。(私は把握したで)
それとも、その施設を使ってなんか新しいことでもするのか?
そう思って、リハーサルの話を聞くが、本当にミーティングをして泊まりにいっているだけらしい。
だったら、わざわざその場所に行く必要性は・・・ないと思うねんけど。

不可解なことが多い社会やわ。

6月17日
ジュン・ブライド。
友人の結婚式で朝から京都で式に参加する。
雨が心配されていたが、朝の式は晴れていた。
着物で参加するが、ちょっと暑い。

とてもいい披露宴でした。
結婚式はチャペル。
グランヴィアホテルだったのだが、コンクリートと打ちっぱなしというか、石の雰囲気を出したモダンなチャペルである。
びっくりしたのが、普通聖歌隊がいそうな場所に、友人たちが座らされたことだ。
図示できないので、想像していただくしかない・・・
このチャペルに座っていて、ヘルシンキにある洞窟を利用したチャペルを思い出した。
もしかしたら、設計者の頭にあったのかもしれない。
友人の何人から「目頭が熱くなって賛美歌が歌えなかった」と言うのを聞いて、久しぶりに賛美歌(どうして、ホテルのチャペルっていつも同じ賛美歌なのかしら)を歌っていた自分の無感情さを思い知らされる。
私って、薄情なんかなあああ・・・
屋外に出て、フラワーシャワーの前に鐘を二人で鳴らす。
グランヴィアホテルは、京都駅ビルに組み込まれているので、鐘の外側は、京都駅ビルの階段。
階段に、よく人が座っている。
そこを、カランコロンカランコロンと大音量で鐘を鳴らすのであるから、遠めに見ると、人々が音源を探してこっちを見ているように見える。
そういえば、京都駅をうろうろしていて、この鐘の音を聞いたことあるなあ。
こういう仕組みになってたんかあ。

披露宴もこじんまりしながら、お料理もお酒もとても美味しかった。
ついでに、私も久しぶりに会う先生方にご挨拶。
私は新婦のご両親も少しだが知っている。
とても気さくなご両親で、お父様とは飲みに連れて行ってもらったこともあるし、ご両親にはうちの能というか謡曲の会に、わざわざ何度も来て頂いている。
後で、お二人に挨拶に伺ったら、お父様が「披露宴は、自分たちのものではなく、来ていただく人のために」と言い聞かせて、食事に飲み物に、何度も試食・試飲され吟味に銀器を重ねて、コーディネートされたという。
どおりで、美味しいわけだ。
でも、そのお心遣いは素晴らしいと思った。
あのご両親にして、ステキな彼女があると納得。

二次会では、懐かしい先輩方にもお会いできて、こういう機会に出席させてくれた友人の人望と心遣いに感謝。
どうぞ、末永くお幸せに。

6月16日
母の誕生日であるが、夜遅く帰る。
なぜなら、久々の研究会だから。

本当に研究会は楽しい。
気心知れた仲間なので、恥も外聞も捨てて聞きたいことを聞き、思ったことを述べ、批判される。
研究会が始まるよりも1時間ほど前に、プロジェクト室にお邪魔する。
一緒に働いていた同僚と話をするのも楽しい。
本当に、いい人たちとの出会いの場であった。
あいにく、先生は出張中だったが、なんだが嬉しくてリラックスしてしまい、ずっとしゃべって、皆さんの仕事を邪魔してしまった・・・
すみません、自己中なやつで・・・
おまけに、研究会も一人で関係あること、ないことしゃべりすぎました。
すまない。

帰りの電車の中で、同期と話をしていると
「小川さん、なんかそうとう飢えているね」と指摘される。
う・・・その通りです。
何に飢えているのかは、想像にお任せします。
明日は同期の結婚式。
同時期に研究会日を重ねてくれた人たち(偶然かもしれないど?)に感謝。
出席しやすいもの。

家に帰ると、バースデー・プレゼントにネット注文していた「青いバラ」の花束が届いている。
「青いバラ」といえば、「ガラスの仮面」でしょ。
あれ?紫のバラだったっけ?
あああ、最近記憶力が衰えて、ひどい。
土壁が剥がれ落ちるように、ぼろぼろと落ちていく。

まあ、ええわ。
写真を見て、「ええやないの」と思って注文してみたのだが、実物は不安だった。
けれども、ご対面してみるとなかなかきれいである。
紫と言うか藤色のバラは知っているが、青いバラは初めて。
寒色系の色が好きなので、自分好みで選んだが、まあ喜んでくれたと思いたい。
ちなみに、明後日の父の日には、「アルコール類がよくない」と医者に言われているのに、ちっとも節制しない父に、「そば」を贈ってある。
先週の祖母の誕生日に花キューピットを使い、ここのところ本やDVDを除いて、初めてネット・ショッピングなるものを立て続けに利用したが、なかなかつかえるもんやなあ。
私は、古風な、というよりアナログの人間であるので、通販自体もあまりしない。
通販の注文を受ける側のバイトはしましたが。
結局、自分の目で見て、触って確かめないと不安なのだ。
もちろん、返品期間もあるけれども、基本的には不安。
通販でビデオラックを購入したが、それは家具屋にいっても、どうしてもなかったからで、あとは、「カタログ」を見るだけで十分である。
ネット・ショッピングも同じで、「写真」がどうも信じられない。
しかし、忙しくて、買いに行く暇もなかったので、今回立て続けに利用してみたが、なかなか便利なものだと思った。
でも、怖いものがある・・特に、贈り物になるとね。

6月14日
なんで、今日に限って夏日のかんかん照りなん?
今日は、大学のスポーツ大会である。
大学で体育祭?
しかも、午前中の授業は普通に行い、午後から休講になって、学科対抗で行うという。
中途半端やなあ。(@ちゃらんぽらん)
14時に開会式なんて、貧血で倒れるで。
Tシャツまで作って、どれだけ大騒ぎなのかと思いきや、種目はたったの4つ。
大縄跳び(1回生のみ)、400メートルリレー(男女別)、アジャタ(知らなかったのだが、玉入れだった)、綱引き。
いまひとつ、盛り上がりに欠けるような・・・
しかも、どれだけ伝統あるものかと思いきや、今年で第4回だという。
どういう趣旨で始めたのか、知りたい。
学生の応援に、当然学科特製Tシャツを購入して、それを着てグラウンドに昼の一番厚い時刻からナイター近くまで、うろうろ。
梅雨なのに、今日に限って夏日で、すっかり日焼けしてしまった。
日焼け止めも効果なし。
この年で日焼けするのは、致命的なんですけど・・・

おまけに、うちの学科はスポーツ大会においては過去3回で総合のみならず、種目別でも栄光に輝いていたらしいのだが・・・今回は、全部予選落ち。
まあ、そんなにあつくなるもんでもないんやろう。
午前中に講義をして、夕方まで日照りの中、うろうろしていたらごっついしんどいわ。

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