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2006年01月 アーカイブ

2006年01月13日

新春のご挨拶

1月12日
・・・・・・
ちょっと、嬉しいことがあった。
今は、この嬉しいことが大事。
ほっと心に灯してくれた、きっかけを与えてくれたそんな私のまわりの、支えてくれるすべての人々に感謝。
なんとか、生きています。
懺悔すべきか、自分が最低な事ばかり思い知らされて。
でも、それを気付かさせてくれた事にも感謝やな
・・・・・・

1月11日
どうも理不尽だ、
なんだか、しっくりこない。
どう考えても理不尽だ。
ない頭を絞り、絞りながら考えた。

そうか、私が理不尽な人間だからだ。
己を規準にするから、まわりが、世界が理不尽に見えるのだ。
そう気がついたら腑に落ちた。

1月10日
朝一で、論文を提出。
だが、その後、さらに書き直したい、書き加えたい出来事がおこった。
まあ、締め切りは締め切りだ。
査読に通ったら、書き直そう。
査読に落ちたら、書き直そう。
資料を見落としたのは、己のミス。
資料を提供して頂いたのは、ラッキーな出来事。
上を向いて、歩こうよ・・・

1月9日
ようやく念願かなって、家に一日引きこもりました。
そして、一心不乱に書いていました。
締め切りを待ってもらった論文が、一応書き上がりました。
ホッとした1日でした。

1月8日
初釜。
初釜とかお茶会とか書いていますが、実はお茶はまったくの素人です。
お稽古はしたことがありませんので、お作法など全く知りません。
興味はありました。
これまでも習いたいと思っていましたが、ご縁がありませんでした。
ただ、お抹茶は好きですし、着物が着られるということもあり、皆さんが優しく誘ってくださるのです。
なので、無作法ながら、周りをきょろきょろ見て真似て、一服いただいていました。

ようやく念願かなってというとお稽古を始めるみたいでちょっとニュアンスが違うのですが、同僚が立ち上げたプロジェクトで、お茶を勉強し始めました。
メンバーの一部は昨日のメンバーと重なっています。
お稽古ではなく、まず一般概論を勉強し始めたところです。
そこで、はやくも裏千家が流儀のメンバーより、初釜のお誘いを受けたのです。

朝から、下痢が止まりません。
着物を着たいという一人のメンバーと待ち合わせていたのですが、とうとう20分も待たせてしまいました。
最低なやつです。
とにかく、着物を着て、出かけました。
大分余裕を見て時間を設定していたので、みんなとの待ち合わせには間に合いました。
今日参加できたメンバー5人中、お茶会なるものに行った経験があるのは私一人でした。
薄茶を飲んだことも、生まれてから1回しかないという人も半分ぐらいです。
日本文化=ex.茶道など簡単に言っていますが、これが現実です。
といっても、私もちゃんと茶懐石をいただいて、仲立ちして、また茶室ににじり口から入って、という本格的なお茶会は未経験です。
さすがに、招待してくれた方も無理を感じたのでしょう。
正客に、一緒にお稽古をしてはるベテランを呼んでくれてはりました。
後は、みんな正客にならえ、です。
全部、説明してもらいました。
まだ、名称を覚えていないのですが、茶懐石を振舞ってくださる主人は、メンバーのお母様です。
後にお茶をたててくださったのが、メンバーです。
母子で楽しそうに、もてなしてくれはりました。

全くの無作法を承知してくださり、はじめから最後まで全部説明してくれはりました。
私も本当に初体験で、楽しかったです。
大変いい経験になりました。
一応、稽古用映像をみんなで一度勉強のために見ていたのですが、実際に体験するのは違います。
こんなに楽しいものかと思いました。
足がしびれる人が出たりと、お約束の笑いもありながら、いろいろ教わりました。
最後には、お茶をたてる体験までさせていただきました。
本当に心から感謝です。

お茶は奥が深いです。
書に、花に、歌に、器に、料理に、お菓子に、季節に・・・
きりがありません。
最初に、こんなに楽しい体験をすると、はまりそうだなあ。
お稽古を始められるかどうかは、まだわかりませんが、とりあえずプロジェクトを通じてお茶を学んでいきたいと思います。
お茶を学ぶということは、べつにお茶だけを見るのではなく、お茶を通してやはり文化を学びたいと思います。
まあ、私のアプローチできる入り口は、まず茶懐石の料理の方からですが・・・
とにかく、楽しそうな先がまた見えてきました。

お茶は順縁と言うそうですが、本当にあの場で出会った(すでに知り合っていたとしても)、縁は大事にしたいものです。

1月7日
判断能力が格段に落ちています。
10時に京大で会議だったのですが、朝がとっても晴れていました。
晴れやかな気持ちに合わせて、少し遅れましたが、新年の初めとして晴着=着物を着ました。
家を出る段階になって、空が曇り、風花が見られました。
イヤな予感がして、とりあえず遅れるので雨コートだけ着込んで、四条河原町に着きました。
吹雪です。
あああ、あほや。
そう思いながら、MKタクシーに乗って、着物割引をしてもらいました。
傘を差しながら、門から入っていきました。
近道の門を選んだつもりでした。
京大の中で迷いました。
泣きそうになりながら、同僚に携帯で連絡をして、落ち合ってもらいました。
今日のメンバーは昨年より縁があって知り合った領域を超えた活動をしようとするグループです。
その流れで、昨年末より新たなるプロジェクトも開始しております。
いや、昨年に縁があったのではなく、本当は一昨年に知り合いましたが、私は縁がなく、一度顔を合わせただけで、そのまま遠ざかっていました。
昨年末になって、再び縁があったのか、参加する機会を得ました。
新年の挨拶をして、熱い?議論を交わしました。
でも、着物は足元が寒いのです。
外は真っ白で、こんな中で着物を着ている私はあほです。
顔は火照るのですが、足元が完全に冷え切っています。
14時前になって、ようやく晴れ上がり、安心しました。
みんなと昼食をとった後、別れました。
楽しかったです。
ちょっと、今年がいい年になるような気がしてきました。

が、世の中そんなに甘くありません。
夜になって、腹痛を起こし、完全にお腹をこわしてしまいました。
どうも、足から冷えがきてしまったようです。
若くはありません。
そう実感しました。

1月6日
最低限の仕事をして、主治医のところに走っていきました。
笑いながら、挨拶をしていたのですが、耳鳴りがしてきて、ちょっとおかしくなりました。
そのまま、堰を切ったように気がついたら、涙が溢れ出ていました。
あれだけ泣きたくても泣けなかったのに、今頃になって涙が止まりません。
優先順位を判断できなくなっていることに気づきました。
漢方が処方されました。

ちょっと、安心したようです。
止まってしまっていた論文を書き始めました。
楽しくなってきました。
この連休は有意義に過ごしたいと思いました。
泣いたら、笑うこともできました。

1月5日
稽古始め。
昨日の雪がトラウマになりました。
なので、せっかくの稽古始ですが、着物をあきらめました。
ちゃんと出勤しました。
先生にも挨拶しました。
そして、定時であがり、御影に稽古に行きました。
先生は着物を着てはりました。
新年の挨拶をして、お稽古を始めました。

昨年はなかなか稽古に来られないことも多かったです。
今年は、もう少し精進したいと思います。

そう誓ってみました。
でも、家に帰るとダウンしてしまいました。
発熱し、腹を下し、めまいがし、吐き気がし、耳鳴りがし、動悸がします。

1月4日
仕事始め。
朝から、貧血と腹痛で起きられません。
体もむくんで、起きようとしても体がうまく動きません。
最悪です。
以前一緒に働いていた同僚が、遊びに来ると聞いていました。
よほど休もうかと思いましたが、やはり新しい年の初めです。
明日倒れても、今日は行こうと決心し、一生懸命おしゃれして?出勤しました。
下手に休んだせいでしょうか、抑えつけた疲れが出てきた感じです。
11時からの仕事始めに間に合いました。
晴れ着が何人かいはって、華やかでした。
普段、関係ないときに着物でうろうろしている私は、洋服でした。
「着物ではないのですか?」と聞かれ、まさか朝からそれどころではないとも言えず、「挫折しました」とだけ伝えました。

さすがに、外に出ると、つくろいます。
同僚とも、たずねてきた元同僚とも、楽しく語らいました。
お互いいい年になればいいですね、と祈りながら、新年の挨拶を交わしました。
夕方になって、みんな帰っていきました。
昨年から仕事を、たくさん持ち越しています。
新年明けに伸ばしてもらった締め切りの論文も、まだ提出できていません。
遅れてきたので、一人少し残って19時ごろまで仕事をしていました。
いや、自分のことをしていたのかもしれません。
寒くなってきたので、真っ暗な窓の外を見て、「帰ろう」と呟きました。
確かに10分にバスがあったはず、とあわてて片付けて、バス停に向かいました。
空から白いものが落ちてきました。
寒いです。
バスは来ません。
雪はますます強くなりました。
バス停で5分ぐらい経っていて、気づきました。
今日まで、日祝ダイヤだったので、20分までバスがなかったのです。
なんて、うっかりなんでしょう。
まるで、今年一年の自分をみているようです。
そして、なすすべもなく、雪の降る中、ただただ立っていました。
雪は音もなく降り、うっすら周りが白くなってきました。
しんしんと降る雪の中、バス停の前でただただ立ち尽くしていました。

1月3日
ここ何年か恒例になっている中高時代の友達とランチです。
といっても、うちのおせち料理を皆が食べに来るのです。
家は狭いので、この日はいつも実家を借りています。
子供連れもいて、にぎやかです。
5歳の男の子とまたもや、同レベルで遊んでしまいました。
秋にランチをして以来のメンバーや、2年ぶりのメンバーなどさまざまです。

とても楽しかった。
楽しかったのですが、だんだんおかしくなっている自分に気づきました。
群集の孤独・・・
みんなと笑っているのに、どうしても虚しさがよぎります。
いや、虚しさではない、表現できない感情です。

夕方に解散してから、実家を後にして、家に帰りました。
駄目です。
もう、どないしようもありません。
襲い掛かる、いや、あふれ出てくる憂鬱感、寂寥感、孤独感、悲愴感、自己嫌悪感、己の存在に対するどうしようもない罪悪感に苛まれ、ただ虚空をみつめていました。
それでも、この扱えきれない感情は高ぶるばかり、情緒不安定きわまりありません。
この日記を書き始めた頃、よく「泣いて、顔をぐちゃぐちゃにすると眠れる」とアドバイスをいただきました。
そうだ、泣こう、と決めました。
こういうときに限って、一滴の涙も出ません。
自分に吐き気がしても、吐くことすらできません。
体には、どうしようもない汚いものが溜まっているようで、違います。
私自身が汚物なのです。
己を消去できないのです。
体が膨張して、このままポーンとはじけてしまうと、腐臭が発し、体液で部屋が溶けてしまうような、最低な存在です。
すでに、腐臭が体から立ち上っているようです。

仕方がありません。
結局、減らしかけた薬を元の量に戻しました。
明日は、仕事始めなのです。
頭がぐるりと回転したような吐き気がして、星が散って、耳鳴りがします。
こうして、三箇日が過ぎていこうとします。

みなさん、どうお過ごしですか?

1月2日
朝から、気分が悪いです。
二日酔いかと思いますが、実はそれだけでもないようです。
なんか、だるくて熱が出てきました。
まあ、酒のせいにしておきましょう。
朝から食欲もありません。
今日ぐらい1日のらりくらりしたいのですが、結局、昼から母に「バーゲンに行かないか?」と誘われ、思うところがあり、同行いたしました。
ランチを一緒に食べて、百貨店に出向きました。
あまりの人、人、人・・・
とうとう人酔いして、気分が悪くなり、トイレで貧血を起こしそうになりました。
半分吐きそうになり、腹痛を引き起こし、それでも我慢して、お茶を飲んで、帰りました。
家に帰って、意識朦朧となり、寒気が走り、腹痛がひどくなり、コタツでまたもや倒れてしまいました。
パソコンの前で、座って呆然。
部屋をすこし片付けたまま、ただ、ただ時間が経っていきました。
そうして、今年の二日目がもうすぐ終わろうとしています。

みなさん、お元気ですか?

2006年1月1日
あけましておめでとうございます。
昨年、と言っても昨日ですが、大荒れに荒れました。
なんだか、落ち着かず、清めようと一生懸命お風呂に入り、新年を迎えようとしました。
張り切りすぎたのか、気持ちが落ち着かずに、判断力がなくなったのか、お風呂から上がったとたん、気分が悪くなり、そのままなんとかベッドまで這っていき、そして失神。
本当に、はっと気がついたら、年を越していました。
行く年、来る年を見逃しました。
1時過ぎに、近くの神社に初詣。
戌年だワン!
さあ、新しい年の始まりです。
って、なんかしっくりこないのです。
一応、もう一度一眠りしました。
あ、寝なおしではないのか、失神だもんな。
そして、翌日は、祖母が来るので、私も実家に行き、お祝いをしました。
帰るつもりが、帰してもらえません。
帰りたい。
ということで、元旦から「雪中梅」をほぼ一升あけてしまいました。
あはは。
ようやく、家に帰りました。
大変な一年の始まりの予感がします。

こんなあかんたれな私ですが、本年もよろしくお願いいたします。

2006年01月22日

東京にやってまいりました

1月21日
ああ、しんど。
相変わらず、帰りを夜行バスにしているが、年々辛い。
せやけど、昨日の朝、天気予報を見て「雪」で、高速が一部閉鎖されたら、ものすごい遅れるかも・・・と案じていたが、全く問題なく帰阪。
家に帰り着いて、ニュースを見ると東京のほうは大雪。
うまく、すり抜けて帰ったなあ。
こっちは雪の心配はないみたいやし。

昨日は、1日早稲田の演博にこもる。
早稲田の近くに「穴八幡」というところがある。
いつも行くたびに気になっていたところ。
そこの近くのお蕎麦屋さんに、昼ごはんを食べに出たついでに、ちょっとお参りしてみた。
「高田馬場流鏑馬」についての説明と銅像がある。
なぜ行こうと思うたのか?
それは、「節分まで」と書かれて、なんか季節限定の祭事があるような感じやったんで。
で、階段を上がって本殿らしきところに貼られた紙に書いてあることをよんだり、きょろきょろしていると、「今年の厄年」と厄年表があり、何人かがその前でしきりに話している。
厄年か。
私は1年先取りして、数え31にして倒れたからなあ。
と、思い出しながらふとみると、「本厄」が女性は3回あるらしい。
数え19歳、33歳は知っていたが、最後がなんと「昭和45年戌年」数え37歳と書いてある。
ええええええ????
それって、私やん。
今年は本厄なん?
信心深いとか言うわけやないけど、縁起をかつぐことはある。
それで、あほやさかい「厄難消除」お守りを買うてしまいました。
そういえば、以前厄神さんに詣で、逆に厄をもろうてきた気がした厄年。
ここは、厄神さんではないみたいやから、大丈夫かなあ。

それから、また閉館の19時まで演博にこもり、とりあえずのところで切り上げる。
さて、バスの時間までたっぷりあるし、読みかけの文庫ももう終わるし、ちょっとうろうろしようと思った。
で、間違ったんが、そう、古本屋に入ってしもうたこと。
荷物になるので、1冊にしようと思いながら・・・もうちょっと買うてしまいました。
やっぱりあほやわ。

東京駅周辺で夕食を食べながら、もってきた本を読み上げ、夜行バスに乗った。
で、帰ってきたわけで、頭がふらふら、身体はむくんで疲労してます。
はあ、ちょっとお風呂でも入ってリフレッシュするかあ。

1月19日
草加煎餅を買いに、友人に連れて行ってもらう約束をしていた。
朝早くおきて、活動しているはずなのだが、昨晩普段飲まない、ズブロッカとかフォア・ローゼスとかのんだせいか、一度起きて30分ほど活動した後、眠ってしまった。
そういえば、こっちに来てからあまり眠れてないんよね。
って、いつものことか。
友人も、引っ越してから早起き生活をしているらしく、5時半から6時ごろにはシャワー浴びて、仕事をしている。
私が寝ている部屋はいわば、居間にしているところで、普段は知らないが、泊まってからは、私が起きて、着替えて準備ができたであろう時に、「朝ごはんは?」って声をかけてくれる。
それまでは、リビングで仕事をしてはるのだ。
それが、今朝は、私が眠ってしまった。
7時半頃にはっと起きたのだ。
ところが、音がしない。
リビングに出ても、真っ暗。
パソコンもついてへんし。
洗面所に行くが、音がしていたのは気のせいか、シャワーを浴びた形跡もない。
そういえば、昨晩終電間際で帰ってきて、ほとんど話していない。
いつも泊まっているので気にしていなかったが、突然気になった。
なぜなら、9時になっても気配がしないからだ。
今日は、アド・ミュージアムに行く予定で、11時しか開館しないので、どちらにしても朝はゆっくりするつもりだった。
仕事もあるし・・・
それで、コーヒーを沸かして、寒いから部屋を閉めて、仕事をしていたのだけれど、隣の寝室からも音がしない。
あれ、怒らしたことしたかなあ、それとも昨晩口数が少なかったけど、体調悪いのかなあ、と不安に駆られ、LDKをみても真っ暗。
9時半頃、トイレにたったついでに心配になって、ガレージをみる。
車は駐車している。
って、ことは寝室にいるんだろうけど、倒れてんのかなあ。
他人の家のなので、どきどきしながら、黙々と仕事をしていると10時半ごろかな、音がした。
「ごめん、でかけるんやったな」って起きてきた様子。
そんなに熟睡していたことが信じられなくて、ちょっと安心。
きくと、昨日からどろどろに眠くて耐えられなかったそうだ。
自分がそんなに遅くまで寝過ごすとか、あまり考えられないので、心配してしまった。
用意をして、手焼き草加煎餅の店に連れて行ってもらい、ブランチにラーメンを食べて、最寄り駅まで送ってもらう。

アド・ミュージアムは電通の隣にあって、そのあたりはビルと地下街を組み合わせた、モダンと言うか近未来と言うか、ビルしかない場所。
今日は風が強いのに、ビル風も一緒になって、かなりつらい。
ここも地震がきたら、簡単に壊滅するだろう。
専門家やないからわからんけど、無防備な街づくりに思える。
アド・ミュージアムは、広告についてあらためて、いやはじめから勉強するには、図書室の本は有効だろう。
だけど、今回私が知りたいアプローチに関しては、微妙。
そういう切り口は、コマーシャル研究で想定される、ないし王道ではないらしい。
想定外(内)は、悪い話題になったライブドアだな。

18時30分まで開館なのだが、これ以上今回の目的は果せないと思い、パソコンを友人宅に置いてきたので、17時半ごろには友人宅にむけて、出てしまった。
相変わらず。あの地下鉄は圧迫感。
胸が苦しい。
近所のスーパーにより晩御飯の買い物をして、帰る。
一人じゃなかなかしないような品数を作って満足。
おなかいっぱいに食べました。

それにしても、冷えてきたなあ。

1月18日
今日は、演博。
資料探しと、発表の方向性を模索。
大学だからか、センター試験が近いからか、学期末試験の時期だからか、なんだか学生が多い。
今日は17時までなので、ひたすら資料漁りと模索。
閉館になってから、3月の国際シンポで同じパネル討論でご一緒する先生の研究室に伺う。
今回の東京滞在の目的の一つは、この先生と打ち合わせをすることもある。
しばらく、打ち合わせというより、どちらかというとアドバイスをいただき、大体の方向性を決める。
+αということで、ご飯を食べに連れて行ってもらい、ついでに飲みに連れて行ってもらった。
ご飯は早稲田の近くで、これも美味しい店の上、かなり個性的。
早稲田の先生方が結構愛用されているとか。
その後飲みに行ったのが、ゴールデン街ですよ、ゴールデン街。

大学卒業したころか、在学中か忘れたけれど、師匠である大家さんに「東京に行くんですけれど、面白いお勧めの場所ありませんか?」とたずね、「新宿ゴールデン街」と教えてもらった。
それで、東京の友人二人が「どこでも行きたいところ案内するよ」と迎えてくれたので、「じゃあ、新宿ゴールデン街」とリクエスト。
(そういえば、その日の昼間は「市谷駐屯地」とリクエストして、不思議がられたなあ。)
当時の東京の友人は二人とも行ったことがなかったらしく、戸惑いながらも結局3人で、(あれ、4人だったっけ)好奇心をもちながらも、どの店に入っていいのかときょろきょろしながらいった経験がある。
それっきり。
扉に「明日のジョー」の絵がでかでかと書かれていた店に入ったことしか、記憶にない。
どんな雰囲気かも覚えていない。

ゴールデン街で2軒はしご。
やはり知っている人と行くと安心。
おまけに、内藤陳さんにお会いできました。(というか彼のお店に連れて行ってもらったのですが)
はじめは誰だろうって思っていたのだが、この漢字に見覚えがある。
そして、お顔を拝見して、見たことがあると思った。
師匠が榎本健一だったと聞いて、もう胸がワクワク。
二軒目は、もと女優さんのお店で、これまた映画関係の話が聞けて、面白かった。
貴重な一夜でした。
東京まで来た甲斐があった!?

1月17日
あれから11年。
私は、いつも書いているけど、うちの被害はましだった。
家が全壊したわけでもなく、生き埋めになったわけでもない。
だから、トラウマなんてあらへん。
そう思うのだが、朝5時半過ぎに目が覚める。
そう、5時46分のちょっと前に。
あの日に、ゆれる直前にふっと目を覚ましたように。
いやいや、気のせいや。

友人に駅まで送ってもらい、FCに向かう。
12時半からしか図書室が開室にならへんので、銀座で降り、新橋のほうをうろうろしながら、結局銀座に戻って、ランチを食べようと店を探す。
どうせなら、関西で食べたことないもんがええなあ、と徘徊して、見つけたのがルーマニア料理。
早速、入りました。
古そうなお店で、名物料理というメインを選ぶ。
マトン?と思って「ボディカバブ」みたいと味わう。
羊は好きなので、OK。
シンプルな料理で、どこか懐かしい。
支払いのときに聞くと、やはり羊だと言う。一応、舌は健在やね。
帰宅して、友人に話すと「ダリエ」でしょ?と言われる。
はあ、有名な店なんや。

京橋のFCにちょっと、迷いながら到着。
18時半まで、こつこつと資料収集。
帰りは、教えてもろうたとおりに、地下鉄を乗り換えて「南北線」というのに乗る。
これが、かなり地下にもぐる線なのだ。
こんなに、えんえんと地下に降りていくのって、ロンドン以来?
新しい感じなのだが、乗っていると、だんだん息があがるっていうのか、胸が苦しい。
気分が悪くなってきて、丹田に集中しながら、目をつぶって静かに深呼吸を始め、どうにか落ち着こうと四苦八苦。
ようやく、目的の駅について、地上に上がったら治った。
閉所恐怖症?のわけないか。
友人宅に向かって歩きながら、今日うろついた銀座、京橋あたりの風景と、さっきの地下鉄を思い出し、「地震がきたら、終わりやな」と背筋がぞっとする。
あかん、今日はがらにもなくナイーブモードか。
そんな繊細やないんやけど、やはりどこかで気になる日なのかもしれない。

1月16日
東京にやってまいりました。
あくまでも上京といいたくない、ひねくれもの。
「東くだり」なんてたまに言うてみたりして・・・しばかれるで。

昨日帰ってから、あまりにも疲れていたので、朝になって荷物をつめる。
どうも寒さが戻ってきて、東京はかなり寒いらしい。
ネットで週間天気予報を調べながら、「ああ、やっぱりもう一枚もって行こう」なぞ、のろのろしとったらおそなってしもうた。
これが、あかんかった。
最初が肝心とは、よう言うたものよの。
ほんまに、こけました。
まず、予定よりも1時間半から2時間遅れで、東京駅に着いたのは14時すぎ。
で、京橋のフィルム・センターに、ちゃんと歩いていったのはいいが・・・
がーん、閉まってるやないの。
頑丈に鎖までぐるぐるかかってて。
あれ?調べていったと思うたのに、幻想か?
臨時休業ではなくて、定休日やなんて、どこ見とったんや??
我ながら、あほさ加減に呆れるわ。

で、とにかくどこかお茶でも飲みながら考えようと思い、どうせお茶を飲むなら、あそこだと思って、銀座にとぼとぼと歩いていく。
あそこって?
雷蔵ゆかりの知る人ぞ知る喫茶店だ。
東京に行ったときには、なるべく行くようにしている。
なかなかお墓参りの時間が取れないので、せめてお茶をのみにぐらい行きたいから。
ようやく、腰を落ち着けて、ホット抹茶を飲みながら、この後の予定を思案。
19時ごろに東京駅を出て、武蔵小金井で泊めてもらう友人と待ち合わせをしている。
今は、もう15時過ぎ。
どうしようかなあ。
アド・ミュージアムも今日は休館やし。
自由が丘に髪を切りに行きたいけど、時間的に無理やなあ。
演博は17時までやから、今から中途半端や。
など、ボケらーっと考えていたら、時間はますます過ぎるばかり。
ありゃあ、どないしょ。
そこで、どうして思考が進まないのか、ふっと考えると、どうも背中から肩、頭にかけて重いのを感じ、「マッサージかな」と思い至る。
早速、パソコンにて検索。
銀座にあるすぐ近くのところ探すと、足つぼとかボディ・マッサージなど発見。
これや、と思い、店を出てちょっと探すが、また迷う。
あれ?
そこで、共通の友人よりメールが来て、新宿に18時半ごろ待ち合わせして、一緒にご飯を食べようという。
武蔵小金井って行ったことないし、新宿ならいけるから、「お願い」と返信する。
それからマッサージの店に電話をして、場所を教えてもらった。
どうも逆方向にあるいていたみたい。
この時点で17時前。
どのコースも大丈夫と言うことで、肩から頭、フェイシャルもしてくれるという「ボディ」60分を選択。
足つぼも気になったけれど、まあものは試し。
お茶を出してくれて、着替えて、それからマッサージ開始。
ぜんぜんどんなコースかわからずに、選択したのだが、これがあの背中の上に乗って、足で全身をぐいぐい踏みながら、もみほぐすやつだった。
最後には、ギュイーって引っ張られて、伸ばされて、背骨がみしみしいうのがわかる。
おおお、ええ気持ちや。
E、E、E、気持ちE!って、RCサクセションが頭をめぐりました。
きっちり60分してもらい、それから着替えて、またお茶を飲むと、あれ?18時20分?
そういえば、マッサージしてもらっているときに、携帯なっていたなあ。
と、あわてて待ち合わせの友人に、謝罪の電話を入れて、新宿に向かう。

それにしてもすごーい人、人、人。
ひたすら謝りながら、一緒にJR線に乗って、武蔵境という駅に向かうのだが、これが帰宅ラッシュ。
こっちは、大荷物やし、迷惑な客。
せやけど、あまりにも無機質な感じの人が多い。
疲れている上、このラッシュじゃしゃあないとはいえ、新宿の次の駅で乗ってきはったおっちゃん。(若いかも知れんけど)
これが、曲者。
痴漢とかやあらへんよ。せやけど、ひどい。
ぎゅうっとすし詰めされた際、私の体が斜めに捻じ曲げられ、片足が爪立ち状態になるので、「こける」と瞬間的に思い、なんとか体勢を立て直そうと、足の置き場を探った。
ちょっと、ずらしてかかとをつけようとすると、そのおっちゃんの足が私の足の下にスライド。
あかん、踵おろしたら足踏んでまうやん。
そう思って、さらに体がねじられる中、また足をずらすと、ついてくるかのように、おっちゃんも大股になるように、私の足の下に、自分の足をスライドしてくる。
ええ?これって嫌がらせやん。
足踏んでもええんかいな?と、訝しがりながら、揺れる電車の中で、片足爪先立ち、体は斜めになり、汗びっしょり。
友人が一緒なのを幸いに、「あかん。まともに立ってないからつらい。体が斜めになって、足がちゃんとついてないから、こけそう」と話して、アピールするものの、全く無視。
どころか、なんか、余計にこちらに押し付けてくるように、混んでくる。
あああ、折角カラダをのばしてもろうたのに、こんなに斜めのまま体を捻っていたら、おかしなる。
なんとか、途中で、場所を少し移動できて、そのおっちゃんから逃れて、荷物も自分もまっすぐ立てるようになったが、体が痛い。
駅について、降りようと「すみません」と言って、出口に向かうのだが、またもや入り口付近にいるさきほどのおっちゃんがのいてくれへん。
「すみません、降ります」と言うのに、どうして、一度降りて乗りなおすとか、ちょっとカラダをずらして道を空けようとかおもわへんの?
荷物を持ちながら、カラダを1回転させて、隙間をみつけ、脱出。
1回転しながらおりなあかんなんて・・・そうせな、まっすぐ突進すると周りの人にがんがん当り散らして降りる結果になる。
またもや、東京不信や。

気を取り直して、中華料理を食べに行く。
これがうまい!
店のおやっさんもなかなかおいしい。
私の好きなラム肉の麻婆豆腐。
初めて食べるんやけど、最高。
棒棒鶏やなくて、なんやっけ、似たような前菜なんやけど、胡麻だれではなく、ピリッと辛味のきいた醤をかけているやつ。
それも美味しくって。
やはり決めては醤か。

そうして、私の東京珍道中1日目が終わった。

1月15日
内輪の新年会。
といっても、メインは宴会ではございません。
謡曲のお稽古会。

社中、フル出動で、朝から夕方まで、舞や謡をするのだ。
謡は、ふしを一つ間違いました。
舞は、やはり間違いました。
それより、舞っている間、身体がふわふわ浮いた感じで、重心があがってしまい、どっしりと舞えなかったのが、悔やまれる。
まだ間違うのはしゃあない(って怒られるがな)けど、せめて歩き方ひとつにしてもどっしり舞いたいのに・・・稽古不足やなあ。

いろいろな人の舞や謡を見聞きしながら、「今度はあれやりたいなあ」と思う。
能楽って面白い。
なんで、気づくのがこんなにおそかったんやろう。
はあ、学習せんな。

1月14日
新春能。
なのに、朝から大雨。
着物を着たかったのに・・・断念。
そこまで、根性あらへんわ。

宅急便を待っているのだが、なかなか来ず。
ぎりぎりになって届いた。
あわてて、家を出て神戸文化ホールに向かう。
5分前到着。

舞囃子「舎利」を見る。
これまで、お能を観る機会もあったのに、タイミング合わず。
こんなに面白いなんて。
「働き」なんかええなあ。

続いて能楽「松風」。
小書きがついていて、ちょっと違う演出。
でも、「松風」ってこんなにつまらない能でしたっけ?と不満。
まあ、素人の戯言。
うっちゃっておいてくれ。
大衆なんて、勝手なもんですよ。

狂言と思ったが、祖母および祖母の友人(ということは・・・ご高齢)がトイレに行きたいといわはるので、お供する。
二人とも「杖」なので、階段とかいろいろ心配やさかい。
狂言は、あきらめて、ロビーで待っていると、遅れて内田先生がきやはった。
昨年末より、とんでもないご迷惑をかけ続けなので、あらためて新年のご挨拶。
お詫びもかねて・・・
師匠、本年もよろしくお願い致します。

休憩がすんで、仕舞いを観、そして、本日の個人的なメインである能楽「安達原」。
これも、小書きがついているので、初めて観る演出。
文化ホールは、舞台の上に仮の能舞台を仕立てるので、肝心の「柱」がない。
昨年、能を披かせてもらって痛感したが、面をつけると視野がほとんどないため、この4本の柱は、まさに「目付け」になる。
その柱がないのに、どうどうと舞ってみせ、客を魅了するのはやはりプロですねえ。
もちろん、わが師匠がシテなのですから、贔屓目もあります。
でも、本当に堪能、感激。

最近、つくづくと感じること。
それは、お能ってエキサイティイングな舞台やってこと。
どうも「幽玄」の持つ今流布している言葉のニュアンスで、静かで眠くて、小難しくて、つまんない、と誤解されがちの気がする。
実は、曲によっては、本当にアクロバティックで、エキサイティング。
興奮の坩堝とは言いすぎかなあ。

1月13日
研究会。
今日は、夕方にも参加したいプロジェクトがあったのだが・・・
身体は一つしかない。
昨日の嬉しさより、興奮しちまって。
朝から元気です。
午後からの研究会は、相変わらず刺激的。

とはいえ、今日は無駄な動きが多い。
要領が悪い。
トラブルが続く。
まあ、これもご愛嬌ってことにしますわ。

懇親会は水炊き。
いつもよりちょっと高めだったけれど、皆さんご満足いただけたようで。
店を決めたものとしては、ほっと胸をなでおろしました。

やっぱり鍋の季節やさかい、と湯豆腐に続いて、京(というか西)の鍋代表として水炊きを選んだんやけど、昨晩より寒さが緩んで、暑かった、かも。
家に帰ると、しんどい。
興奮しすぎやがな。

2006年01月31日

吐き気がする

1月30日
吐き気がする、胸焼けがする。
己がいる事への疑問。

ちょっと、喜ばしいことがあった。
それを、他の人にも喜んでもらえるだろうと思い、報告した。
ところが、一人は、あまり反応がなく、もう一人にいたってははなはだ不機嫌。
その上、これ以上顔も見たくないという感じで聞き流され、連絡も取れなくなった。
はてな?
そう思うて、悲しゅうなった。
わてが何してん?
喜んでもらえると思うたのに・・・

せやけど、さんざん悲しゅうなって虚しゅうなって泣いた後、気がついたんじゃ。
自分が勝手に嬉しいと思うたとしても、それは己が嬉しくて、喜びたいだけなのじゃ。
それは、他人にとっては何の利もなく、関係のない話である。
それをじゃ。
それを、己がうれしゅうからとて、そちも喜んでたも、などうそぶく方がまちごうておる。
他人からしたら「どうでもええ話じゃけん」と言うのがもっともだろう。
せやせや。
己が喜ばしいと感じても、「そちも喜べ」とはなんたる押し付けがましい自己中な態度。
独裁者が「うぬらも嬉しいじゃろう。よろこべ、笑え、歌え、踊れ!」と命令しているようなものじゃ。
あああ、己はなんて浅ましい最低な輩であろう。
せやから、どんどん他人から疎ましがられ、そしてついには独居老人となる前に、ひとり寂しく誰にも相手にされず身を滅ぼすことになるのじゃ。

己の行く末を悟ると、もうこれ以上生きていることに意味がない。
害虫がいてもええことあらへんしな。

はああ、自己嫌悪や。
ほんまに生きてる価値あらへんな。
なんで、いままで生き恥さらしておったんやろう。
吐き気がする。

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