« 2005年11月 | メイン | 2006年01月 »

2005年12月 アーカイブ

2005年12月01日

綱渡りな霜月

11月30日
11月が終わる。
それは、12月の始まりを示し、そして、今年が後一月と言うことを示す。

今日中にやっておかなくては、と張り切ってリスト・アップしたものの、あまりにやることが多すぎて、半分しかできない。
いや、半分も出来ていない?

はあああ、綱渡りの毎日。

11月29日
午前中も引き続き研究会。

午後は、いつもの仕事。
なんとかせねば。

夜は祖母宅泊まり。
疲労困憊。

11月28日
朝からひどい腹痛。
研究会なので、昼前にはなんとか出勤。

家から出ると、一応お外モード。
着物を着て、研究会参加。
なんか、怪しい人みたい。

懇親会モードなのだ。
懇親会は嵐山で湯豆腐。
朝に腹痛があったけれど、お豆腐なので、大丈夫。

知人の就職が決まったらしい。
おめでとう。
私もあやかれるかな。

研究会は楽しい。
ちょっと、精神的に復帰。

11月27日
楽しいこと半分。
うっとうしいこと半分。

半分なのに、プラスマイナスするとマイナス。
とっても、マイナス。

体調崩れる。
浮腫、発熱、腹痛、頭痛。
めげる。

11月26日
多忙な日。
朝から、着物を着て、「湯木美術館」に行く。
詳しい同僚が一緒というより、誘ってくれはったので、ただ「観る」よりも、いろいろ解説をしてもらえるので、有意義。
楽しかった。

お茶を飲んで、日文研に。
午後からの研究会に参加。
知らない事がたくさんあるので、研究会に参加するのは楽しい。
けれども、懇親会まで参加して、家に帰るとなんだかしんどい。
喉が痛い気がする。

11月24日
久し振りの観劇。
リリパット・アーミーIIの『時の男』を観る。
演劇としては、結構楽しいし、ストーリーも良くできていると思う。
なんといっても、今回は私の好きな及川さんが、かっこいい役でたくさん出ているのが嬉しい。
もちろん、ばかばかしい踊り(これは絶賛の言葉)も披露してくれるし。
が、しかし、不満が残った。

というより、過去のリリパット・アーミーを求める私が間違っているのかも知れない。
もともと中島らもが始めた「笑殺」劇団だったので、ストーリーと関係ない、意味のないシーンやギャグ、踊りや唄が満載で、それを求めて観に行っていた劇団である。
しかし、中島らもは座長を辞め、挙げ句の果てに劇団も辞め、そしてこの世も辞めてしまった。
そして、桂吉朝さんもまた、他界してしまった。
そんな経緯を知っていながら、新生、つまり新しい劇団の方に、そのような特色を追い求めてはいけないのかも知れない。

恒例の「ちくわ投げ」もなかったし・・・

ちょっと、考えてしまった。

11月23日
念願の『チャーリーとチョコレート工場』をようやく観る。
今年のベスト1だ。
良かった。
これを映画館で見逃していたら、一生後悔もんやな。

昼ご飯を食べて、再び同じ映画館に戻り、最後の時代劇傑作選。
『天狗飛脚』と『町奉行日記』を観る。
しかし、モーニング・ショーの『チャーリーとチョコレート工場』があまりに面白かったので、印象が薄い。
『天狗飛脚』は市川右太衛門。
これは、観たことがある。
『町奉行日記』は、実はもっと長い題名。
これは、未見。
勝新太郎主演で、若い。
これは、近年?市川崑監督、役所広司主演でリメイクされた『どら平太』のオリジナルというか、同じ話である。
でも、二つを比較すると、抜群に『町奉行日記』の方が面白い。
まあ、個人的感想ですけれど。

家に帰り、ビデオを観るが、疲れが出て、途中で放棄。
やっぱり、映画館で観ないと、集中力が落ちるわ。

11月22日
朝からちょっと驚く。
あまりにリアルでしんどい夢を見たからだ。
リアルすぎて、起きてからもここで夢の出来事が本当にあったことのように思われて、記憶をたどる。
あれは夢か現か?
ほんまに、自分の頭がおかしくなった気がする。

今日は、紅葉狩り。
仕事は休ませてもらった。
祖母が、元気でいられる間、お供をしよう。
朝の重たい気分を振り切り、何も考えないようにする。
でも、着物を着ていると、うまく帯が結べない。
焦ると、余計に結べない。
なんとか、待ち合わせに間に合って、あとはひたすら紅葉狩りを楽しむのみ。
着物は暖かくて、このぐらいの季節に丁度ええ。

夕方に帰ってきて、家に帰り、着物を着替えて、お泊まりの準備。
簡単な和え物を作って、一緒に食事をする。
今日は、一日孝行の日。

今朝の夢見の悪さが、残っているのか、どうも眠れない。
いや、眠りたくないのかも。
薬が効かないなあ。

11月21日
なんだか、朝しんどくて起きられない。
寒くなってきたせいか?

身体が浮腫んで、重い。
それでも、今日はゼミもあるし、仕事が溜まっているので、這うようにして出勤。
週末は映画三昧で楽しんでいたはずなのに・・・

仕事もちゃんとノルマをこなす。
ゼミも楽しくて、得るものも多い。

にもかかわらず、なんだかだるい。
身体さんは何を言いたい?

11月20日
今日は、ワクワクの時代劇映画の日。
『子連れ狼』を二本観る。
『子を貸し腕貸しつかまつる』いわゆる第一作。(題名が微妙に間違っていたらすまない)
それから、『親の心子の心』。
こっちは、三隅研次作品ではない。
若山富三郎主演の子連れ狼は、勝プロで製作されたのが6本あるはず。
うち、三隅研次監督が4作品なのだ。
親の心・・・の方は、宮川一夫が撮影している。
なんて豪華な。

始まった途端、「おお、かっこいい」とつぶやき、見終わって、堪能して、「あー面白かった」と呟くと、隣のおじさんがぎょっとした顔で私を見る。
なんでやねん。

11月19日
時代劇映画の日。
今日は『昨日消えた男』『或る剣豪の生涯』の2本。
『昨日消えた男』は、リメイクの方しか見たことがなかったと思う。
マキノ正博が、相変わらずの早撮りをした作品と聞いている。
そろそろ長谷川一夫が肥えはじめてきた頃かしら。
フィルムの状態があまり良くないが、それだからこそ観られて嬉しい。

『或る剣豪の生涯』は、すでに録画して持っている。
稲垣浩監督。
稲垣浩は、すごく物知りなのだと思う。
この映画は、泣かされた。
その記憶があるので、スクリーンで観るのも楽しみ。
司葉子が綺麗。
そして、何処で泣いたのかわかっているだけに、そのシーンが近づくにつれて、既に涙腺がゆるみだす。
映画館にもかかわらず、号泣。
ほんまに、単純な観客やと思う。
知っている作品で、先取って泣くなんて、アホやなあ。

さらに、祖母宅に泊まり。
観たいTV番組がないため、少し話を振るとOKが出た。
部屋で、観ようと思っていた、美空ひばりの『振り袖捕物帖 若衆変化』を、みんなで居間で観る。
橋蔵も若くて、祖母もひばりの歌が聴けるのだから、少しは楽しんでみたようだ。
時代劇映画の王道の物語で、ひばりの活躍が楽しい。

11月17日
B.N.解禁。
今年は出来がいいらしい。

2005年12月31日

大晦日のご挨拶

12月31日
今年最後になって、大撃沈。
昨日よりおせち料理を作っているのだが、夕方にあまりの気分の悪さに、座り込む。
顔色真っ青。
お腹もこわしたみたい。

それでも、今は倒れられないと、がんばっていたが・・・

今朝になって、これまで私が信頼していた人々に、いっせいに無視されたり、裏切られたり・・・
おまけに、精神的に追い詰められる事態が・・・
いやいや、これはこれまでの己の所業が悪かったせい。
ひどい仕打ちを、他人にしながら気にもせず、ひたすら自己中心に生きてきたのだから、やはり天罰が下るのだ。

こんな自分が、誰にもこれ以上迷惑をかけないためにするには・・・
やはり、消滅するしかないやろう。
だって、普通に死んでも死体が残って、結局周りに迷惑がかかる。
どうしたら、神隠しのように、いや私がかかわったすべての人からの記憶もすべて消えて、個人の所有物もすべて消えて、何もなくなって、消えてしまうことができるだろうか。
それができたら、最上の策だ。

そして、年が明けたら、みんなが幸せになれる。
そんな消え方を模索している。

12月29日
仕事が終わって、ようやく自分の家でも片付けようと思う。
だが、ほっとしたのか、しばし呆然。
なんとか洗濯をすませた。
持って帰ってきた、資料や本を整理しようとすると、本棚がもう一杯。
そうか、DVDも入れているからか。
と、思ってもビデオもDVDもあふれてきている。
整理が下手や。

今日も日記が更新されていない。
気にしだすと、とても気になる。
ついつい疑って確認メールを送ると、まったく届いていないとのこと。
極悪性が出てしまい、大家さんの怒りも感じる。
あああ、最後になってなんてこと。
せやけど、4回もメール送っていたのに、どうしてこの疑惑メールだけが、すぐ手元に届いたのかしら?

悲しい。
そして、今日の大半を明日からのおせち料理の買出し等でつぶされ、なにも自分のことができず、とうとう発熱。
気分が悪い。

解放されるのは年が明けてから・・・
絶対、新年は倒れるわ。
といいながら、今から徹夜で、年賀状を作るのだ。
パソコンで年賀状作成初挑戦である。

12月28日
仕事納め。
一段落・・・なんて極端や。
いろいろ書きたいが、何度も内田先生に、無視され続けているのが気になる。
お忙しいので、いつも具合が悪かった。
必ず、メールでメッセージもあった。なので、あまり内田先生の都合を考えていなかったが。この事態はびっくり。

はあああ。
いちばんおちこむなあ。
今年の最後になって抹殺された小川は、長屋追放か?

12月26日
内輪の宴会で、「てっちり」をしました。
てっちり、てっさ。雑炊にひれ酒。
白子はないけど、まあフルコースである。

鍋はやっぱり「てっちり」かなあ。
ふぐ調理師免許の講習会は、来年こそ行くぞ!

12月25日
ふと、思って日記を振り合えると、なぜか一一月のママ。
内田先生も忙しいのでしょう。
とはいえ、送り直して二回目なのですが・・・

あ、そんな個人的なことで、時間がなくなった。

12月23日
快晴。
昨日の雪はなんやったんや?

ふう、追いつめられて、書き出すとこっちがとまらない。
この日記書きたい衝動を、論文にうつさねば・・・・
見えないだけにつらい・・・といいつつたのしい面もあるからなあ

12月22日
大雪です。
今週は忙しかった。
それでも、なかなか今年中と思うことがはかどらない。
そして、今日は大雪。

6時ごろは降ってなかったが、7時ごろにちらちらと白いものが見え、それからあっという間に、屋根や隣の家の庭が真っ白に薄化粧されていった。
これはやばい。
そう思いながら、早めに家を出る。
十三に向かう途中、神崎川を出発したとたん、電車の中の電気が消え、とまった。
たいしたことはなかったが、一瞬の間、停電で電車が止まってしまったのだ。
(そういえば、昼間に知ったのだが、それより少し後になると、大阪で停電し、地下鉄など大々的に止まってしまったらしい。早く出てよかった)
京都線は、ちょっと遅れ始めていたが、10分ほどの遅れですんだ。
この後が大変。
バスが来ないのだ。
桂駅で、しんしんと降る雪の中、「寒いよー」と凍えながら、30分は待ったのでは?
ようやく団子になってきたバスに乗り、日文研へ。
山をあがるほど、吹雪になり、積雪が・・・
こけずにさくさくと雪を踏みしめ、ようやく到着。
はあああ、寒い。

昼ごろになるにつれ、雪はどんどんひどくなり、帰るに帰れない状態。
今日の行事はすべて中止。
坂道はまるでスキー場のゲレンデ状態。
窓の外は雪に光が反射してまぶしくて仕方がない。
いったいここはどこの雪国ぞな?
先生からも、様子を見て早く帰るようにと指示が出る。
3時ごろに、雪がやんだ。
ここぞとばかりに、帰る。
10cmは軽く積もっているなあ。
幸いバスがすぐ来てくれたので、山を降りると、ほら、ほとんど積もってないやん。
電車ももう遅れていないし、家に帰ると、ほとんど雪なんて残っていない。
はあ、あそこはやはり別世界。

連休に自分の研究のために行こうと思っていたが、完全に行く気がうせる。
というわけで、論文書くための資料をリュックに詰め込んで、ふらふら帰宅したのであった。
さあ、暖かい阪神間で、がんばるぞ!

12月18日
朝から稽古。
最近真面目にお稽古に行っています。
さすがに、あせってきた。

12月17日
ふう。
日文研は雪でした。
今日は、朝から発表。
発表の場を与えてもらえるのは、大変ありがたい。
でも、今日はびびった。
まあ、とてもとてもいい勉強になりました。

実は、美空ひばりについて発表をしたのである。
だが、研究会が重なっており、朝から寒い中、そんなふざけた発表を聞きに来てくれた貴重な人たちは、なーんと、全員外国人。
主催者の先生だけが日本人。
もちろん、皆様、日本を研究しているのであるから、日本語はほとんど問題ない。
せやけど、私の用意した「美空ひばりを知っていますか?」という最初の導入。
これは、今の大学生以下はもう知らんやろうな・・・という気持ちを込めて軽く用意したものだったのだが、これがまじめな問いかけになってしまった。
そこから、1950年代から60年代の日本の大衆文化の様相や流れ、美空ひばりそのものについて、全部全部説明をしなくてはならないことになった。
でも、自分では「これぐらいの前提は共有しているはず」と思いこむ事への危険性を、極端に言えばジャルゴンをつかいまくってしまうプレゼンあるいはペーパーのことを、博士課程で徹底的に批判され、叱られてきた。
それをあらためて思い出し、レジュメには全く用意していなかったが、とにかく一生懸命説明をつとめた。
お世辞でも、「面白かった。知らなかった」と感想をいただき、ほっと胸をなで下ろす。

夜になるほど、寒くなるという天気予報を信じ、ランチをともにした後、さっさと帰る。
夜は、友人と久しぶりに神戸でご飯。
でも、三宮駅はごった返し。
おそるべし、ルミナリエ。
まあ、行きたい店が山側だったのが、唯一の救いか?
しんど。

12月16日
今年が最後の診察日。
ふらふらと主治医のところにたどり着く。

いろいろとツボを押された上に「わかりやすい身体やね」と言われる。
そう、身体さんは正直なのだ。
で、その痛かったツボは?
笑いながら言われました。
「イヤー、お客さん、疲れてますね」
自律神経らしい。
通りで、身体が浮腫んだり、よくわからない不調に襲われるワケや。

はあ、やらなきゃいかんことは山積みなのに。

12月14日
冷えがきた。
早朝腹痛に襲われる。
よほど、休もうかと思っていたが、午後から打ち合わせがあったので、這う様に出勤。
おまけに、稽古。
おなかが痛い。

でも、休めない・・・

12月13日
久しぶりに、懐かしいメンバーで飲み会。
めちゃくちゃ楽しい。
終電まで騒ぐ。

が、が、が・・・
家に帰ると、あまりの寒さに冷えたらしい。
震えがとまらない。

12月12日
稽古で絞られる。
だけど、なんとか最後までいったので、後は鍛錬のみ。
それにしても寒い。
日文研は雪がちらついているよ。

12月11日
観世会。
といっても、やらなきゃならないこと山積み。
残念ながら、葵上は見ずに、途中で帰る。
そんな悠長に鑑賞している場合ではないのだから。
気分的に、あせるとゆっくり見てられないのもあるなあ。

明日と今日は祖母宅とまり。
でも、夕方にどうしようもなく嫌なことが起きる。
ひさびさに、「もう消えるしかない」
「タナトス」へのジャンプが私を魅了する。
あまりにひどくて、涙が出てきて、吐き気がする。

せっかく、今年もあと少し。
穏便に1年を終えたいと思ったのに、来週主治医のところに行かないともう狂いそう。
いや、確実に狂い始めている。

12月10日
なかなか先に進めないので、ちょっと部屋を片付ける。
しかし、これもやりだすときりがない。
まあ、気分転換。
ついでに、料理もしちゃおう。

12月9日
仕事が溜まっているのに、自分の好奇心のため、いろいろ領域を超えたプロジェクトに顔を出して、はがゆい。
今日も、夕方から立ち上がったばかりのプロジェクトの基礎勉強会がある。
朝から、ほんまに必死で必死で、仕事をする。
なんとか、今週の目標をおえて、ぎりぎり夕方に間に合う。
知っているようで、実は全然知らないから、こういう機会に教えて頂けると手軽に耳学問として基礎知識が身につく。
自分で多くだされている関連書を読んで、ビデオなどを観てももちろん勉強出来るのだが、今日のように概論としてもらい、それに対して、質疑応答、しかもそれぞれの関心分野から質問が出ると、結構面白く、耳にも残る。
その後、かるく夕食を食べて、さらにお話しをする。
貴重な、ありがたい時間。

楽しかった。

12月8日
楽しい一日。
ちょいっと日文研に顔を出して、仕事をしてから、ひそかに参加しているプロジェクトの会議で出かける。
実は、昨年から、もう少し前から、参加表明をして、2回ほど参加していたのだが、どうもタイミングあわず、結局なにもしていなかった。
そこで知り合えた人々とも気になっていたのに、ゆっくりお話しすること出来ず、今日になって漸くデビュー。
なかなか貴重な時間やったけれど、ただ、京都は寒い!!!

12月6日
寒いです。
昨日は、ちらちら白いものを舞っていました。
今日は、日文研は雪だそうだ。

って、他人事なのは、今日はJR京都駅付近に出没し、山の方には行っていないのだ。
朝は、京都シネマにて『みやび三島由紀夫』を観る。
昼から、キャンパスプラザにて知的財産セミナーということで、映像作品と著作権について勉強しに行く。
まあ、知っている人にはもう当然の話かも知れないが、なんとなく「著作権」とか「肖像権」というイメージを持っている私のようなレベルは、細かい条項を抜粋でも見るのも初めて。
基礎として、勉強になりました。

15時に終わったので、もうどうしようもなくなっていた髪を切りに、元町へゴー。
ルミナリエが始まると、夕方にあの近辺には行けない。
店に行きたくても、何故かルミナリエの列に並ばされたりするし、まっすぐ直進させてもらえないのだ。
一度、えらい目におうた。
せやから、12月は時期を選ばないとほんまに髪を切りに行かれへんのだ。
髪を切ると気分が変わる。
久し振りの神戸だったので、うろうろしたくても、なにせ週末からずっとハード・スケジュール。
京都に比べたら神戸は暖かいと思っていたものの、大丸を少しうろうろしただけで、結局帰宅。
まあ、うっかり買い物しそうだったので、帰った面もある。
しかし、京都から神戸って結構遠いのね。

12月4日
昨日は、東京へゴーゴーゴー。
研究会で、「殺陣」研究の第一人者と呼んでも過言でない永田哲朗氏がお話しをされるのだ。
未熟なのだが、一応チャンバラ映画、殺陣研究をさせてもらっている弱輩者の私には、どうしても会っておきたい人物だった。
橋本治と永田哲朗両者の著書がなければ、私は博士論文をチャンバラと殺陣で書かなかっただろう。
そう思っている。

お話しがおもしろく、おまけに貴重な映像も見せて頂き、そして、懇親会では隣りに座らせてもらい、楽しくお話しをさせてもらった。
あまりに楽しいので、新幹線はなくなり、結局夜行バスで帰阪したのだが、そんなことは苦にならない。
それほど、かけがえのない時間。
東京まで行って、ほんまによかった。
サインもらっておけば良かった。

今日は、とにかく朝のお風呂は行ってしばし休憩した後、京大へゴー。
学会なのだ。
なかなか興味深く、ぬけぬけとこちらも懇親会に参加し、一度ご挨拶したいと思っていた先生に漸く挨拶することが出来た。
こちらもぺーぺーなので、著書や研究発表、あるいはシンポジウムなので顔を存じ上げていたのだが、なぜかご挨拶する機会を逸していた。
なんか、イメージと話してみるとちょっと違う。
今後ともよろしくお願い申し上げます。

12月2日
感涙。
ギエムを観に、フェスティバルホールに行ってきました。
今回は、今までの中で一番席が悪い。
だから、くやしい。
とはいえ、逆に舞台全体が視野に入るという見方もできる。
バレエを見に行くのは、久しぶり。
東京バレエ団も久しぶり。
全体が視野に入ると、8人とか10人ぐらいで踊っているとき、ソロや2~3人で常に出てくる人以外の人にも、目が行く。
というより、遠いので、髪形を同じにされると顔は判断できないのだが、一人妙に気になる女性(バレリーナでいいのかな)がいた。
そう、しょっちゅう観ていないので、パンフレットを見ても顔がわからない。
彼女の動きは気になる。

さすが、ギエムは違う。
一つ目は、二人で踊っていたのだが、相手の男性のダンサーも見たいとどんなに思っても、ギエムにしか目がいかない。
特に、「最後」と言われているベジャールの「ボレロ」を見たとき、あれだけ舞台全体が視野に入っているにもかかわらず、ただギエムに目が釘付け。
この表現がこれほどふさわしく思われるほど、ギエムのほかは目に入らない。
バレエを自らも踊り、詳しい友人が、「神様が造った人」と表現していたが、本当にそう思う。
踊るために、神に造られた人だと思う。
今回は、プログラムの割り当てで、私が見たのは、全曲振り付けが違う人だった。
東京バレエ団のほうも、ノイマイヤーとキリアン。
二人とも名前を聞いたことがあるが、実際彼らの振付けた作品を見ていなかったので、その意味では、満足。

12月1日
とうとう12月。
師走というように、本当にあわただしさを感じる。
これは、心理的なものなのだろう。
だって、私が「忙しい」「ああ、あれもできてない、これもできてない」と叫んでいるのは、年中同じなのであるから。
どちらかというと、本当にどうしようもなく追い詰められるのは、年度末の3月のほうである。
だって、1年で契約が切れる身の上、今年度中に仕上げなくてはならないという切迫感は(本当に、4月に持ち越せない仕事があるのだから)ただものではない。
今から、実はそれを恐れて、あわてているのもあるが、どうしても、年度と1年の区切りがずれているとはいえ、焦燥感に駆られるのは、私個人の問題か?
それとも、文化的背景が絡んでいるのだろうか?

今日は、1と月ぶりのお稽古。
どうも、今日は夕方で社中が帰ってしまったようで、夜遅く来るのは私だけ。
まあ、ご自宅でお稽古しているので、そんなわがままが許されるのだが、先生はまだ最後まで舞が出来上がっていない私をしごくため、待っていはったらしい。
たっぷり稽古をつけていただきました。

ようやく、最後まで舞の型を習い、あとは、それを如何に体に叩き込むかという課題だけである。
はあ、それが際限のない稽古なのよねえ。
12月はなんとか、もっとお稽古に行かなくては。

About 2005年12月

2005年12月にブログ「小川順子の不眠日記」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2005年11月です。

次のアーカイブは2006年01月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35