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ひとの話をきいてくれ

7月25日
おかしい。
天神さんやのに「暑く」ない。
大阪が近いので、毎年「天神さんが一番暑い」と育ってきたし、ほんまに暑い。
なのに、暑くない。
気持ち悪いわ。

帰り際に、「カサブランカ」をもらい、嬉しそうにお稽古に行く。
稽古場で、この前の「船弁慶」の写真が出来上がってきているのをみる。
写真にすると、プロが撮っているだけあって「ごっつい立派」に見える。
もう、随分昔のような気がしているが・・・

カサブランカを持って、祖母宅に泊まり。
祖父が花が好きだったので、喜んでもらえるだろうと「こんばんは」と居間に顔を出すと、目に入ったのは、9つも花をつけぼちぼち開こうとしている「月下美人」の二つの鉢だった。
あまりの立派さに、手に持った「カサブランカ」がなんだか寂しい。

でも、「月下美人」は一夜限り。
なんだか、とってもいいタイミングで泊まりに来た。
今も、なんともいえない淡い甘い香りに包まれている。

気のせいか、鉢に虫でもついていたんかもしれないが、むき出した両腕がかぶれている・・・

7月22日
最悪やけれど、同僚に救われる。
今朝、5時のニュースで大阪は28度という。
6時半のニュースで大阪は29度という。
7時頃に、蕎麦をゆでるものの、水道水が生ぬるい。
間の悪いことに、昨晩大叔母が氷の箱を洗っていたらしく、全く氷があらへん。
祖母も、起きてきて食べてものびておいしないやろう、と思いつつ、ずるずる食す。
祖母宅を出たとき、あまりの暑さに「このまま家に帰ろうかな」と思う。

ほんまにそう思ったが、どうしても本日仕上げなくてはならない仕事があったので、ふらふらになって出勤。
ところが、電車とバスが「死ぬほど」寒くて、その後、バス停から10分弱が溶けそうに暑くて、完全に体調を崩す。
プロジェクト室にたどり着いたとき、誰もいないのが救いか?しゃがみこんでしまった。
15分ぐらいうずくまっていて、漸く復帰。

どうみても、怪しいな。
怪しいと言えば、自分である。
あいつぐロンドンのテロ。
リュック姿で、夏にもかかわらず厚めの上着。
それは、電車の冷房対策で上着を着込み、1泊分の荷物とノートPCを持った巨大なリュックを背負ったうちの姿やん。
どないしょう。
そのうち、職務質問されるんちゃうか。

7月21日
今日もお泊まり。
昨晩、美味いワインに釣られて、豊富な実家の冷蔵庫の食材をあさったものだから、朝から腹をくだす。
今日は、雷蔵映画祭に午後から行く予定・・・やった。
着物を着ていくと1000円で観られるので、昨晩、家に帰ってから帯と紗の着物を合わせて、全部用意しておいた。
なのに、帯を締めようとする途端、お腹が痛くなって、あわてて脱ぎ捨てる。
汚い話ですまない。

それからとてもやあらへんけど、着物どころやない。
脂汗流して、トイレとベッドのわずかな距離をふらふらしながら、貧血と腹痛で往復。
最悪や。
遅れて行く旨を勤務先に伝えて、昼前にようよう到着。
バス停からあまりに暑くて、溶けそう。

今日は早く帰るなぞ言うておったが、雷蔵の映画を観るためには14時過ぎに、出なければならない。
もちろん、調子が悪くて着物も着ていない。
そんな日中一番暑い時間帯に、この体調で外に出るなんて、雷蔵にあう前に熱中症で倒れてしまう。
一応、1本は観たことあるし、もう1本はDVDも持っているので、断念。
いまいちの身体をもてあまし、今晩も泊まりなので、18時頃にとっとと帰宅・・・
のはずやってんけど。

今日は、早退して「雷さま」と決めていたのですっかり忘れていたが、中庭で「ビア・パーティー」が開催されていた。
中庭の回廊をこそこそと抜けて、バス停に向かおうとしたところ、お世話になっている先生に声をかけられる。
「いや、会費払っていませんし」と丁重にお断りするが、「後で払えばいい」と誘われ、暑さに「生ビール」に負けて、ついつい乱入。
ありがたいことに、ご高名の先生に紹介頂き、その先生が土曜日に発表しやはる研究会にお誘い頂く。
その後、いろいろな先生方と話して、またもや「食べなさい」と「飲んでいる?」の交互に答え、すっかり遅くなってしまった。

23時前に祖母宅に到着。
明日も早いので、と言うと、「生蕎麦をもらったから、ゆでておいて。半分起きたら食べるから」と言う。
あああ、それは逃げられんな。
まあ、麺の方がつるつる入るかな。

今書きながら、ニュースを見ていた。
世間は夏休みに入ったらしく、子供たちの夏休みの映像が映っている。
シャコをとる(つる?)行事に参加した子供たちを映しているのだが、うまくシャコをつった男の子にインタビュー。
「めっちゃ、嬉しい」と言うておるのだが、その表情がどうみても今にも泣きそうで、嬉しそうには見えない。
かといって、泣きそうだが、そのまま表情が凍り付いたように見える。
別の女の子も、表情が硬いというかないというか・・・
思わずテレビに向かって「お前等、ほんまに嬉しいんかい」と突っ込んだ。
考えると、相手の表情から適切な喜怒哀楽が読み取れないって、コミュニケーション断絶につながるんちゃうん。
寒気するわ。

7月20日
今朝は、いつもより早く出る。
祖母に「早いから」と言うておいたのだが、「その時間に起きる」と言われてしまった。
けれども、一向に起きてくる様子がない。
昨晩、「鍵をかけてでかけましょうか」と相談していたのだが、「起きるから」ということでそのままになっていた。
まあ、ごそごそしていたからなんだかんだと起きるだろうと、そのまま出てしもうたがちょっと心配。

相変わらず大荷物で出勤。
暑い。
午前中に研究会終了。
後かたづけは午後に回して、とりあえずランチ。
祖母宅に泊まると、朝ご飯を食べないと叱られる。
今朝は「うぐいすパン」が用意されていた。
でも、あまりの暑さによう食べられんし、電車の中で食べようかなと思いつつ、半分証拠隠滅も兼ねて、持参したが、お昼も別に用意していたので食べられず。
それでも、一時よりは少し食欲を戻しつつある、と思う。

午後は、仕事。
ちょっと体力のいる仕事。
うろうろしながら、すませたものの、あかん。
やっぱりへたれえやわ。
クセになっている右手首が再び腱鞘炎。

用事があって実家に電話する。
21時過ぎだった。
母と話していると、突然、沈黙。
電波がおかしいのかと「もしもし」と何度も繰り返すと、突然、耳をつんざくような悲鳴。
何?
鼓膜破れそうやん。
こっちは漸く駅に着いてから連絡しているから、歩きながらなのであわてて「どないしたん。もしもし」と聞くと・・・
「あほう。何打たれてんの。点入れられたやん」
あのう、それって人の話聞かんと「阪神戦」見とったんかいな。
すっかり本題忘れて、「もう、ええわ」と言うと「延長戦なんよ」って、知らんがな。
どうも向こうの用事は「こっちによって持っていって欲しいものがある」と言うことなので、逆方向に歩き始めていたのに、実家に行くことに。
着いたときには、阪神が負けたときで、両親ともに(特に父)の機嫌の悪いこと。
こんな環境で育ってんから、阪神ファンは逃れがたいすり込みやな。
おかげさんで実家の冷蔵庫の掃除をしましたが、家帰ったらなんかお腹が痛い。
た、食べ過ぎか?
思わず1985年もののポルトガル白ワインをご相伴預かり、しかも父が「口に合わん」と言い出すので、「こんな美味いのに」と調子に乗って平らげたのがアカンかったんかな。

身体さんにまた怒られるがな。

7月19日
研究会。
夏ばてして、ここのところ会う人に「大丈夫ですか」と言われていたが、今日は「オガワさん、元気そうですね」と言われる。
そりゃあ、「雷蔵」のおかげですよ。
すっかり元気になりました。
いつまで持つやら保証できませんが。

研究会はいつも刺激的。
とても楽しい。
だが、今回はもう一つの楽しみの「懇親会」を辞退したので、一部のメンバーに「なぜ?」と言われてしまう。
いや、「鵜飼」に興味がなくて・・・
すみません。
風情のわからぬ野暮な輩なもので。

明日が早いが、帰りが早かったので祖母宅にお泊まり。
ちょっと、週末騒ぎすぎて、疲れてきたかも。

7月18日
昨日の興奮冷め止まぬまま、今朝は張り切って、JR京都に9時半集合。
ロケ地めぐりを兼ねたバス・ツアーである。
回るのは、三井寺、琵琶湖湖畔でランチ、延暦寺、日吉大社である。
大型バスを借り切ってのツアー。
バスの中も、雷蔵話で大盛り上がり。
実は三井寺と延暦寺は行ったことがなかったので、それも参加の理由だった。
三井寺は謡も稽古していたので、「これがあの鐘か」と一人感動。
カメラもってくるんやった。
携帯で取ってみたが、いまいち。

一応門に集合する時間が決まっているので、マイペースに観光できる。
もちろん団体であるのだから、歩きながらお話ししたりもする。
一つ恥ずかしいことは、お互いを「ハンドル・ネーム」で呼び合うことだ。
ネット上なので、個人情報の問題もあるから、会員は自らお気に入りのハンドル・ネームを希望し、誰も重なっていなかったらそれに決定する。
ほとんどが雷蔵の映画作品における役名である。
あるいは、その相手役とか。
私は、絶対に誰かが使っているだろうと思って、軽い気持ちで「龍之介」とかき込んだ。
「机竜之助」と「月形龍之介」にひっかけたのである。
芥川龍之介もいたなあ。
ところが、意外にもこんなメジャーな役名があっさり受諾され、昨日から今日も1日「龍之介さん」と皆様に呼んで頂くことになった。
かなり、恥ずかしい。

ランチタイムはドイツ料理。
たまたま座った席が、いつも映画館で会う女性と、雷蔵歴の長い人たちばかり。
しかもみんな酒飲みだったので、調子に乗って昼からドイツ・ビールをがばがば飲んで、大騒ぎ。
皆さんが市川雷蔵ファンであることは、自明のことだが、それ以外に、映画自体が大好きと言うことも判明。
雷蔵の映画で盛り上がっていたのが、いつのまにやら「洋画」の話に移り、またその話しについて行ける私もいるものだから、一番うるさいテーブルになってしまった。
年齢はさまざまだが、スターについて語るとき、本当にみんな少女や少年のようにキャーキャーはしゃいでしまう。
それは、ある意味いつまでも若さを保つ幸せの要素のような気がした。
なんの楽しみもなく、熱く語り合う相手もいないより、端から見て「あほちゃうん」と言われようとも、こんなに大笑いし、思い出しては泣き、同じ映画のシーンを共有して、それぞれの思い入れが加えられていく。
そんな幸せはないと思い、「映画」(小説でもテレビでも構わないが)の力と市川雷蔵をはじめ多くの銀幕のスターたちの魅力や力を感じる。

そこから、今度は、延暦寺へ。
バスの中、琵琶湖湖畔でロケをした思い出話を監督より聞く。
残念ながら田中監督は、今回のスポットでロケをしたことはないそうで、全部助監督時代の話である。
俳優は着物を自分で着られるのが当たり前だった時代。
エキストラ200人とかがすぐに集まり、贅沢に映画が製作された時代。
200人に鎧をつける(エキストラなので自分ではできない)だけで、何時間もかかり、それからロケ地に移動して、1日では終わらない大仕事という話など、想像しているだけで楽しそうだ。
当時は道も舗装されていないので、せっかく扮装させても、バスの揺れで鬘がずれるというエピソード。
特に、溝口健二の話が多かった。
まさに時代劇第二黄金期の話である。

延暦寺では、売店のおばちゃんにダマされて?つい「胡麻豆腐」を買うてしまう。
日吉大社が、一番面白かった。
ここは「新・平家物語」で有名なシーンに使用されており、何人もがそのシーンを「台詞」つきで再現してくれるのだ。
ついでに、「江戸へ百七十里」のワンシーンもここだそうで、「鴈次郎が座り込むところ」と教えていただく。
これは、家に帰ったら、映画を見直さないといけないな。
京都に戻る中でも、「一条戻り橋」といえば、ロケ地は違うけれど「大江山酒呑童子」に出てくるところとか、「二条城」を見ながら、数多くの映画作品名があげられる。

あんまりこんな濃いのり(「冬ソナ」ロケ地巡りの韓国ツアーみたいなものね)は・・・、と最初は戸惑っていたが、ロケ地ツアーも楽しいけれど、とにかくそれぞれが持っているその雷蔵や映画についての豊富な情報を交換し、新しい人々との出会いという面が、このオフ会の一番いいところと感じた。
だって「あのシーンね」と再現して騒いだとしても、別に「雷蔵」とそのシーンの相手役になりきりたいという欲望とは違う気がするのだから。
これは、もう麻薬だな。

7月17日
雷蔵忌。
世間は祇園祭という。
嘘です。
たまたま日が重なっただけで、何の関係もありません。
すまない。

朝から上手くいけば5本立て!
はりきって、朝早く起きて、着物を着ようとするが、腹痛が。
1本目をあきらめる。
少し休憩して、と思っていたが、長い休憩になってしまった。
悔しいので自分への言い訳を考える。
何故、そのような面倒くさいことをするのか。
それは、この私が「雷さま」を見逃すなんて、許せないからである。
思いついた。
今日の5本の中で、一番見たいのが、最後の5本目である。
最初の3本はDVDを所持している。
これまで最高1日6本見るという暴挙に出たが、相当の体力を要する。
今の私は夏ばてで、かなり体力が落ちている。
5本目の後、雷蔵ファンの集いで食事会もあるのに、これは体力配分をせな、えらいことになる。
と言うことで、着物を着て、3本目を見に大津へ行くことにしたが、JRがダイヤ変更していたことに気付き、10分ほど遅れることが判明。
その後、2本は京都なので、思い切って、京都の2本だけ行くことに変更。
しかし、着物を着ているので、洋服以上に暑い。

普段、冷房で身体を冷やしているので、家にいるときはよほどでない限り、クーラーをつけないようにしている。
あかん。
限界と、今年初のエアコン使用に踏み切る。
着物は好きなのだが、夏は暑い。
用意をすませ、まだ時間があるので、仕事を済ませようと決意。
明日は朝から1日バス・ツアーに参加するから。
初めての成績をつける。
ドキドキしながら、「なんで」と問いかけられても答えられるように、慎重に評価する。
一段落したら、丁度いい時間。
京都へゴー!

久し振りに「鯉名の銀平」を拝見。
田中徳三監督のご挨拶を拝聴。
これまた久し振りに「濡れ髪剣法」を拝見。

スクリーンで見る雷蔵は一段と良い。
もう惚れ惚れする。
やはり映画館で見るのが一番。
本当にミーハーやわ。
結果的に2本に絞ったが、おかげで体力余裕で、眼が疲労することなくゆっくりと鑑賞でき。
それから、雷蔵を偲ぶ会に初参加。
料理屋さんに行き、田中徳三監督や当時の大映の脇を固めていた俳優さんも参加され、40名近くの大宴会である。
小さなテーブルを6名ずつ囲んでいるので、「初めての参加です」と皆様、先輩諸氏の方々にご挨拶。
私の隣りに座られたご婦人は、雷蔵が活躍していたときからスクリーンで見てはった大先輩。
羨ましい。
いろいろとお話を伺う。

意外なことに、昨年の市川雷蔵映画祭「艶麗」で雷蔵にはまりましたと言う方が何人もいやはる。
「雷蔵歴」というか、いつ頃からファンになったのかという質問が飛び交う中、年数で言うと結構古くからのファンに分類されている自分が怖い。
しかし、見方が違うので、トリビアクイズ状態になると、全然かないません。
今後の研究のために、下心丸出しで田中徳三監督にご挨拶し、名刺を渡して、いつかインタビューしたい旨を申し上げる。
笑って承諾してくれはったが、酒の席の上の事なので、確信はない。

この会でも中心としてファンクラブ設立者の手伝いをしている女性がいはる。
実は、名前は知らないが、ここ10年近い雷蔵映画祭で、彼女とは映画館で良く出会う。
少し言葉を交わすようになっていた人である。
宴たけなわになって、いろいろと状況がわかってくる。
このファンクラブができて、こうして「雷蔵忌」というなのもと、食事会をするのが今年で3回目。
これは、インターネット上で設立されたファンクラブであり、こうして映画祭などで集まるのを、用語通り「オフ会」と称している。
インターネットの力はすごい。
今回参加されている人は、北は仙台から南は九州と、頭が下がる。
ネット上で立ち上げたファンクラブ会長に当たる女性も、普段はロス在住なのだ。
本当に頭が下がります。
以前「雷蔵」と呼び捨てしたら、「雷さま」と呼びなさいと叱られたこともあったが、本当にこの役者の魅力は何だろう。

昨日から、今日の昼過ぎまでくすぶっていた鬱状態がすっとんだ。
これもみな、雷蔵さまのおかげです。
この世を去られて36年。
合掌。

7月16日
京都に映画を見に行くつもりだったが、動けなくなった。
おそらく、暑さのせいだろう。
顔を洗い、服も着替えて、あとは鞄を持って家を出るだけ。
せやけど、玄関まで行くと、お腹が痛くなったり、眩暈がしたりして、部屋に戻る。
これって、完全なる鬱状態の症状。

食欲もなく、汗ばかり滝のようにかくので、ひたすら水分をとり続ける。
気がつけば、外は暗かった。
先週末の引き籠もりを思い出す。
あかん、うっかりすると、ほんまにこのまま出られんようになる。
明日、明後日と予定があるから、今日はこのまま体力蓄えっていうことにしとこ。

7月15日
1時間寝たか。
30分から1時間ごとに目が覚め、暑くて長い夜が明けた。
どうしようもない身体を引きづりつつ、とにかく出勤。
仕事が溜まっているのだが、集中力が落ちすぎて、全然捗らない。

おそらく自律神経がいかれているのだろう。
身体全体がしびれたような、どんな格好をすれば少しでも快適になるのかわからない。
しゃがんでみたり、背筋のばして椅子に坐ってみたり、横たわってみたり、立って歩き回ってみたり・・・
あかん。
気持ち悪い。
自分の身体をもてあます。
ほんまに、身体は正直や。
理性で統制しようとする頭さんの指令に従っているように見えて、こうして身体は確実に抵抗し、警鐘を鳴らす。
それでも、「まだなんとかなるやん」と無理しようとすると、仕事ができない状態に陥れる実力行使にでやはる。
えらい、すんません。
身体さんに謝る。

午後になると、主治医のところに行かないと限界に思えてきた。
いつもは混んでいるので、探りの電話を入れると、今日はすいているという。
あわてて仕事を終わらせて、すごい勢いで直行。
ぎりぎり間に合った。
とにかく、調子がばらばらだが、すべてに絶望しているわけではない。
薬を増やしたくない方針の主治医と話し合い、胃薬だけ増えた。
胃が弱っているので、これ以上夏ばてを、すなわち身体さんを弱らせないため。

さて、気を取り直して連休だ!

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2005年07月26日 11:24に投稿されたエントリーのページです。

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